人間牧場

○若草物語ならぬ草取り物語

 わが家は貧乏人ながら、家の横にある家庭菜園を含めると敷地が田舎らしく660坪もあるのです。都会ならこの広さを聞いただけで、どんな金持ちだろうと思われがちですが、田舎ではこんな家はざらなのです。敷地が広いと庭も広いし家も広く余裕があって、それなりにのんびり暮らせるものの、困ったことが幾つかあります。その最たるものは雑草への対応です。特に春先から秋先にかけては雑草の活動が活発で、ほおっておくと雑草に埋まるのではないかと思うほど草が庭中畑中生えてしまうのです。
 私の家では代々庭と畑の草取りは年寄りの仕事、家の周りの傾斜面の草刈りは当主の仕事と暗黙の了解があって、死んだ祖母も母も暇さえあれば下向きに下を向いて草を引いたり削ったりして晩年を過ごしました。今草取りは93歳になった親父の仕事と暗黙の了解があって、親父は漁師を引退して陸に上がってからは、毎日毎日明けても暮れても草引きと草削りの作業を、言葉で感謝されることもなくやり続けているのです。

 親父は若い頃鼻ガンで生きるか死ぬかの大病を患いましたが、再発することもなく生き延びてわが家の草から家を守り続けているのですが、最近になって少し気力や体力に衰えを感じ、特にスネが思わしくないため、もっぱら「陽の当たる坂道」という電動自転車を愛用して片道7キロの下灘診療所まで毎週一回通院しているほど行動範囲は広いのですが、全てに限界を感じる言葉を言うようになり、草引きもいよいよ代替わりで、長男である私に回ってきそうな雲行きです。
 私には家の周りの斜面の草刈に加え人間牧場の草刈という、今も行なっている重要にして重労働な役割があります。これに加えて畑や庭の草取りもやらなければならないとなると、これはもう大変な作業で、そのことを考えると今から老後の暮らしが憂鬱になるのです。いっそのこと農家の人がやっているように草刈らしという農薬を撒いて作業を軽減しようかとも思うのですが、一緒に暮らしている孫のことや、環境のことを考えるとそれもできず、頭を悩ませています。

 草は植えもしないし頼みもしないのに庭中勝手に生え、意地悪い草は何と屋根の瓦と瓦の間にまで蔓延って、ほおっておくと屋根の雨漏りの原因にもなるのです。「生き場所がここにもあった屋根の草」なんて風流を楽しむこと等などできず、切羽詰っているのです。都会でマンション暮らしをしているセレブの人は、庭木の剪定も草取りもせずに、年をとったらすることがないと嘆いているようですが、わが家へ春先から秋先まで疎開してくれれば、草引きの作業を楽しくやらせて上げますので、新聞広告でも出そうかと思っています。でも草に向かって「頼みもしないのに何故生えた」とブチクサ言ってみたところで草は減るわけではないので、昨日もゴールデンウィークで、世の中の人々は海外旅行や国内のあちこちへ行って浮かれているというのに、私はゴールデンウィークを使って草刈りをしました。まあものは考えようで、レジャーに金が要らないので、そのお金で昨日はホームセンターで、草刈機の刃を2枚1,980円で購入した程度の出費でおさまることが出来、目出度し目出度しです。

  「庭畑 初夏から初秋 雑草が 敷地一杯 どうにかしてよ」

  「田舎では 敷地の広さ セレブ並み  税金雑草 何とかしてよ」

  「わが家では 老後の仕事 草引きと 決まっています 何とかならん?」

  「屋根にまで 生えて瓦を 押し上げる 雨漏りしないか それが心配」

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人間牧場

○妻にゴールデンウィークはない

 ゴールデンウィークとはよく言ったもので、正月やお盆のように格式ばった行事は一切なく、友だちや家族と暑くも寒くもない初夏を、目いっぱい楽しむことが出来るのですから、この上ない幸せな一週間なのです。しかし私の暮らしている四国・愛媛・伊予ではそうでも、東日本大震災に遭った方々にはゴールデンウィーク等と浮かれておれない厳しい事情があったり、狭いといいながら日本は東西に細長く、やっと春の季節に目覚め、桜がほころび始めた所だってあるのです。日本人は忘れ状がいいのか、自己中心主義なのか、そんなことなどすっかり忘れて海外へ足を延ばす人も多いようです。

 リタイアして8年目を迎えた私なんぞは、ゴールデンウィークは何処へ行く当てもなく、また人混みの中にわざわざ出かける煩わしさが嫌で、家でのんびり過ごすことをモットーにしていますが、残念ながらあれやこれやと薮用があって、今年も忙しいゴールデンウィークになりそうです。
 昨日の夜は松山に住む孫尚樹が長男息子に連れられ、わが家へ泊りにやって来ました。間もなく今月の誕生日で5歳になる尚樹はすっかり自立し、同級生の内孫希心と遊ぶのが楽しみでやって来たのですが、間もなく3歳になる内孫奏心が二人の間に割って入って茶々を入れるものですから、まあ家の中は大騒動です。

 ゴールデンウィークは未だに近くの歯医者さんで働く妻にとっては、一年に一度の休暇ウィークなのでしょうが、前述のように孫が泊りに来ると、孫が息子家族と過ごしたがるので何かと気を使い、食べ物を運んだり風呂に入れたり寝起きさせたりと、結局は休むこと等できないのです。昨日は急に電話がかかって看護師の次男が急に松山から自転車で、昼ごはんを食べに帰って来ました。昨日は妻も仕事で昼休みは午後1時30分まであるのですが、結局自分の昼食もそこそこに次男の食事を作っていました。
 去年はゴールデンウィーク中、高速道路が何処まで行っても千円だったため、しまなみ海道を渡り思い切って岩国の錦帯橋と、安芸の宮島へ夫婦揃って日帰り旅行をしましたが、今年はどうやら雑事で終りそうなのです。

届いた宇和島水ヶ浦段々畑の早掘り馬鈴薯

 妻はこのように忙しく、このように休めないのに、それでも家族と過ごせるゴールデンウィークを楽しみにしていて、ゆっくりのんびりなどと、手前勝手なことばかりしている自分を少々恥じていますが、まあこれも夫婦の人生と納得しています。
 昨日は夕方、宇和島遊子水ヶ浦の段々畑で収穫した早掘りジャガイモを持って親友の藤田さんがやって来ました。藤田さんは愛媛新聞の記者をしていて、高知県へ嫁ついでいった圭子さんの親父で、もう20年来の友だちです。毎年早掘りのジャガイモをこうして持って来てくれるのです。立ち話をして帰りましたが、妻は早速このジャガイモを使って、孫たちのために大鍋でカレーを作っていました。新ジャガの味は格別でとても美味しくいただきました。わが家庭菜園ではまだジャガイモはやっと芽が出て伸び始めただけなのに、もう収穫とは偉い違いだと、去年訪れた水ヶ浦の段々畑を思い出しながら食べました。

 

わが家のジャガイモ畑

  「のんびりと ゴールデンウィーク 過ごそうと 呑気孫六 私のことだ」

  「休むはず 休めないのは 主婦ばかり 可哀想だと 思うことしか」

  「早掘りの 馬鈴薯届き 早速に カレー作って 舌鼓打つ」

  「わが家では ジャガイモ収穫 一ヶ月 後だと言うに どうしたことか」

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人間牧場

○わが家はもう初夏の装いです

亜鉛ドブ付けメッキの立派な階段

 一昨日の朝、伊予市三秋の西田鉄工所の若い社長さんが何やら階段のようなものを積んで来て、いきなり作業を始めました。この社長さんは設計事務所に勤めている長男とは無類の親友で、家族ぐるみで付き合っているのです。そのため人間牧場のウッドデッキに取り付けた蚊帳張り用のステンレスも、家の裏の外用流し台周辺等のステンレス工事も全てこの社長さんと、息子が相談して整備をしてくれました。しかし今回の屋上へ上がる階段の工事は聞いていなかったので藪から棒って感じでした。
 これまで使っていた階段は親父が漁師をしていた頃網にかかって引き上げたものを、捨てるのは勿体ないと再利用していたのですが、長年海水に浸かっていたため赤く錆びて老朽化が著しく、息子が屋上でソーラー発電の試験を行なっているため、再三再四屋上に上がるので、子どもが踏み外して事故でもあったら大変と、注文をしたようなのです。

 その日の夕方自宅に帰った息子に妻が、「あの階段工事どのくらいお金がかかるの?」と聞いたら、「10万円するので5万円自分で出すから5万円はお母さんが出して」と、事後承認の形で不満ながら「お父さんに聞いて見ないと」と、その場は即決を避け、保留にはしたようですが仕方がないと言っていました。私も孫が同居してから気になっていた危険階段だったので、「やる時は前もって相談するように言っておけ」と、少し不機嫌さを前面に出して妻に伝えました。
 今朝新しく取り付けられたこの階段を使って車庫の屋上に上がってみました。息子が実験と言って楽しんでいる、ソーラーパネルが4枚置いてありました。屋上から見える町のシンボル本尊山周辺は、目の覚める様な新緑です。この新緑を借景に出来る幸せを思いながら、山の端から上がった朝日に向かって思い切り深呼吸しました。

車庫屋上から見える新緑の本尊山

 車庫の横の緋モミジも新緑ならぬ見事な新緋の葉っぱを広げています。家庭菜園の隅では満開に近づいた色とりどりのツツジが咲き誇っています。行く春を惜しみ、来る初夏を思いながらさわやかな春の風に吹かれて眺めていると、何だか幸せな気分になりました。
 

綺麗な緋モミジ
 この緋もみじも家庭菜園の横に100メートルに渡って植えたつつじも、私が苗から育てて植えたものなので、もう30年も経って今では立派に葉を茂らせ、立派に花を咲かせて見る人の目を楽しませているのです。植えない木は育たないし、花も咲かないのですから、親父と二人で育てたこれらの木々をこれからも大切の育てて行きたいし息子に譲りたと思っています。
満開を迎えた家庭菜園横のつつじ
  「階段を いきなりつける 半分は 出して欲しいと 妻を通じて」
  「車庫の上 向かいの山を 見渡して 深呼吸する 何とも言えず」
  「このツツジ 親子二代で 育て来た 次の世代へ 引き継ぎたいが」
  「連休は 何処へも行かず このツツジ 眺め過ごそう 納得しつつ」
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人間牧場

○ウィークリーえひめ掲載記事

 私は、日本銀行松山市店内に事務局がある、愛媛県金融広報委員会の金融広報アドバイザーをやっていますが、事務局から先月ウィークリーえひめに原稿を書いて欲しいと依頼され、あれこれ迷った挙句二宮金次郎のことについて書くことにしました。締め切りに間に合うように原稿をPCで書いて事務局へ送ったこともすっかり忘れていた一昨日、更生保護女性会の総会に招かれて、会場となっていた双海地域事務所を訪ねた時、事務所の松本さんから、「ウィークリーえひめを見ていたら、若松さんの書いた記事が載っていました」と、丁寧にも掲載紙を手渡してくれました。地方紙ならいざ知らず、こんなタウン情報にまで目が届くとはと感心してしまいました。別れ際「PDFファイルにして送っておきました」と、私がブログに使って保存するであうことを想定し、かゆい所に手が届くような配慮です。

ウィークリーえひめに掲載された私の原稿

 講演が終わって自宅へ帰り、Gメールを開いてみると、年輪塾ネットに書き込みがされ、PDFファイルが添付されていました。
 今朝は早立ちで岡山県へ行くため、ここまで書いて家を出ようとしましたが、PDFファイルを挿入する手順を間違ってしまい、結局自宅へ帰ってから、朝書いたものを全て破棄し、新たに書き加えることになってしまいました。
 今回の原稿は左のPDFファイルの通り「二宮金次郎は何の本を呼んでいるのだろう?」です。「読む人の中には「二宮金次郎なんて古い話」と思われる方がいるかも知れませんが、二宮金次郎の教えは今の時代だからこそ大切な教えなのです。
 お金の教育は現代教育の欠落部分といわれるように、学校も家庭も社会もこれまで子どもたちに熱心に教えてきませんでした。特に家庭教育で正しいお金の使い方を教えていなかったことが、金銭感覚の麻痺した現代の青少年犯罪に大いに影響しているのです。

 私がウィークリーえひめに原稿を書いたのはこれが2度目ですが、その時は「大きな音のしない落し物」ということを書いたと記憶しています。10円や100円や500円の硬貨を落とすと「チャリン」と音がして、誰もが振り向き、落としたことに気がつくのですが、千円札や一万円札は10円・100円・500円より高価なのに音がせず、落としたことに気づかないのです。私たちは枝葉末節に気を配るけれども、目に見えない大切なものを失っているのではないでしょうか。一度じっくり考えて見ましょう。

  「早立ちで 急いで書いた 原稿は 入力ミスで ゴミ箱移動」

  「金次郎 何の本読む? 知っている? 聞いては見るが 誰も答えず」

  「PDF メール添付で 届いたり 早速ブログ ネタにして書く」

  「記録した ゆえに記憶が 蘇る 先人の智恵 大事教わる」 

 

 

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○更生保護女性会での講演

 数日前、双海町更生保護女性会山口会長さんから電話連絡があり、総会で講演をして欲しいと頼まれました。私は一年中色々な所へ出かけてお話をする機会がありますが、地元での講演は限られていて、喜んで引き受けました。仲間の話によると知人や友人が多くいて、地元では話しにくいのだそうですが、私はそれほどな苦手意識はなく、むしろいい機会だとポジティブに捉え、進んで出かけるようにしているのです。
 山口会長さんは下灘本村の景徳寺というお寺の奥さんで、住職さんは私が講演等で度々訪れたことのある大分県本匠村(今は佐伯市)からこられた人であり、双海史談会のメンバーとして一緒に活動していて、よく知っているのです。

 山口会長さんは常日頃から更生保護のボランティア活動を熱心にやっていて、特に子ども体験塾の活動には年間を通し、スタッフとして参加してもらい、人間牧場へも度々足を運んでもらっているのです。その山口会長さんの頼みとあらば、例え火の中水の中と進んで引き受けました。そして昨日の午前中総会に出席し、1時間余り「心豊に生きる」という演題で思いつくまま楽しいお話をさせてもらいました。
 会場にはかつて私が公民館主事をしていた頃、婦人会や婦人学級で知り合いになった、私と同じで決して若くはない元美女の皆さんが30人近く集まっていました。

 昨日家を出る時、近所の小泉の奥さんに出会いました。小泉さんは京阪神に住んでいて警察官をしていたご主人が、退職されたのを機に近所に土地を求めて家を建て、引っ越してきた見るからに都会的センスの方です。同じ組内ということもあって、また花や俳句と多彩にして多芸なため、時々立ち話をしているのです。
 出会うなり「若松さん今日は背広を来てお出かけ?」と笑顔で声をかけてくれました。私もすかさず「あら奥さん今日はお目かしいて何処かへお出かけ?」と声を掛け合いました。小泉さんは「今日は誘われて初めて更生保護女性会に行きます」と答え、私も「更生保護女性会へ講演に出かけます」、小泉さん「まあご一緒ですね。楽しみです」、「私「車でご一緒しませんか」、小泉さん「健康のために歩きますので後ほど会場で」、私「はい宜しく」と会話も弾みました。

更生保護女性会の総会

 総会は30分ばかりで終わりました。私の話はまず、景徳寺の和尚さんに山口会長さんから頼んでもらって下書きした「恩」という文字について話しました。この文字は私の大好きな文字なので、少し大書して表装掲額し、人間牧場の戒めとして飾りたいと思っています。「恩」には恩返し、恩に報いるなど色々な表現がありますが、現代の私たちに欠けている思想だと思うのです。因み+心=恩をこれからの子どもたちに教えてやりたいと思っています。
 昼前に講演を終わり、自宅へ帰ると妻と嫁がいました。「今日のお話はどうだった?」と聞くので、「いい雰囲気だった」と参加していた人たちの顔ぶれ等を話してやりました。

  「地元では 知り人多く 何処となく 話しにくいが かえって楽し」

  「懐かしき 人々集う 講演会 若き日頃の 思い出浮かぶ」

  「更生の 手助け全て ボランティア 見習わなければ 心に思う」

  「会の歌 星野哲朗 岡千秋 演歌調です 思わず涙」 

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人間牧場

○古い麦藁帽子は質素倹約の教え

 昨日は初夏を思わせるような陽気で暑かったし、朝から夕方まで外での作業をしたため、今年初めて麦藁帽子を被りました。この麦藁帽子はリタイアしてから2代目のもので、ツバの少し小さめな帽子の内側にthyaina(中国製)と書いていて、れっきとした外国製品なのです。多分金額は500円だったと思われますが、スーパーの店頭で買い求めたもので、もう4年も愛用しているのですっかり古くなって、昨日孫から「おじいちゃんその帽子汚い!」と言われ、妻からも「格好が悪いからそろそろ買い換えたら!」と悪評を叩かれてしまいました。

 

愛用自慢の麦藁帽子

 しかし私がこの麦藁帽子を被る理由は、太陽の光で顔が日焼けするのを防ぐことと、作業中に木々の下をくぐったりする時、頭を木々にぶっつけないよう守ってくれるためのもので、別にスタイルを気にして被っている訳ではないので、孫の言葉には「この麦藁帽子は、おじいちゃんの体を守るため神様からいただいた物なので、大事に使っているんだ」と説明してやり、妻の言葉には「この帽子格好いいだろう」とむしろ自慢をしてやりました。
 実はこの帽子が何故このように薄汚れたように見えるのかといえば、原因は雨に何度も濡れたからなのです。草刈機やチェンソーを使った農作業中はやたらと汗をかくし、草クズや木クズが飛んできて付着するのですが、雨でも被るため全てが混じって醜いアヒルの子になったようなのです。

 孫と妻に言われたため、そっと室内で被って洗面台の鏡に写してみると、確かにもう古くなっていて、私の田舎者のような顔が一段と田舎者に見えてきました。しかし私はこの麦藁帽子が気に入っていて、今年も破れたりなくしたりしない限り買い換えるつもりはなく、もうひと働きしてもらいたいと思っているのです。私は戦争中(昭和19年)に生まれ、戦後の物の不自由な時代に育ちました。いわば「勿体ない世代」です。リタイア後貧乏な年金暮らしをしているからといって、千円弱の麦藁帽子は買おうと思えば買えるのですが、「買えないのではなく買わない」と、たかが麦藁帽子くらいながら、主張を貫いているのです。

 一事が万事といいますが、こんなささやかな実践はこの2年間で益々意識が強くなっています。35年前から続けている金融広報アドバイザーの仕事に加え公民館に勤めて「ミエ・ムリ・ムダ」を省く教育を受けたこと、またこの2年間私が塾長を務める年輪塾で二宮尊徳を勉強したからです。「質素・倹約」は金次郎の教えなのです。外見や見た目を気にするような年齢はもうとっくに過ぎており、これからもこの古く見える麦藁帽子のような人生を、「質素・倹約」を旨としながらしっかりと生きて行きたいと思っています。
 今日も朝から雲ひとつない快晴で、このブログを書き終わった6時58分、書斎から見える東の山の端から朝日がまばゆく顔を覗かせました。今日も暑くなりそうです。麦藁帽子さん今日も宜しくね。

 

4月25日の日の出

  「その帽子 汚いと孫・妻 言うけれど 俺にとっては 宝物   のよう」

  「昨日から 初夏を思わす 太陽が 天地注いで 帽子遮る」

  「何につけ 質素倹約 肝銘じ 実践こそが 尊徳教え」

  「麦藁で 編んだ帽子は メイドイン チャイナ製です 五百    円也」

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人間牧場

○牡丹茶会に招かれて

 先日松前町神崎にある曹洞宗一輪山晴光院というお寺の奥さんから、一本の電話がかかってきました。聞けば「私のお寺でお話をして欲しい」と言うのです。1月17日に松山インター近くの昌福寺というお寺で講演をしたことが、参加した人から口伝で伝わったらしいのです。私は「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く」をモットーにしているので、快くお引き受けすることにしました。
 ところがこの晴光院というお寺はこの3年、相次いで亡くなった叔父と叔母の菩提寺で、私はそのお寺の墓地には何度か墓参りに行っているし、4月8日には叔母の3年、叔父の一回忌のためお寺を訪ねることが決まっていたのです。「4月8日にお寺に行った折打ち合わせをしましょう」ということで電話を切りました。

艶やかに咲いた牡丹の花 4月8日にお寺での法要を済ませてから住職さんと奥さんを交えお寺で打ち合わせをした折、「4月22日にお寺で牡丹茶会があるので来て欲しい」とチラシをいただきました。この日は人に会うこと以外さしたる会合もなかったので、泊まりに来ていた孫尚樹を誘い出かけました。この日は雷雨と南の風が強いあいにくの悪天候でした。10時30分頃お寺の境内に車を止めて寺の中に入ると、伊予市の渡辺さんなど顔見知りの人が何人か受付をしていました。記帳を済ませて境内に咲いている見事な牡丹の花を見ようとした瞬間、突風が吹いて受付のテントや風流を囲ったヨシズなどが吹っ飛んでしまいました。 まるで私が悪風を運んできたかのような錯覚にとらわれました。とりあえず私は強風の吹く中でヨシズの取り外しを手伝いました。その姿を見て住職さんも恐縮しているようでした。真民さんの「念ずれば花開く」の前にて

 本堂内には絵手紙やお花などの作品展が開かれていて、沢山の人が見学したり雑談をしていました。奥さんに案内されて本堂続きの新築間もない立派な茶室へ案内され、抹茶の接待を受けました。ここにも大勢のお客さんがいて、奥さんはあいさつの中で、私がこの秋公演に訪れることを少し吹聴するような口ぶりで話され恐縮してしまいました。
 孫尚樹も茶菓子と抹茶を少し苦そうに味わっていましたが、前回叔父叔母の法要で訪ねた時は、茶室の存在も牡丹の存在もまったく気づかずだったとは、うかつもはなはだしいと自分の視野の狭さを嘆きました。外に出てもう一度念入りに牡丹の花を観賞しましたが、それは見事に咲き誇っていて、御影石に囲まれた境内ゆえにまた見応えがあり、寺山揮毫の一輪山という名前に恥じない立派な寺だと感心しました。

お茶室での茶会

 お寺は住職や奥さんの良し悪しで決まると、幾つかの寺を訪問する度に思います。住職さんや奥さんの思いが寺の諸施設を充実させ、人を集めるのです。多分新春間もなくに出かけて講演した昌福寺と同じように今年の秋に予定されている私の講演会も盛会だろうと、想像しながらはてさて何を話そうかと、少し心を引き締めました。お寺で出会った何人かの人は、「講演会には必ず来るからね」と声もかけられいよいよ責任重大なようです。
 受付で私は手縫いのティシュペーパー化粧カバーと、「感謝」「ありがとう」と書かれた小さな四角いマグネットを、孫尚樹はお菓子をそれぞれお土産にいただきました。

 

 

 「風流な 牡丹茶会に 招かれて 孫とお茶席 入りて味わう」

  「苦いけど 美味しかったと 孫の口 お茶の緑が 残りて笑う」

  「突風を 連れて私は 来たようだ 一瞬テント 空に舞い落ち」

  「境内に 見事牡丹の 花咲いて 一輪山の 毫に納得」  

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○上灘四国八十八ヵ所参り(その2)

 犬寄土俵辺りの幻60番が一番標高的には高い位置にあるため、閏年を理由に逆打ちをしたお陰で、その後の巡拝は下り・下りで随分歩くのに楽をしました。というのも犬寄土俵から日尾野の柆野口までの坂道は、車が入らないためどうしても歩かなければならないのです。坂道といいつつ道幅もあって柆野の集落内も日尾野までの道も、苦労することなく歩くことが出来ました。途中柆野公民館横の茶堂で一服しました。
 この場所にある大きな木の名前が前回巡拝した時、どうしても分からなかったのですが、同行の竹田さんの話によるとどうやらコガの木ではないかというのです。コガは木の性質はねばいため猫車等の材料として使ったそうです。

 日尾野に入ると気温も随分上がって汗ばむほどの陽気になりました。途中福島県から来て西岡さんの家を借り、農業をしている渡辺さんの家に立ち寄りました。赤石さんの息子さんが文句も言わず歩いているので、渡辺さんの庭先で飼っている黒豚を見せてやりました。在宅中だった渡辺さんが黒豚に白菜を与えると美味しそうに食べている姿を見て、赤石さんの息子さんの顔に正気が戻ったような気がしました。日尾野公民館横の石仏をお参りし、車に乗って岡の地蔵寺まで下りました。地蔵寺には7体の石仏が合祀されていて、しかも前回本堂の屋根替え工事をしていた時は、7体が取り外されそこら辺に転がされていましたが、今回は工事も終わってジェット噴射で綺麗にお身ぬぐいがされていました。

 地蔵寺から川本さん宅裏を経て三島公民館までは再び歩きました。そして翠小学校近くの広沢さん宅横の石仏、久保まで巡拝し12時30分になったので、一旦シーサイド公園まで下って木村商店で弁当を買い、公園砂浜を見下ろす一角で昼食を取りました。私は妻の作ってくれた愛妻弁当を食べましたが、心地よい気候と心地よい疲れで美味しくいただきました。
 その後本覚寺、灘町2丁目、灘町5丁目地蔵尊と海岸沿いを参拝して、いよいよ最後の難関西谷へ入りました。昔西谷の奥には今は廃集落となっている宮の滝という集落がありました。その関係もあって人里離れた場所にあるような気持ちです。池田勇さん宅横の石仏も薮を少し掻き分けるような雰囲気でしたし、西谷の宮田さん裏の石仏は断崖絶壁上にありました。前回参拝の折イノシシが石仏を下まで蹴落としていた場所なので心配していましたが、今回は3体とも無事でした。

 両谷の集落と中の宮集落が見渡せる両谷墓地の入口付近にある石仏を拝み、特老夕なぎ荘近くの県道まで歩いて下り、中の宮、久保公民館横と飛び飛びにある石仏を参拝し、いよいよ最後の正光寺に通じる井ノ口さん横の道沿いにある木の根っこに埋もれた石仏を拝んで、やっと正光寺の88番まで帰りました。時刻は午後3時になっていました。私の携帯についている万歩計を見ると1万2千歩を越えていました。車で回ったといいながら、かなりの歩数に驚きました。
 正光寺では住職さんにもお会いし、裏庭を見せてもらったり、正面玄関の咲き始めた霧島つつじの見事さに心洗われる思いがしました。心配していた雨にも会わず、厚くも寒くもなく全員元気に結願です。一年に一度はお参りしたいと、疲れも忘れて話しながら地域事務所前で散会しました。

 赤石さんからブログ用の写真が4枚送られてきました。その一枚一枚を見ながら先人の偉業の凄さに驚いています。誰がどんな思いで上灘八十八ヵ所を開いたのか、その話は江戸時代に遡るので定かではありませんが、少しずつベールを脱ごうとしている上灘村の歴史に思いを馳せました。

  「今回が 二度目巡拝 巡り終え 心地よい風 体に受ける」

  「石仏は 八十八体 違う顔 一つ一つが 微笑みかけて」

  「願い等 せずにひたすら 拝みたる 米のみ供え 米八十八」 

  「六人に プラス一人の 子ども連れ 最後は子ども また一人増え」

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人間牧場

○上灘四国八十八ヶ所参り(その1)

 昨日は午前中曇り午後雨という、しかも雨の降る確立は50パーセントとかなり高い数値でした。それでも公民館が上灘四国八十八ヵ所参りを有志でやろうと計画していたので、妻の作ってくれた弁当をリュックに入れ、地域事務所前8時30分集合という時間どおりに集まりました。公民館の赤石さんは今年小学校一年生になったばかりの息子さんを連れ、後は双海史談会会長の木曽さん、事務局長中尾先生、それに史談会メンバーの武田さん、大森さん、それに赤石さんとともに案内役を務める私を含めた7人で、時間通り出発しました。2月20日に上灘四国八十八ヵ所を1番から88番まで赤石主事、宮栄館長と私の3人で巡拝の予備知識を得るため回りましたが、今回は今年が閏年なので逆周りをしようと88番から始めることにしました。この日は天気のことも気になっていたので、10人乗り公用車のワンボックスカーで全ての順路を回る予定でした。

臨済宗東福寺派正光禅寺の山門にて

 最初の88番も最後の1番も翠小学校の近くにある正光寺の境内なので、寺の山門下の道端に車を止めて急な石段を本堂前まで登りました。私や赤石さん、中尾さんはこの程度の石段はどおってことありませんが、他の人は早くもきつそうで先が思いやられました(笑い)。般若心経を覚えている木曽さんの読経で巡拝の安全とお大師さんへの祈りを捧げました。
 本堂前で記念撮影しいざ出発です。逆打ちなので、一回しか回っていない私には、場所を思い出すのがやっとで、これでは先達は務まらないと、改めて思考回路の浅はかさを嘆きながら大栄集落の入口から順次始めました。赤石さんが作ってくれた資料を見ながらお米やお賽銭を供え、石仏の番号や刻まれた旧国名、寺名、本尊、台座などを、中尾さんが持参したLED懐中電灯を当てながら、詳しく学習させてもらいました。私のような無信心な者も回る人が信心深いと同じように手を合わせ祈るのです。また史談会の人たちのように石仏の特徴を研究しながら歩く姿にも大いに感心させられました。

88番から逆打ちで

 大栄、奥大栄では殆んど人に会うこともありませんでした。中山と境を接する高見に出た旧高見公民館跡では、私が公民館に勤めていた頃交流のあった2人の女性に出会いました。あれから30年以上も経っているの、でかなり高齢になられていて、懐かしく当時を思い出しながら立ち話に花を咲かせました。その後おきよ池、犬寄、一番高地の土俵にある石仏まで車を進めました。この場所付近に前回までの調査でまだ発見されていない60番石仏のことが話題になりました。幻の60番を何としても探さなければならず、いずれ調査に入りたいものだと思いました。
 折角来たのだからと林道犬寄~茅山線に入り柱状節理が露出している場所を見学することにしました。それにしてもこの柱状節理は圧巻で、私も二度目ですがみんな感心して見学しました。少し荒れ気味な林道なので車の回転が出来る場所も見当たらず、車の巾しかない狭い道で回転をしました。

  「閏年 ゆえにお参り 逆さ打ち 記憶歯車 逆さに回す」

  「友人は 般若心経 空覚え 私なんぞは それも出来ずに」

  「同行は 二人にあらず 七人で 雲行き気にし 次から次へ」

  「六十番 探せど行方 見つからず お大師さんの 力を借りて」 

見事な柱状節理

 

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○息子家族の不在

 同居している長男が職場の研修旅行(本当はどうだか?)に、この週末韓国へ出かけたので、息子嫁は孫二人を連れて出里の松前町へ2泊3日で行ってしまいました。日ごろは朝6時過ぎに起きて、夜8時に寝るまで、何かと賑やかな孫たちがいないと、家の中が静まり返って、何となく落ち着かないから不思議です。
 昨日の夜は妻は仕事、私は友人のお母さんの通夜式に参列したため、二人が自宅へ相次いで帰ったのは夜8時過ぎでした。昨日は昼間講演のダブルヘッターだったし通夜式への出席のこともあって、孫たちがいないことをすっかり忘れていて、自宅へ帰るといつものように「ただいま、今帰ったよ!」と声をかけると家の中から妻が、「そんなに大きな声を出さなくても、帰ったことは分かります」と玄関先へ迎えに出てきました。そして「希心君も奏心君も里へ行って留守でしょうが!」といわれて、初めて我に帰り「そうだった」と、唖然としてしまいました。

 昨日は孫たちが留守なのでお風呂も夫婦同浴とばかりに二人で入りました。わが家では余程のことがない限り毎日お風呂を沸かし、入浴するため昨日の湯上りのお湯は二人だけだと汚れもせず、いつもは風呂上りに湯栓を抜いて掃除をするのですが、何か勿体ない気がして、テレビを見終えて就寝する前に妻は、「勿体ないから」と、もう一度風呂に入っていたようです。
 孫がいないといつもと勝手が違って、家の中はまるで灯が消えようです。息子も嫁も孫二人も帰りは明日日曜日の夕方だと聞いていますが、親父も息子嫁の車がなかったり、孫の声が聞こえないので、「何処かへ行ったのか?」と心配して聞きに来る有様です。親父は息子も息子嫁も孫までもいないので、親子喧嘩でもして家を出て行ったのではと心配したのかも知れません。

 今朝は自分が郵便ポストまで新聞を取りに行きました。普段は孫たちが「僕のお仕事」といって、私の食卓へ新聞を持ってきてくれるのですが、どうも勝手が違って、新聞の読み方まで何処かしっくり来ないのです。今夕はその寂しさを紛らわせるように、娘が友人と食事会があるとかで、孫尚樹を預かって欲しいと依頼があり、夕方妻と二人で道後のマンションまで迎えに行きました。お兄ちゃんの朋樹はサッカーの練習があるとかで来れなくて、直樹を連れて夜8時半ころにわが家へ連れて帰りましたが、ところが肝心の尚樹は昼間遊び疲れたのか、松前付近でチャイルドシートに乗ったまま寝てしまい、自宅に帰ると私たちの蒲団に寝かせて、夢の世界を旅しているようです。今晩は孫尚樹と二人で寝ることになりそうです。

 

 

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