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〇蓄えるしんどさと使う喜び(その5・感動の貯蓄)

 詩人の相田みつをさんが「感動とは感じて動くこと」とシンプルに表現していますが、感動はまか不思議な心の動きです。青年団長をしていた若い頃、「人の悲しみを悲しみと思い、人の喜ぶ姿を見て喜びとするような人間になろう」などと、感傷的な言葉を自ら編み出して、青年たちにあいさつで訳も分らず訴えていましたが、今となってはけだし名言だと納得しています。
 私は子どもの頃から涙もろい方で、テレビのドラマを見ても泣けてきたり、道端の草花を見ても思わず立ち止まり、しゃがみ込んで「綺麗だ」と思います。多分それは私を育ててくれた母親の影響かも知れません。

 親友というより大先輩の愛媛大学名誉教授の讃岐先生が、「感動は感動という作用によってのみ点火される」と言っています。つまり感動しない人間は相手に感動を伝えることはできないのです。わが子は四人います。他人はどう思っているか分りませんが、わが子四人は普通に育てたのに、優しい感動する子どもに育っているように親の目から見れば思えるのです。それは多分手前味噌ながら、幾つもの感動を貯蓄してきた私たち夫婦の影響からかも知れません。

 私たちが子どものころは、子どもが生まれるのも、家族が死ぬのも全て家庭でした。ゆえに生というとてつもない大きな喜びと、死というとてつもない大きな悲しみを経験することができました。歓喜と感涙の源がそうした経験だとしたら、今の社会生活には残念ながら感動を経験することが少なくなったゆえに、無感動な子どもたちが多いことも納得できるのです。そんな子どもたちに「感動の涙を流す経験をさせてやりたい」という願いのもと、「無人島に挑む少年のつどい等を無謀にも計画し、20年を越えて仲間とともにやって来ました。また今も人間牧場に子どもたちを集めて、子ども体験塾をやっていますが、それもこれも感動の貯蓄運動なのです。

 私は歳のせいでしょうか?、何かにつけて涙もろくなったような気がします。「歳をとると涙もろくなる」と言われますが、多分それは感動の貯蓄の利子が溢れ出しているのだと思えば納得するのです。現代の子どもを感動人間に育てるには、讃岐先生の言うことが正しければ、まず親や社会が感動親、感動社会にならなければ、子どもたちの心に感動の火は点火されるはずがないのです。私ももう少し、子どもたちに感動の貯蓄をさせるお手伝いをしたいと思っています。

  「感動は 感じて動くと 言うけれど 感じて動く 人ぞ少なし」

  「感動は 感動作用で 点火する する人あれば される人あり」

  「感動を 貯蓄するのは 難しい 使う喜び あれば出来るよ」

  「感動が 少なくなった 世の中で どう伝えるか 次の世代へ」
 

 

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人間牧場

〇蓄えるしんどさと使う喜び(その4・人間関係の貯蓄)

 私は正月に手元に届く年賀状が、こんな田舎に住んでいながら、多い時は1千枚を越えるほど、沢山の知人友人がいます。現職を退職しさすがにその量は幾分減りましたが、それでも妻が驚くほどの知人友人がおリ、高齢になった今でもかなりの人の名前と顔が一致して覚えているし、交友を続けているのです。私の人間関係は青年団8年、社会教育13年、地域づくり20年、教育長2年の他、21世紀えひめニューフロンティアグループ活動30年、人間牧場10年という縦糸と地域活動に加え、全国をまたにかけた講演行脚などの横糸が織り成す若松進一という男の人生そのものです。

 人に会って覚えてもらったり、付き合ったりしてもらうには、自分のグレードを高めなければなりません。「価値のない人間は付き合うに足らず」なのです。「人間の価値とは何か?」これは私がずっと考え続けているテーマです。他人は人の値打ちを得てして「好きか嫌いか」「損か得か」で判断します。好きで得な人とは多少無理をしてでも付き合いますが、嫌いで損する人は敬遠されるのです。でも本当の人間の値打ちはそんな単純なものではなく、結局行き着くところは「善か悪か」なのです。その意味が分かれば嫌いでも損をしてでも付き合うことができるのです。

 私の妻は私と連れ添って40年を越えましたが、その辺のことをよく知っていて、私の付き合いをサポートしてくれています。全国にいる知人友人に毎年田舎ならではの産品を送ってくれたり、勿論私も毎日ハガキ3枚を出すなどして絆を温めているのです。また請われればはせ参じてボランティア活動で手助けもするのです。人の付き合いはそのようにしんどい部分もありますが、私が今日こうして元気に活動できるのは、やはり多くの人の力であることを忘れることはできません。さあ今日もいい人と出会い、いい人間関係を貯蓄しましょう。

  「好き嫌い 損得よりも 善か悪 そのこと知れば 善人集まる」

  「これまでの 人間関係 貯蓄した 財産使い 今も生きてる」

  「金などは ないが人財 多くあり 楽しい日々を 今日も過ごしぬ」

  「これからも 人・人・人と 関わりて 絆深めつ 絆深めつ」

 

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〇蓄えるしんどさと使う喜び(その3・金銭の貯蓄)

 世界中では人口の7パーセントの人が金持ちで、93パーセントが貧しい人だそうですが、勿論私も93パーセントの中の一人です。これまで70年間生きて、50年くらい一生懸命働いてきましたが、ことお金に関しては縁がなく、このまま貧乏人で一生を終りそうです。貧乏な私はそれでも「金はなくボロは着てても心は錦」なんて強がりをいって暮らしていますが、一度でいいからお金持ちになってみたいと思うし、一億円の宝くじにも当たってみたいと思うものの、今まで宝くじさえ買うお金もないので買ったことがなく、当たるはずもないのです。

 そんな私ですが、50歳の時一念発起して、60歳の定年から始まるであろう第二の人生のために、人間牧場を造る夢を見て、必要な一千万円を貯めることを決意しました。安月給なしがない地方公務員で、サイドビジネスも出来ない私が五十代の10年間で、果たして1千万円を貯めることが本当に出来るのか?、自分自身でさえ半信半疑でした。それでも「夢はドリームではなくターゲット」と、思ってやった結果一千万円が貯まったのですから驚きです。今思えば蓄えるしんどさは想像以上でした。でもその一千万円を元手に、借金をしたり補助金を貰うこともなく、自分の夢であった人間牧場を五年計画で整備し、多くの仲間とともに喜びを分かち合っているのです。

 私は蓄えたお金を、蓄える苦しみ等すっかり忘れて使い果たし、手持ちのお金は元のゼロになりましたが、後悔は全然なくむしろ晴れ晴れとした気持ちです。幸いなことに人間牧場で落伍を演じるために考えた、高座本「夕日徒然草」も5冊産まれ、その売り上げもそれなりにあって、運営に必要な資金も調達できているのですから、世の中は分からないものです。人間牧場資金づくりのために始めた貯金箱貯金も、今ではすっかり自分の生活習慣になって、貯まった小銭でデジカメを買ったりして使う楽しみを味わっています。

  「一千万 何が何でも 貯めてやる そんな苦労な 不退転決意」

  「本当に 一千万円 貯めました お陰で夢の 人間牧場」

  「貯金箱 今は習慣 なりました 小銭を貯めて ささやか喜び」

  「さあ次は 何をしようか ワクワクし 夢膨らませ 貯めるしんどさ」

 

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〇蓄えるしんどさと使う喜び(その2・知識の貯蓄)

 私の知識は読む、聞く、見るによって大きくなってきました。今時大学も出ていない高卒の学歴なので、深くて広い知識等望むべきもありませんが、子どものころから親父に言われて育った、「勉強は学校へ行かずとも、何処でもできる」を肝に銘じ、様々な本を乱読しました。その本の殆んどは人間牧場・水平線の家の書棚と自宅書斎の書棚に置かれていますが、これ以外にも新聞や雑誌の類を含めると、活字による知識は相当なもので、今もその歩みは続いているのです。

 色々な人の話しを聞くことも大いにやりました。多少のダブリはありますが、私の青年団での8年、公民館での13年は多くの人に出会い、聞くことによって様々な知識を習得したのです。また見るという行為による学びも、青年の船で建国二百年のアメリカを見たり、全国各地を旅をして目学もやりました。その全てが基層知識となって、今では書く、喋る、実践するという使う喜びに変わっているのですから嬉しい限りです。特に若い頃に得た知識の貯蓄がなかったら、私の人生はこうも豊かに生きれることはできなかったようです。

 知識は記憶です。体内に蓄えられた貯蓄は、蘇らせて使わなければ何の役にも立ちません。年齢とともに人間の記憶装置は傷むものだと、昨日テレビを見て思いました。若い頃出会って指導を受けた永六輔さんが、テレビに出てお話をしていました。かつて超聡明だった永さんさえも歳とともに老いを迎えるのですから、私などはこの先どうなるのだろうと少し不安になりましたが、幸い私が退職後手に入れたパソコンによって、かろうじて記憶は保たれているのです。私は今そのパソコンという記憶装置に、一生懸命今しかできない、私にしかできないデジタル文字を入力しています。

 毎日日課と定めて書いている2本のブログも10年を越えました。時々検索して過去に書いた文章を読んだりしていますが、人様から見れば他愛のない文章でも、今が過去になる前に今しかできない作業を、毎日繰り返しているのです。それは知識の貯蓄と同時に知識を使って知恵に変えることでもあり、まさに使う喜びかも知れません。私たち人間は文字という武器を持っています。この武器をパソコンという新たな武器で加工して記録保存できるのです。こんな無意味な知識の貯蓄という生き方を、これからもしっかりと続けたいと思っています。

  「低脳を 自認の私 知識得る 読んだり聞いて 見ること努力」

  「超聡明 あの人さえも 歳をとる 今しかできない 知識の貯蓄」

  「意味もない ことと誰もが 思うけど 自分納得 これも人生」

  「さあ今日は 知識の貯蓄 引き出して 使う喜び 味わい出かけ」

 

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〇蓄えるしんどさと使う喜び(その1・健康の貯蓄)

 私がいつも心に思っていることのひとつに、「貯蓄」という言葉があります。私がこの言葉に出会ったのはもう40年も前、貯蓄増強推進委員会から貯蓄推進員に委嘱された時でした。貯蓄はイコール貯金のように思われますが、貯蓄には①金銭の貯蓄。②健康の貯蓄、③人間関係の貯蓄、④知識の貯蓄、⑤感動の貯蓄と色々あるというのです。以来私はそのことに注意をして生きてきました。しかしお金も健康も知識も人間関係も、また感動さえも自分の体内に蓄えることは平凡ながら、容易なことではないことを、この40年間身を持って体感していますが、蓄えるしんどさはあっても、使う喜びがあることも知ったのです。

 健康で長生きがしたいと思うのは人間誰しもです。最近はサプリメントが大流行で、テレビにサプリメントのコマーシャルが出ない日はないほどで、金さえ出せば健康になるような錯覚を持ちますが、健康維持はそんな単純なものではなく、快食・快眠・快弁・快運動の積み重ねがないとなりたたないのです。毎朝ジョギングやウォーキングをしても一日一日は何の変化もないように見えますが、これが一ヶ月以上も続けて習慣化すると、たまに食べ過ぎたりしても体重は増えず、またぎっくり腰や五十肩(現在は七十肩かも)もすっかり陰を潜めています。子ども体験塾の山歩きだって、明くる日もその次の日も足腰に堪えるよな実感さえないのです。

 4つの症候群といわれる①メタボリックシンドローム(肥満型成人病症候群)や②ロコモティブシンドローム(運動機能低下症候群)、③アパシーシンドローム(無気力症候群)、④フレイユシンドローム(老化症候群)の中で、私が気をつけなければならないのはロコモとフレイユですが、蓄えるしんどさは多少あっても、日々の暮らしが健康で充実しているのは使える喜びなのです。
 今朝早朝ジョギングをしていると、何人かの人に出会いました。残念ながら若い人は公民館の赤石さんだけで、後の人はみんな60歳を越えた人でしたが、それぞれがそれぞれの健康の貯蓄をしていました。

  「若い頃 貯蓄の意味を 教わった 貯金とばかり 思っていたが」

  「健康も 知識や金も 貯蓄する しんどいけれど 使う喜び」

  「アパシーや フレイユならぬ ようにする 毎日わが身 戒め生きる」

  「それぞれに 毎朝健康 貯蓄する 健康長生き まずは目標」

 

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〇恵方巻き寿司を食べる

 世の中は気の早い人や縁起を担ぐ人、それを金儲けにしようと目論む人など様々です。その最たるものはバレンタインデーですが、恋や愛がチョコレートとどう関係がるのかも分らぬまま、人がやるからと相変わらずノー天気なノリで、流行に流れる国民性には、首をかしげざるを得ないようです。
 明日は節分ですが、節分に「鬼は外、福は内」などといって豆まきをする風習は、子どものころから続いている風習として納得しますが、最近すっかり定着した恵方巻き寿司を食べる風習は、今まで私たちの暮らしに馴染んでいないだけに、ことさら「何で?」という疑問が湧いています。

玄関先に魔除けのオニグイを飾る孫希心
玄関先に魔除けのオニグイを飾る孫希心

 恵方とは縁起のいい方向をいいますが、切ったら「縁を切る」などと縁起が悪いので、太巻き寿司を丸々一本、恵方の方向に向かって食べるのは、食の細りつつある高齢な私たちには、とても真似ができるものではなく、子どもたちにもお行儀や躾の上からも余りお勧めできない、行儀の悪い食べ方のようです。
 節分を明日に控えた昨日、友人から太巻き寿司を一本いただきました。海鮮寿司のようで中の具は新鮮なハマチとイカの刺身に貝割れ大根と山葵を敷いて、出汁巻き卵焼きと一緒に巻いていました。昨日は早速夕食にこの太巻き寿司を食べようと思いましたが、さすがに一本丸々食べる自信がないため、縁起が悪いと分っていても、一口サイズに切り分けて妻と二人で食べました。

恵方巻き寿司
恵方巻き寿司

 恵方巻き寿司を食べようと宣伝したのは、コンビニのセブンイレブンだと聞いています。そのせいでしょうか、あちこちのコンビニには、早くから外の駐車場に恵方巻きの発売を知らせる幟が立て、あおっているようです。無宗教無信心な私には、恵方も恵方巻き寿司も余り興味がなく、昨晩食べた恵方巻き寿司も「しまった。恵方の方向を向かずに食べてしまった!!」と、今頃になって気付くお粗末さです。
 それでも昨日は、私が山から切ってきたオニグイの木を使って、私が作った厄除け飾りを、孫二人と一緒に玄関や神棚、仏様にに供えて手を合わせました。同居している長男息子は今年が四十二歳の後役らしく、友人と誘い合わせて菊間の遍照院という厄除けのお寺へ、お礼参りに出かけたようです。まあ何はともあれ、他力本願ではなく努力して、家族全員が無病息災でありますよう祈っています。

  「恵方巻き 寿司をいただき 食べたけど 困ったことに 縁を切り分け」

  「世の中は 何でもかんでも 金儲け 巻き寿司さえも 道具に使う」

  「歳の数 数えて今日は 豆を食う 70粒も とてもじゃないが」

  「わが息子 四十二歳 後役と 聞いて自分の 歳の多さに」

 

 

 

 

 

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〇2年間続いた軽トラ市

 「軽トラ市って軽トラ売ってるの?」と、真顔で話していた2年前がまったく嘘のように、下灘運動公園で毎月月末土曜日に開いている軽トラ市が丸2年を終えようとしています。「悪いことや止める、いいことは即実行する」を合言葉に、まちづくり学校双海人の学習の中から生まれましたが、皆さんのひた向きな努力で常時30ほどの店舗が並び、商店が少なくなって買い物さえ不便な下灘地区の、新たな楽しみとして定着していることを嬉しく思うと同時に、これからも長く続いて欲しいと願っています。

P1070189 昨日は前日稲葉さんがアメノウオの燻製品をわが家へ持って来て、軽トラ市の話をしたばかりだし、愛媛新聞の8面記事を松本さんがfacebookで配信してくれていたので、私も気になって覗いて見ましたが、手伝いスタッフとして毎回参加しているまちづくり学校の校長浜田さんから、いきなり「忙中閑ありですか?」と尋ねられましたが、「いや忙中忙ありです!!」と笑って返しました。合う人ごってにまず、「今日は寒いですねえ」という言葉が返ってくるほど、北風が強く吹いて寒い一日でした。それでも寒さに震えながら何となく暖かい雰囲気の界隈でした。

 稲葉さんの店を覗いて、温かいしょうが湯をご馳走になったので、里芋を2袋買いました。戸田さんのお店では甘平を試食させてもらったので、2個買いました。田処から西田さん一行が来ていたので、コンニャクを2個買いました。気がつくと私もナイロンの買い物袋を重たくなるほどぶら提げ、あちらこちらの店を冷やかしながら歩いていました。昨日は舞たうんの原稿書きの補助取材で、地域おこし協力隊の本多さんに話を聞きたかったので、交通整理をしていた本多さんと立ち話をしたり、30分ばかり時を過ごしましたが、3年目には入る来月には暖かい日差しが戻って来ることでしょう。冨田さんの「長く続けて、勝手に集まって勝手に始まり、勝手の終るようになればいい」という願いが叶えられますように願っています。

  「2年前 軽トラ市を 始めた時 軽トラ買いたい 人がいました」

  「2年間 よくぞここまで 嬉しいね これから先も 続いて欲しい」

  「気がつけば 買い物袋 両手持ち 右往左往の 私いました」

  「久しぶり 買い物よりも まず会話 軽トラ市で 安否確認」

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〇自給自足の贈り物

稲葉さん自作のアメノウオの燻製
稲葉さん自作のアメノウオの燻製

 昨日の昼過ぎ、親友の稲葉眞光さんがわが家にやって来ました。稲葉さんは面白い人で、砥部町で自動車の板金修理工場を営んでいますが、最近はその修理工場の経営を息子さんに任せ、農業をしているのです。私は素人ながら稲葉さんにいつも言っていることは「遊びの農業は楽しいが飯を食わなければならない農業はしんどい」です。農業に門外な私がやっている農業は、家庭菜園も人間牧場も全て遊びの域を超えない農業なので、たとえ天候不順でできなくても、またイノシシやハクビシンに農作物を荒らされようとも、仕方がないことと諦め、歌の文句ではありませんが、「明日があるさ」となるのです。しかし農業で生計を立てるにはそれらに打ち勝ち、成果を収めなければならないのです。

福岡のり子さんが届けてくれた美味しいひな豆
福岡のり子さんが届けてくれた美味しいひな豆

 稲葉さんもそのことを意識して、わが双海町に約5反ほどの農地を買い求め、せっせと農業を始めていて、意志半ばながら大分腰の据わった農業を本格的に始めているようで、ひとまず安心といったところです。昨日はアメノウオの燻製品ができたことを報告にやって来ました。西予市宇和町の観音水でアメノウオを養殖している、親友佐藤正治さんから仕入れた淡水魚を燻製したようで、かなりいい状態で仕上がっていて、今日下灘運動公園周辺で開かれる予定の軽トラ市に出品するようですが、はてさて価値の分らない人たちに売れるかどうかといったところです。最近稲葉さんと切干大根談義をしています。切干大根とヒジキの煮付けはどのホテルの朝食にも、必ず見かけるものですが、大根は大きい小さいや出来栄え等で見た目評価されますが、切干大根は細かく切って干すため、例え小さいくず大根でも切干大根にすると価値は変わらないのです。私が最近手掛けて仕上げた切干大根を見て感心しきりでした。

 稲葉さんが帰ったところへ漁協女性部の福岡のり子さんが、ひな豆を沢山持って来てくれました。そういえばもうその時期か!!と思いながら受け取りました。毎年この時期になるとのり子さんは自分で手作りしたひな豆を届けてくれるのです。お礼にハチミツを少し差し上げましたが、前回差し上げた蜂蜜は、ガンで昨年亡くなった弟さんに食べさせたそうで、とても喜んでくれました。
 田舎は様々な自給が行なわれます。稲葉さんのアメノウオは自給というより新商品開発ですが、人それぞれ自分の得意分野でまず自給し、自給のお裾分けをしながら生きるのも田舎流の楽しみ方です。今年は切干大根も沢山作ったので、お裾分けしながらまた新しい自給を考えたいものです。

  「アメノウオ 燻製品を 届けたる 仲間と談笑 楽しからずや」

  「作りたる 切干大根 見せながら 自給色々 次の作戦」

  「ひな豆を 袋どっさり 嬉しいね そんな時期かと 早さ感じる」

  「田舎ゆえ 田舎暮らしの 幸せを 実感せねば 申し訳ない」 

 

 

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〇素敵なプレゼントが届く

 1週間ほど前の1月22日、愛媛県金融広報委員会の依頼で、西予市立中川小学校へ講演に出かけました。小学4年生の教室での授業ですから、講演というよりは講義というのが正しいのかも知れませんが、昨日郵便ポストに届いていた郵便物を若嫁が私の所まで持って来てくれました。その中に中川小学校の堀田春奈先生からの少し大きめの封筒が届いていました。封を切ると中から金色のリボンで綴じられた文集が出てきました。表紙には私が四年生の教壇に立って授業をしている写真がプリントしていて、中々いい写真でした。

堀田先生から送られて来た感想文
堀田先生から送られて来た感想文

 表紙に貼っていたポストイットに堀田先生の心温まるお礼のコメントが書かれていました。私はこう見えても案外筆まめで、毎日3通のハガキを書くよう自分自身に私が命令していて、既に堀田先生に明くる日、お礼のハガキを差し出したような記憶があるので、少し安堵してこの文集をめくりました。「若松進一先生へ」との書き出しで始まる17人の子どもたちの感想文は、いずれもとても綺麗で丁寧に書かれていました。本当はみんなの文章を紹介したいのですが、えこひいきしてはいけないので、一番上にあった都築心さんの感想文を紹介します。

「先日はお金のことをたくさん教えてくださってありがとうございました。ぼくはお金がどれくらい大事でどのように使えばいいかがよく分りました。そして氷は出ている部分がほんの少しだけど、人間はがんばればたくさんできることが分りました。これからはぼくもがんばってたくさんにして、お金も先のことを考えて少しずつ使いたいです。本当にありがとうございました。 4年都築心」
 17人の感想文にはこの日のテーマであった小遣い帳のつけ方やお年玉の使い方、潜在能力と顕在能力の話がリアルに書かれていました。

 私はもう40年近くもこのように、金融広報委員会の委嘱を受けた金融広報アドバイザーとして、あちこちでお金に関する話をしていますが、小・中・高校で児童生徒に話す機会も多く、私たちの育った世代と現代の子どもたちの置かれている立場は、隔世の感がするほど違いますが、金銭教育には不易な部分が沢山あって、古い私でも十分通じることだっていっぱいあるのです。ゆえに時代遅れだしもうそろそろ、その職を辞退しようと思いつつ、甘い言葉で請われるものですからついついその気になって、長い関係になってしまいました。でもこの感想文に勇気づけられて、もう少しボランティアしようかと心が揺れ動いている今日この頃です。

  「西予市の 小学4年の 教壇に 立って講義を 臆目もなしに」

  「授業した 様子の写真 プリントし 感想文が 丁寧届く」

  「難しい お金の話 子どもらに 分り易くを 心がけ話す」

  「感想文 これは私の 宝物 勇気づけられ も少し頑張ろ」

 

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〇とも遠方より来るありまた楽しからずや(その3)

翠小学校にて
翠小学校にて

 三秋の峠を越え、高野川の坂道を下ると、伊予灘の海が開けてきます。北海道オホーツク沿岸で漁師をしている井田さんご夫妻にとっては、海こそ違え潮の香りはどこか懐かしさを感じるのか、車窓右手に広がる双海町の海を懐かしそうに見入っていました。私たち一行はまず翠小学校へお邪魔しました。いつもアポも取らずいきなりの飛び込みながら、校長先生や教頭先生に温かく迎えてもらい、授業中でしたが複式授業の様子も教室に入って見学させてもらいました。

閏住の菜の花畑にて
閏住の菜の花畑にて

 その後わが家へ立ち寄り、海の資料館海舟館を見学した後、居合わせた若嫁が温かいお茶を入れてくれ、わが家のゲストハウス煙会所でくつろぎました。井田さんのご主人は親父が造って展示している船の模型に特に関心を寄せ、見入ったり写真に撮っていました。わが家は私が若いころから親父が「草鞋を履け草鞋を脱げ」という言葉を口癖のように言っていました。草鞋を履くことは旅に出ること、草鞋を脱ぐことは一宿一飯の恩義に預かることです。遠来の人を温かく家に迎え入れることも、若い頃から行なっているので、井田さんご夫妻もすっかり心を開いてくれたようでした。

下灘駅にて
下灘駅にて

 早くも三分咲きになった閏住の菜の花や下灘駅界隈、下浜の水仙畑を案内しているといつの間にか時間が午後4時頃になってしまい、急いで人間牧場を目指しました。井田さんの奥さんが憧れていたのは、私がfacebookにアップしていた、水平線の家のウッドデッキに背もたれ椅子を持ち出して、寝そべることだそうなので、早速準備をし希望通りのシチュエーションで記念撮影しました。その写真は既に井田さんのがfacebookにアップして、沢山の友人が閲覧しているようです。
 帰り際シーサイド公園に立ち寄り、漁協女性部の閉店間際だったじゃこ天のお店で、じゃこ天を焼いてもらい頬張りながら、公園内を散策し案内を終わりました。

人間牧場のロケーション風呂にて
人間牧場のロケーション風呂にて

 井田さん夫婦は私が予約していた宿泊先であるウエルピア伊予へ向い、私は迎えに来てくれた若嫁の車で自宅まで帰りましたが、はてさてはるばる北海道から来た井田さんご夫妻の満足の行くような案内ができたかどうか分りませんが、お二人は多分昨日レンタカーで次の目的地である内子町や宇和島市、四万十目指して度を続けたものと思われます。私ももう間もなくリアイアするであろう妻と二人で、井田さんご夫妻のようなのんびりゆっくりの旅をして見たいと思いました。
 「友遠方より来るありまた楽しからずや」、そんな心に残る一日でした。

  「友来たる 楽しからずや レンタカー 私運転 あっちこっちと」

  「双海町 案内すれば 色々と 特色ありて 面白きかな」

  「何枚か 仲むつまじい 写真撮る 少し熱々 旅の思い出」

  「私たち 夫婦もいつか このように のんびりゆっくり 旅してみたい」 

P1070164

 

 

 

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