人間牧場

〇愛媛朝日で(5チャンネル)紹介されました(その2)
 前日に続き2日連続でテレビ番組で双海町が紹介されました。主な内容は①JR下灘駅の構内は何故広い?、②廃校となった下灘中学校での肝試し大会、③三島神社の狛犬ならぬ狛亀など3つの話題でした。

 最初に登場したのはJR下灘駅でした。しかも駅の説明をこともあろうか私が、まりでエキストラのようなチョイ役でテレビ出演しました、かつては2本の引き込み線(貨物列車用・工事用車両用)と対向線の4本がありましたが、無人駅化した折現在の上り下り共用線路だけを残し、全て取り払われ、埋め立てられました。そこここに名頃の跡が残っていてその説明を私がしました。

私が通っていた当時の下灘中学校
廃校となった現在の旧下灘中学校

 この学校の旧校舎を使って、ジュニアリーダー会が肝試し大会を企画しました。とても面白い夏ならではの企画でした。私はこの学校に通いました。懐かしい昔の木造校舎の写真には数々の思い出があり、つい昨日のことのように思い出が蘇り、身を乗り出すような気持ちで見入りました。

「この駅は わが青春の 始発駅 思い出数々 語れぬほどに」
「この学校 わが人生の 始発駅 『あの日ここから 始まった』です」
「時流れ それぞれの場所 変わりゆく これから先も 見届けたいが・・・」
「わが人生 まもなく終着 駅に着く 悲しいけれど これも宿命」

 

 

 

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人間牧場

〇友遠方より来る有り(その2)
 岸本さんたち3人は前夜、民宿大森家に泊りました。経営している大森さんご夫婦は周知の間柄ので連絡もせず民宿に上がり込み、酒を飲まない私を除いた3人はお酒を嗜みながら、楽しいおしゃべり会となりました。

 あくる日の昨日は、約束通りわが家へやって来て、午前8時30分から海の資料館を案内した後わが家のゲストハウス「私設公民館煙会所」の囲炉裏を囲みました。ほぼ毎日のように色々な人が訪ねてくるゲストハウスですが、「起きて半畳寝て一畳」の狭さゆえなるか、とても落ち着いたいい雰囲気でした。

市指定天然記念物椎の木の大木

 その後私のトラック助手席に岸本さんを乗せ、北村さんは牧さん運転の乗用車に乗り、人間牧場を目指しました。海の資料館海舟館の救助船つながりで、急遽人間牧場近くの池久保のお地蔵さんに向かい、肥後の国の城主が参勤交代の折時化に遭い、祈願したところどうにか助かり、大任を果たして帰国の途中地元の人の協力を得、海岸の小石を手繰りで奉納したと伝えられている史跡石垣やお堂内の奉納絵馬を見学しました。

    既に秋の気配が漂い始めている人間牧場では、自慢の観音開きの戸を全開し、本棚に並べている無数の本の中から何冊かの本を選び出し、あれこれと話しました。岸本さんも北村さんも東大出の超のつくエリートゆえ目の付け所が違うと思いながら、理論派の岸本さん、北村さんに、論理派の牧さんと私が挑みました。いいひと時を過ごし、牧さんが2りを次の目的地の出発地まで送ってくれました。

「色々な 人に出会って 教えられ それなり生きた 人生ありなん」
「超のつく エリートゆえに 本棚の 本何冊か 取り出し議論」
「牧場の 水平線の家 窓開け 漂い始めて 秋風さわやか」
「また会おう 再開約し 帰路に就く 楽しからずや 一泊二日」

 

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人間牧場

〇地域教育実践ネットワークえひめ第3回実行委員会
 月に1回の程度で開催している地域教育実践交流集会の実行委員会が、昨日の午後4時から国立大洲青少年交流の家で行われました。毎度のことながら中尾先生に午後2時に自宅まで迎えに来てもらい、便乗参加となりました。

 殆どの人はzoomによる参加ですが、事務局やスタッフを務める10人ほどは現地集合です。あいさつ以外何もしない私などは、手早く慣れた手つきで機材の接続準備をする、平岡さんや中島さんの姿をただただ見守るしかないのです。

 そのうちスタッフが集まり、午後4時からオンライン会議が始まりました。既に実行委員の皆さんが推薦してくれた県外15・県内15の事例もほぼ出そろい、着々と準備が進んでいます。

 おそらくや多分という表現が的中するであろう新型コロナの感染拡大による大規模な集合集会の可能性は低いゆえ、代案を用意しながら討議を重ねましたが、それぞれの役割を果たす人たちも決まり、来月の第4回実行委員会の日取りを9月24日に決めて約1時間の討議を閉会しました。

「月1で 開催している 会合に 便乗よろしく 昨日も往復」
「スタッフの 一人ながらも 開会の あいさつ程度で お茶を濁して」
「機材類 繋ぎ合わせて オンライン ただ感心し 見ているだけです」
「車中にて 諸々話す 会話だが 私にとって 一服良薬」

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人間牧場

〇坂道農道をウォーキング
 私は毎日おおよそ一日一万歩を目標にウォーキングをしています。コースは意識して少し急な坂道のある裏山の農道を取り入れているため、上りの負荷も下りの早歩きも、体力作りには最適で、気温の高い夏場は約50分かけた6千歩ほどのウォーキングで汗をいっぱいかいています。

森になり農道今は林道のよう

ところがこの裏山の農道は行き止まり道のため、通る人も通る車もないため、果樹園だった跡地に植えた杉や檜が大きくなって森林となりましたが、管理が行き届かず側面が崩れたり、落ち葉が堆積し、歩くのもそれらを避けて歩かなければならなくなってしまいました。

 これまでにも何度か鍬や熊手を使って大掃除をしていますが、正直私の手に負えないような雲行きです。杉や檜も間伐をしたり枝打ちをしていないため、時折大きな杉や檜が立ち枯れして倒れ、道を塞いだりしていて、その度難儀をして片づけながら歩いています。

ウォーキングのコースを安全な平地に変えようとも考えますが、漫然と平地を歩くより、付加をかけた坂道を歩く方が断然体力作りには役に立ちます。気温が下がる秋のころに、もう一度農道の大掃除に挑戦したいと思っています。

「1万歩 目指し毎日 ウォーキング 今朝も農道 上がり降りする」
「農道が いつの間にやら 林道に 昼なお暗い 山道荒れて」
「行き止まり 道ゆえ車 人もなく 今では私 専用道路」
「森林は セラピー効果 あると聞く 近々掃除 挑戦しよう」

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〇忙しきなった秋植え野菜の準備
 昨日は新型コロナの感染拡大で、予定されていた講演会が直前になって中止となり、スケジュールが開いたため、これ幸いと1日中畑に出て、長く伸びた雑草を草刈り機で刈ったり、鍬で削ったりして、間もなく始まる秋野菜を植える畑の準備をしました。

すっかり奇麗になった畑

 大失敗に終わったスイカ畑の敷き藁や、黒いビニールのマルチを剥がし、インゲン豆の垣を外して片づけました。垣に使っていた漁網にインゲン豆のつるが巻き付いたのを取り除く作業に、思わぬ手間と時間を取られましたが、何とか丁寧に外すことが出来ました。

 朝晩少し涼しくなったとはいえ、日中の畑仕事は汗だくだくで、時折妻に頼んで水分補給をしてもらい、休憩しながらやったお陰で、予定した畑の雑草取りは終わりました。これからは天気予報を見計らって雑草を片付け、石灰を撒いたり牛糞を振ったりした後、耕運機で中耕をして畝を立て、大根などの種を用意して秋蒔きをする予定です。

「夏野菜 植えた跡地に 生えた草 草刈り・削り 大汗かいて」
「講演が 新型コロナ 影響で 急遽延期で スケジュール空く」
「朝晩は 涼しくなったが 日中は まだまだ暑く 大汗かいて」
「秋植えの 野菜それぞれに 植えるイメージ 頭の中で」

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人間牧場

〇子ども夢会議の企画会議
 隣町松前町に「松前いいとこみつけ隊」という団体があります。結成時から多少関わっていることもあって、今も顧問などという大それた役目を貰い、参加できる範囲で一緒に活動しています。特に主要事業である「子ども夢会議」はこの3年間深く関わっていますが、事業計画では今年度も12月に予定されていて、昨晩その企画会議が福祉センターであり、出かけて行きました。

 これまでは元小学校校長の水本さんが責任者でしたが、今年から久保田さんという若い人に代替わりしたようで、私のスケジュールに合わせてもらい、ラインでのやり取りを行いました。和田さん、神野さん、水本さん、久保田さんと私の5人で机を囲み、久保田さんの作った企画案を基にあれこれ思いを巡らせました。さあスタートです。

 私の役目は、当日集まるであろう小・中・高校生、役員など50~60人を相手に約1時間の夢会議のファシリテーターをすることです。私は長年わが町双海町の子ども教室の実行委員長として、教室の運営に深く関わっているので、その経験を生かしたいい子ども夢会議が出来るよう、出来るだけサポートしたいと思っています。楽しみですが役員会や運営委員会に出席しなければなりません。これから忙しくなりそうです。

「隣町 いいとこ見つけ隊 顧問です 折振れ出かけ 協力惜しまず」
「今年から 若い役員 代替わり 期待大きい 皆でサポート」
「そろそろと 引き時思うが まだまだと 思いもあって 心複雑」
「コロナ禍で 思い通りに スケジュール 動かぬゆえに 多少心配」

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人間牧場

〇放任田んぼの草刈り
 昨日の朝、自宅の下の田んぼで何やら話し声が聞こえました。そのうち草刈り機のエンジン音が賑やかになりました。気になって下道へ降りてみると、顔見知りの人2人が草刈りの最中でした。

わが家から見た下の田んぼ
草刈りの始まったわが家の下の田んぼ

 実はこの田んぼは、作り主のおじさんが4年前から長期入院したため作り手がいなくなり、草が伸び放題になっているのです。田んぼの周りには住宅が沢山あって、この時期になると雑草に花が咲き、胞子が周りに飛ぶので、喘息を患っている住民から、「何とかして欲しい」と持ち主の奥さんにお話ししたようです。

 早速昨年はシルバー人材センターが依頼を受け、それなりに奇麗になりました。今年雑草はさらに勢いを増し、人も立ち入れないほど大きく伸びました。どんないきさつだったのか知りませんが、昨日から草刈りが始まったようです。雑草の伸び具合、広さから考えると2日ぐらいはかかるのではないかと思われます。

 畑や田んぼは日常耕作している時はそれほど感じませんが、一旦耕作を止めると雑草がはびこり荒れ放題になります。勿論土地の保全は所有者の責任ですが、昔のように田や畑を財産と思うような時代ではなく、むしろ負の遺産と思う人も多いようです。

かく言うわが家も、さしたる財産のない自称貧乏人ですが、田舎らしい660坪ある広い自宅面積と、人間牧場周辺の敷地を有していて、今では私にはその保全が少々重荷となり、時々手伝ってくれる息子にとっては、まさに負の遺産となりそうな雲行きです。他人事とは思えない昨日の出来事でした。

「3~4年 作り手病気 不在にて 雑草伸びて 放任園に」
「草刈り機 ブンブン回し 作業する おじさんたちは シルバー人材」
「田や畑 昔は財産 羨まし 今は誰もが 負の遺産だと」
「わが家にも 貧乏人だが それなりの 財産あるが 息子窮屈」

 

 

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人間牧場

〇大洲市長浜町豊茂公民館を訪ねる
 昨日は宇和島からの帰り道、急な思い付きで肱川に架かる出石橋を左折して、長浜町豊茂公民館に立ち寄りました。公民館の主事をしている藤岡さんとつい最近facebook仲間となり、盛んに交流をしていてそのことがご縁で、2日前大きなスイカまで届けてもらってお礼もかねての急な訪問でした。

公民館前にて

 運よく藤岡さんは人面岩のテレビ取材が終わったところで、それから30分ほど事務所にて女性職員を交えて雑談にふけりました。藤岡さんは長浜町役場に勤めいた時代に深い親交があり、定年退職後は再雇用でこの仕事を続けているようで、特に人口300人ほどの豊茂地区の過疎問題に取り組んでいる地域づくりは、素晴らしいものがあります。

大事に柵で囲った二宮金次郎像

小学校跡地の運動場隅に二宮金次郎像がありますが、像の周りを鉄柵で囲っている珍しいもので、まるで檻の中に入っているようでした。聞けば運動場の活動でボールが当たり損傷しないように保護柵で囲ったとのこと、納得でした。私がいつも言っている①100歳まで生きる超高齢化社会、②人口減少社会、③情報化社会、④自然災害多発社会という社会現象をもろに受けている、地域づくりの最前線で頑張る藤岡さんに、大きな拍手を送りました。

「帰り道 急思いつき 左折する 谷筋の道 豊茂地区に」
「つい最近 facebookで 親交を 重ね先日 スイカが届く」
「過疎の地は 地域づくりの 最前線 知恵汗出して 地域守りぬ」
「金次郎 鉄柵囲い 大切に まるで檻中 思わずウフフ」

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〇完熟トマト
 夏野菜も連日の暑さで水不足となり、中には萎れて枯れたものもありますが、先日の少しの雨や、水遣りのお陰で少し息を吹き返したものもあって、連日蚊に悩まされながら収穫をしています。

真っ赤に熟れた完熟トマト

 今年はトマトとナスの栽培方法を直立方式栽培に替えたため殊の外豊作で、完熟したトマトが沢山取れ、連日妻が美味しい完熟トマトジュースを朝食に出してくれるため、暑さで体調を崩すこともなく元気に日々を過ごしています。

 出回っている市販のトマトは、少し色が付くと早めに収穫し、消費者に届くころ色づくようセットされていて、いわば未熟なトマトなのです。ゆえに味もイマイチで、トマト特有の匂いもそれほど気にはなりません。

 そこへ行くとわが家のトマトは、完熟して収穫するので真っ赤に熟れ、無農薬ゆえ水洗いして冷蔵庫で冷やして食べると味も抜群で、少し傷のついた部分をカットしたトマトも利用できる100%のトマトジュースは、何よりもご馳走です。これぞ田舎暮らしの醍醐味です。今日もこれからいただきま~す。

「畑にて 完熟トマト 収穫し リコピン満点 毎日食卓」
「連日の 暑さに負けず 何のその トマトのお陰 夏バテもせず」
「100% トマトジュースは 最高だ 田舎暮らしを 堪能してます」
「さあ今日も ファイトで行こう 食卓に トマトジュースが 並べられてる」

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人間牧場

〇葬儀会場にて
 たった16人の家族葬の葬儀会場ゆえ、こじんまりした会場ながら広さを感じるほどでした。一応受付に誰かが座らなければならず、娘から「お父さん、一応座っといてね」と頼まれ、葬儀場の担当者から説明を受け、言われるままに受付に座りました。

告別式に参列し愛嬌をふりまく5歳の孫娘

 そのうち次男息子家族がやってくる予定でしたが、次男は日赤松山病院に勤務する看護師で、感染症担当なので最近は土日もなく忙しく働いているようで、結局昨日も勤務とあって出勤職場から遅れての参列となりました。ゆえにとりあえず家族別々の参列となりました。

 母親に連れられて参列した孫娘は5歳の幼稚園児です。制服を着ての参列となりましたが、5歳の孫が来ただけで重苦しい雰囲気の会場が一変しました。みんなの目が孫娘に移り、賑やかにお喋るする孫娘を囲んで、談笑しました。

 孫娘はやんちゃ盛りで 私の元へやって来て しんちゃん(孫娘の私の呼び名)の手伝いをしたいというのです。「今日はお暑いところありがとうございます。ささやかですがお返しです。ありがとうございました」と葬儀にやって来た警察官の3男にお返しの品を差し出しました。まあ何というこましゃくれた孫でしょう。

 その後孫娘は神妙に椅子に座っていましたが、やがて告別式が始まると和尚さんの読経が子守唄に聞こえたのかスヤスヤと眠ってしまいました。やがて告別式が終わりいよいよ出棺のころ目を覚まし、何事もなかったように玄関先で霊柩車に手を合わせて見送りました。

「家族葬 5歳の孫が 来ただけで 雰囲気一変 和やかになる」
「受付を 手伝いたいと やって来る こましゃくれてる 言われた通り」
「告別の 読経が流れ 子守唄 孫はスヤスヤ ほほえましくて」
「わが名前 『しんちゃん』と呼ぶ 孫娘 20歳になると 私92歳」

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