○小網地区敬老会で落伍を演じ大いに盛り上がりました
94歳になった私の親父がそうであるように、歳をとると全ての機能が衰えてきます。特に耳は遠くなり、人との会話は対面して大きな声と口の動きが一致しないと、こちらの言葉が通じにくいのです。一番もどかしいのは本人で、自分の意思が伝わらないため、ついつい会話から遠ざかってしまいますが、高いお金を出して作った補聴器や眼鏡も結局は煩わしいようで、余程のことがないと使わないのです。
そんなこともあって、親父は人中へ出かけることを躊躇、特に若い頃鼻ガンを患って食べるのが不自由なため、飲食を共にするような集会を避けているため、案内を受けても地元の敬老会へは一度も出席していないのです。
昨日は小網地区の早崎区長さんから2週間程前電話がかかり、敬老会の席で何か一席余興をして欲しいと頼まれました。聞けば敬老会の余興も毎年あれこれやっているものの、目新しくて耳新しいものに乏しく、気になっているようでした。早崎区長さんの思いは、大学の落語研究会をイメージしているような口ぶりでしたが、失礼ながら敬老会に出席している高齢者の中には、私の親父とと同じように耳の遠い人が沢山いるので、何年か前敬老会に落語にやって来た落語研究会所属の学生が、一生懸命演じるものの結局は耳の遠い高齢者には意思が通じず、2万円の出演料がふいになったことを知っていたので、タダで私がやってあげようと持ちかけたところ大乗り気となり、昨日の私の出演と相成ったのです。
昨日は12時からの開会の出鼻をくじくように、11時過ぎから台風の影響で土砂降りのかなり激しい雨が降りましたが、準備をして会場の小網公民館に出かけてみると、皆さんお揃いでほぼ満員の50人ほどが集まり、開会を待っていました。区長さんの挨拶や政治家から届いたメッセージが読み上げられ、またお祝いの記念品が贈られ早速敬老会がスタートしました。
30分ばかり折り詰め弁当を食べた頃、余興がスタートしました。私は約2時間の敬老会の最後のトリを30分間ということでしたが、次の予定があるので急遽一番最初に変更してもらい、落語ならぬ落伍をしました。マイクを通すため座布団に座ると見えないのでマイク片手に立っての落伍ですから、これはもう落伍というよりは講演に近い演じ方なのです。裂き織のちゃんちゃんことめくりを持参して雰囲気を盛り上げていたものの、扇子や日本タオルといった落伍の七つ道具も結局役に立たず、マイク片手にハーモニカを吹いたりして30分の持ち時間を存分に笑わせることができ、多いに盛り上がりました。
驚いたのはハーモニカへの反応の大きさでした。「赤とんぼ」や「ふるさと」に加え「ああ上野駅」「南国土佐を後にして」「北国の春」などを吹いたところ、全ての歌に反応して、ゆっくリズムながら大きな声でみんなが大合唱をしてくれたのです。いやはや驚きました。終って会場を出る時は、「良かった良かった。また来年も頼むぞ」などの声がかかり、大きな拍手をいただいたのです。早崎区長さんもお世話していた役員の方もこれにはビックリしたようで、私のカブは大いに上がったのです。(笑い)。早々に会場を後にする時、お土産にパック詰め弁当とお菓子までいただき恐縮してしまいました。いい敬老会でした。
「隣地区 敬老会に 招かれて 落伍を演じ 拍手喝采」
「ハーモニカ 合わせて歌う お年寄り 思い出重ね 大きな声で」
「来年も また来て欲しい 言われたが 恥をかくのは 最初で最後」
「耳遠く 小便近く なりにけり 間もなく私 仲間入りする」