人間牧場

〇家族葬

 昨日は享年80歳で亡くなった義兄の葬儀でした。他のことならおおよその見当がついて、粗相のないようやることができるのですが、こと葬儀となると私のように田舎に住んでいて、四六時中葬儀に参列したり、親類が多くて葬儀に深く関わっていても、中々先が読めず不安になるものです。ましてや親が死んで初めて喪主になる若い人などは、どうしてよいか分らず右往左往します。義兄の葬儀も東京で暮らすひとり息子が、親父の危篤の知らせに心が動転し、葬儀の段取りはもっぱら私と隣に住む義兄夫婦が相談に乗りました。

 まずどんな葬儀にするか考え、将来のことを考えると付き合いや、葬儀の義理を日常の付き合いで返すことも出来ないので、新聞訃報掲載や香典受け取りを止め、ごく身内だけの家族葬にすることを決めました。それでも祭壇やお寺とのやりとり、通夜葬儀の段取りなど細々決めることが一杯あって、かなり難儀をしましたが、極力お金をかけず、しかも故人の人格を重んじるよう気を配って準備を進めました。昨日は9時納棺、11時から葬儀告別式、12時30分出棺、13時葬儀場、法要会食などをほぼ予想どおり行なって、午後3時に無事全てを終了することができました。

 昔は葬儀はその人の最後の一花なので、出来るだけ豪華に出来るだけ沢山の人に来てもらうことが一番でしたが、今は残された遺族が葬儀後どういただいた義理を返すのか考えて、つつましやかな、それでいて温かみのある家族葬が多くなったようです。あの世に旅立った義兄には申し訳ないという多少の心残りもありましたが、いい葬儀だったと親族みんなが納得しました。はてさて多分30年以内に行わなければならない、自分たち夫婦の葬儀はどのようにされるのでしょうか?。「葬儀のことより挨拶をしなければならないことが気になって・・・」と胸の内を明かした、若い喪主の偽らざる心境吐露を聞きながら、喪主になるであろう息子の挨拶は?・・・なんて考えて苦笑いしました。

  「ごく内輪 家族葬ゆえ 心配を したが中々 いいものでした」

  「馴れてない ゆえに葬儀の 先読めず 右往左往の 連続でした」

  「葬儀より あいさつ気になり めちゃ緊張 喪主を務めた 息子大汗」

  「さて私 自分の葬儀 人がする 見れないゆえに どうなることか」

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