人間牧場

〇エンドウとそら豆
 昨日伊予市の稲荷さんが遠い所を、自家菜園で作ったという皮付きのそら豆を持って来てくれました。同居の若嫁にも半分をお裾分けして昨日の夕食に美味しくいただきました。

お裾分けにいただいたそら豆とエンドウ

 今日の夕方その昔役場に勤めていた知人が、今度はそら豆とエンドウを持って来てくれたので、テレビを見ながらさやを外して実を取り出しました。毎年この時期になると届く豆類大好きな私には嬉しい贈り物でした。

 私はエンドウ豆の入った豆ご飯が大好きなので、明日は妻に頼んでこの豆でご飯を炊いてもらおうと頼んで了承してもらったので、今から明日の夕食がとても楽しみです。

 そら豆は毎年同じ時期に同じ人から届くため、恥ずかしながら「もうそろそろ」何てワクワクして待っていますが、差し上げたり貰ったりのお裾分け文化は田舎ゆえ今も残っていて、嬉しい限りです。

「昨日今日 相次ぎそら豆 お裾分け 旬のものゆえ 格別美味しい」
「そら豆は さやをねじると  緑色 淡い実はじけ 面白おかしく」
「エンドウ豆 入れて炊きたる 豆ご飯 明日は炊いてと 予約を入れる」

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人間牧場

〇グッドチャンスのそら豆と夕日
 今日は朝から忙しく、午後10時になってやっと仕事が一段落しました。風呂に入って食事を終え、さあ寝る準備をしようと思って、パソコンのスイッチを切ろうとすると、日課である、facebookの3本目の記事を書き忘れていることに気がつきました。

わが家から見えた今日の夕日

 はてさて何を書こうか思案した結果、「そうだ、今夕家から見えた夕日と伊予市街の稲荷さんが届けてくれたそら豆のことを書こう」と思いました。夕日の沈むころ、伊予市の稲荷さんがそら豆を持って来てくれました。下灘のおじさんがこちらの方言で「おみあい」という魚をくれたので、「おみあい」の背びれと腹びれが毒針のため、刺されたら大変と剪定ばさみで切っている最中でした。

 稲荷さんのお父さんは双海剣道会の生みの親であり、親父が双海剣道会後援会長をしていた頃頻繁に親しく付き合っていた人で、高齢ながら今も元気で稲荷さんの車に同乗してわが家へ見えられたのです。手袋をはめたままの汚れた手でしたが、手袋を脱いで求めに応じ力強い握手を交わすことが出来ました。

 丁度その時沈む綺麗な夕日がわが家から塀越しに見えました。稲荷さん親子の車を見送った後、チョイ撮りしましたが、印象に残る写真となりました。今日の夕食は稲荷さんがわざわざ持って来てくれたそら豆を家族全員が「旨い美味い」と言って食べました。

「忙しく 今日は一日 過ごしたが facebookを 書き忘れてしまう」
「夕方に そら豆届けに 来てくれた 親子と面談 嬉しい出会い」
「塀越しに 奇麗な夕日が 見えました チョイ撮り写真 一枚追加」
「ああ今日も かくてありなん 明日もまた かくてありなん 忙し一日」

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〇みかんの花が咲いている
 今日は放射冷却現象の影響で、朝は肌寒いほど気温が下がりましたが、日中は気温も平年に戻り、温かくなりました。天気が良いので今日は畑に出て色々な作業をしましたが、果樹園の甘夏蜜柑の花が咲き始め、蜜を求めて蜂たちも動き回っているようでした。

 みかんの花が咲く度に、81歳で亡くなった母ちゃんのことを思い出します。わが家は半農半漁で、父ちゃん母ちゃんは漁師でしたが、母ちゃんは漁が休みの時は少し遠い山の上のみかん畑へ行き、みかんの世話をしていました。

 母ちゃんに連れられて畑仕事をよく手伝わされましたが、みかんの花の咲く時期に、取り残した甘夏蜜柑をちぎり、母ちゃんと畦に並んで座り、母ちゃんが剝いてくれた甘夏蜜柑をよく食べました。少々酸っぱいものの、おやつとてなかった少年時代は、美味しいと思って食べました。

 みかんの花の香りは、私にとっては母ちゃんの香りなのです。今頃はあの世で父ちゃんと母ちゃんはどうしているでしょう。あの世の母ちゃんのために今日は甘夏蜜柑の花の下で、ハーモニカで「みかんの花咲く丘」を吹きました。天国へ届けとばかりに・・・。

「畑仕事 ふと見上げると 甘夏の 花が満開 蜜蜂飛び交い」
「母ちゃんに 連れられ山へ 畑仕事 畦道座り 甘夏食べた」
「母ちゃんが 鼻歌交じりに 口ずさむ みかんの花が 咲~いている歌」
「天国の 母ちゃん届けと ハーモニカ 年甲斐もなく センチメンタル」

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〇この魚偏の漢字何と読む?
 昨日の灘町ウォーキング大会のお弁当は、鮨割烹双楽さんのちらし寿司でした。振る舞われた弁当の包み紙は、読み方のルビを打った魚偏の漢字がずらり並んでいました。

美味しく食べた弁当
勉強になった弁当の包み紙

 無造作に包み紙を読むでもなく外した人が殆どでしたが、興味があった私は祖の包み紙を読みながら、楽しく弁当を食べました。帰宅する時4つ折りにして持って行った愛用の手提げ袋に入れて持ち帰りました。

 帰宅すると早速パソコンでスキャンし、もう一度読み返し、ルビがなくても読める漢字や、知っていたり食べたことのある魚に〇をつけて遊びました。水産高校出身の私ゆえ、また役場で水産行政を担ったことのある私ゆえ、あるあるあるでした。

 魚偏のつく漢字には「当て字」と思われる感じも幾つかあって、真偽のほどは分かりませんが、双海町になじみの深い魚には鰆(さわら)、鱧(はも)、鯛(たい)、鱚(きす)、鰒(ふぐ)、鰯(いわし)、鰤(ぶり)、鰻(うなぎ)、鯖さば)、鯵(あじ)、鮫(さめ)、鮃(ひらめ)、鮎(あゆ)などがありますが、魚でもない貝の鮑(あわび)にも魚偏、魚の仲間のタコは何故か虫偏の蛸とは面白い表現です。

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〇初めて見ました赤い花のクローバー
 先日息子と二人で大洲市田処の亀本さんを訪ね、田処小学校跡地にある活性化センターで落ち合いました。その折体験ために植えたジャガイモ畑に案内してもらいましたが、矢落川の堰堤に何やら赤い花を見つけました。

 聞けばクローバーの一種のようでした。普通クローバーは白色が主流で赤い花のクローバーを見るのは初めてなので、畜産家の亀本さんに色々なな話を聞きました。最近はロシアのウクライナ侵攻で輸入に頼っている餌も値上がりして経営を圧迫しているとのことでした。

 最近はそのことを補おうと飼料となる草の種を蒔き干し草つくりも始めた様子で、植えた訳でもないのに種に交じって広がったようだと話されていました、そういえば最近大洲へ行く途中の八多喜付近の田んぼにもこの赤い花が咲いて綺麗だったことを思い出しました。

 恐らく来年はもっともっと周囲に広がるだろうと淡い期待をしているようですが、まるでいちご畑のような感じでした。(その後図鑑で調べてみると「クリムソンクローバー・ディクシー」という名前のクローバーでした。)

 

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〇ピーマン畑の木の杭づくり
 今日は天気予報によると雨でしたが、海沿いに面したわが町では通称「やまぜ」という南西の風が強く吹き、海は潮煙が立つほど荒れていました。さてゴールデンウィークも明日だけとなり、「今日は何をしようか?」と思いましたが、自称働き者の私は「雨の降るまでに一仕事」と思い、倉庫にしまっている木の杭を持ち出して、ピーマン畑の少し短い杭を作り作業を始めました。


(用意が出来た木の杭)

(ピーマン畑の畝に木の杭を打ち込みました)

 一畝に3本必要なので、4列12本の杉の少し小ぶりな丸太を鋸で切って、ナタで片方を削りました。この程度の作業は朝飯前なので、まあそれなりに出来上がり、早速畑に入って少し大きめのハンマーで杭を打ち込みました。ピーマンの細い茎には似合わぬ太い杭なので、人様からみれば「何だこりゃあ」って感じですが、自己満足のよろしきを得てあっという間に完成しました。

 そのうち小雨がパラパラ降り出し片づけて作業を終えましたが、雨が上がれば先日竹藪に行って切り出し用意している横竹を縛り、ピーマン一本一本に竹の支柱を立てれば、雨風が吹いても倒れることはありません。2週間前に植えた野菜の苗も土地に慣れて活着して太り始め、ピーマンは小さな花や実がなり始めました。楽しみが増えました。

「予報では そのうち雨と 言っていた 雨が降るまで 杭を作った」
「不器用を 自認の私 杭作る 少々太いが これでいいのだ」
「ナタ削り 大きなハンマー 振りかざし 等間隔で 杭を打ち込む」
「明日にでも 横竹縛り 支柱建て ピーマン栽培 只今順調」

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〇わが町は銀行難民?
 3年ほど前、わが町唯一の伊予銀行上灘支店が郡中支店に統合され、窓口業務は週に1日程度の出張でなくなりました。私は愛媛県金融広報委員会の金融広報アドバイザーを長年していているのに何故か現金決済派で、主流になりつつあるスマホで支払することもなく、相変わらず財布を持ち歩いて買い物や飲食をしています。

 伊予銀行上灘支店閉店の折キャッシュカードを作ったので、預貯金の引き出しは郵便局も銀行も暗証番号さえ間違わなければ出来るのですが、ATMは日曜日が休みのため多少不便です。それでもアメリカのシリコンバレーバンクやファーストリパブリックバンクのような銀行の経営破綻などを聞く度に、預金残高が少ないゆえに多少不安になったりします。

 銀行の経営破綻の原因は①貸出先の資金繰り悪化、②利上げなど金融政策の影響、③SNSによる情報拡散などだと言われていますが、アメリカの25万ドル保証、日本の元金1千万円保証という制度もあるので、私たち庶民は大丈夫のようです。ガソリン難民に続いて銀行難民というレッテルまで張られた私たちの不安はまだまだ増えることでしょう。そうそうJAバンクのATMも上灘から姿を消しました。

「難民と 言われるレッテル 増えて行く 今度はどんな レッテル張られ?」
「キャッシュレス 時代になった現代で 町中銀行 なくなり不便」
「成り行きに 任せていると あれこれが 消えてなくなる どうしたものか」
「そのうちに 住人ゼロに なるかもね いやいや私 だけでも残る」

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〇ふるさとを守る人たち
 田舎の町は過疎と高齢化、それに少子化が同時に進行し、ふるさとを守る人たちがどんどん少なくなってきています。今日訪ねた大洲市田処もかつては沢山の人が地域づくりに関わって賑やかにやっていましたが、その活動も徐々に規模が縮小しつつあるようです。

 そんな中、私の友人で酪農家の亀本さんは、長年地域づくり活動を続けています。私が代表を務め塾長をしていたフロンティア塾に長年積極的に参加して、その後始めた年輪塾にも参加し見事処志検定に合格した熱意は称賛に値するものがあります。

ホタルの住む活性化センター前の透き通った水が流れる川
山村の風景に溶け込んだ西田さんのお宅

 ホタルの保護や観察、ホタル祭りの実施、菖蒲園の手入れに加え、昨年度から活性化センター横の畑で交流を目的にしたジャガイモづくりを始めています。ただ長年一緒に活動してきた西田和子さんが高齢のため住み慣れた自宅を出て、大洲市内の特養施設に入ったため、立派な自宅が空き家状態になってしまいました。

(手入れが行き届いた菖蒲園)

今日田処を訪ねましたが、活動を継続している亀本さんの熱意には頭が下がりますが、今後の地域のことを思うと、少し考え込んでしまう状態になっています。出来るだけお手伝いをしたいのは山々なれど、自分のハエを追うのが精いっぱいの私ゆえ、手も足も出ない状態です。妙案はないものか考える今日この頃です。

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〇お墓参りと神棚祈り
わが家は代々漁師をしていましたが、水産高校漁業科を卒業したにもかかわらず、私が若い頃体調を崩して役場勤めに変わったため、残念ながら7年間漁師をしただけで漁師の跡を継ぐことが出来ませんでした。

 それでも家の風習やしきたりは古い漁家並みで、しっかり守れと教えられて育ちました。その最たる神仏に対する気持ちの持ち方は、今も変わることなく引き継いでいます、例えば家にある仏壇や神棚にはシキビや榊を供えることは、欠かさずするよう言われ仏壇にはシキビ、神棚には榊を切らさず備えています。

幸いわが家には仏壇と神棚があり、加えてわが家と妻の実家にはお墓があるため、先祖の霊を慰めるため年末と年始の墓参り、秋と春のお彼岸、お盆の年4回のお墓掃除とお墓参りは忘れたことがありません。

シキビを立て替えお墓参りしたお陰で清々しい気持ちになりました・

その都度私は10㎞離れた妻の実家八幡浜のお墓の掃除をしたり、シキビや榊を山から切って帰ってから適当な大ささに束ね、お墓や仏壇に供えて回るのです。その都度妻の実家分は1回に6束、わが家お墓用2束、仏壇用2束、神棚用4束をきちんと束ねて墓地へ持って行くのです。神仏に頼みごとをしても助けてくれないので、当てにはできませんが、今日は天気も上々だったので妻と2人でお墓参りに出かけ、シキビを供えたり、線香に火をつけ。しっかり涼しい気持ちの良い一日となりました。

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〇ハガキの達人からハガキが届きました
 私の知人友人にはパソコン万能なデジタル人間もいれば、ハガキや手紙をよく書くアナログ人間もいて様々です。世の中の流れとしてはスマホなどの普及によってメールの方が圧倒的に多く、年に一度の年賀状すら出さに人が増えてきました。

送られて来た2枚のはがき

私はどちらも使う、大谷選手のような二刀流の人間ですが、広島には平井さんや半田さん、宇田さんのようなハガキの達人が何人もいて、若いころからあれこれ影響を受けたお陰で、今も殆ど毎日ハガキを3枚書いて投函しています。ハガキを3枚書き、ブログを3本書くだけでも続けるのは容易ななことではあません。

昨日広島の宇田さんから「第42回広島はがき祭り」のご案内が来ました。残念ながら6月10日は残念ながら予定が入っていて参加することが出来ません。宇田さんから届いた封書に坂村真民さんの「念ずれば花開く」と「八十八ヶ所巡礼の旅」のハガキガ舞同封されていました。

 早速別の夕日をあしらった手製のはがきを宇田さんに書いて投函しました。参加できないこと、元気で過ごしていること、またお会いしたいことなどなど、近況を書きました。

「広島の 友人はがき 大会の 案内添えて 四国のはがき」
「最近は デジタル人間 多過ぎて アナログ人間 肩身が狭い」

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