人間牧場

〇じゃこ天おばさんのお葬式
 じゃこ天おばさんこと富岡喜久子さんが93歳で亡くなり天国へ召されました。昨日は月心会館でお葬式があり出かけましたが、喜久子さんと長年親交のあった知人友人が沢山集まり、私もその殆どの人を知っているため、さながら同窓会のようで、立ち話ながら再会を喜びました。

 集まった人たちはそれぞれ年齢を重ね、それなりに生きているようでしたが、体に不調を訴える人も沢山いるし、明らかに見るから老化を感じる人もいて、「ひょっとして自分自身も人から見れば老化を感じて見られているのかも知れない」と思い、洗面所の鏡に映る自分の姿をまじまじと見つめました。

「若松さんは相変わらずお若いねえ」とお世辞を言ってくれましたが、かく言う私も歳相応のようです。受付で芳名録に名前を書き、香典を渡しお返しを貰いましたが、挨拶状に亡くなった喜久子さんの思い出など色々なことが書かれていました。残念ながら文字が薄く、スキャンできませんでした。

「悲しいな また知り人が 天国へ 臆目もなしに 涙流して」
「在りし日の 笑顔の姿 思い出し お棺の中の お顔を撫でる」
「人間は 必ず死ぬと 言うけれど そのうち我が身 少し近づく」
「葬儀場 まるで同窓 会のよう 元気でしたか 私は元気」

 

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人間牧場

〇玉ねぎ苗の苗床づくり
 昨日は畑に出て、先日石灰と牛糞を撒いて中耕していた畑に、少し広めの畝を立て、地ならしをして軽く元肥をやり、穴の開いた黒いマルチをかけました。退職して18年目を迎えていますが、今ではいつ頃何を植えるかという農作業も、メモを見なくても、大体のことが分かるようになってきました。

 わが家では晩成の玉ねぎ「もみじ」という品種の定植は、文化の日が終わった後の土日くらいが適期だと思ってやっています。その前段として植える予定地の夏野菜の残骸や雑草を取り除いて、1週間ほど前に石灰と牛糞を振り撒き、耕運機で中耕していたので、造作もなくマルチをかけ終わりました。

 畝立てには畝が曲がらないよう棒縄を張りますが、昨日はそれもせず感でやったので、2本目の畝は多少曲がり気味でしたが、素人ゆえこれもお愛嬌です。さあ準備は出来ました。今日は富岡喜久子さんの葬儀に参列するため出かけるので、昨日電話を入れている水口種苗店へ立ち寄り、ついでに玉ねぎの苗を受け取って帰り、定植する予定です。

「石灰と 牛糞振り撒き 中耕を していた畑 畝を立てならす」
「穴開きの 黒いビニール マルチかけ 四隅に土を 被せて完了」
「近頃は メモ見なくても おおよその 適期を覚え 準備着々」
「さあ出来た 電話で予約 入れていた 玉ねぎ苗を 葬儀のついでに」

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人間牧場

〇黄色いつわぶきの花が咲き始めました
 私の住んでいる双海町は、瀬戸内海・伊予灘に面しています。ゆえに町内のあちこちに水仙とつわぶきが自生していて、文化の日前後のこの時期になるとつわぶきの黄色い可憐な花が咲き、秋の深まりを告げています。

黄色いつわぶきの花が満開です

 つわぶきは春になると綿毛を被った新芽が親株から出てくるので、引き抜いて皮を剥ぎ、水やお湯であく抜きをした後煮つけにして食べますが、ほろ苦い味はこの歳になると嗜好にあって、年に4~5度は人間牧場に出かけ、佃煮にして食べる山蕗とともに山菜として楽しんでいます。

紅葉し始めた双海町のシンボル本尊山

 夏の間葉っぱが枯れて見えなかった水仙も、濃い緑の葉っぱが出始め、まだ秋真っ盛りだというのに植物は、早くも春を迎える準備をしています。わが家から見える借景の本尊山周辺も、ハゼモミジが赤く色づき、クヌギも黄色く色づき始めました。やがて寒い北西の季節風が吹く、束の間の穏やかな日々です。

「町内の そこここ自生 ツワブキの 黄色い花が 可憐に咲いて」
「ツワブキと 水仙菜の花 花暦 四季を通じて 花が彩り」
「ツワブキの 親株見れば 新芽見え しっかりバトン 受け継ぐように」

 

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人間牧場

〇廃棄処分のレッテル
 先日ジュニアリーダー会の国道沿い草刈り作業を終え、廃校となっている下灘中学校の図書室整理を少しばかり手伝いに出かけました。旧校舎の一階露地に、「廃棄処分」と書いた赤紙を張った小さな書棚を見つけました。


(綺麗に修復した木製書棚)

 恐らくこのまま風雨に晒され捨てられるであろうことを思い、了解を得て持ち帰りました。車から降ろし水をかけてタワシで積った汚れを落とし奇麗に洗ったのち、隠居の縁側で陰干しをしましたが、背側に張っていたベニヤ板は完全に破れてしまいました。

 さてどうするか?、とりあえずベニヤ板を剥がし小さな釘を釘抜きで抜きました。「そうだ杉板を張ろう」と、倉庫から端材を取り出し、寸法を測って鋸で裁断し、抜いて集めていたステンレスの釘を打ち直しました。

 いやはやわが不器用な腕前ながら、見違えるような書棚になりました。今日にでも暇を見つけて側面にカンナをかけたり、ワックスを塗って磨きをかけ、仕上げたいと思いますが、息子に「また古いものを持って帰った」と、皮肉を言われました。いいんです。何と言われようと自分で満足しているのですから・・・。

「赤い紙 廃棄処分と 書いている 勿体ないと 昭和のおじさん」
「持ち帰り 水洗いして 陰干しし 破れたベニヤ 張り替え作業」
「杉板を 倉庫取り出し 採寸し 鋸で切り分け 抜き釘打ち付け」
「さあできた これぞ私の SDGs 書棚作って どこに置こうか?」

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人間牧場

〇関東地方は紅葉の真っ盛りでした
 私の住んでる四国愛媛県でも、Facebook仲間から紅葉の便りが届いていますが、海沿いに面したわが双海町は温かいため、少~し色づき始めた程度です。

 一昨日まで東京経由で出かけていた、山梨県の紅葉は今が盛りで、紅葉をバックに日本一の富士山を見ることが出来ました。特に会場となった富士研修センターの中庭の紅葉は目が覚めるようでした。

研修所の前庭紅葉
研修所裏広場の紅葉

 その話をタブレットで撮った写真を見せながら帰宅後妻に見せると、随分羨ましがられ、「私も紅葉を見に連れてって」とせがまれましたが、残念ながらスケジュールが入っています。

「列島は 東西南北 細長く 紅葉一気に 南下中です」
「今年は ラッキーですね 山梨で 一足早く 紅葉楽しむ」
「富士山と 紅葉セット 見るなんて 少し贅沢 妻羨ましがる」
「この国に 生まれてよかった 四季あって あくる日雨と メールが入る」

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人間牧場

富士山の朝日と双海の夕日
双海町には天気が良い日だと西の水平線に奇麗な夕日が落ちます。悠久の時を超えてこれまでも、恐らくこれからも時間と場所を少しずつ変えながら、夕日は沈み続けるのです。私たち人間は自転と公転を繰り返す地球上に住んでいて、天動説で宇宙は動いていることが分かってはいても、凡人の私たちはあたかも太陽や月が動いている地動説のような錯覚をしながら夕日、朝日を見て暮らしています。

11月2日の双海町の夕日

 私は11月3日、車~飛行機~モノレール~電車~タクシーを乗り継いで、富士山の麓山梨県富士吉田市へ出かけました。到着したその日はプログラムが忙しくて太陽のことなどすっかり忘れるほどでした。夜寝る時、「明日は朝日に輝く富士山を見てみたい」と思い、身支度を整え研修所2階のバルコニーに出て、少し冷え込んだ冷気の中で、樹間に輝く朝日と朝日に照らされた富士山を見ることが出来ました。

11月4日の朝日と朝日に照らされた富士山

 20年も前「双海の夕日夕焼け物語」という詩を作りました。

   双海の夕日夕焼け物語
  西瀬戸の 海と空を染め分けて
  詩情豊かにしずむ ふたみの夕日は美しい
  陽がしずみ始めてから 没するまで
  ゆったりとした 時の流れの中で
  人の思いは深くなる
  過ぎ去った歳月への 回想もあれば
  明日への夢や期待もあるだろう
  思えば地球上の人類は
  ひとつの太陽を見て 暮らしている
  同じ夕日を どこかで
  朝日として 見ている人がいるのだから
  不思議である

「前の日に 双海の夕日 見た記憶 目に焼き付けて 富士の裾野へ」
「明日の朝 朝日見ようと バルコニー 冷気の樹間 朝日輝く」
「富士山を 朝日が照らし 神々し 同じ太陽 今夜夕日に」
「20年 前に作った 拙いし詩 夕日の不思議 感想したため」

 

 

 

 

 

 

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人間牧場

〇私のサイン会
 講演会の前日笑いヨガの代表高田佳子さんから、「あなたの自著本を講演会場で販売したいので送って欲しい」旨のメールが入りました。これまで何冊かの本を出版していますが、売れないことを想定して、とりあえず思いつくまま「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」という2冊の本を、それぞれ15冊ずつ見繕い、段ボール箱に入れて荷造りし、近くの郵便局窓口に持って行き、研修会場気付けで送りました。


サインに応じる私

 窓口で聞けば、会場へはあくる日の夕方届くとのことでしたが、あくる日の早朝出発する私と「よ~いドン」のような形だったので、半信半疑でした。案の定私の講演スタートまでには届いていませんでしたが、講演が終わるころ本当に届いて、講演会場隅の机の上に並べられました。するとどうでしょう。あっという間に30冊の本は完売しました。

求めに応じて書いたサイン

 さあそれからが大変です。本に「サインをして欲しい」というのです。有名人ならまだしも無名人な私ゆえ一瞬戸惑いましたが、事務局が用意してくれたサインペンで、雑談をしながら書きました。以前この本を出した時の出版記念パーティの時以来の珍騒動に驚きながら、私が良く書く「逢う人も 逢う人もまた 福の神 若松進一」と「人でも 仕事でも 愛する所に 集まって来る 若松進一」と書きました。

 私は子どものころから字が下手である種のコンプレックスを持っていましたが、「あなたの字はハンコが要らないほど特徴があっていい」と言われた言葉を勘違いして真に受け、それから臆することもなく堂々と書いていますが、「私の字はいぼ字(痔)、切れ字(痔)、脱肛字(痔}」などと、多少下品な悪ふざけの会話をしながら、30冊全てにサインをしました。本を買えなかった人に悔しがられたので、同行して後残りしている玉井千恵さんに頼んで、後日申込者に送ることにしました。有難い話です。それにしてもサインを求められるなんて、想定外のハプニングでした。

「この歳に なって自著本 求められ サインするとは 驚き桃の木」
「本などを 送ったところで 売れないと 思っていたが 何と完売」
「逢う人も 逢う人もまた 福の神 森岡まさ子さん 貰った言葉」
「世の中は 想定外が 起こります だから楽しい 生きてて良かった」

 

 

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人間牧場

〇西予市宇和町の松屋
 先日愛媛県公民館研究大会が文化会館であり、鼎談をするため出かけました。私の町から地道でも1時間半もあれば行ける距離なので、前日の打ち合わせ後帰るべきか泊まるべきか迷いましたが、私が仲介して徳島県阿波町の井原まゆみさんに講師を頼んだいきさつもあり、県公連事務局長さんの勧めもあって泊まることにしました。

 泊まったホテルは松屋という老舗旅館ながらビジネスホテル松屋の方でした。私は現役の公民館主事をしていたころ、県公連の主事部会長を務めていたので、多分前回は当時宇和町だったこの地で、1泊2日の研究大会が開かれ、古い松屋旅館に泊まった記憶があるので、ビジネスホテルに泊まった朝、玄関先ながら街並みにある松屋旅館を訪ねました。

 記憶通り松屋旅館はありました。当時はおかみさんが漬けた古いぬか床を使った漬物が有名で、おかみさんと夜遅くまで漬物を食べながら、色々な話をしたことがつい昨日のことのように思い出され懐かしくなりました。息子さんに聞くとそのおかみさんも最近黄泉の国へ旅だったとか、もう一度会いたい人でした。

 玄関先には松屋旅館に逗留した歴史上の文人・政治家の名が墨筆で書かれていて、歴史の重みを感じました。写真に撮った木札の名前をなぞりながら、書棚にある昔読んだことのある、ノーベル賞候補にもなった賀川豊彦の本を取り出し、拾い読みしました。

「鼎談の 打ち合わせあり 宇和町の 松屋泊まりて 今はビジネス」
「朝早く 卯之町街並み 歩きけり 何年か前 記憶頼りに」
「ああここだ 昔泊まった 旅館前 文人政治家 名前をなぞる」
「写真見て 賀川豊彦 書棚から 一冊の本 取り出しなぞる」

 

 

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人間牧場

〇箒草(コキア)が色づきました

 妻が友人から苗を貰らい、プランターに植えた箒草は夏の間緑色をしていましたが、ここに来て赤く色づき始めました。大洲市田処の親友亀本さんたちは活性化センター横の畑に沢山のコキアを植えたようで、先日その刈り取った枝葉を使って箒を作ったらしく、亀本さんがわざわざ届けてくれました。

 私が子どものころは、大豆や雛あられ、麦茶の麦を煎るのはホーロクという素焼きの少し大きな平べったい容器でしたが、その折使う手帚はススキや箒草で手作りしたもので、勿論それらの素材は秋の頃野山で刈り取ったススキや箒草をカズラで根元をしっかりと巻き付けていました。

亀本さんから貰った手作り箒

 亀本さんから貰った箒草の箒は現代版らしく白いビール紐が巻き付けられていました。3日前ウォーキングの途中道端でカズラに似たつるが目に留まり、丸めて持ち帰っていますが、今日にでも試験的にビニール紐を解き、カズラで手元を巻き替えてみようと思っています。そうすれば海の資料館「海舟館」の民俗資料となるはずです。また館蔵品が一品増えそうです。

「箒草 別名コキアと 言うそうな 夏は緑で 秋は紅葉」
「親友が 農村景観 守ろうと コキアを植栽 季節彩る」
「箒草 使って作った 手箒を 使って大豆 雛まめ煎りたい」
「手帚も 白いビニ紐 味気ない カズラで少し 手加えしたい」

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〇石のエンゼルフィッシュ
長男息子が懇意にしている隣町の石材店から、端材で作ったと思われる石で彫った小さな魚を貰ってきました。自分の子どもたちが喜ぶと思ったようですが、孫たちは余り興味を示しませんでした。興味を示したのは私で、「お父さんにくれや」と言って貰いました。息子の顔は「また父さんの物好きが始まった」と言わんばかりでした。

石彫りのエンゼルフィッシュと卵石

 私は水産高校漁業科卒の元漁師です。漁師を辞めて50年以上が経っていても、海には関心があり、家の敷地内には親父と2人で海の資料館を造るほどの凝りようで、このエンゼフィッシュに似た魚の石彫と卵型の石を愛しく思いました。さて何処へ置こうか?、思案した挙句海の資料館内の海松(黒珊瑚)の根元に置いてみました。

海松(黒珊瑚)の前に飾ると中々いけて見えます

 「おっ、中々いいぞ!!」と自己満足の手合いでした。この魚は生きているように見えても餌をやる必要もないのです。私が長年愛して止まない夕日もまたメンテナンスのためペンキを塗らなくても済むように・・・・。また小さなお宝、楽しくも小さな物語が増えました。ラッキーです。

「わが息子 懇意にしている 石屋から エンゼルフィッシュ 彫り物貰う」
「『父さんに くれや』と言って 貰い受け 資料館内 早速展示」
「また一つ 小さな展示 物語 年甲斐もなく ささやか喜び」
「面白き こともなき世を 面白く その気になれば 楽しさいっぱい」

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