○第30回逆手塾記念大会(その4・私の記念講演)
6月9日午後1時から始まった第30回逆手塾記念大会は、休む間もなく昼の部・夜の部と続き、会場をふるさとセンター田総、和田邸と移しながらも再び午後11時からふるさとセンター田総へ戻って夜なべ談義に入りました。ここでも1徳野貞雄のワンマンショー、2山本文子のいのちの応援話、3(若松)進ちゃんの笑う会、4中島さんをしゃぶる会、5松岡さんと農業と後継者、6薗ちゃんと遊び半分を極める会、7パンさんと歌う会の⑦グループに分かれて突っ込んだ話が展開されました。私の所へも7~8人がこじんまり集まり、多いに議論を深めました。私の出番はこの時点ではまだなかったため、初めて参加した人には知名度が今一でしたが、顔見知りの京都の吉田さんや三次市の坂田さんが陣取って、私への鋭い質問が1時間半ほど続きました。12時30分を過ぎたところでお開きにして、冷めたお風呂に入り夢の世界へ旅立ちましたが、隣の蒲団に熊本大学の徳野貞雄先生が寝た悪運で、朝まで大きないびきに悩まされ眠れない一夜を過ごしました。
外が明るくなった午前5時に起き身支度を整えて、山本文子さんや東京組と街中を歩いて少し遠めの道の駅まで散歩をしました。田舎の早朝国道ゆえ通る車も殆んどなく、ワイワイガヤガヤ話しながらウォーキングを楽しみました。
朝食が終わり二日目から参加した人が加わって二日目のプログラムがスタートしました。トップで「日本には笑いが足りない」という演題で、私が記念講演をしました。僅か1時間の短い時間なので、用意した35話の中からかいつまんで笑いを誘うお話を連発しました。①木になるカバン、②コマーシャル名刺、③携帯電光掲示板、④赤字になったら黒いボールペン、⑤私の作った夕・日・日コーヒー、⑥毎日3時間の掃除で観光カリスマ百選、⑦夕日の望遠鏡、⑧じゃこ天のおばちゃんのマックスファクターお化粧、⑨夕焼けソフトの裏話、⑩馬鹿な子が吹いてもリコーダー、⑪氷の実験、⑫PTAとかけて何と解く、⑬私は灘校・灯台出身、⑭三万個のトマト、⑮ポケットから種を落とした菜の花畑、⑯落伍家大根心、⑰国鉄は出来た時から国+金+失=大赤字、⑱金次郎と同行二人、⑲携帯電話の着信音は水戸黄門、⑳一千万円を貯める法などを面白おかしく話し、多いに盛り上がりました。
過疎や里山拡命など、田舎のどちらかというと暗くて重たいことがテーマの逆手塾なので、誰の話も多少の笑いはあっても、明るさに欠けているため、手前味噌ながら私の話は際立っていました。多分このプログラムを企画した和田さんや宮崎さんの狙いも、演題の通り日本には、いや「過疎逆には笑いが足りない」と思っているのです。
私は夕日亭大根心という芸名?で、落語ならぬ落伍をやっていて、そのネタ本夕日徒然草に目論みどおり150話を執筆して創作落伍に仕上げ、人間牧場・水平線の家の切り株高座で演じているのです。時には涙を誘う汗と涙の物語を、笑いの力に変えているのです。笑いは人を和ませます。また笑いは生きる勇気や希望を与えるのです。その点地域づくり人にはまだまだ笑いが足らないと思うのです。
昨日和田さんから出張先香川県高松に向かう列車の中へ、携帯電話がかかってきました。過疎逆講演のお礼と感想、それに参加者からの反応の様子を知らせてくれたのです。そして感想を一枚書いて欲しいと頼まれました。和田さんはパソコンメールをやっていないので、書いた原稿はFAXでとのことでした。文字を書くのが上手い人は得てしてパソコンから縁遠いものです。ということは私のブログも読んでいないのかもしれないと思いました。
私が毎日朝晩書いているブログに、今日のこの記事を含めると、逆手塾のことは4本も書いているのに・・・・と思いつつ、現代流の情報発信の盲点が見え隠れし始めました。
「気がついた 俺にゃ笑いの 武器がある これから先も 磨き研いて」
「田舎には 笑い足りない そう思う 笑いの伝道 師になろう」
「笑えるか! こんなに暗い 世の中を 故に笑いが 大事なんだと」
「失敗を 笑いに変える 術を持つ 私天才 楽しく生きる」