人間牧場

〇野菜苗の植え付け

 この2~3日、停滞して本土をうかがう台風14号と前線の影響で、弱いながらも雨が降り続き、持ち帰った野菜苗を植えることができませんでした。野菜苗は弱いので時機を逸するとその後の成長に支障をきたすので、何としても植えたいと恨めしく空を眺めていました。するとその願いが天に通じたのか、昼食を終えて一休みしていた午後2時ころから空が明るくなり、所々青空がのぞくようになりました。

 予定していた来客も相手の都合で午前中に終えて帰られ、これ幸いとばかりに少しじゅるかったものの畑に出て、ブロッコリーやキャベツ、白菜の苗を定規を使い等間隔で植えて行きました。植え付けは中腰で、まだ手術した左足をかばうような姿勢で行うため余計疲れましたが、それでも順調に植え付けが進みました。土が湿っているので手スコップで穴を開けるのも埋め戻しも上手く行き、その上植えた後に水をやる必要もなく、午後6時ころに全ての苗を植え終わりました。

 青虫対策の防虫ネットを被せる都合もあり1畝に2条植えしましたが、今年は苗と苗の間隔を45㎤にしてみました。今日も朝から雨模様ですが、これから畑に出て防虫ネットを掛けるためのつるの差し込みをしようと思っています。今朝は早くもブロッコリーやキャベツ畑の上をモンシロチョウがウロチョロ飛んでいました。チョウチョは野菜にとっては害虫なので、早く防虫ネットを張らねば青虫の餌食になってしまいます。野菜づくりも中々骨が折れます。と言いながら結構楽しんでやっています。

「2~3日 停滞台風 前線の 影響雨降り 畑は入れず」

「野菜苗 用意はしたが 植え付けが 出来ず悶々 2日が過ぎた。

「雨晴れ間 この機逃さず 植え付けを やったお陰で 何とか終える」

「さあ今日は 防虫ネット 張る作業 あれこれ言いつ 楽しみながら」

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人間牧場

〇えひめ地域政策研究センターは私の大恩人です

 昨日は金融教育指定校訪問で金融広報アドバイザーとして北条南中学校に行く予定でしたが、まん延防止の期限が12日に終わったものの、夏休みの終わりころから青少年に新型コロナが広がり始めているので、学校も時短授業を余儀なくされていて、急遽中止が決まりました。

 中止が決まった矢先、えひめ地域政策研究センターから「あれこれと話が聞きたいいのでお訪ねしたい」と電話が入り、昨日の午前中所長さんや本課課長さんたち3人がわが家へやって来ました。ゲストハウス「煙会所」に案内して2時間ほど、囲炉裏を囲んでマスク越しながらお話をしました。

煙会所の囲炉裏を囲んで大いに話し合いました

 愛媛地域背策研究センターは、①調査研究ならびに成果の公表及び政策提言事業、➁意識啓発及び人材養成事業、③活動支援及び交流促進事業、④移住・交流支援事業などを行っている公益財団法人です。発足当時はまちづくりセンター呼ばれていて、私たちまちづくり人が足繁く通い、市町村や団体から出向していた研究員とともに、人と情報のネットワークを学んだり実践したりした懐かしいところで、特に無知だった私にはまちづくりのイロハ教えてもらい、わが町の発展に大いに役立ちました。

 発足当時は県民文化会館横にありましたが、その後旧松山地方局、生活保健センターと移転を続け、現在は愛媛県商工会連合会の3階で事業の推進をしています。まちセンが発足して間もないころ発足したえひめ地域づくり研究会議の運営メンバーだった私にとっては、その後代表運営委員を長くやったこともあって、大恩ある組織でもあるのです。

 時代は変わり研究センターの役割も随分様変わりしていますが、さて今後どうするか、様々な意見を述べあいました。時は流れているものの、私はまだ情報誌舞たうんへ「shin-1さんの日記」というタイトルで、連載記事を執筆したり、アシスト事業の審査員をしたり、いささかなりのかかわりを持っていますが、これからも県内と県外交流、活動の拠点、情報の受発信、人づくり、未来への政策提言など、限られた人員と予算の中ながら大いに発展して欲しいと願っています。

「若かりし 頃に通った 懐かしき まちセン時代 思い出される」

「無知だった 私にイロハ あれこれと 教えてもらった 恩は忘れず」

「時流れ 激動社会 なるがゆえ 不易と流行 見極めながら」

「これからは 受けた大恩 返さねば 想いも新た 心し生きよう」

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人間牧場

〇病院の本棚に私の本が・・・

 病院には予約を取って行っているはずなのに、ひどい時は1時間も待たされる有様です。そんな時は手持ちのタブレットやスマホをいじってイライラを解消していますが、最近はどこの病院へ行っても待合室に本棚があって、雑誌やコミックなど色々な本が並べられています。男性ながら「女性自身」などという雑誌を手に取ったり、時にはエロ本を人目をはばかりながら見ている人を見かけます。

病院の待合室の本棚
本棚に並んでいた私の自著本「昇る夕日でまちづくり」

 昨日行った病院の待合室で、本棚の前に座っている男性が、1冊の本を本棚から取り出して読んでいました。受付の女性が「〇〇さん」と、その男性の名前を呼びました。「はい」と返事をして読んでいた本を本棚に返し、診察室へ入って行きました。よ~く見ると、何と男性が本棚に返した本は、私の自著本「昇る夕日でまちづくり」だったのです。「えっ?、何でここに私の本があるの?」と大いに驚きました。

 多分病院の職員さんが何かの都合で手に入れ、読まなくなったので病院へ寄付したものと思われます。この本は2000年2月31日発行、2002年6月23日第2版発行ですが、置かれていた本は第2版のものでした。少し時間があったので手に取ってパラパラめくりましたが、20年前の執筆当時の思い出が蘇り、懐かしさ一入でした。私はこれまでに何冊か本を執筆自費出版していますが、もう一度当時を振り返りながら再読してみたいと思っています。それにしてもお恥ずかしい限りでした。

「病院の 待合室の 本棚に 私自著本 並んでビックリ」

「待合で 待ってる人は 目の前の 著者の私に 気づいていない」

「20年 前に出版 した本に 病院待合い 出会い懐かし」

「もう一度 読んでみようと 思い立ち 20年前 タイムスリップ」

 

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人間牧場

〇リンゴとキンカン狂い咲き

 家庭菜園や家の庭には様々な植物が植えられていますが、大きなプラスチックの植木鉢に息子が植えている、姫リンゴの実が秋の気配で色づき始めましたが、リンゴの花は春咲くものと思いきや、このところの気候に勘違いしたのか、リンゴの花が咲き始め驚いています。

花が咲いてキンカン

 家庭菜園横の果樹園に植えている甘夏柑などの実は順調に育って、今年は豊作のようですが、その横に植えているキンカンの木は、昨年沢山実を付けた反動でしょうか、今年は隔年結果の裏作年のようで、実は殆どついていませんが、柑橘の花もリンゴの花と同じように春咲くものと思っていましたが、今が満開のようで、甘い香りに誘われて蜜蜂が蜜を吸いにやって来ています。

 キンカンやレモンの花が時々四季咲きすることは知られていますが、植えられた木々が春と秋を勘違いするほど最近の気候は異常で、私のような後期高齢者には気温差が大きいと体調管理が難しく、四苦八苦しています。枯れ木も山の賑わいの私ももう一花咲けばいいのにと、他愛のない馬鹿げたことを考えています。

「姫リンゴ 実が熟れ花咲き どこか変? 狂い咲です よくある話」

「キンカンも リンゴと相談 したのかな? 今が満開 蜜蜂蜜吸い」

「枯れ木だが せめて私も もう一度 ひと花咲けば いいのになあと」

「最近は 気候変動 あれやこれ 備えしようも 出来ずイライラ」 

 

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人間牧場

〇3つの記憶

 これまで76年生きて来た私の人生においては、直接わが身には降りかからなかったものの、毎年その日が来るとその日の出来事が鮮明に蘇って来る3つの事件事故があります。一つ目は26年前の1995年(平成7年)1月17日5時46分頃、深さ13㎞で発生したマグニチュード7.2の地震で壊滅的な被害と死者6,434人を出した阪神淡路大震災、二つ目は10年前の2011年(平成23年)3月11日14時46分頃三陸沖深さ24㎞で発生した地震と津波(高さ9.3m)により福島第一原発事故が同時に起こり、死者19,747人と行方不明者6,242人 を出した東日本大震災、三つ目は20年前の2001年(平成13年)朝、ニューヨーク世界貿易センターへハイジャックされた旅客機2機が突入し日本人24人を含む2,977人が死亡したテロ事件です。

 昔ならいざ知らず現代は映像技術が進歩していて、遠く離れた私たちの地域でもその全容が家庭内のテレビに何度も痛々しい現場の惨状が映し出され、脳裏に深く刻まれているのです。毎年その日が来ると「あれから〇〇年」と、風化させてはならない事故や事件の出来事を思い出させるように追悼の意味を込めて紹介されています。阪神淡路大震災は26年前、同時多発テロは20年前、東日本大震災は10年前の出来事ですが、昨日9月11日はニューヨークで犠牲になった人の追悼式が行われました。アメリカはこの事件をきっかけにアフガニスタンに巨額の費用をかけて軍隊を送り込み、解決もしないまま20年目の今年完全撤退を余儀なくされました。

26年前の阪神淡路大震災
20年前の同時多発テロ
10年前の東日本大震災

 目に見えない地震への備えは、毎年のように繰り返し起きている自然災害への備えとともに、自分の身は自分で守るという気概を、私たち国民は常日頃から持っておかなければならないのですが、最近は世界を震撼させているコロナへの備えも重なって、心労甚だしい状況です。私の記憶の片隅にいつまでも残像となって残っている3つの衝撃的な写真を、自分に降りかかった悲しい記憶をさておいて、昨日9月11日改めて思い出しました。事故や事件もなくこれからも平和な世の中であって欲しいと願っています。

「わが記憶 毎年のように 思い出す 3つのショック 残像となり」

「忘れない 忘れてならない 明日わが身 しっかり備え いつも思うが」

「思い出す 阪神淡路 大震災 私は当時 水槽の中」

「これまでも 色々あった わが人生 どうにかすり抜け ここまで来たが」

 

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人間牧場

〇標準木の標柱が倒れました

 昨日人間牧場へ行き、ウッドデッキで草刈り作業の途中休憩をし、少し靄のかかった瀬戸内海を見下ろしながら何気なく周りに目を移すと、何年か前私が代表をしている21世紀えひめニューフロンティアグループが、「千本桜の森づくり事業」という事業を興し、県内10カ所に100本ずつ合計千本の桜を植えた折、人間牧場に標準木として2本の枝垂桜と河津桜を植え、その折枝垂桜の根元に、記念植樹した証として建てていた標柱が、倒れているのに気がつきました。

 建てた後雨風に晒され少し見すぼらしくなっていましたが、倒れようとは夢にも思っていなかっただけに、10年の時の流れを感じました。さてどうするか?、腐った根元を削って元の場所に建てる方法もあるし、新しい標柱に作り替えることも考えられますが、とりあえず軽四トラックの荷台に積んで持ち帰りました。腐った部分をノコで切り取ってみましたが、ヒノキ材の表面は見すぼらしくなっているものの、中はまだ新しい材質のままでした。

一緒に植えた標準木の枝垂桜もこんなに大きくなりました

 早速建てる折、この標柱の墨字を書いてもらったグループのメンバーで会計の、松山市和気に住む佐賀山さんに電話を入れ、判読がつきにくくなった文字も幾つか見受けられるので、元の文字をなぞるような形で復元してもらうよう頼みました。佐賀山さんは快く引き受けてくれたので、近々持参して頼もうと思っています。この標柱の文化的価値はゼロですが、民俗資料としての価値は幾分見受けられるので、フロンティアグループが建造し遍歴を刻んだ丸木舟も海の資料館に保存しているので、その横に展示したいと思っています。

 標柱には4面各々に、「夕やけこやけ千本桜の森づくり」「主催団体 21世紀えひめニューフロンティアグループ・双海地区公民館」「協賛 (財)関奉仕財団・(財)えひめ活性化センター」「植樹 平成二十三年二月二十六日」と書かれています。知恵を出し汗をかいた仲間や支援をしてくれた多くの人たちに感謝し、長くその成果を顕彰したいと思っています。

「十年間 風雨に晒され 足元が 腐り倒れた 標柱どうする」

「県内に 千本桜 植えました 標準木と 同じ年数」

「この標柱 墨字手を入れ 復元を できたら海の 資料館展示」

「早10年 時の流れの 早い事 私もあれから 10歳重ねる」

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人間牧場

〇3年ぶりの農作業用地下足袋復活

農作業に欠かせないのは足元の靴です。3年前までは農作業をする時は、地下足袋を履いていました。地下足袋は優れもので、指先が親指とその他の指の入る2又になっていて、特に親指に力が入るため、斜面でもしっかりと土を掴んで安定するのです。同時に作業ズボンの裾を巻き込むので、土やゴミも地下足袋の中に入らず、靴下が汚れないのです。

3年ぶりに地下足袋を履いてみました

 ところが3年前から左足の左足親指外側に外反母趾を発症して、地下足袋に入らなくなり、おもに長靴を履いて農作業をしていました。今年の4月に入院して外反母趾の是正手術をし、退院後は自宅療養を続けています。その経過も順調で農作業も少しずつ復活していますが、長靴での作業は中々思うように任せず、昨日思い切って倉庫にしまっていた地下足袋を取り出し履いてみました。

 期待しながら恐る恐る足を入れてみましたが、何とか足も収まりそれなりにフィットしたので、昨日の農作業はお百姓さんルックの地下足袋で作業をすることができました。今朝左足の様子を調べました何事もなかったようです。何せ3年ぶりの地下足袋復活なので、余り無理をしないよう徐々に慣らして行きたいと思っています。とりあえず一安心です。

「この春に 外反母趾で 手術した 親指あたり 回復順調」

「3年も 足の不具合 使わずに 地下足袋倉庫 取り出し試す」

「違和感も なく左足 フィツトした 昨日一日 違和感もなく」

「まだ無理は 禁物ですと 妻注意 分かった分かった 上の空にて」

 

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人間牧場

〇綺麗に咲いた名残の赤い芙蓉の花

 今年の夏はお盆を挟んで長雨が続いたり、その後猛暑日が続き、世界の各地でも大雨や自然発火による山火事など、異常気象を実感する夏でした。同じ四国でもこちら瀬戸内海側は予想していた雨が降らず、逆に徳島の太平洋沿岸では1時間に120㎜の雨が降って、首をかしげてしまいました。

 今日は一転好天に恵まれ過ぎて、30度を越す真夏日です。このところ幾分気温が下がりセミの声も何処なく弱々しく感じていましたが、今日は朝から行く夏を惜しむように元気に鳴いています。今年わが家の庭でひと際元気に咲いてくれたのは、2年前挿し木で増やした真っ赤な芙蓉の花でした。

 沖縄などに咲くハイビスカスの花を思わせる真っ赤な大輪の花は、朝咲いて夕方には萎みますが、2ヶ月間も次々と咲いて、「今日は何輪」と数えるのも楽しみでした。その花もいよいよ終わりに近づいて、今朝は5輪ほどになりました。今朝は植木鉢に植えている咲いた花を玄関先に飾りました。

「今年の 夏は長雨 猛暑日と 異常気象が あれこれ続き」

「挿し木して 増やした赤い 芙蓉花 毎日大輪 元気を貰う」

「来年の ためにもう一つ 酔芙蓉 挿し木を終えて 次の作戦」

「名残花 玄関飾り 来客に 綺麗な花だと 誉めていただく」

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人間牧場

〇伝教大師最澄の言葉

 最近は新型コロナの影響で不用不急の外出を控えるようキャンペーンが張られているため、家でいる時間が増えています。それはそれとして有難いことで、どうすれば家にいる時間を有効に過ごすことができるか考え、今までできなかった海の資料館海舟館の展示物整理を始めました。他愛のないことですが一日に1点ずつFacebookに写真付きでアップしてみようと思いつきやっていますが、早いものであっという間に1~37になりました。

 そんなこんなで少~しパソコンやタブレットをいじくる時間が増えました。何気なくパソコンをいじって、facebook仲間の書き込み記事を見たり読んだりしていますが、相変わらず食べた、飲んだ、読んだ、行った、見たの記事も多いようです。時々人生訓や歴史上の人物の言った言葉が紹介されていて、今に通じ、自分の生き方の参考にしようと、コピーしたりメモを取ったりしながら楽しんで自主学習しています。

 新聞も忙しい朝は見出し読みや棒読みですが、夜テレビを見ながら再読し、孫が「わが家の新聞は穴がいっぱい開いている」と言うように、気になった所は切り抜いています。数日前の新聞に伝教大師最澄の言葉、「栄誉を求めず、郷土の光になれ。一隅を照らすようになれ。」が載っていました。栄誉など求めても無縁なこの歳になりましたが、栄誉を求める人の意外と多いことに気がつきます。郷土の光になりたくても、光源の乏しいわが身には無理だし、せめて一隅でもと自分にできるボランティアに精を出していますが中々です。

 でもその気になってやる気になって、一つでも実行すれば、昨日よりは今日、今日よりは明日、少しではありますが前進するだろうと、一人自己満足しながら日々を過ごしています。

「コロナ禍で 新聞パソコン 見る機会 増えたはいいが 見抜く力が」

「大それた ことは出来ぬが 今だから 出来ることあり とりあえず一歩」

「一歩だが 続けていれば 積善に なるかも知れぬ 凡人冷や水」

「凡人は 凡人なりの 生き方を 余り背伸びを すると失敗」

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人間牧場

〇夏の名残花「朝顔」を楽しむ

 今年の夏は長男息子が150鉢もの朝顔を作りましたが、その殆どは町家郡中の店頭に飾るため持って行ってしまいました。先日シーズンが終わりそれらの朝顔がわが家に戻り、息子は朝夕その後片付けに追われていますが、まだその片づけが追い付かないものあり、元気な鉢は朝顔の花が沢山咲いて、名残花ながら毎朝見て楽しんでいます。

 

 朝顔には色々な種類の花があって、名札をつけているので、名前と花を見ながらの観賞です。中にはまるで歌舞伎役者のような「団十郎」という名前の花もあって、なるほどと頷きながら見ています。息子の話によると、今年はかなり好評だったので来年も続けるらしく、垣や展示に使った葦簀など使える小道具は、水洗いをしたり整理をして倉庫にしまっているようです。

 朝顔の種取りはハイブリット種のためしないそうで、間もなく煩雑だった庭も綺麗に片付くものと思われますが、誰に似たのかこんな重労働とも思える作業をしながら、ボランティア活動を楽しそうにやっている息子を呆れ返えって見ています。去年のヒマワリ、今年の朝顔とポップコーン用のトウモロコシ、降って湧く騒動に来年が思いやられます。

「朝顔の 名残りの花が 庭で咲く 息子と二人 朝顔談義」

「昨年の ヒマワリ続き 今年は 朝顔咲いて 少し癒され」

「入院の 留守中わが家 庭占拠 息子わがまま 驚きながら」

「小道具を 来年のため 片付ける 私も少し 手伝いながら」

 

 

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