人間牧場

〇思わぬ路上ミニミニ講演会(その2)

 学生との打ち合わせを終え、八幡浜市保内町川之石まで同乗する予定の安倍係長の迎えの車を、堀之内にある県立美術館前の広い芝生公園から、秋空に映える松山城を眺めて待っていると、周辺の落葉をボランティアで掃除している10人程の一団に出会いました。最初に出会ったおじさんから私の顔を見るなり、「双海町の若松さんじゃない?」と声を掛けられました。見覚えのない顔だったので、「はいそうですが?」と返事をしながら私の頭の中のカンピューターで、「はて誰だったか?」必死に思い出そうとしましたが、残念ながら物忘れの領域から抜け出すことは出来ませんでした。

堀之内芝生公園から松山城の天守閣や二の丸公園を望む風景

 

この付近の路上で恥ずかしながらミニミニ講演をしました

 すると周辺で掃除をしていた何人もの人が、「あんたの講演を聴いたことがある」「面白い話だったことを覚えている」などと口々に声を掛けながら集まってきました。背中に「年金協会」などと書いたジャンバーを着ているので、年金友の会へは何度もお話に出かけているので、一人一人の顔は不特定多数ゆえ覚えていないもののしっかりと思い出しました。そのうちリーダーと思しき人が、「休憩するのでみんな集まって」と号令を掛けました。熊手やテミを持ったまま参加者は、通行人の邪魔にならぬようベンチや縁石に腰を掛けました。リーダーがいきなり「若松さんお願いがあるのですが」と唐突に切り出しました。

 「せっかくの機会なので、これから5分間差し上げますので、この場でみんなにお話をしてくれませんか。講演料はハイこの飴玉一個です」とねだられました。「何が何でもそれだけはご勘弁を」と思いましたが、折角の頼み事ゆえ、全員の大きな拍手に迎えられ、こともあろうか路上での「路上ミニミニ講演会」と相成りました。爆笑を誘うような私の話はたった5分間でしたが、頼む方も頼む方、頼まれる方も頼まれる方です。時折通る通行人も「何事?」と横目で見ながら通りすがって行きました。話が終わり全員の大きな拍手を受けてお礼の飴玉一個を貰いながら、「はて?、私は何をしに来たのだろう」と我に返りました。運よくそこへ安倍係長さんが車で到着し、手を振ってその場を離れました。だ・と・さ・・・でした。(大笑い)

「堀之内 落ち葉掃除の ボランティア 顔見知り人 声を掛けられ」

「この場にて 5分間だけ 講演を 飴玉一個で せよとねだられ」

「思いつき 笑い話を 5分間 路上座った 観客爆笑」

「はて?私 何をするため この場所に? まるで夢でも 見ているようだ」

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人間牧場

〇コスモスの咲く頃

 気がつけば今日は9月29日、今日と明日の2日間で9月も終わりです。大まかなくくりだと1~3月は冬、4~6月は春、7~9月は夏、10~12月は秋なのですが、11月に年賀状の発売があったりして、季節を先取りするせっかちな日本人ゆえ、また最近は気候変動が激しくて、どこまでが春夏秋冬なのか分かりにくい感じがしています。いずれにしても時の流れは休むことなく、後2日で一年の4分の3が終わるのです。

妹が持って来てくれたコスモスの花

 昨日町内に住む妹が庭に咲いているコスモスの花を切り花にして持って来てくれました。毎年のことながら嬉しい花のプレゼントでした。早速妻は花器を用意して水を入れ玄関先に活けてくれました。妻はお華を習っているので、玄関には花が常時活けられていますが、花持ちの悪い夏場だけ休むため、どことなく殺風景だっただけに、すっかり華やいだ雰囲気になりました。

最近は毎年近場の花処を探して妻と二人で出かけるようにしていますが、新型コロナの影響で不用不急の外出自粛のため、どこにどんな花がいつ咲いているのか?、分からぬままに秋を迎えています。去年はヒマワリ、今年は朝顔や紅芙蓉がわが家にも沢山咲いて、居ながらにして花を楽しむことができましたが、感染者数も減少しつつあるので、紅葉などの情報を仕入れ行く秋を存分に楽しみたいと思っています。

 自粛が解除されるとこれまで中止や延期が続いていた諸行事が再開され、一気に忙しくなりそうな雲行きです。4~6月、7~9月を、外反母趾の手術と庭木剪定中の落下事故で棒に振ってしまいましたが、2日後に始まる最後の四半期3ヶ月でしっかり修正し、いい1年にしたいと意気込んでいます。くれぐれも健康第一、家内安全で・・・。

「あと2日 9月も終わり 早いなあ そんな気がする 今日この頃です」

「2基3期 病衣機や怪我で 棒に振る 4期こそはと 再起を誓う」

「妹が コスモス半束 プレゼント 早速妻は 玄関活ける」

「玄関が パッと明るく なりました 朝夕涼しく 秋の気配が」

 

 

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〇息子と草刈り機

 これまで殆ど私だけの専有物だったチェンソーや草刈り機、耕運機などの機械類を、長男息子使い方も知らないまま丸かじりで時々使うようになりました。機械類は便利な反面危険も伴うので、心して使うよう注意をしていますが、傍から見ると慣れていないので危なかしい感じがしています。それでもいつもついて見ることができないので、そろそろ一人立ちのようです。

息子が持ち帰った草刈り機

 わが家には草刈り機が2台あります。もっぱら使うのは1台で、息子は中山十彩会のメンバーとヒマワリやコスモス、トウモロコシなどを作っていますが、その度私愛用の草刈り機を持って行ってしまうので、息子専用の草刈り機が欲しいと思っていました。設計の仕事をしている息子は現在西条の現場を担当しているらしく足繁く通っているようですが、2日前一台の草刈り機を手に入れて帰りました。

 わが家の草刈りは平地など殆どなく、急峻な地形のため、U字型にアームが出ている草刈り機は使い勝手が悪いので、右手で支え左手でエンジンを操作できるタイプが必要ですが、息子が手に入れた草刈り機は、ピッタリの仕様でした。早速タンクに混合油を入れて始動してみましたが、総重量も軽く使い勝手がいいようです。

 自宅横や人間牧場周辺で農作業を手伝ってくれる度に、「お父さんのやってる作業は大変で、『やがてお前の番だ』と言われても僕には全てを引き継ぐことは出来ない。少し規模を縮小しないと・・・」と少し弱気な発言をしています。息子が言うように私はこれまで忙しい仕事の傍ら、自宅周辺や人間牧場周辺の草刈りなどの農作業を何とかこなしてきましたが、年齢的に少し限界を感じるようになっています。さてどうするか?。いいこととできることは違うので、手を広げ過ぎた身の回りをそろそろ考える時期になったようです。

「わが息子 草刈り機一台 手に入れて 少しやる気が 出来たのかしら?」

「ついポツリ 親父のようには 出来ないと 三行半を 突きつけられる」

「このところ 相次ぐ体 不調にて 後手後手回り 身の周りゆえ」

「これまでは 何とかしのぎ きたけれど これから先は 規模縮小も」

 

 

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〇食用菜花の種をいただく

 先日わが家を訪ねて来られた新居浜の野本敏久さんから、封筒に入れた食用菜花の種をいただきました。所用で高知県へ行く度に盛んに作られている菜花を見て、一度は家庭菜園で作って食べてみたいと思っていましたが、野本さんは何かの折双海の菜の花畑にまつわる逸話を私が話したことをしっかり覚えていていたようです。

息子の力を借りて中耕と種蒔きを終えた菜花

 種には蒔き時があって、早く蒔かないと時機を逸してしまってはと気が焦るものの、先日の庭木剪定中の地面落下で畑の片付けや耕運機での中耕ももできず、とりあえず昨日休みで家に居た長男息子に、夏野菜オクラの片付けと耕運機での中耕を頼み、快く手伝ってくれました。2日前に修理が治って戻って来ていた耕運機の、試し運転も順調で深く中耕することができました。

 早速畝を2つ立て、ステンレスの棒で1畝3筋の溝を掘りました。かがむとまだ背中に少し痛みが残り多少不安なので、息子に種蒔きまで頼んでしてもらいました。蒔いた溝に薄く土を返し、ジョロでたっぷり水をやりました。これで完璧で、4~5日もすれば発芽するものと思われ、その状況を種をいただいた野本さんにも伝えようと思っています。

 種の入った封筒に鉛筆で走り書きのメモがありました。「なばな(食用)、九州で開発された由、平成28年・4、高知・武井道夫先生から受領、令和3・7の種」と書いていました。家庭菜園で野菜を作っていると、近所や仲間から色々な野菜の種や苗をいただきます。せっかちな私は野菜に花が咲き、それが種になるまで我慢して置いておくができず、結局種取りには至りませんが、この種にまつわる人の想いも含めて大事に育てたいと思っています。

「封筒に 菜花の種が 入れられて わが家嫁入り 種蒔き算段」

「この私 あいにく体調 今一で 息子の力を 借りてあれこれ」

「種蒔いた 畑たっぷり 水を遣り 後は芽吹きを 期待しながら」

「せっかちな わしは種を 取るなんて 待てない性格 改めるべき」

 

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〇少し慣れたリモート会議

 毎日気になるのは、県知事さんがテレビに出て「今日の新型コロナの感染者は〇〇人です」という発表数字です。多ければ不安に思い、少なければ安堵する、そんな日々をもう1年半も過ごしてきましたが、すっかり慣れたとはいえ一向に収まらない数字の魔力に気分は浮き沈みしています。

 私が代表を務めている地域教育実践ネットワークえひめでは、新型コロナが広がるまでの12年間、国立大洲青少年交流の家へ12月に200人程の参加者が集まり、毎年大集会を開いていましたが、昨年はコロナの感染を防ぐためオンライン会議に切り替え、試行錯誤を繰り返しながら八幡浜のコダテルを拠点にリモート会議を行い、それなりの成果を収めました。

 今年もコロナの終息が見通せず、昨年の経験を活かして同じような形式で会議を開くべく準備を進めていますが、実行委員会もリモートで行っていて、昨日は第4回の実行委員会がリモートで行われました。慣れないため最初は不安だったリモートによる会議も少しずつ慣れて、嬉しいことに昨日は34人もの参加がありました。

 人に直接逢えないバーチャルの世界ゆえ、温もりを感じることは出来ませんが、多分これからはこんな集会も増えてくる雲行きで、学校でパソコンを習っていない私のような昭和世代の人間にとっては、益々住みづらい世の中となりました。それでも何とかつじつまを合わせようと、必死になってやっている今日この頃です。まだ少~しだけ慣れたかな?程度です。

「毎日の ように知事さん テレビにて 感染数字 発表見てます」

「感染者 増えたり減ったり その度に 一喜一憂 いつまで続く」

「リモートの 会議が増えて 多少楽 だけど不安が 付きまといつつ」

「少しだけ 慣れてはきたが リモートは 何かモヤモヤ 域を脱せず」

 

 

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人間牧場

〇入院していた耕運機が退院しました

 わが家には2台の耕運機があり、1台のマメトラは軽いことから軽四トラックの荷台に積んで人間牧場などへ持ち運び使っていますが、家庭菜園で頻繁に使っている耕運機は少しグレードの高いもので、いずれも私のよき相棒です。グレードの高い方の耕運機は親父が存命中、確か25万円程度のお金を親父が出して買ったものの、親父は高齢のため一度も使わずもっぱら私が親父の指示を受けて耕していました。親父が亡くなってからは私が引き継ぎ使っています。

 

退院して帰った耕運機
回転刃も新品に

 この耕運機は優れもので、購入以来ガソリンを注入する以外は何のメンテナンスをした記憶もないのに、一度も故障せずエンジンも快調で黙々と私の手足となって働いてくれました。ところがつい最近中耕の深度が少し浅くなったような気がするので、土が跳ねるのを押さえるカバーを上げて回転刃を見ると、刃の殆どが土との摩耗ですり減り細くなっていることに気がつきました。早速購入先の農機具屋さんに電話をすると、女性の定員さんが顧客リストに載っていると思われる私の名前と購入した機種を呼び出し、部品もあるので修理ができるとのことで、修理の依頼をしました。

 こんな重い耕運機を軽四トラックにどのようにして積もうか一瞬迷いましたが、そこは百戦錬磨の私ゆえ、脚立の上に分厚い板を敷き、難なく積み込んで農機具屋さんに持ち込みました。運用購入当時世話になった社長さんがいて、おおよそ1週間、おおよそ2万円程度の口見積もりをしてもらいました。数日後社長さんから電話が入り「回転軸にオイル漏れが見つかり、治すには1万円くらい余分にかかりますがどうしますか?」と相談があり修理代が3万円程度にはねあがりましたが、追加修理をしてもらうことにしました。

 一昨日農機具屋さんから「修理が終わったので祭日と日曜日以外であればいつでも取りに来てください」言われ、昨日妻が運転、体調今一の私が助手席に座り引き取りに行きました。諸々社長さんから修理の経緯や今後のメンテナンスについて説明を受け持ち帰りました。私の体調のこともあるので荷台に積んだまま一夜を明かし、今朝にでも息子の手助けを得て車から降ろし倉庫にしまいたいと思っています。回転刃も全て新品に交換され、元気な姿で入院先の農機具店から無事退院いたしました。さあしっかり働いてください。

「耕運機 よき相棒と なりにけり メンテもせずに 故障もせずに」

「よく見れば 回転する刃 10年で 痩せてしまって 中耕浅く」

「耕運機 軽四荷台 積み込んで 農機具店で 点検修理」

「また出費 年金暮らし 直撃す 赤字財政 お国と同じ」

 

 

 

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〇旧上灘保育所跡地の桜伐採

 私の散歩コースになっている上灘保育園跡地は、今年の3月に市役所双海地域事務所横の旧保健センターへ移転したため、現在は空き家空き地となっています。長年子どもたちを育ててきた施設だけに、笑い声や泣き声の聞こえなくなった施設は、頻繁に通っていた送り迎えの車もなく散閑として、寂しく感じられます。

 この周辺を朝の散歩コースにしている私ですが、4~5日前正門の両横に植えられていた大きな桜の木が、根元から伐採されているのを見て大いに驚きました。察するに施設の取り壊しの邪魔になるので伐採されたようですが、わが子も長女を除けば3人は四季折々にこの桜のトンネルを潜って通園しているのです。

在りし日の桜の木のある上灘保育所の正門

 少子化という時代の流れは止めようもなく、移転した保育園も園児の急激な減少でかつてのような賑わいはなく、将来どうなるか暗い不安を投げかけているようです。先日散歩の途中タブレット内蔵のカメラで、桜の木を伐採する直前の写真を撮っていましたが、満開の桜咲く写真は残念ながら手元にありません。保育所へ出かけ、そんな証拠写真をお借りして保存したいと、馬鹿げたことを思いつきました。

「また一つ 町内施設 撤退し 界隈寂しく 人気配なし」

「正門の 両側あった 桜の木 伐採されて 切り株のみが」

「偶然に 数日前に 桜の木 あった姿を 写真に撮った」

「少子化は こんな田舎の 活力も 奪ってしまう どうなることか」

 

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人間牧場

〇久しぶりのエミフルまさき

 先日4歳になる孫に洋服をプレゼントしてやろう言う妻に誘われて、エミフルまさきへ出かけました。新型コロナの自粛要請で心なしか人出は少なかったようですが、それでも店内の通りは行き交う人も多く、多分こんな人混みでしかもみんなマスクしているので、顔見知りには出会わないだろうと思いきや、何人かの人に声を掛けたりかけられたりでした。

 先日80歳になる南予地域に住む私の友人が、初めてエミフルにやって来て、広い駐車場と広い店内で道に迷い、あいにくいつも持っている携帯電話を忘れていたため、連れ合いの奥さんとはぐれてしまい、インフォメーションセンターにお願いして、場内放送してもらい、何とか奥さんと出会ったものの、今度は自分の車を駐車した場所が分からず、炎天下の駐車場で1時間も大汗をかきながら自分たちの車を探したそうです。

 人と出会うことも少ない長閑な山村に暮らしていると、エミフルのような人混みや、広い駐車場のどこへ自分の車を止めたかさえ分からなくなるのは、当然と言えば当然です。ましてや記憶力の減退する高齢者にとって、ミニ都会と思える難儀をしたエミフルでの思い出は、「もう二度と行きたくない」と思ったそうです。

 エミフル周辺に住むお年寄りの中には、暑さや寒さを気にしないで済む、冷暖房完備のエミフル店内は、この上なく快適だそうで、退職後何もすることがないのでエミフルに毎日出かけ、店内を散歩し健康のため設定している目標の歩く歩数を確保したり、椅子に腰かけて本を読んだりして暇をつぶすのだそうです。

吹き抜け天井の幾何学模様照明

 かく言う私もこの日は何もすることがなかったので、インフォメーションセンター前の椅子に座り、妻や孫たちが買い物する間のんびり過ごしました。何度も訪れ何度もこの椅子に座っていたはずなのに、一瞬見上げた吹き抜け天井の高さと照明の幾何学模様の美しさに驚きました。まるでUFのようでした。

「隣町 商業施設 エミフルに 誘われ出かけ 人混み中へ」

「友人が エミフル出かけ 連れ添いと はぐれてしまい 場内呼び出し」

「駐車場 どこへ止めたか 分からない 炎天大汗 右往左往し」

「エミフルは もうこりごりと 言う友人 笑い話の ようだと笑う」 

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〇剪定中脚立が倒れ地面に落下し怪我をしてしまいました

 わが家の庭には親父が植えた庭木がやたらとあります。親父が存命中は剪定や世話を一手に引き受けてくれていましたが、親父が弱った10年ほど前から私が親父に替わってやっていますが、中々大変で少々重荷となっています。特に今年は外反母趾の手術で2ヶ月余り長期入院をしたため、遅れに遅れて秋が来つつあるというのに、まだ数本の庭木の剪定が残っています。

剪定を試みた大きなクロガネモチの庭木
芯止めした矢先長い脚立が倒れ地面に落下しました

 一昨日は、中庭の一抱えもある大きなクロガネモチの木の剪定を思いつきました。3mもある長い脚立を立て、伸びた枝を片っ端から切り落とし、有に4mもある梢の芯止めを行おうと剪定鋸で切り落としました。時々地面に降りて、姿形を見ながら剪定をしていましたが、枝が一本飛び出ているので切り落とそうと脚立に登った瞬間脚立の支柱が外れ、地面に落下してしまいました。

 幸い頭などは打ちませんでしたが背中を強打し、一瞬息ができないほどの激痛でした。横のダイニングにいた内孫の希心が物音を聞いて駆けつけ、「おじいちゃん大丈夫、救急車を呼ぼうか」と言ってくれましたが、何とか立ち上がることができたのでその場をしのぎ、とりあえず玄関に入って、怪我の具合を確かめましたが、自らの不注意で起こした怪我は情なく、仕事から帰った若嫁が打撲した場所に湿布を張ってくれました。

 この日は敬老の日で病院も休みなので、昨日高齢者講習を終って教習所から帰ってから、近所のたけます診療所へ出かけ、レントゲン写真を撮ってもらいました。心配した背骨の損傷もなく、昨日の夜はシャワー程度で風呂を終え、妻に湿布を張ってもらったり痛み止めの薬を飲んで、少し早めに床に就きましたが、寝返りや起き上がるのに一苦労で、お医者さんの話だと2週間くらいは静養するよう言われました。全治2週間です。相次ぐ体の異変に心は●✖▼−気味の「あ~あ~」です。

「世の中は 何があるかは 分からない 剪定中に 突然事故に」

「掛けていた 脚立が倒れ 真っ逆さま 地面に落ちて 背中を強打」

「明くる日に 近くの病院 レントゲン 心配背骨 何事もなく」

「お止めなさい 医者の忠告 ごもっとも お金はいるが 人に任せよ」

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〇昨日会敬老の日でした

 私には内孫2人と3人の外孫がいます。5人の孫にとって私たち夫婦は「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれる存在で、昨日は敬老の日なので、大学1年生と中学2年生の2人の外孫からは電話で声のメッセージが、4歳の幼稚園に通う女の孫からは手作りの小物入れが送られてきました。

内孫2人が自腹で買ったという10円饅頭
4歳孫がプレゼントしてくれたひよこの手作り小物入れ

 さて中学2年生と小学6年生の内孫は、昨日外出したついでに、エミフルに立寄り10円饅頭を1パック買って持ち帰り、「これは僕たち2人が自腹で買った饅頭なので味わって食べてください。今日は敬老の日です。」と貰いました。「自腹」と「味わって」を強調するあたりはいかにも現代っ子らしくて、妻と二人で笑いながら温かいお茶を入れて食べました。

 自分たちは後期高齢者になったのを自覚するのは、病院で診察代を払ったり薬局でお薬代を払う時以外はあまり意識をしていませんが、ふと気がついて日常の暮らしをみてみると、「昭和時代」に生まれ育った生き方や言動があちこちに息づいています。100歳以上の人が日本には76,000人もいて、100歳まで生きることも夢ではない超々高齢化社会となりました。これからは健康に留意し健康第一で生きようと、夫婦二人で話し合いました。

「昨日は 敬老の日でした 孫5人 それぞれ心 込めて祝意を」

「饅頭を 自腹で買った 味わって 現代ッっ子です 思わず笑い」

「そう言えば かく言う夫婦 高齢者 しかも後期の レッテル貼られ」

「これからは 健康第一 願うけど 次第に薬 増えて毎日」

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