人間牧場

〇出した数以上に届いた年賀状の山

 新年元旦の楽しみといえば何といっても届く年賀状を見ることです。今年も吹き荒れた北西の季節風をものともせず、郵便局の配達員さんが寒い中届けてくれました。わが家に届いたハガキは郵便受けの窓からは入らないほど多いので、太いゴムバンドで5束にして入っていました。早速居間のコタツの上に置いて、時折年賀にやって来るお客さんの対応をしながら一枚一枚めくって読みました。今年の年賀状で圧倒的に多かったのは、今年の干支である未の絵をあしらったもので、それぞれ工夫が凝らされていました。中には自分の名前を書くのを忘れているもの、裏書が表書きと天地反対のもの、同じ人から同じはがきが2枚来たものなどなど、パソコン入力印刷の妙が随所に出ていました。

市原実さんから届いた年賀状
市原実さんから届いた年賀状

 私に年賀状をくれる人には一風変わった人が多く、取っておいて永久保存したいようなはがきも何枚か見受けられました。その中に千葉県習志野市に住む市原実さんの年賀切手の遍歴がありました。市原さんの調べた説によると、毎年私製年賀状に使用するために「年賀切手」が発行されているようです。昭和11年から3年間発行されましたがその後中断、昭和25年に再開したようで、今回いただいた年賀状には昭和25年から64年まで、昭和の切手の絵柄と額面一覧表が載っていました。切手の絵柄は昭和29年から干支に関連した郷土玩具が選ばれているようで、納得して見入りました。

 もう一枚松前町神崎にある晴光院というお寺の住職曽根彰道さんから、立派な手書きの達磨大師絵年賀状が届きました。晴光院というお寺へは何年か前招かれて講演に行き、本堂で薀蓄を垂れましたが、以来境内に植えられた牡丹の花が咲く頃になると、牡丹回向の案内状が届き、妻を誘って出かけて立派なお茶室で、お茶をいただいています。晴光院の本堂の襖絵は住職さん手書きの水墨山水画らしく、行く度に感心して見せてもらっていますが、達磨大使の絵ハガキも見事な筆捌きで、大切に取っておきたい心境でした。達磨は七転び八起きで、縁起物とされています。七回転ぶ、つまり七回失敗しても八回再起すれば最後は大願成就するのです。今年は新年早々ジョギングの途中転んでしまいましたが、殆ど怪我もなく起き上がり、今日もこれから転ばないよう注意をしてジョギングに出かける予定です。達磨大使の庇護かも・・・。

  「山のよう 届いた年賀 状を読む 顔と名前を 思い出しつつ」

  「年賀状 切手の値段 細やかに 5円の頃を 知ってる私」

  「年賀状 達磨大使の 絵が画かれ 転んだことを 思い出しつつ」

  「同じ人 同じハガキを 二枚くれ パソコン入力 ゆえの手違い」

晴光院曽根彰道さんから届いた達磨大使の絵の年賀状
晴光院曽根彰道さんから届いた達磨大使の絵の年賀状
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人間牧場

〇粋な人にはなりにくい

 「今年の冬はやたらと寒い」と感じるのは私だけでしょうか。そんな会話をすると決ったように相手から、「歳をとると寒さが一段と身に染みる」と反論されそうなので、余り口には出しませんが、最近まで下着も長袖でなくランニングで一年中通していた私も、ついに今では下着までユニクロで買ってもらったヒートテックを着ているのです。ところがわが家の今年42歳になる息子は、この寒い真冬だというのに、家にいる時は半袖シャツと半ズボンで通しているのです。そんな姿を見ているとこちらまで寒そうに、鳥肌が立つほどですが、当の本人はいたって平気で、毎朝戸外に出て木刀を振ったり自分流のエクササイズで体力増進に努めています。

 「粋」という言葉は私のような凡人には縁遠いと感じていますが、人並み外れた生き方をしている人のことを「粋な人」と呼ぶのであれば、芸者遊びや旅三昧、風流遊び等に現を抜かす人と同じように、寒さの中で寒さをどこ吹く風と思う生き方をしている息子も、ある意味はずれこしの「小粋な人」かも知れません。
 私も人様から見れば、少し変わった生き方をしていて、私は普通だと思っていますが知人から「粋な人」と呼ばれたことがあります。金持ちでもないのに貧乏どこ吹く風とばかりにボランティア活動に現を抜かして生きています。その最たるものは家の横に私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を造ったり、家から少しはなれた海の見える場所に、隠れ家とも思える人間牧場を造って、結構楽しんでいるのです。

 「粋な人」とはどうやら、人様の目を気にせず人様がやろうとしても真似のできない遊びを、自分流で貫いて生きている人のことだと分ったつもりでいますが、まだまだ自分は「粋な人」=「遊び心を持った人」=「自分流を貫く人」には残念ながらなり得ていないようです。人は周りの人の目が気になるし、周りの人に勝ちたいと思うものです。また時代の進展に乗り遅れまいと色々思いを巡らせ手を出すものです。「超自我」の世界はそう簡単なものではないことを、「粋な人」を見て思うのです。でもそろそろ自分の限界を悟れるような年齢になったのですから、少しだけ「小粋な人」になってみようと思っています。「大」を目指すのはしんどいが、「小」なら私でも・・・。そんな考えをしながら迎えた正月一日でした。

  「寒いのに 半袖姿で 平気とは 粋な息子の 姿に感心」

  「凡人の 私小粋に 生きようと 思ってみるが 煩悩多く」

  「元旦は これから先を 生きること 色々思う そんな一日」

  「粋だねえ そんな掛け声 掛けられる ような生き方 目指してみよう」

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