人間牧場

〇松山・伊予倫理法人会モーニングセミナーに招かれました

 「打ち合わせがありますので、朝6時15分までに会場となっている松山市西堀端のホテルJALシティ松山の3Fドゥエミーラへお越し下さい」という、事務局担当女性から前日いただいたメールに従って、自宅を早朝5時に自家用車で出かけました。早朝ゆえ交通量も少なく車はスイスイと進み、西堀端まで30分で到着しまいました。言わたとおり、愛媛新聞側の松山駅に通じる電車通りを、行きつけの喫茶店を目印に左折すると、ホテルの立体駐車場の入口です。駐車場の入口に守衛さんが立っていましたが、聞けば駐車場は午前6時にならないと開けないというのです。困った私は民主党の看板が目に付く路地横道路上左に車を止め、カーラジオを聞きながら、車の中に常時置いている一冊の本を取り出し、室内灯を三つもつけて読書をしたり、講演の構想を考えましたが、眠らない街らしくホテルの前の通りは早朝というのに、コートの襟を立てて朝の寒さに震えながら、行き交う人が無口で行き交い、通り過ぎて行きました。

 車内に流れたカーラジオで6時の時報を聞き、再度駐車場へ戻り守衛さんの指示に従って車を入れ、チケットを貰いました。この守衛さんは合併前同じ郡内だった、別の町の役場で課長をしていた人で、手を緩めながら立ち話で、退職までのいきさつやその後について懐かしく話をしましたが、いやはや驚きました。
 ロビーには法人会の方々が既にたむろしていて、顔見知りの人が何人も入れ替わり立ち代り声を掛けてくれ、その度に名刺を交換し、3階の会場へ案内され席に着きました。私の招聘をしてくれた堀田金太郎さんがこの日の幹事らしく、会長さんと向かい側の席に座り、満席と予定の午前6時30分時間を確かめてチャイムが鳴らされ、セレモニーが始まりました。幸福の栞の朗読や輪読、会長のあいさつが終わると、いよいよ私の卓話が始まりました。

モーニングセミナーが始まるまでの慌しい会場風景

 卓話は歌のない歌謡曲ではなく、音楽も歌も題名もまるでない、何を話しても構わない自由さもあって、スキルの高い人と思って、少し早口で喋り捲りました。アドリブなので手持ちの時計の進み方がとても早く感じながら、7時25分の終了を迎えました。他の法人会で何度も経験しているモーニングセミナーなので、面食らうこともなく、馴れた流れで事が運び、その後2階で会食の朝食を参加した方々とご馳走になり、8時過ぎには自由の身となりました。
 私は毎朝午前4時に起きる習慣がついていますが、会場に集まった人たちは法人の経営者が多く、夜も遅いことから、早朝の集会は大変だろうとおもんばかりました。でも朝の清々しい気持ちで学ぶとスキルもアップするかも知れず、とても好感が持てました。持参した50枚の名刺が空になるほど名刺をいただき、昨日の朝もまた多くの人と出会いを重ねることができて、再会を予感させるいい一日でした。

  「モーニング セミナー招かれ ノコノコと ホテルに出かけ 卓話大いに」

  「元気かい 駐車場にて 守衛さん 声かけくれて 驚きました」

  「五十枚 持参の名刺 空になる 再会予感 感じるように」

  「演台に 置いた時計は 容赦なく 進んで卓話 あっという間に」  

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇シイタケの原木ホダ木が届きました

 昨日の午前中は、自宅周辺の落ち葉を集めて家庭菜園の横で焼却したり、夏野菜の名残であるトマトやピーマンの垣を片付け耕運機で耕して、少し見苦しかった菜園を綺麗に片付けました。お陰様で名残のピーマンやトマトは、夏のような瑞々しい味はしなかったものの、11月末まで収穫して食卓を賑わせてくれました。一通り片付いたところへ、大洲市田処の友人亀本幸三さんが、プリウスのトランクにしいたけの原木ホダ木を、10本ばかり積んでやって来ました。亀本さんは酪農家で、20数頭の乳牛ホルスタインを飼っていますが、もう20年来の親しい異業種友人なのです。亀本さんは若い頃から私が主宰したフロンティア塾に塾生として熱心に参加し、10年で40回開いた塾にも忙しい農作業の合間を縫って、40回の全てに参加した頑張るマンなのです。続いて人間牧場で開いている年輪塾にも、西田和子さんや仲間と共に参加してくれていますが、その前向きな生き方にはとても好感が持てる人です。

いただいたシイタケの原木ホダ木を裏山に並べました

 私が先日わが家の息子と孫たちが、裏山に置いている2本のシイタケ原木ホダ木にシイタケが生え、それを大事そうに楽しみながら収穫している様子をブログでアップしたところ、亀本さんから、「近々シイタケの原木ホダ木を持って行ってあげる」と、電話連絡があったのです。
 車から降ろしたシイタケの原木ホダ木には、孫たちが喜ぶようにと、既に収穫できそうなシイタケが幾つも生えていて、孫の歓声が聞こえそうな気がしました。亀本さんはホダ木を庭に降ろすと、二週間後に迫った年輪塾で餅つきをする、もち米の準備等の打ち合わせを、立ち話でしたあと帰って行きました。少し重いホダ木を担いで裏山まで運び、既に置いているホダ木の横に行儀よく並べましたが、わが家は冬の季節風が強く当る場所だけに、適地ではないと思いつつとりあえず作業を終えました。

亀本さんから送られてきた落雷の様子

 亀本さんの話によるとこのホダ木は、昨年お孫さんたちと一緒に植菌作業をして、森の中で養生していた物らしく、シイタケの生えていないホダ木も来年春には生えるそうで、楽しみが増えました。いつか孫たちを亀本さん宅の乳牛を見せに連れて行ってやりたいし、亀本さんに頼んで植菌作業も体験させてやりたい思いました。お金を儲ける農業は厳しいものですが、遊びの農業はこうして色々なことが楽しめるのです。亀本さんは酪農を楽農と言って、楽しみながらやっていて、私も時々牛乳をいただいたり、山里の美味しい手作り豆腐を、お裾分けをしてもらっているのです。
 先日亀本さんから入ったメールで、近くの森に雷が落ちたショッキングな写真が送られてきました。自然の凄いエネルギーの痕跡に驚き、子どものころ人間牧場の大きなヤマモモの木に雷が落ちて、木が黒焦げになった様子を思い出しました。ヤマモモはその後見事に再生し、今も緑陰を保っているのです。

  「シイタケの 原木ホダ木 届きたる 早速裏山 並べて養生」

  「シイタケは いつでも生える 思ってた 息子や孫は それさえ知らず」

  「シイタケの 芽吹いた ホダ木 いただいて 孫や息子は 早速収穫」

  「シイタケは 体にいいと 皆が言う 何にいいのと 聞くも分からず」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇沖縄県与那原町議会議員研修

 数日前、伊予市議会議員の水田さんから、「沖縄県与那原町議会議員さんたちが研修にやって来るので、受け入れてもらえないか」と相談がありました。私の元へは年間何組もの議員さんが研修にやって来るので、日程を調整し受け入れることにしました。11月27日の13時から17時までの4時間をどう使うか思案し、私案を作ってFAXと電話で確認し、13時~シーサイド公園集合、見学説明、14時~翠小学校とグリーンツーリズム、15時20分~下灘駅とフィールドミュージアム、15時40分~人間牧場と地域づくり、16時50分~シーサイド公園にて夕日見学、17時解散という大まかな目安を立てました。対外的には翠小学校だけなので、私が事前連絡と許可を校長先生に直接取り、準備を整えました。

 昨日は前日の荒れた風雨も収まり、天候もまずまずでしたが、気温が15度以下となり、常春・常夏の沖縄の人には少し寒い研修となるだろうと心配しました。一行は内子町の見学が少し長引き、峠越えをするため引率の水田さんと連絡を取り合い、シーサイド公園待ち合わせを急遽変更して、翠小学校で落ち合うことにしました。校長先生は研修会に出向いて留守でしたが、教頭先生の説明や私が説明をしながら、学校を見学しました。木造の学校校舎は沖縄にはないようで、その珍しさに目を見張っていました。
 この研修には水田さんが市議会議員でもあるので、地域事務所の米湊さんと地域おこし協力隊の富田さんに同行してもらい、下灘駅は富田さん、シーサイド公園は米湊さんに説明をしてもらうことにしました。

私の話に聞き入る議員さん

 私の出番は人間牧場で、少し大きめの箱バンタクシーなので、市道から一緒に歩いてもらい、人間牧場に到着しました。いつものように切り株高座上の座布団に座り、私を囲むよう皆さんも座布団に座って1時間弱議員さんを前にお話をしたり、施設を見学してもらいました。
 議員さんの中には私の話をどこかで聞いた人がいて驚きました。多分那覇へ招かれ沖縄県長村議会議員研修に出かけた折の講演か、東京有楽町フォーラムAで開かれた、全国町村監査委員研修での講演を聞いたものと思われますが、世の中狭いものだとつくづく思いました。議員研修なので私の自著本「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」「夕日徒然草・空の書」を三冊用意したところ、皆さんにそれぞれ買っていただき、恐縮してしまいました。

自称日本一のダルマの夕日

研修最後の締めはシーサイド公園での夕日見学です。米湊さんの説明をイベントホールで聞いた後、肌寒く感じる戸外に出ました。宮城県からやって来た修学旅行の一行と一緒に、これぞ日本一といわれる美しいダルマの夕日を感心しながら、少し鼻高々で見学しました。沖縄県与那原町議会議員の皆さんも、宮城県の修学旅行生も、たった一度の来訪で、たまにしか見えないダルマの夕日が見えたのですから、これはもうラッキーとしか言いようがありません。
 ほんの束の間の視察研修でしたが、議員さんたちもみんな満足した様子で、つるべ落としの太陽が沈んだとばりの中を、次の宿泊先となっている松山へ向かいました。再会を約束しつつ・・・・。

 

  「真冬並み 気温下がりて 寒々を ものともせずに 沖縄議員」

  「あそこここ 説明しつつ 巡り見る 珍しさもあり 沖縄議員」

  「世の中は 狭いもんだと 感心す 沖縄議員 私の話」

  「久方の ダルマの夕日 皆で見る ふるさと思い 沖縄議員」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇美味しい紅まどんな

 誰が言い始めたのか分かりませんが、「とろけるような食感はまるでゼリー。みかんの形をしたスイーツ。愛媛の貴婦人」とまで形容されている「紅まどんな」という柑橘が、数年前から話題になっています。八幡浜や吉田といった超一級のみかん産地ではないにしても、これまでみかん産地として長い歴史を持ったわが町に住んでいると、大谷イヨカンや極早生みかん、晩柑類など様々な話題の柑橘に出会って食べてきましたが、「紅まどんな」という品種は少し様子が違うようです。

紅まどんな

 昨日の夕方妻が、大事そうに白いナイロンの袋に入れた、4個のみかんを持ち帰りました。友人からいただいた紅まどんなだと聞きましたが、早速仏様に備えた後、鐘をチーンと鳴らしてお下がりをいただき、孫たちに2個、私たちが2個それぞれ分け合いました。
 妻は食卓にその一個を半円形状に切って皿に盛り、ダイニングの机の上に飾ってくれました。これぞオレンジ色といわんばかりの紅まどんなは形容通り、ぎっしり詰まった果肉がまるでスイーツのような輝きでした。食事が終わり早速食べてみましたが、とろけるような瑞々しい味でした。「これが一個500円以上、高いものだと1個1000円」と聞いて、余計美味しく感じました。

 紅まどんなは「南香」と「天草」という品種をかけ合せ、10年の研究の末愛媛県果樹試験場で生まれた品種です。したがって特許権が愛媛県にあるため、「紅まどんな」という名前で勝手に販売すると、特許権侵害で法に触れるため、「姫まどんな(ヒメマドンナ)」や別の名前で、既に水面下では出回っているようですが、一つの木に実がなるまでに5年かかり、こんなに手間のかかる品種はないと農家の人はいっています。果実は200g前後、果皮は薄くなめらかで濃い紅色、果肉はとても柔らかくて食べやすく、形容の言葉通りの味でした。

 紅まどんなはこの頃から収穫し12月に贈答用として出回るため、今のところ高値で販売されていますが、これも希少価値があるからで、大谷伊予柑がそうであったように今後どうなるのか、農家の心配の種は尽きないようです。
 私の友人にはみかん農家が多いので、その時期時期の柑橘類をお裾分けのような形でいただきます。今は極早生が終わって早生みかんが主流ですが、何だかんだといいながら食べやすくて美味しいのは、やはり早生や晩生の昔ながらのみかんが一番だと思うのです。わが家の家庭菜園にも晩生のみかんが実をつけています。正月前には収穫して美味しいみかんを味わいたいと思っています。

  「マドンナや 清見・晴美と 女性名を つければ売れる 柑橘事情」

  「紅濃いく 果汁ジューシー 文句なし 贈答品に ぴったり高価」

  「美味くても やはり普通の みかんいい そんな言い訳 貧乏故に」

  「柑橘に 囲まれ暮らす いい場所に 住んで何より 幸せ思う」  

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇孫たちと楽しい一日

 昨日は三連休とあってどの行楽地も、晩秋の穏やかな小春日和に恵まれて、混み合ったようでしたが、私たち夫婦も長男夫婦と孫3人を連れて、近所である中山町の鹿牧場や栗の里公園へ、急な思いつきで出かけました。いつもだと一緒に出かけるはずの娘と孫朋樹は、サッカーの練習日だそうで不参加となりましたが、その分日増しに口数も行動も賑やかになった孫希心(5歳)、尚樹(5歳)、奏心(3歳)を伴っての遊びは、何かと大変なのです。
 チャイルドシートの関係で孫3人は息子夫婦の車に乗せ、私たち夫婦は自分の車で出かけたため、道中は静かな雰囲気でソプラノ歌手二宮典子さんからいただいた、CDで童謡を聴きながら、車窓に広がる紅葉を満喫しながら、自宅から30分足らずで鹿牧場へ到着しました。孫たちにとって動物に出会うことはとても楽しそうで、自動販売機で餌を買い求めて30匹ほどの鹿の群れに餌をやるのがハラハラ、ドキドキで、近くの草やドングリも拾い集めて大いに盛り上がっていました。

楽しそうにふざける孫たち

 

群がる鹿

 その後直ぐ傍のフラワーハウスへ入り見学しました。バナナがなっているのを見たり、この時期は少ない咲いている花を見たりしましたが、孫たちには広場の向うの遊具が目に入ったようで、大きなツリーハウス遊具に登ったり降りたりしながら、心地よい汗をかきました。その後国道傍の栗の里公園内レストランまで降りて、バイキング昼食をすることにしましたが、運悪く昼時と重なったため、込み合っているわけでもないのに客が動かず、30分以上も待ちました。やっとの思いで席を確保しましたが、私たち大人にはそれなりの料理でしたが、孫たちにとってはメニューが少し物足りなかったようです。
 それでも大人千円、子ども300円で満腹となりました。妻や家族にとっては知らない人ばかりですが、お客の中には顔見知りの人も数人いて、あいさつや立ち話をしました。妻が言うように私と同行すると、必ず顔見知りの人に会うため、冷や冷やするそうです。特にお偉い人に会うとあいさつもしなければならず、時々戸惑ってしまうそうです。そういえばリタイアしているとはいえ私も、新旧の友人がいたり講演等で日常的に出歩いているため、私が知らなくても相手が覚えている人もかなりいて、昨日のように見知らぬ人から、「お元気ですか」といきなり言われても、失礼ながら顔と名前が一致せず、困ってしまうことだってあるのです。

 息子たち家族は、若嫁の実家へ向かうため昼食会場で別れ、私たちは孫を松山のマンションまで送り届けて育爺、育婆の役目を終えました。いつものことながら外出すると必ず夕方5時頃には、妻が自宅で待っている親父の、夕食を作るため自宅へ帰らなければなりません。母が死んでからもう12年が過ぎましたが、以来妻は親父の夕食を殆んど毎日、休むことなく作って隠居へ運んでくれているのです。94歳になって多少弱音を吐くようになった親父は、若い頃鼻ガンを患っているため、その後遺症で固いものは食べられず、食事の献立も中々骨が折れるようですが、長男の嫁に嫁いで来たばかりに、祖母や母の面倒も見てあの世へ送ってくれたり、親父の面倒を嫌がりもせずしてくれていて、感謝の気持ちでいっぱいです。昨日は妻の勤労感謝の日にしてやりたいと思った一日でしたが、妻は休む間もなく家族の世話を、一日中忙しくしていたようです。

  「三連休 最後一日 隣町 孫たち連れて 行楽出かけ」

  「バイキング 私は好きで ないけれど 野菜中心 あれこれ食べて」

  「夕方に なれば必ず 時計見て 妻は帰りて 親父夕食」

  「同居する 親父の世話は 長男の 嫁の仕事と 割り切り感謝」 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇綺麗だねえわが家の紅葉

 わが家の入り口には、枝葉を広げた面積が畳4畳半もあるような、大きなシダレモミジがあります。家を新築した時、私が大事に育てていたシダレモミジを移植したものなので、樹齢はたかだか40~50年といったところでしょうが、それでも落葉樹らしく冬の落葉、春の新緑、夏の緑陰、秋の紅葉と様々な変化をして、私たち家族の目を楽しませてくれているのです。このシダレモミジは夏はどちらかというと緑がかっていますが、春の芽立ちも秋の紅葉も赤い色の縮れ葉をしているのが特徴です。

家の入口にあるシダレモミジ
シダレモミジを下から見上げる

 このシダレモミジは色づいて綺麗だと思う間もなく、僅か一週間で風に散ってしまうので、余程注意をしていないと見納めとなってしまうのです。今年は雨のお湿りが適当にあって、加えて紅葉の時期に大風が吹かなかったため少し長持ちして、家族や訪れた人の目を楽しませてくれましたが、案の定昨日から雨に濡れて散り始め、たった一日で無残にもシダレモミジの木の下は、紅葉の葉っぱが道を染めました。これも自然現象だと諦めつつ、美しいもののはかなき命を惜しみました。

 私たち夫婦が朝・昼・晩と食事をしている、ダイニングの窓から見える裏庭に、山採りの普通のモミジが5本植えられています。私が道端で引っこ抜いて持ち帰った割り箸ほどの小さな苗を裏庭に植え、庭木の剪定のついでに無造作ながら剪定していましたが、この木もいつの間にか大きくなって、庭木としての風格を保つようになってきました。このモミジがこのところの冷え込みで、数日前から紅葉し始めました。紅葉といってもそれ程綺麗ではありませんが、少し遠めで見るとそれなりに色が染まって見えるため、妻と二人で誉めながら愛でているのです。

ダイニングの窓越しに見える裏庭のモミジ

 妻は花が好きなので、この裏庭を花畑にしたいようですが、そのためにはこの5本のモミジを、どこかに移植しなければならないため、私は反対をしているのです。夫婦でありながら意見が分かれるのも当たり前のことかも知れませんが、紅葉のこの時期だけは二人揃って、モミジの紅葉を窓越しに楽しんでいる今日この頃です。子どものころはもっと寒かったと思われる大相撲九州場所も、早いもので今日が千秋楽、白鵬が早くも昨日千秋楽を待たず圧倒的な強さで、早々と23回目の優勝を決めました。九州場所が終るといよいよ本格的な冬の到来です。

 

向かいの本尊山も紅葉し始めました

 「春夏も 秋もまた良し 庭モミジ 今が盛りと 彩り添えて」

 「この家の 歴史と共に 葉を広げ 今では畳 四畳半にも」

 「若嫁が 綺麗ですねと 褒め称え 二人見上げて モミジ楽しむ」

 「見納めと ばかりデジカメ パチパチと 上下左右 写真収める」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇白滝公園の紅葉見学

 

大洲臥龍の紅葉

 昨日は所用で大洲市長浜町へ妻と二人で出かけました。所用を済ませて外に出ると、白滝の紅葉祭りの看板が目に留まり、夜来の雨も小康状態だったこともあって、急な思いつきで白滝まで足を延ばすことになりました。県道沿いには黄色い帽子を被った交通安全協会の人と思しき人が何人か手持ち無沙汰風にしていたので、許しを得て止めさせてもらい、ゆっくり歩いて行きました。

山頂付近の紅葉は今が盛りでした

 近くにあるJR予讃線海岸周り白滝駅の構内が見える踏切を渡りましたが、昔は臨時列車まで出た駅界隈も散閑としていました。白滝公園の入口付近から水車小屋までの間にはテントが張られ、地元の人たちが餅つきや出店を幾つか並べて、お客さんに声をかけていたようでしたが、私たちはそこで竹の杖を借りました。1ヶ月余り前スネに怪我をした妻は、急な階段の続く参道を登るのは少し不安なようでしたが、私が手荷物バックを持ってやり、杖の力を借りて何とか登って行きました。白滝の紅葉は老木が多くなって、紅葉の葉っぱもかなり高い梢にありますが、参道の途中で見上げたり見下ろしたりしながら、錦織り成す紅葉を「綺麗綺麗」と声を出しながらカメラに収めました。

参道入口の紅葉

家を出る時いつも使っていたカメラが見当たらず、とりあえず古い方のデジカメをポケットに入れていたので、写っているかどうか心配しながら、嫌がる妻をモデルに写真を何枚か撮ってやりました。昨日は滝の水量も豊富で大小さまざまな滝が勢いよく落ちて、滝と紅葉が程好くマッチして、雨で塗れた落ち葉の参道と共にとてもいい雰囲気の紅葉見学となりました。
 今年は紅葉の時期に妻が怪我をしたため、何処へも出かけられませんでしたが、これで少しは晩秋の風情を楽しむことができ、妻も大いに満足したようでした。帰りに顔見知りの沢山いる出店テントで、つき立てのお餅をお土産に買い求めました。

  「久方に 妻と二人で 紅葉狩り 白滝訪ね 風情楽しむ」

  「竹の杖 借りて山道 登りたる 錦織なす 紅葉見事」

  「どの町へ 行っても顔が 知れていて 声をかけられ 声を返えしつ」

  「餅を買い 帰りながらも 配りたる 親類の人 皆歳とりて」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇私の苦手なものシリーズ(その13・酒が苦手)

 私の苦手なものを思いつくまま以下の通りシリーズで書いてみましたが、いよいよ最後となりました。
 ①コーヒが苦手
 ②文字が苦手
 ③タバコが苦手
 ④英語が苦手
 ⑤パソコンが苦手
 ⑥肉が苦手
 ⑦学歴が苦手
 ⑧ヘビが苦手
 ⑨注射が苦手
 ⑩ナイフとフォークが苦手
 ⑪選挙と政治家が苦手
 ⑫コンクリートの都会が苦手

 最後の⑬はお酒です。私は元々酒がそんなに好きではありませんでしたが、青年団に入団して仲間に鍛えられ、次第にその量を増していました。ところが仕事と青年団に酒が加わって、25歳の時意識不明になるという大病を患いました。その結果役場に就職したのですから世の中は分からないもので、朝日新聞が私のことを書いた記事に、「酒を飲み過ぎて公務員になった男」などというのが残っているのです。それでも健康を回復してから再び練習して、元をしのぐ酒量になっていました。
 その後胆のうにポリープが見つかり、摘出手術をして間もなく68キロあった体重が入院手術後、僅か1ヶ月余りで13キロ痩せて、周りを心配させました。結果的に酒を止めた方がいいと医者から勧められ、12年前に好きだったビールを綺麗さっぱり止めたのです。こんなに潔く酒が止めれるものかと家族みんなが、自分自身の芯の強さに驚きましたが、以来12年間私の体内からはアルコールが完全に消えたのです。

 ビールが冷えていないと妻を叱りつけたり、酒を飲まないとまちづくりは語れないなどと戯言をいっていた自分は、一体なんだったのかと思うほど、酒と無縁な人生を只今歩いているのですが、時々酒に酔った仲間を車に乗せてアッシー君をしながら、昔のことを懐かしむのです。昔の私は癖の悪い酒飲みで、どんなに外で大酒を飲んでも、必ず家で締めに酒を飲んでいたのですから驚きです。
 酒を飲んで妻が迎えに来るのは当たり前とばかりに、深夜も平気で携帯電話が普及していなかった時代ですから、公衆電話を使って迎えに来させていましたが、そんな私の妻のことをいつしか仲間は「10円タクシー」と呼んでいました。酒を飲んで帰る途中締めのラーメンを、妻と二人で食べたため妻も少し太り気味でしたが、私が酒を辞めたと同じように締めのラーメンも食べなくなり、もとの体重に戻ったようです。

 「酒のない国へ行きたや二日酔い」何て戯言を言っていた私も、酒を飲まなくなったため体重は56キロを維持していて、昔を知る人は「若松さん痩せたのではない?」と心配してくれますが、絶好調とまでは行かなくても体調もかなり良く、このままを維持したいと思っています。
 多分私はもうあの世へ行くまで、生涯酒を飲まないかも知れませんが、酒で増えた仲間もそのまま保ち、いい人生であったと昔を懐かしむのです。今は反社会的な行動ととられる飲酒運転が基で職や信用を失ったり、新聞沙汰になることもなく人生を終われそうで何よりです。
 それにしても、私の苦手なものは意外と多いことに改めて気付かされましたが、酒やタバコなどはさて置いて、英語やパソコンのように苦手と自慢しても自慢にならないものは、むしろ努力して克服しなければならないのでしょうが、どうやら時既に遅しでこのまま苦手を通しそうな雲行きです。

   「指を折 苦手なものを 思い出す 1・2・3・4 あるあるあるわ」

  「ブログにて 苦手なものを 書いてみる 13書きつ 呆れて終わる」

  「人生は 好きと苦手が 同居する これもまたよし これも俺流」

  「パソコンは 苦手と言いつ 朝晩に 今は毎日 まるで友だち」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇逞しい双海の子どもを育てたい

 私は教育長在任中、役職がら子ども教室の実行委員長に就任していましたが、退職後も町が合併したドサクサもあって、引き続きずっとその役目を担っているのです。実行委員長の職はボランティアなのでそんなに重いものではありませんが、それでも子どもたちを預かるのですから、何かあったら多少なりとも責任を負わねばならないと、安全第一を心がけていますが、幸い大きな事故もなく今日を迎えているのです。
 通算10年も委員長をしているのに、実行委員会では一回も懇親交流をしたことがないため、昨日の夜会費千円の反省会を地域事務所野浦の和室を借って開催しました。全ての段取りが良かったのか、殆んどの実行委員さんに参加してもらい、オードブル料理や湯豆腐鍋ををつつきながら、少しアルコールの力を借りて少し議論を深めました。やはり飲食の力は絶大で、日ごろ話さない人の話を聞いただけでも、効果は大いにあったようです。

 私が社会教育の現場でいつも口にするのは、マンネリと伝統、活動と運動の違いです。長年やっていると前例踏襲・前年踏襲型になってしまう恐れがあります。常にこの事業は何のためにするのかということを反芻し、基本コンセプトをしっかりしておかなければ、とんでもない方向へ向かってしまうのです。「双海の子どもたちの健やかな成長を願う」という当たり前のことを常に意識しておかなければなりません。
(これから出張のため、この続きは夕方書きます)
 今年は天候不順で底引き網体験航海も、イノシシの被害でサツマイモの収穫もできず、消化不良になっています。自然相手なので、これも仕方のないことですが、「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」は私の名言(迷言)ですが、そのことを考えればもう少し智恵を出さなければならなかったようです。マンネリを伝統に変えるには一ひねりも二ひねりも必要であることを痛感しました。

 さて私たちは子ども教室で、様々なプログラムを年間通して実施していますが、これは日常活動なのです。活動を運動に高めていく、つまり「子どもたちの健やかな成長を願う」という地域ぐるみの運動に発展させるためには、これまた仕掛けが必要です。かつて私が教育長時代「ふたみの子育て10の約束」というのを作りました。これはまさに運動であり、もう一度反芻して利用しようと思い、赤石主事さんに頼んでカラーコピーし実行委員の皆さんに配り、あいさつの中でこの約束を地域運動にするよう努力して欲しいと頼みました。また讃岐幸治先生からいただいた二宮金次郎の銅像を見せ、何年か前に訪ねた佐賀県多久市の孔子にまつわる話もさせてもらいました。「多久の雀は論語を語る」という言葉があるように、多久の子どもたちが論語を空でスラスラいえる姿を見て、感心したものでした。人間教育を唱える双海町の子ども教室には、このことが欠落していているような気がしてならないのです。来年度はそのことにも重きを置いて、運動に発展させたいと思っています。

  「豆腐鍋 互いにつつき 話し合う 夜なべ談義の 夜はふけ行く」

  「今年は 天候不順 鳥獣に かき回されて 目的達せず」

  「多久雀 論語を語る 姿見て そろそろ人間 教育せねば」

  「活動と 運動違う そのことを 分からなければ 進化望めず」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇私の苦手なもの(その⑪・選挙と政治家)

 日本社会を揺るがした平成の大合併で、愛媛県では70の市町村が20に市町になり、村という名前が消えました。勿論私の住んでいる双海町も伊予市・中山町と合併し、双海町という自治体は地図上から姿を消しました。あれから7年半があっという間に過ぎましたが、愛媛県内では合併後2期目を終えた首長や議会議員の選挙が賑やかに行われています。現職や新人、元職がそれぞれの思いを持って立候補し、選挙戦を戦っていますが、どの選挙も合併の成果や経過を検証しないまま、むしろ相手を誹謗中傷するようなことに終始している姿に、少しうんざりしているのは私一人ではないと思うのです。海の向うのアメリカ大統領選挙も県内の首長選挙も莫大なお金をかけて、そんなことをする暇があったらもっと庶民の暮らしがよくなるようにして欲しいと思うのです。

 私は政治家が余り好きではありません。なぜなら政治家は自分中心で地球が回っていると信じ込み、平気で噓を言うからです。間もなく来月行なわれる衆議院選挙も国民の生活が第一どころか、自分たちが第一とばかりに、昨日言った事が今日はひっくり返り、明日は又別の主張になって、新聞やテレビを賑わせているのです。まあこれらのパフォーマンスも宣伝の一つだと思えばいいのでしょうが、これでは投票に行く気にさえもならないというのが正直なところかも知れません。
 私はこれまで地元の役場に勤めていたこともあって、選挙の度に水面下で繰り広げられる選挙の実態をつぶさに見てきました。また選挙に勝った人負けた人などのその後も、自分たちが巻き込まれながら見たり感じたりするにつけ、自分は政治や選挙に無関心でありたいと思うようになりました。

 これまでに何度か、何人の人から選挙に出ないかと勧められ、正直なところ心が乱れたこともありましたが、妻の強い反対もあってその道に進むことはありませんでした。今思うとそのことは正解で、よくぞその道に進まなかったとしみじみ思うのです。私はこれまでボランティア活動や、まちづくり活動に深く関わり生きてきましたが、それらを否定するようなことをしなかったため、地位や名誉を手に入れることはありませんでしたが、仲間や信用という人間にとって一番大切なものを失わずにすみました。
 先日も選挙に出ないかと誘われましたが、「選挙に出ると妻に離婚されるから」などと戯言をいってはぐらかしました。多分ではなく絶対、私の人生においてこれからも、私だけは選挙や政治に無縁な人間だと、自分自身は思っています。
 私たちの住む伊予市も早いもので合併して2期目の市長や市会議員の任期が終ろうとしています。次はどのような人が市長や市会議員を目指すのでしょうか。私たちの知らない水面下では早くも、選挙の駆け引きが始まっているようです。

  「選挙には 出ないで欲しいと 妻が言う 出たら離婚と 釘を刺されて」

  「政治家は 平気で噓を 言う仕事 俺にはとても 出来そうもなし」

  「政治家にならず私の 今がある 仲間信用 失せずに今も」

  「地位名誉 お陰でなくて すっからかん 名刺それでも 牧場主だ」

[ この記事をシェアする ]