〇後で知った友人のご主人の訃報
友人や知人の訃報は、仲間や友人・知人からまるで芋づる式に伝わって来たり、新聞のお悔み欄で見つけるものですが、少し長めの出張で家を開けることの多い私なので、時々知らずにやり過ごし、不義理をすることがあるのです。そんな場合は通夜・葬儀や告別式が終ってから、相手に訳を言って仏壇に線香を上げに行きますが、中々ばつが悪いものです。
私の友人が沖合いに浮かぶ中島に住んでいます。一緒に公民館に勤め一時代をともに過ごした間柄なので、時々手紙のやり取りや近況報告の電話をしているのですが、そういえば正月に年賀状をいただいてから、音信が途絶えていました。それでも趣味の川柳が時々愛媛新聞の文芸欄に掲載されるので、風の噂程度に元気なようだと思っていました。
1ヶ月ほど前、その友人のご主人が4月頃に亡くなっていたことを、これまた風の噂に聞きました。本人ではないものの、ご主人が亡くなれば葬儀に参列し、慰めの言葉もかけなければならないのに、今回だけはまったく寝耳に水だったのです。とりあえずお悔みの電話を入れて、近々線香をあげに行こうと思っていたものの、沖合いに浮かぶ離島ゆえ、このところの多忙もあって中々その機会が得られませんでした。
それでも気になり、昨日は満を侍して行くことを決め、前日在宅を確認して出かけました。妻から娘のマンションへ届け物を預かったので、6時30分に身支度を整えて自宅を出発しました。夜来の雨が朝も降っていましたが、道後緑台のマンションで荷物を下ろし、高浜の港へ向かいました。船便は2便の8時30分高浜港発の高速船でした。
海は鉛色でかなり時化ていて、余り大きくない船なので揺れましたが、途中の港に寄港して30分で、眠る間もなく目的地の中島大浦港に到着しました。「自転車で迎えに行くから」と約束していましたが、雨が降っていたため、彼女は近所に住む親類の女性に頼んで、軽四の小さな車で迎えに来てくれていました。
彼女の家に行くのはこれが2度目なのですが、もう10年前のことなので、記憶を辿りながら路地道を歩き家へ到着しました。彼女の家は農家らしくかなり立派な古民家風の家で、玄関入口には亡くなったご主人と彼女の表札が仲良く並んでいて、往時の姿を思い出しました。中に入ると一人身になった女性らしく部屋はきちんと片付いて掃除が行き届いていました。
仏壇に線香をあげ香典を供えて、懇ろに手を合わせました。その後日ごろ彼女が使っている居間で二人が向かい合って、お茶を飲んだりお菓子や果物を食べながら、思い出話に花を咲かせました。彼女は別棟に二間続きの書斎を持っており、玄人はだしの書道で書いた書や掛け軸、それに幾つもの師範免状が飾られ、また趣味のパッチワークも女性らしく綺麗に飾られていました。新聞のてかがみ欄や文芸川柳欄に度々紹介され、また本も執筆出版している才能豊かで前向きな生き方には、ただただ頭が下がる思いでした。
11時45分発のフェリーに乗るため再び迎えに来てもらった、親類の奥さんに船着場まで送ってもらい島を離れましたが、若い頃丸木舟で航海した折、離島センターに仲間とともに泊まり、夏の明くる日の朝、日傘を差して見送りに来てくれた、若き頃の彼女の姿を一瞬思い出しました。
「友人の ご主人訃報 後で知る 遅いながらも お悔み訪問」
「活き活きと 輝き生きる 島女性 見習いたいと いつも思って」
「雨の中 連絡船の 着く港 二人の女性 迎え送りて」
「ふと思う 何年か前 丸木舟 出航送る 日傘の彼女」