人間牧場

〇大親友玉井恭介さんの訃報が届く(その2)

 玉井さんは、書は書くし絵も画ける、また合唱団に入って歌も歌うといった多趣味な人で、無芸大食を自認する私から見れば、何とも羨ましい生き方をしている天真爛漫な人でした。玉井さんから見れば私も夕日でまちづくりをしたり、自宅横に私設公民館煙会所や、海の資料館海舟館、標高300mの山里に人間牧場を造って、楽しそうに生きている私のことを羨ましいと思っていたようで、「あなたが羨ましい」と度々私の元へやって来て、他愛のない話をし合いました。

宇和島水産高校前庭にあるえひめ丸事故の慰霊碑

 2~3年前運転に自信がなくなったと言って早々と、運転免許証を自主返納してからは、行動範囲はもっぱら松山周辺に狭められましたが、その分電話での長々通話も日常茶飯事となりました。今年の2月10日は4代目のえひめ丸事故から20年目でした。玉井さんが作詞した鎮魂歌「希望海」の扱いについて、色々な確執もあってその話が話題の中心になることもしばしばでした。玉井さんはえひめ丸の引き上げや、慰霊碑建立に深く関わり、大きな功績を残されました。それらのことやその後の出来事などなどの相談を受け、私なりの話をさせて貰いましたが、心労の重さを知っているだけに悔やまれてなりません。

玉井さんが画いたてくれた夢の島のイラスト

 私の紹介仲立ちで浜田さんとも知り合い、合唱団や五行歌の活動を共にしていた浜田さんの話によると、新型コロナの影響もあってか、通夜や葬儀は既にご家族で行われた由なので、取り込みが終われば浜田さんと2人で自宅を訪ね、線香を手向けようと思っています。わが家のダイニングの板壁に、一枚の絵を飾っています。私がシーサイド公園を造る時、沖合の石張り離岸堤を使って夢の島を造りたいと話したことを基に、玉井さんが書いてくれたイラスト画です。そういえば玉井さんと共有したこの絵に画いた夢はまだ実現していません。いつの日か・・・。

「えひめ丸 海難事故で 沈んだが せめて錨を 引き上げたいと」

「最近は 自作の歌の 希望海 行き場失い 悶々話す」

「水産高 卒業ゆえに 友人も 少なく唯一 心許して」

「また一人 私の大事な 宝人 天国召され 寂しくなりて」

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