人間牧場

○逆手塾(その3・地域づくり人のバックボーン)

 今回の逆手塾では30回記念大会らしく、これまでの総括が随所にちりばめられていました。その一つはこれまで30年間、そして今も逆手塾のカリスマ的存在であり続けている会長の和田芳治さんについてでした。和田さんは私より一つ歳上の昭和18年の生まれです。高校を卒業して地元に残り、地元の役場に就職して教育委員会や企画セクションを渡り歩き、教育長を最後に退職した人生は私とよく似ています。またレク活動と青年団活動の違いこそあれその根底に流れている思想というものも、また地域づくりに対する熱い想いも、まるで自分の姿を鏡に写しているようによく似ているのです。

 私は常々書けて喋れて、実践が出来たら一人前と言ってきましたが、和田さんにはその3つが全てさりげなく細やかにちりばめられているのです。いわば私が理想とする人物像は和田さんかも知れないのです。私にない歌が歌えること、私にない達筆なこと、私にない理想を持っていることを考えると、同じようだとおこがましくも言ってはいますが、お互いの健康年齢から考えると、和田さんの域に達するのは至難の業だと思うことが沢山あるのです。まあ人それぞれ、オンリーワンだと思えば私にだって何か和田さんにない特長があるのでしょうから、卑下したり悲観することはないと、持ち前のポジティブな生き方が見え隠れするのです。

 今回は和田さんの家庭という、和田さんのバックボーンとでも言うべき、和田さんの家庭を幸運にも見ることが出来ました。地域づくり人にとって自分の家庭は見せたくない部分と、見せたい部分が同居しています。私の場合は自宅に煙会所や海の資料館海舟館などを造って多いに開放し、これまで沢山の地域づくり人を自宅に迎え入れてきました。

 (今日はこれから高松へ出張しますので、続きは帰ってから書きますのでご容赦下さい。帰りは夕方遅くになります。)

 数年前から和田さんから送られてくる恋文や人間幸学研究所の資料の中にそれとわなしに、築200年の自宅を改修して食処和み亭を開いた話や奥方和子さんの話が出て来ていました。また息子さんである和田周大さんとは観光の仕事で何年か前、広島市内でお会いしましたが、中国地方総合研究センターの主任研究員として立派に成長され、今回の逆手塾では「新しい公共のモデル」と題した研究テーマでお話をされました。

 今回は会食交換会が和田さんの自宅で催されたこともあって、初めて和田邸を訪問し、行き届いた奥さんの手料理やもてなしに心を温かくしました。私は時々地域づくりの現場で、「貴方の元気の源は何ですか?」と問われることがあります。その都度「家庭や妻のさりげない手助けだ」と答えてきました。これはお世辞やゴマすりではなく、私の人生は妻や家族なしには語れないのです。
 男同士ゆえ反感反目しがちだった息子も、人間牧場建設に当って設計を担当し、すっかり親子の絆が深くなり、今では息子家族と同居をしたり色々な議論を重ねるまでになりました。和田さんの息子さんから比べるとわが息子はまだまだだと思いつつも、とりあえず和田さんと同じ目の高さでお話が出来るようになったと喜んでいるのです。

  「お互いの バックボーンは 家族にて 自慢をしつつ 今日も元気に」

  「親と子が 一緒に活動 出来ること これも幸せ あれも幸せ」

  「照れくさく 口じゃ言えぬが 妻に礼 やりくりしつつ 今日を迎える」

  「わしだけは 歳はとらぬと 思いつつ いつの間にやら 高齢なりて」

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