人間牧場

○由並小学校の入学式は新入生7人でした

 「お父さんいつまでやるの?」「もうそろそろ身を引かないと!」などと、会議がある度に言われる「学校評議員」という役職ですが、請われるままに由並小学校、双海中学校、松山工業高校と3校の「学校評議員」を退職後ずっとやってきました。その間双海中学校は下灘中学校が上灘中学校と統廃合し、歴史の一瞬に少しながらかかわってきました。また松山工業高校はかつてPTA会長を6年間の長きに渡って務めた経緯もあって、妻の言う「いつまでやるの」という言葉に自分自身も納得し、もうそろそろと学校にお願いしていながら、身を引かせてくれなかったというのが正直なところです。まあ評議員会は無報酬のボランティアだし年に3回程度の会議出席なので、そんなに目くじら立てることもないのです。

 そんなこともあって、昨日は由並小学校の入学式に出かけました。地域事務所裏の駐車場に車を止めて、歩いて裏口入門のように裏門から学校の運動場へ入りました。今年は桜の開花が大幅に遅れ、学校の運動所の桜は見応えのある今が満開で、感心しつつ先を急いで玄関へ入りました。というのも家は少し早く9時30分少し前に出たのですが、家を出たところで近所の小泉さんに出会い、体育館の裏側屋根が先日の大風でめくれているという、報告を受けたものですから、学校からは見えない部分なのでお知らせした方がいいと思い、走って中学校まで出かけました。カメラを持った私を見て校務員さんは怪訝そうに、「若松さん、入学式は明日ですよ?」と言われました。「実は学校の体育館の屋根がめくれているのをお知らせしたくて」と告げ、急いで自宅へ引き返し自家用車に乗って出かけたのです。

由並小学校の入学式は新入生児童7人でした

 由並小学校の校長室には既に20人ほどの来賓の人が集まり、お茶を飲みながら雑談に耽っていました。三好教頭先生や岡田校長先生とあいさつを交わし、トイレを済ませていると早くも新入生が、上級生に手を引かれて入場の準備が始まろうとしていました。来賓質へ入ることも出来ず、廊下の隅でその様子を見ていましたが、子ども体験塾に参加して顔見知りの子どもも多くいて軽く声を掛け合い、また新入児童のお母さんたちとも別室であいさつや会話を交わすことができました。
 やがて体育館に案内され入学式の一部始終を見せていただきました。今年の新入生児童の数は7人でした。聞けば翠小学校は2人、下灘小学校は11人とか、町内全体でも30人に満たないのですから、少子化の波は少人数ながら大きいようでした。

 新入学児童の中に公民館主事赤石さんの息子さんの姿を見つけました。凛々しい姿に目を細めながらその可愛らしい仕草に目が届きました。息子さんも少しだけ顔見知りの私と目が合い、軽く会釈してくれましたが、花粉症で鼻が出るのを気にしている様子が分かりました。春田教育長さんから新入生を代表して教科書を受け取る姿はご立派立派で、心の中で大きな拍手を送ってやりました。
 今日は「一日早い!」と校務員さんに間違われた、上灘中学校の入学式が9時から行なわれる予定で、出かける予定です。昨日は入学式を終えて栗田利行元収入役のお母さん(98歳)の葬儀が伊予市の月心会館であったため出かけましたが、春は何かと忙しいですね。

  「7人の 新入児童 元気よく 満開桜 負けじと咲いて」

  「少子化の 波はここまで 来たのかと 納得しつつ 入学式観る」

  「校長も 教頭さえも 新入で 全てピカピカ 光り輝く」

  「顔見知り ゆえに目配せ お互いに 六年後には どんな姿か?」

  「風そっと 桜一輪 散らしゆく」

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人間牧場

○わが町の自慢の桜

 日本人は余程花見が好きなのでしょうか、昨日は満開に近い桜と春の好天、それに日曜日という好条件に恵まれて、何処へ行っても花見客でいっぱいでした。昼過ぎに通った松山市石手川の土手沿いに咲く桜の木の下には、場所取りをしたと思われるブルーシートが幾つも並び、気の早いグループは弁当を広げて宴たけなわといった感じでした。傍には商魂逞しい屋台の店が2~3並んでいましたが、何ヶ所かでは桜の樹から何やらモクモクと煙のようなものが上がっていました。プーンと匂う臭いからして、どうやら焼肉をしているようなのです。桜の花を愛でる花見なら結構なことですが、桜の樹の下で焼肉とはいただけない話です。満開の桜もさぞ煙たくて迷惑だろうと、節操のなさに他人事ながら首を横に傾げました。

夕映えに染まる千人塚の桜

 桜の花を愛でながら酒を飲む風習は古典落語や錦絵に出てくるので、かなり古い時代から行なわれていたようです。今のように私たち庶民といえどもそれなりの弁当を用意でき、それなりにお酒が飲める豊かな時代になっていますが、昔の庶民は弁当や酒さえままならなかったようで、それでも隣近所揃ってささやかな花見を楽しんだようですが、いずれの時代も花が主役でありながら、桜を酒の肴にしたり、時には桜の枝を折ったりする不届き者もいるようです。
 昨日はその陽気につられて、親類の法事を終え、所用を済ませて夕闇迫る午後5時ころにわが町へ辿り着きました。上灘唯一の信号を左折すればわが家へ向かいますが、そのままシーサイド公園に向かって直進し、由並小学校の下で上灘駅方面の道を走り、潮風ふれあい公園へ妻と二人で出かけました。

妻をモデルに撮影会

 ここはここ数年私たち夫婦が、決まったように出かける桜の花見スポットなのです。千人塚の池が見下ろせるスポットには既に何組かの見学者が見えていましたが、無粋にも長いアンテナを2本立て、無線交信を楽しんでいる熟年男性が、いい場所に車を止めて占拠していました。車の中で何やらマイクに向かって話しているようでしたが、仕方なく傍に車を止めて見下ろしました。
 いやあ夕日に映えて実に見事な桜でした。桜は傍で見てよし、見上げてよし、見下ろしてよし、遠望でよしです。見下ろす桜もまた一趣でした。
 夕日と桜と女といえば、これに勝る美しいものはありません。3つ目の女は私の妻ゆえ多少見劣りしますが、まあこれも良しとして束の間の花見を楽しみました。

 

 昨日は法事が終ると最近開通した三坂道路を通って、仁淀川町の桜の銘木を見に行く手はずですたが、所用が長引き残念ながら出かけることが出来ませんでした。しかし妻いわく「こんな綺麗な桜が見れたので大満足」だと言ってくれました。私たちはその後公園の少し奥まった場所の、満開の桜を見て帰宅しました。千人塚の桜はまだ八分咲きなので、今日あたりもう一度出かけて、ブログのフェイス用に綺麗な写真を撮っておきたいと思っています。
 今は桜が見ごろです。この桜は早く目と心と写真に収めなければ、来年の春まで見納めです。今年の桜は事の外厳しかった寒さに耐え、十日も遅れて折角咲いた桜ですから皆で楽しみましょう。くれぐれも焼肉の煙で桜を燻すことのないよう、また枝を折ったり、桜そちのけで酒を飲み過ぎないようお願いします。

  「桜の樹 何やらモクモク 煙出て 焼肉パーティ いただけません」

  「何処よりも 勝る桜と 自慢しつ 妻と二人で 桜見下ろす」

  「花・夕日 加えて女 コラボする 三つ揃えて 私見学」

  「ああ今日も 幸せですと 思いつつ 今年の桜 初めて愛でる」

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人間牧場

○長い人生の始まり

 人間の人生には誕生、入学、卒業、就職、成人式、退職などなど、竹に例えると加えて行かなければならない様々な節がありますが、昨日入園式を迎えた2歳の孫奏心君にとっても、集団生活を初めて体験する大事な大事な一日でした。前の晩は周りの大人が、「明日は入園式」などと持ち上げるものですから、その気になって少し興奮していたようですが、4歳になる兄希心君と一緒に保育園へ行けるというので、随分喜んでいました。と同時に兄希心君もその気になって、お兄ちゃん風を吹かせたりして、まあそれなりに少し緊張していました。入園式は9時からでしたが、8時30分には一丁前なネクタイをして正装準備が出来、これまた正装したお母さんに連れられて家を出ました。

入園式を前に息子の家族たち

 息子と嫁、それに孫二人の記念写真を玄関先で撮りましたが、みんな何処となく余所行きの顔をしていました。聞けば息子も休みだったようで、出鼻に雨がぱらついたため、目と鼻の先の500mしか離れていないのに、息子の車で入園式に向かいました。ついでに息子もビデオカメラを持って入園式に参加したようで、親馬鹿振りを垣間見ました。
 私が書斎で原稿を書いていると、1時間ほどで入園式を終え親子4人が揃って帰って来ました。「どうだった」という私の質問に、「ちょっとだけ泣いた」と孫奏心君が打ち明けてくれました。昨年の入園式ではお兄ちゃんが大泣きしたので、「僕は泣かない」と張り切っていたのに、一人でジュースを貰いに行った時、お母さんの姿が見えなくて少し泣きべそをかいたようでした。

 

 兄希心君は昨年、4月病というホームシックにかかり、毎朝保育園へ行くのに行くのが嫌だ、と約1ヶ月も泣いて手こずらせましたが、その後母親離れをさせるために、通園送りは私が担当していました。その折殆んど毎日保育園まで弟奏心君も、一緒に通園気取りで見送りに行っていたため、あんなことはないだろうと鷹を食っているのです。
 昨日は入園ということもあって親類から入園祝いが届いたり、また夕食は大好きなカレーやデザートをいただいて、主役になったような気分でご満悦でした。今日は日曜日、明日からいよいよ保育園生活が本格的にスタートします。少しの間はならし運転で午前中のようですが、その後は母親もそろそろ出里の喫茶店へパートで働きに出るそうなので、私たちの手助けももう少し必要なのかも知れません。孫たちに負けないようリタイア8年目にチャレンジです。

  「玄関で 入園式の 記念にと 写真一枚 親が緊張」

  「人生の 始まり入園 長い先 心豊に 育って欲しい」

  「わが子にも こんな出来事 あったけど 妻に任せて 仕事一筋」

  「これからは また育爺の 役割が 重くなったと 実感しつつ」

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人間牧場

○カメラでのお遊び

 先週の日曜日、孫たちを連れて今治の野間馬ハイランドと、旧玉川町の総合運動公園へ出かけたことは、明くる日のブログにも書きましたが、あの日は風が強くて肌寒かったものの天気は上々で、遊具に夢中になって遊ぶ孫たちの歓声を聞きながら、私たち夫婦は体力的に追いつかないことを知って、風の比較的吹かない陽だまりを選び、持参した敷物を敷いた場所で、荷物の番をすることになりました。
 汗をかいて時折「おばあちゃん、喉が乾いたからお茶」と戻ってくる孫たちに、マホービンに入れ持参した麦茶を飲ませ、私たちもお菓子を食べながらのんびりと過ごしました。

空に伸びた木の梢 そのうち朝が早かったため少々眠気を催したので、妻の膝を枕に横になり、ついうとうと年甲斐も恥も外聞もなく、膝枕で至福の時を過ごしました。空は真っ青に晴れ渡り、時々生まれては消える雲の行方を眺めたりしていました。ふと手を伸ばすとデジカメがあったので、寝たままで思いつくまま、2枚の写真を撮りました。一枚は傍にあった一本の楠の木です。公園を造った時何処かから運んで来て、この地に小高く積まれた土の上に安住したものと思われますが、真っ直ぐ天に向かって伸びる様は、まるでおとぎの国のような感じがしました。この木のてっ辺に登って下界を見てみたいと思いました。私は大空を散歩しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのうち無意識に足が、自然と空中に伸びました。思わずこの姿も一枚デジカメに納めました。その写真は「何処までも澄み切った青い空を歩きたい」と思ったそのままに、まるで大空を歩いているように撮れたのです。もう12年も前、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本に、「黄金色の道」という詩を書いています。
     黄金色の道
   夕日が沈み始めるころになると
   海の上に黄金色の道ができる
   夏は青島秋は水平線の彼方へと
   道の行く手は違えども
   黄金色のギラギラと輝いて
   夕日に向かって伸びている
   いつか誰かとあの道を歩いてみたい

 今にして思えばセンチメンタルで恥ずかしい気もしますが、海の上や大空は歩けないがゆえに、歩いてみたいと思うのは、私の夢なのです。

まるで鳥のように素早く飛ぶチョウチョ

 そんな夢を見ていると何処からか、一匹のそれは見事なチョウチョが飛んできました。孫たちも逃げ足の速いチョウチョを追っかけ回していましたが、余りにも素早い早さに諦めたようです。そのチョウチョが何と私の傍にやって来て留まったのです。私の大空散歩の水先案内人をするようにやって来たチョウチョを、夢中で写真に収めましたが、膝枕した妻は私の奇妙な行動に少し飽きれたような様子でした。
 何げない運動公園での昼下がりの夢遊びは、奥道後のジャングル風呂へと続きました。

 

 

  「木霊いそう 梢を見つつ 膝枕 ついウトウトと 昼寝楽しむ」

  「神様の 使いでしょうか 蝶一匹 誘うが如く ひらひら舞って」

  「青空を 歩いてみたい 思いつつ 思わずカメラ 足上写す」

  「年甲斐も なしに少年 なったよう 夢を見ている 自分恥ずかし」 

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人間牧場

○PCは優れもの

 私は何げなく、毎日届くメールを受発信したり、ブログや原稿を書いたりしていますが、自分のPCいじりが自分のPCとフィットしてきたのか、最近PCのトラブルもなく、順調にこなしていることは喜ばしいことだと、今朝PCに電源を入れながら思いました。思い返せばメールを受発信したり、ブログを書き始めた頃は、パソコンの基本も分からぬまま行き当たりばったりだったため、やれPCが動かなくなったとか、書いた文章が消えたなど、自分の苛立ちをいちいち離れて住んでいる娘婿や息子に、助け船の電話をしていたのです。
 自分の体も同じようなことが言えますが、歯が痛い、腰が痛い、胃の調子が悪い時は、痛いため歯や腰、胃が何処にあるかよく分かるのですが、健康なときは歯や腰、胃の存在等まったく気にもならないのです。ゆえに不摂生を繰り返すのです。

 PCもまったく同じで、順調に操作が出来ている時は、PCは凄い道具だとその多機能さに感心したり納得して使うのですが、トラブルが起きるとこちらの方が頭に来て逆切れし、娘婿や息子に電話で助け船を出すのですが、「電話では分からない」と言われると、「それも分からないのか」なんて邪推をしてしまうのです。平常心で考えれば、もし私の所へ同じような電話がかかっても、「電話じゃ分からない」と答えるはずなのです。
 それにしてもPCの記憶力と記憶量はさすがコンピューターで、これほど毎日書いているブログ記事を、検索機能の操作さえ間違わなければ、瞬時に見つけて呼び出し、画面に表示してくれるのです。こちらが覚えていないことまで覚えてくれているのですから、これは百人力くらいなものではなく、千人力や百万人力にも匹敵する強大な力なのです。

 机の上に置いたこの薄っぺらいものが、インターネットの電話回線で結ばれているだけで、やろうと思えば世界中の人と交信だってできるのです。しかしこれほどの機能を持っているのに、私が使いこなせるのはその機能のほんの0,00001にも満たないのですから、何と勿体ないことでしょう。自分の能力のなさや時間のせいにして、未知なる部分へ分け入ることをしていませんが、今度生まれて来る時には学校でしっかりと習い、使いこなせるようになりたいものだと思っています。
 私の書いたブログを読んだと、昨日ある人から感想のコメントが寄せられました。私もそのコメントにコメントをしたためお礼の返信をしたら、またコメントが返って来ました。これを双方向性というのかとついつい面白いものだと羽目を外してしまいました。
 しかしPCは人間ではなく道具であることも忘れてはなりません。インターネットでつながっている全ての人に公開されていることを念頭に入れておかないと、とんでもない問題を引き起こす可能性があり、「知らなかった」では通用しないのです。今は故障もなく落ち着いて私の言うことを聞いて働いてくれているPCゆえに、感謝しながら自制のブレーキを持ちたいと思っています。

  「このところ すこぶる順調 わがパソコン 自制のブレーキ 忘れることなく」

  「ぼんくらな 私がパソコン 命令し 使っているが 使われている」

  「パソコンを 作った人は 偉い人 それを使える 私も偉い」

  「パソコンが 取り持つ縁で ゴールイン まるで仲人 偉いもんだね」

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人間牧場

○大風の爪跡修復とワカメ採り

 人間牧場の近くに地元池久保の人たちの墓地があります。「近くに墓地があるのは気持ちが悪い?」などという人もいますが、土葬だった昔ならいざ知らず、今は先祖代々の墓に納骨しているだけなので、気持ちが悪いことなどないのです。ましてやお墓は神聖なものですし、先祖を敬う心からすればお墓はむしろ大切な場所でもあるのです。そんなこともあって人間牧場内の私道は地元の人がよくお墓参りに訪れるため、時々イノシシの出没を教えてくれたり、蜜蜂の分蜂を親切に知らせてくれたりするので、随分助かります。
 昨日まで日本列島は時ならぬ台風にも匹敵する春の嵐が吹き荒れました。やっと収まったものの、まだその余風波が強くて地元の人は漁にも出れないようです。その大風で人間牧場に設置している蜜蜂の巣箱が2個吹き飛んで道まで転げ落ちていると電話で連絡がありました。

 早速今日は午前中人間牧場へ、様子を見に出かけました。一つはその場所でひっくり返っていましたが、もう一つはお墓の近くの道まで転げ落ちていました。4月に入ったのでもうそろそろ巣箱を掃除してバーナーで内側を焼いて、蜜蝋を塗らなければと、2日前にホームセンターでバーナーを買って来たばかりでしたが、その使い方も分からないので、とりあえず掃除をして元の場所へ設置し、少し重いブロックを乗せて一段落です。大風で飛んできた小枝もあちこちに散乱して、見苦しいのでそこら辺を掃除しました。
 そのうちあちこちから講演依頼や日程調整の電話がかかり始め、また新年度なのであいさつに行きたいという人もいて、とりあえず午前中で作業を終え帰宅しました。

 午後3時頃に国立大洲青少年交流の家の、所長さんや次長さんたちが自宅へあいさつに見えられるというので、少しの時間を利用してシーサイド公園の西海岸に、軽四トラックで出かけ、昨日までの北西の季節風で流れ着いたワカメを収穫しました。海岸には昨日までの強い風波の影響でアラメやワカメが沢山漂着していました。アラメは葉や茎が硬いのですが、ワカメは葉も茎も柔らかく、殆んどが波に打ち砕かれていました。それでも渚には立派なワカメがたくさんあって、瞬く間にナイロンの袋いっぱいになりました。帰宅後家の裏の調理場で鍋に水を張ってお湯を沸かしました。採ってきたワカメを綺麗に水洗いして順次お湯の中に入れました。茶色いワカメはお湯をくぐらせると瞬く間に濃い緑色になり、箸ですくいあげて冷まし、ポリバケツに入れたところで玄関先のチャイムが鳴りました。しばし手を休めて外の夕観所でごあいさつや意見を交わしました。そこへ公民館の赤石さんもやって来て、絆プロジェクトのお礼や今後について話し、皆さんは引き上げました。

 再び家の裏へ回り、ワカメの入ったポリバケツを持って広場へ移動し、張り巡らせたビニールテープにワカメを芯から外して干し始めました。ところが運の悪いことに小雨が降り始め止む無く中断し、暖簾干ししたワカメを、妻に手伝ってもらって軒下へ移動して、今日の作業を終えました。
 天気予報だと天気は回復するといっていたのに、小作業手順が狂い、この分だと天気が回復すれば明日の午前中まで作業がかかりそうなのです。何はともあれ茹で上がったワカメを干しワカメにして、乾燥すれば今年一年分の自家用ワカメは、ゲットしたことになるのですから、えらい儲けです。田舎はこのようにちょっとした工夫や才知を働かせれば、安心安全な食べ物が転がり込んでくるのですから、この上ない魅力がいっぱいあるのです。

  「親切に 蜜蜂巣箱 落ちてると 電話連絡 してくれる人」

  「大風の 被害最小 ホッとする あちらこちらじゃ 被害甚大」

  「大波で 流れ着いたる ワカメ採る お湯をくぐらせ ビニ紐に干す」

  「田舎ゆえ 才知があれば 一年分 ワカメをゲット 家計助かる」

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人間牧場

○お雛様飾り

 昨日はカルチャースクールの帰りに伊予市いっぷく亭に立ち寄りました。外は歩けないほど春の嵐が吹き荒れ、皆さんが乗ってきたであろう自転車も、全てなぎ倒されていましたが、いっぷく亭では多くの中年女性が集まって、賑やかに手づくり教室が開かれていました。聞けばかまぼこの板の作品展に応募する五色姫伝説の人形を製作中との事で、多いに盛り上がって、まあお茶でもと勧められましたが、私は教室の奥に飾っている「お雛様飾りを見に来たので」と断わり、会話を交わしながら吊るし雛やお内裏様等の飾りを、感心しながら見学させてもらいました。
 伊予市の商店街ではあちこちに1ヶ月に渡ってお雛様が飾られていて、昨日はその最終日だと友人の谷岡さんから聞いていたので、谷岡さんが責任者となっているいっぷく亭のお雛様飾りを、最後の最後になって見学させてもらいました。いつも思うのですがお雛様飾りは、日本の庶民文化を代表するもので、後世に伝え遺しておきたいものなのです。全国の各地では地域づくり活動の一環としてお雛様飾りが行なわれていますが、お雛様飾りの収集や飾りつけ、後片付け、保管などなど、裏方は大変な労力が必要で、お年寄りの手慰みでは片付けられないのです。

 お雛様見学が終ったので、谷岡さんのお店に立ち寄りました。運よくご主人と奥さん、それに娘さんもいてお茶とお菓子をいただきながら、楽しいお喋りをしました。娘さんはつい最近左手でハガキ言葉を書いていることは、前にも私のブログで紹介しましたが、昨日もそのハガキを3枚貰って帰りました。そのハガキには「あなたと一緒にサクラを観たいです」と、意味深長な言葉が書かれていました。娘さんにとって「あなた」とは誰か、多分独身ゆえに理想の彼のことを思っているに違いないと勝手に思いました。
 もしこのハガキをいただけば、そのメッセージは相手の心に響くことでしょう。私はこのハガキを見て、東日本大震災に遭った人たちのことを思い出しました。昨年はサクラどころではなかったものの、震災から一年余りが過ぎて、サクラの存在が蘇ってくるのです。桜を見ることが出来ずに、あの世に旅立った大切な人のこと、震災がもとで離れ離れになった人のことなど、人生模様は悲喜こもごもです。

 今日は4月4日お節句です。私たちの地方では、月遅れのお節句に花見弁当を作ってもらい、野山に繰る出す風習が子どものころにはありました。とりたてて楽しみやおご馳走のなかった、戦後間もない頃のことゆえ、お節句は巻寿司や羊羹やかまぼこなどが入った、母親手づくりの重箱弁当が食べられる、超特別の日だったので、その日の来るのを指折り数えて待ったものです。
 妻は昨夜仕事から帰って台所で、夜遅くまで巻寿司を巻いていました。オレンジ色のそぼろと干瓢、しいたけ、ゴボウ、ニンジン、ちくわ、かまぼこなどを煮て酢飯を冷まして海苔で撒くだけの素朴な田舎流巻寿司ですが、歳をとったのか昔回帰というのか、この巻寿司がたまらなく食べてみたいのです。妻は朝早く起きてこれらの手作り品を重箱につめ親父の弁当を作って、隠居へ持ち運んでいました。昔人間である親父にとっても、この素朴な弁当は年に一度の楽しみのようで、喜んでいました。

 谷岡さんの雛飾り、谷岡さんの娘さんの左手で書いた言葉ハガキ、わが妻が巻いて親父の元に運んだ重箱詰めの田舎巻寿司、姿形こそ違え全てが相手を思いやる心の現われだと、しみじみ思いました。日本人はフォアキャスティング(現在の問題から未来を予測すること)や、バックキャスティング(将来の姿を想定しやるべきことを考えること)をしてきましたが、バック・バックキャスティング(過去を知り未来に生かす)することも大切だと思いました。「確かな未来は懐かしい過去にある」とは、先日吉澤保幸さん(場所文化フォーラム代表幹事)から贈られた、本に書かれた文章の中にあった中見出しの言葉です。
 私たちロートルは過去を知っているゆえ、過去を遺し伝える義務を負っているのです。昨日今日は考えさせられることが多くありました。

  「過去を知り 未来に生かす 役割を 持っていること 自覚をせねば」

  「左手は 右の手よりも 不器用で ゆえに本心 ゆえに本物」

  「野良ゆえに 節句働き 昨日今日 手づくり弁当 食べて昼寝す」

  「低気圧 偉いもんです 日本人 右往左往させ 北に去り行く」

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人間牧場

○何が何でも急過ぎる

 昨日の朝、親友の稲葉真光さんがわが家にやって来ました。稲葉さんは下灘にある私の畑を貸していて、私に言わせると稲葉さんには失礼ながら「農業の真似事」をやっています。稲葉さん本人に言わせると大真面目で、行く行くは農業で飯が食いたいと希望に燃えてやっていて、あちらこちらの研修会などにも参加して、農業をビジネスにするためのノウハウを着々と身に付けているようで、私もその行方を注目しているのです。しかし私のように家の横の家庭菜園や人間牧場を使い、趣味で農業をやるのは楽しいのですが、農業で飯を食うことは容易なことではないのです。
 稲葉さんは現代の二宮金次郎みたいな方で、砥部町に住んでいながら、毎朝早く起き双海町まで車でやって来て、夜明けとともに農作業を開始し、自分で息子さんと経営しているクルマハウス砥部という自動車修理工場へ9時までに帰って、仕事をするという超真面目な働き者で、土日も殆んど畑で農作業をやっているのです。

 稲葉さんは人を大切にする人で、先週も知人の紹介で訪ねてきたインドネシアの人を連れて。石窯工房やわが家の海の資料館「海舟館」、菜の花畑、人間牧場などを一日中案内していたようでした。「よくやるなあ」と感心しながら見ていましたが、そのインドネシアの人が近々帰国するので送別会を兼ねたコンサートを砥部町の古民家を借りて催すので、来ないかと誘いにやって来たのです。昨日は新年度の始まりで私も何かと忙しく、また各方面から新任のあいさつに人がやって来るので、家を空けることも出来ず、加えて今日から始まるカルチャースクールの講義準備もあるしと思いつつ、そんなに急に言われてもと思い、行くか行かないか正直迷っていました。しかし大真面目な、日ごろ人を大切にする稲葉さんのことが気になり、会場となる砥部町の坪内邸へ向かいました。

 坪内邸は砥部町でも広田の入り口に当たる奥まった所にある旧庄屋です。昨日は夕暮れの薄暮に咲き始めた桜が彩りを沿え、半月の月の光が優しく照らすいい雰囲気の夕方でした。7時30分からという案内を受けていましたが、7時に会場に到着すると2~3人の人がご飯を炊いたり汁物を作っていました。その段取りたるやスローモーションで、7時30分どころか8時になっても食事やコンサートは始まりませんでした。そのうち稲葉さんが声をかけたであろう20人ほどの人が集まりましたが、何をどのようにするのか聞かされてなく、不安そうに食事とコンサートを和室の畳に座って待ちました。
 そのうち私の携帯に島根県隠岐の島西ノ島町役場出身で、今は島根県庁へ出向している南さんから、私の親友である角市正人さんの訃報を知らせるメールが届き始めました。

坪内邸での和風コンサート

 メールを気にしつつ、やがて立ち食いのようなかまど飯とカレー味スープを食べ終わり、コンサートが始まったのは9時前でした。コンサートは千九郎という若い尺八奏者とギタリストの二人が登場し、奥まった部屋で演奏が始まりました。障子とふすまで囲まれた和室でのコンサートは尺八の音色が程よく似合い、今まで聞いたことのないような、とてもいいコンサートで、久しぶりに心を洗われた感じがしました。千九郎さんの決して上手いとはいえないつなぎのお喋りも、それなりにいいものでした。角市さんの訃報に心が沈みながら、あいさつもそこそこに夜の道を急いで帰り、家の車庫内で南さんと電話連絡が取れ訃報の全容を知ることが出来たのです。

 

若い二人の演奏者

「何が何でも急過ぎる」と思いつつ、稲葉さんの口車に乗って出かけたコンサートでしたが、稲葉さんはいつも私が「来ないか」と誘ったら、嫌とは言わず参加してくれます。先日年輪塾が行なった山口県への修学旅行も、嫌がらず喜んで参加してくれました。そんなこともあって浜田さんと二人で参加をしましたが、「来てもらおうと思えば日ごろから顔を出しておく」という鉄則は、稲葉さんから教わったような気もするのです。
 準備はさて置き、あの後片付けは一人で大変だろうなと思いつつ、昨日の夜のことを思い出しています。今朝は朝から天気予報どおり台風並の大風が吹き荒れ、昨晩の幸運を思いました。

  「来ないかと 夜の案内 その日朝 何が何でも 急過ぎますね」
  「声かけた 人の殆んど 集まりて さすがですねと 感心しきり」
  「尺八の 音色障子を 震わせて 春の足音 静かに聞きぬ」
  「古民家の 座敷わらしを 呼び覚ます そんな怪しげ 雰囲気醸す」
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人間牧場

○孫たちと春休みを楽しむ

 私たち夫婦には4人の孫がいます。次男と三男は残念ながらまだ結婚していませんが、長女と長男にそれぞれ二人ずつ、残念かな全ての孫は男の子です。でも男とか女とかは贅沢で、4人ともそれぞれ普通に成長しているのですから良しとしなければなりません。
 長女の子ども朋樹は今年度小学校4年生に進級します。私たちにとっては初孫だったし、長女が助産婦をしていたこともあって、また娘婿の家が大阪羽曳野という遠隔地でもあったため、私たち夫婦は初孫の世話に少しだけ翻弄されましたが、まあ何とか元気に成長しているようです。小学生なので学校や日常の勉強もあり、また日常遊びの友達もできてそれなりに忙しく過ごしているようです。長女の子ども尚樹は4歳ですが間もなく来月には5歳の誕生日を迎えます。小さい頃から松山市内の幼稚園に通っていて、兄の影響もあって結構こましゃくれていて、何処で習ったのかダンスが得意な孫です。

 長男の子どもは二人です。息子一心が自分の名前の一字を取って命名した、希心と奏心は一年前の春から私たち夫婦と同居を始めていて、いわゆる内孫です。一年前から希心は近くの保育園に通っています。通園を始めの頃は保育園に行きたくない、母親と別れるのがつらいと、毎朝泣いて困らせていましたが、今は私と毎朝楽しそうに通園しているのです。奏心も間もなく5月で3歳になりますが、今年から希心と一緒の保育園に入園すると張り切っているようですが、はてさて昨年の希心のように、毎朝一悶着あるかどうか気がかりですが、長男以上に元気でわがままな性格が保育園で直ることを楽しみにしています。

希心君

 という訳で4人の孫にとっては只今が束の間の春休みなので、昨日は春休み最後の日曜日ということもあって、私たち夫婦の招待で、孫たちをピクニックに誘いました。桜も咲いていないし名残の季節風が吹くあいにく寒い一日でしたが、絶好の好天に恵まれました。孫たちは少し早起きをさせて、7時30分に自宅を出ました。松山の娘の家で落ち合い、とりあえず松山市内郊外の喫茶店でモーニングサービスで朝食を食べました。孫たちはワッフルやピザ、ホットサンドにミックスジュース、オレンジジュースを注文し、私たち家族だけの小さな部屋が空いていたこともあって、朝からリラックスムードでした。

朋樹君

 行く先は海岸国道を通って今治の野間馬ハイランドです。ここではポニーにも似た日本在来種の野間馬が60頭ばかり飼育されていて、孫たちは到着するなり妻に買ってもらった1回200円の乗馬券でジョッキーの格好をして乗馬を始めました。最初は恐る恐るでしたが、そのうち馴れて馬上でポーズを取る等ご満悦な様子でした。乗馬は4歳以上と決められていて、残念ながら孫奏心だけが乗れないため、大泣きで諦めさせるのに一苦労しましたが、長男が馬小屋へ連れて行って馬の背中に乗せてもらったため、どうにか機嫌も直ったようです。ハイランドには子供向けの遊具が整っていて、孫たちは汗だくで遊んでいました。

 昼食は裏道を通って玉川へ出て八勝亭というファミレスで、孫たちの要望に応えて焼肉のお子様ランチでした。肉の嫌いな私だけがうな重を頼みましたが、泣き疲れた奏心は眠ってしまい昼食を食べず終いでした。その後玉川の総合運動公園へ立ち寄り、遊具で遊んだり持参した遊び道具で思い切り大汗をかきました。ここにはかなりスリルのある高くて長いローラー滑り台があって、私も孫たちと一緒に何度か滑りましたが、骨盤が揺さぶられるような感触を味わいました。
 その後水ヶ峠を通って奥道後に出て、みんなでジャングル風呂を楽しみ、うどん屋さんで大学に勤める娘婿と日赤に勤める次男が合流し、賑やかな夕食会となりました。

尚樹君

 同乗した娘家族を道後のマンションまで送り、一足先に帰った息子たち家族と自宅に相次いで到着したのは8時過ぎとなりました。一オクターブ高い孫たちとの会話や、俊敏な孫たちの行動力に圧倒され続けた春休みの一日でしたが、心地よい疲れだったようです。別れ際「今日はありがとう」と言ってくれた孫と、今朝起きて来て「昨日はありがとう」と言ってくれた孫たちに、「また行こうね」と妻も私も言葉を返しました。出費は少々要りましたが、孫たちが喜ぶ姿が何とも嬉しい爺と婆なのです。
 本当はレオマワールドか別府辺りへ一泊で出かけるつもりだった妻の財布は、少し軽くて済んだと喜んでいました。何はともあれ孫4人も今日からそれぞれワンランクアップの暮らしを目指すことでしょうが、孫たちに負けないよう私たち夫婦も、勿論親父も元気に暮らしたいものです。

  「野間馬に 乗って満悦 孫たちに ポーズポーズと 爺馬鹿ぶりを」
  「乗りたいと 二歳の孫が 大泣きし 馬もビックリ 振り返りつつ」
  「妻財布 朝昼晩と 振舞って 年金暮らしの 悲哀忘れて」
  「孫たちと束の間楽し 春休み 桜咲かぬが 少し残念」
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人間牧場

○一番高くつく浪費は時間の無駄である

 ギリシャの哲学者テオフラトスが言っているように、「一番高くつく浪費は時間の無駄である」と思いつつ、どうすれば時間を無駄なく使えるか考えるのですが、心や頭のどこかに「無駄な時間こそ最高の贅沢」(私の名言)という考えがあって、無駄な時間を反省をすることもなく容認しつつ、日々を過ごしているのです。
 私が人間牧場を造った一番の理由は、「人間牧場の背もたれ椅子に寝転んで本を読みながら昼寝をする」という単純な願いでした。このことを人に話すと、「エッ、昼寝をするために高いお金をかけてあんな施設を造ったの?。それこそ時間の無駄では?」と言われそうなので、今はその言葉を封印していますが、これは正直な私の思いなのです。これまで人がどう言おうと闇雲に昼も夜も土日も、馬車馬の如く働いてきたと自負する私なので、どこかで少し立ち止まって昼寝をしたいと思うのは、当然の成り行きだと思うのです。

 そんなこともあって、一昨日は人間牧場へ農作業で出かけましたが、農作業で疲れた体を背もたれ椅子に横たえて、毛布を被り30分ばかりうたた寝をしてしまいました。しかしこの短い30分の昼寝で頭も体もすっきりし、元気が回復したような気分になったのですから不思議です。傍から見れば一見無断な時間のように思える昼寝も、まさに「無駄な時間こそ最高の贅沢」でした。
 しかし考えてみれば一日の中でも「これは時間的に無駄だった」と思えることがいっぱいあることに気づくのです。リタイアしてサンデー毎日になると、時間の使い方の観念がなくなるきらいがあります。誰からも束縛されず時間を自由に使えるのがリタイア後の楽しみなのでしょうが、余程しっかりした考えを持たないと、無駄な時間ばかりが経って、「歳をとると一ヶ月や一年が経つのが早い。この間正月だったのに早お盆」なんてことになって、結果的には何も残らないのです。

 私は極力前日に明くる日やりたいことを大まか決めて暮らしています。「午前と午後、夜をそれぞれ二つに分けて合計6つのやりたいことを小刻み頭に描くのです。勿論講演や会議等に出かけたり、人に会うと午前と午後、夜の三つのパーターになったり、一日がひとつのパターンになったりしますが、それはそれとしてやるべきことがあるのですから結構なことなのです。
 「一番高くつく浪費は時間の無駄である」ことは、肝に銘じなければならない金言です。「時間を無駄にしてしまった」と思えることはいっぱいあります。この歳になると忘れること、忘れ物も多く、忘れたことを思い出そうとしたり、忘れたものを探したりする無駄な時間を過ごすこともしょっちゅうですが、それは日ごろの整理整頓が出来ていない暮らしのせいかも知れないと、今日は早速机の上や身の回りを少し片付けました。

  「一番の ムダは何かと 問われたら 時間などとは 誰も答えず」

  「忘れ物 捜す時間の 多いこと 歳のせいだと 思っているが」

  「計画を 立てれば時間 有意義に 使えるもの 無駄な時間を」

  「何げなく 過ごせる時間 欲しかった 手に入れたけど 何気な過ぎて」 

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