〇中江藤樹の五事を正す
大洲で開かれた地域教育実践交流集会で、私は今年も浅学を省みず、言われるままに2日目のめざましトーク、インタビューダイアログのファシリテーターという大役をやりました。今を否定することを革新と言いますが、この9年間、私なりに自分に与えられた役割の中でこの交流集会にアクションを起こしてきたつもりです。世の中には「不易と流行」という言葉があるように、変えてはならないものと、変えなければならないものがあるのです。
9回続けたことを伝統という反面、9回も続けるとマンネリの謗りを免れないこともいっぱいあって、そこをどう克服するかが大きな課題です。今年は三角形のピラミッドで言えば一番底辺の部分を底上げするため県内の東・中・南予というブロックで集会を持つことにして、それぞれのブロックで既に新しい実行委員会も立ち上がり動き出しています。上手く行くかどうかはこれからですが、これぞまさしく今までにない革新なのです。
今年も集会の会場は国立大洲青少年交流の家で行ないましたが、「何故大洲なのか?」は殆どの人が余り考えもせず、多分どこでやっても同じだと惰性に流されている部分があることを実感して、2日目の朝中尾さんにお願して、私がいつも木になるカバンに入れて持ち歩いている、中江藤樹の「五事を正す」という言葉が書かれた扇子の言葉をパソコンに入力してもらいました。近江聖人中江藤樹は大洲にゆかりの深い儒学者です。
「地域の教育力を高める新しい風」がテーマだったインタビューダイアログの締めくくりの言葉として、大洲の教育力から学び、今治の継獅子から学んだことを集った人に意識付けしました。広島から集った多くの若い学生はスクリーンに映し出され、私が解説した「五事を正す」という言葉を熱心にメモをしていたようです。年輪軸で学んだことを日々の暮らしの中で生かさなければ、それこそ絵に画いた餅となってしまうのです。手前味噌ながらいい締めくくりだったように思います。
「今否定 せねば何にも 変らない 革新運動 幾つになっても」
「何故大洲 教育力の 底流に 中江藤樹の 教え脈々」
「熱心に 五事を正すを メモしてる 若い学生 いつかどこかで」
「不易とは 変えてはならない 流行は 変えることです 少しずつでも」