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〇野の花を活ける

 年末から年始にかけて寿を意味するような、少し豪華な花がわが家の玄関先に飾られていましたが、金曜日の夜それらを片付け、少し趣きの違った花が活けられました。妻は2週間に一度の金曜日、近所に住むお華の先生を自宅に招いてお華指導をしてもらっています。お陰で2週間ごとに玄関先の花がリニュアールするという一石二鳥の算段なのです。妻は近所の歯科医院にパートに出て働いていて、月曜日と金曜日は正午から午後4時30分まで休憩し、午後4時30分から午後7時過ぎまで勤務するため、仕事を終えて帰ってから夕食や孫たちと入浴を済ませたころを見計らって、お華の先生はやって来るため、金曜日の夜は何かと慌しいようです。それでも新たに活けられた花を見ると何となく心が和み、玄関先のイメージが変わったような気がしています。時々二階住まいをしている二人の孫がこの花を引っこ抜いたり、ひっくり返して妻に叱られていますが、これも愛嬌で笑いの種となっているようです。

妻が活けた玄関の花

 わが家の玄関先と違って、いつも朝昼晩と食事をする南向きの私たちの食卓の上には、一輪挿しに質素でシンプルな花が飾られていますが、これは私が担当していて、主に家の庭や散歩途中の道端で見つけた野の花を飾っています。花は不思議なものでたった一輪の野の花なのに、食卓の雰囲気をまるで変えてくれるのです。今の時期は冬ゆえ野の花は少ないと思いきや、水仙、椿、野木いちご、山茶花などその気になれば結構あるし、冬ゆえそれらの花は1週間以上も長持ちするものですから、私の手間もそんなにかからず楽しんでいます。
 4日前散歩途中の山の斜面で椿の蕾を見つけました。蕾は少し赤味を帯びた花弁が見えほころび始めていましたが、妻が一輪挿しに挿して飾るとストーブをつけた食卓の気温に反応し、二輪が一気に花開きました。椿は照葉樹の分厚くて緑濃い葉っぱが特徴なので、咲いた真っ赤な花とよくマッチして彩を添えているようです。まだ蕾が残っているので咲き終わった花柄を除けば、これから10日ほどは持つだろうと毎日見とれています。

 ちょっとした気配りで日々の暮らしは何となく楽しくなります。私は花を活けたりするような風流な人間ではありませんし、これまでは風流を楽しむ余裕もありませんでしたが、せめてこれくらいのたしなみをしないと生きている価値はないようです。気がつけば私の書斎の机の上には息子嫁が綺麗な造花を飾ってくれています。造花は本物?と見まがうほど美しく、水をやらなくても枯れることなく美しさを保っていますが、やはり造花は造花です。飾ってくれた息子嫁には悪いのですが、訳を言ってそろそろ野の花に変えようと思っています。
 先日裏庭の梅の木の剪定をしました。今年はまだ梅の蕾も固いようですが、剪定した枝には花の蕾がついているので、今朝にでも一枝一輪挿しに挿そうと思っています。季節を愛でる。うん、いい心がけだと自分の心の変容に納得した朝でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「玄関に 妻の手により 活けられた 花美しく 咲いて華やぐ」

  「食卓に 椿一輪 挿しにけり 妻と二人で 綺麗と愛でる」

  「外小雪 部屋に一輪 花が咲く 私の心 和みて今朝は」

  「風流を 楽しむ余裕 少しだけ 歳を重ねた 故の成す技」 

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〇福岡県直方市へ

 先日、福岡県直方市で行なわれた公民館職員研修会に招かれて出かけました。一昨年福岡県築上町で開かれた同じような地区別研修会に招かれた経緯があって、おおよそのことは分かっていたし、私にとって福岡県は久しぶりなのでワクワクするような気持ちで出かけました。前の日の夜親類の伯母の通夜が終わってから広島に出て馴染みのホテルに一泊し、少し早めに新幹線で小倉に到着、折尾から電車を乗り継いで直方市へ1時間も早く着きました。11時に到着する予定で担当者に迎えを頼んでいたため、徒歩で商店街を通って市役所まで行き、そこから河川敷公園のすぐ傍にある中央公民館に到着しました。社会教育推進係長の川村さんや、ふれあい交流コーディネーターの森さん、新居浜出身で中央公民館に勤める村上さんたちと名刺を交換したり日ごろの活動について話し合ったりしながら、用意していただいた3階の控え室で読書をしたりして、久しぶりにくつろがせていただきました。それにしても新居浜出身の村上さんが直方市の職員だとは驚きました。考えてみれば私の町の公民館にも、北九州出身の赤石さんが勤めているのですから、驚くことはないのです。

 研修会は午後1時30分から始まり、開会行事や県こ熟れの報告などが20分ばかりあり、私の講演の出番は予定より10分ばかり早く午後1時50分から始まりました。公民館と地域づくりの関係について色々話をさせてもらいましたが、公民館事業には①問題を知らせ提起する事業、②学習の援助事業、③学習の組織化事業、④成果のボランティア事業の必要性などを含めた、ないないづくしの公民館十ヶ条についても少し突っ込んだ話をしましたが、はてさて参加した職員さんたちの心の扉を開けることが出来たでしょうか。私は元社会教育主事だし公民館主事を13年も経験しているし、教育行政のトップである教育長も経験したいます、教育行政と教育活動の違いや、教育行政には①施設設備の充実、②指導助言、③指導者養成の3つがあることなども隠し味として説明しましたが、心の壁を心の扉に変えることは容易なことではないようです。

 講演が終わると直方駅まで車で送ってもらい、折尾、小倉経由で海を渡りわが故郷へ帰って来ました。一月の中旬もやっと終わり、今日は寒の入りとか、そんな寒い時期に10日間で5回も県外へ出かける離れ業をやってのけてしまいました。少々無理をして、少々お疲れモードですがすこぶる充実した日々を過ごすことができました。
 直方市といえばあの有名な大相撲の大関だった魁皇関ふるさとです。私は無類の相撲好きで魁皇関の大ファンでもあります。町の中心を流れる遠賀川のゆったりした流れが魁皇関のような歴史に残る偉大な勝ち星数を残せた人間を育てたのだと一人納得しながら河川公園をのんびり歩きました。

 

 

 

 

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〇高知県四万十町大奈路を訪ねる

 昨日は朝からあいにくの雨でした。指折り数えてみれば年末から年始にかけて、雨らしい雨は殆んど降らず、天気予報では異常乾燥注意報が統計を取り始めてから3番目に多いといっているほどで、家庭菜園は勿論のこと一雨欲しかったし、水がめであるダムの貯水量も減って取水制限を検討していただけに、今回の雨は恵みの雨なのです。それでも人間は身勝手なもので、外へ出かけるには雨はやんちゃで、少々憂鬱な気分になりました。昨日は前日の福岡県直方市に続き県外出張でお隣の高知県四万十町大奈路小学校へ、子育て講演会の講演を頼まれていて出かけました。
 最初この話が高知県からあった時、1月14日(土)とまったく同じ四万十町から、まったく同じような子育て講演会の案内が別々にあったにもかかわらず、私は一緒の話だとばかり勘違いし、打ち合わせの過程で別々の話だということに気がつくお粗末さでした。だって1月14日(土)と1月19日(木)は1週間も間が開いていないのですから当然といえば当然なのです。

 先日14日同じルートを通って、おおよその行程時間配分が頭に入っていたので、双海~長浜~大洲~肱川~松野~西土佐~大正~大奈路と約3時間の道を走りました。瀬戸内の雨は大したことはありませんでしたが、県境を越えたあたりから雨の粒が大きくなり霧も出て、寒いながらも春の雨という穏やかな感じの雨の中、約一時間前に学校へ到着しました。児童の数が20人足らずの小さな学校だと聞き及んでいたので、翠小学校を連想しながら車を校門の入り口付近の駐車場に止め、前日福岡県小倉で買った新品の傘を差して校内に入り、校長室へ案内されました。校長さんも教頭さんも6日前に出会ってあいさつをしているので懐かしく思いました。
 講演は体育館というよりは講堂的な会場で行なわれました。20人足らずの児童数なのに予想を上回るご父兄が集まっていました。お父さんも二人見えられ2時間近く、大きなストーブも教育委員会生涯学習課が用意をしてくれていたものの、会場はやはり多少寒く感じましたが、皆さん眠ることもなくお話を聞いてくれました。

 この小学校は既に統合している大奈路中学校の空いた校舎へ今年の春から移転していて、小学校と中学校の尺度の違いに多少戸惑いながら使っている姿が垣間見られました。講演が始まるまでの空いた時間に保健室へ入って養護の先生と話したり、職員室で校務員の若い女性とEM菌について話したりと、楽しい交流をしました。校長先生はかつて私の話を、旧友の乾先生と聞いたことがあるそうで、今回もいいご縁を深めることが出来ました。
 散々迷った挙句雨も激しく、霧が出て視界も悪かったため、また学校を出たのが午後4時半だったため、結局帰りはもと来た道を引き返すことにしましたが、途中先日亡くなった叔父の念仏に参加するため叔父の家に立ち寄り、午後9時頃に何とか自宅へ辿り着きました。今日は4組もの人が訪ねてくるものの、自宅で過ごせます。新年早々余りにも忙しく過ごしたので、多少身辺整理もしなければなりません。明日は広島県福山市松永へ出かける予定が入っているので、しっかりと体調を整えておきたいと思っています。

  「そういえば 久しぶりだと 降る雨を 懐かしそうに 眺めて旅を」

  「安物と 言いつ新品 傘を差し 山里学校 門をくぐりぬ」

  「あすなろの 木にたとえつつ (大)きな木 (奈路)なろう願いつ 子ども育てる」

  「四国路は 霧に霞みて 既に春 畑の菜花 黄色い花を」  

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〇叔父と伯母の同じ日の葬儀

 松前町に住む従兄弟から16日朝、4年前に他界した私の親父の弟の奥さん、つまり私の義理の伯母が亡くなったと連絡がありました。聞けば伯母は昨年の秋自宅の前で転げて腰の骨を折る怪我をして入院していたそうです。一年前にも同じような箇所を骨折して入院し感知していましたが、今度は反対側だったようです。その傷はどうにか治ったものの、85歳の高齢なので足の不自由さから少々認知症が進み心配をしていただけに、訃報の知らせを受け自宅へお見舞いに出かけ、葬儀の段取りや親類への通知等をして帰りました。  ところがその翌日今度はその翌日、同じ双海町内に住む親父の末妹のご主人が朝6時30分に急逝したと連絡がありました。生業の漁師を昨年の秋に廃業し、悠々自適の生活を送っていたかに見えましたが、実は末期のすい臓がんに侵されていたらしく、70歳の短い生涯に私たち親族もただただ驚き、私が訃報を聞いて駆けつけた午前7時30分にはまだ額にかすかに温もりを感じるほどでした。

 伯母と叔父の突然の死、しかも同じ日に通夜をし、同じ日に葬儀をすることになり、親族一同深い悲しみと共に大いに慌てさせました。私は通夜の17日は松山市の昌福寺での講演、葬儀の18日は福岡県直方市での講演を頼まれていて、直前ゆえに断わることも手も足も出ず、結局直方市へは両家の喪主に訳を言って、妻と長男息子を私の名代として出席させることで快く了解をしてもらいました。しかしたとえ断わりきれない講演依頼でも私用なので私の心は大いに揺れ動きました。息子も妻もそのことを了解して昨日は二人とも仕事を休み葬儀の参列やお手伝いに明け暮れましたが、親族は葬儀もかけ持ちで言ったり着たりと忙しかったようです。  私は罪滅ぼしのつもりで伯母の通夜には喪主に代わって親族代表でお礼のご挨拶を頼まれ、ねんごろにさせてもらいましたし、叔父の家には今日出張先の高知から帰る途中に直行し念仏の参加させてもらい、どうにか心のつかえを下ろさせてもらいました。  伯母は大正14年生まれですから戦後の厳しい時代を生きてきたようです。叔父は親父の船で若い頃から修行し、特に親父が小さい船で伊豆半島や伊豆諸島へ県外出漁したときも同行して辛酸をなめ、私が漁師をしていた頃は私の船に乗って漁師のいろはを随分教えてもらっただけに、遺影を見ると涙が出て止まりませんでした。

 親父は自分が一人前の漁師に育てた叔父の死を悼み、8キロも離れている叔父の家へ自転車で出かけ、涙の対面をしました。親父にとっては多分私より頼りにしていたであろう叔父の死が相当堪えたようでした。「変われるものならわしが変わってやりたかった」という言葉がそのことを物語っているのです。  親父の兄弟は12人もいますが、親父も93歳、叔父や叔母も相当歳をとってきました。叔父や伯母には大変失礼な話ですが、年齢的には誰が逝っても可笑しくないのです。妻が言うように朝晩時ならぬ時に電話がかかると「もしや」と今回のようなよからぬことを考えビックリするそうです。年末から年始にかけて残念ながら多くの大切な人を亡くしました。その人たちはもう荼毘にふされもう地球上に存在しないのかと思うと、無性に寂しくなってきます。心のあり様が下向きになって、中々テンションが上がらない中で、全国各地への講演は中々大変ですが、心を入れ替えて元気にしようと思いました。

  「相次いで 大切な人 亡くしたる テンション上がらず それでも仕事」

  「いつまでも 元気でいてね 殊勝にも 妻が優しい 言葉をかける」

  「親父言う 先に逝く人 多くあり 変われるものなら 変わってやりたい」

  「同じ日に 通夜と葬式 ダブルする 親族一同 右往左往し」 

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〇デイリーインスピレーション

 インターネットに接続している私のパソコンのGメールには、好む好まざるに関わらず毎日たくさんのメールが入ってきます。最近は機械的に迷惑メールが選択されますが、それでも受信欄には私が求めないのに勝手に送られてくるものも沢山あるのです。それらのうち不必要なメールは私の判断によってゴミ箱へ移動するのですが、デイリーインスピレーションという項目は、私に多少の影響を及ぼすような興味ある言葉があって捨て難く、暇を見つけて読んでメモを取ってからゴミ箱へ移動するようにしています。今朝はディリーインスピレーションの欄でなるほどと思う二つの記事を読みました。
 一つは柔道についてです。柔道は高校時代にやった経験がありますが、先ず練習するのは受身です。何回も何回も畳の上で目が回るほど転げる練習をします。受身が大事と諭され少し上達すると、今度は投げ飛ばされる練習をします。まるで稽古台のように仲間や先輩が人の前で、誇らしげに叩きつけるように転がすのです。転がす人を勝者とするなら転げる人は負者ですから、いわば負ける練習をするのです。本来他のスポーツは勝つための練習なのに柔道だけは負ける練習を何回も何回もしながら、少しずつ負けることから勝つことへと上達して行くのですが、初めに潔く転び潔く負けることを教えてくれるので、転んでもすぐに起き上がり、負けてもすぐに立ち直ることができる、それが受身の極意なのです。極意が身につけば達人となるはずですがそこが柔道の奥深さで、黒帯を締めるまでにはかなりの練習が要求されるのです。

 昨日のディリーインスピレーションを読んでいて、もう一つ面白い記事に出くわしました。人間には3つのタイプがあるそうです。①待っている人間、②希望を持っている人間、③種を蒔く人間だそうです。①の待っている人間では問題は解決しないことは分かっていますが、②の希望を持っている人間は素晴らしいと思うものの、希望を持っていてもただ何もしないのは、①の待っている人間と何ら変わりはないというのです。確かに③の種を蒔かなければ花の美しさも味わえないし、果実を手にすることもないのです。種を蒔くことは行動ですが、どんな種をどんな畑に蒔き、どんな育て方をするのか、多分そこには様々な苦労が待ち受けているでしょう。人は得てしていい種を求めたがります。そのためないものねだりでいい種を高いお金を出して求めようとしますが、実はここでいう種というのは自分自身の心の中にあることを忘れてはならないのです。自分自身の行動や才能や能力という種は、最初はたとえお粗末な種でもその気になって水をやれば立派な花や実をつけ果実を刈り取ることが出来るのです。

 デイリーインスピレーションの最後の落ちは、「啓発ソフトを安く販売するからこの機会にあなたも買いませんか」に誘導されるのですが、けちな私はそんな誘導には乗らずまだ一度もそんな投資はしていませんが、この記事こそタダで手に入る私の啓発ソフトなのです。お陰様で随分色々なことを学び、色々な自分の実践に応用してきました。これは誰にでもできることなので、私のようにタダでできる学習をみんなに勧めていますが、私は今後も積極的にやりたいと思っています。
 デイリースピレーションの記事は盗作かどうかと尋ねられたら、はてさてどう答えればいいのでしょうか。勝手に自分のパソコンに進入してきた情報なので、利用しても別に差し支えないような気もしますが、少し後ろめたい気もするようです。まあ情報化社会を生きていくためにはこれくらいの悪用技術(笑い)はあってもいいのではないでしょうか。だってデイリーインスピレーションの記事を、そのまま迷惑メールとして消去するには余りにも勿体ないような気がするのです。

  「パソコンに 勝手に入る あれこれも その気になれば 結構役立つ」

  「迷惑と 思わず生かす 術覚え お陰で知識 随分増える」

  「柔道の 極意は転げ 起きること 受身大事と 教わりました」

  「夢持って いるだけ何も 役立たず 夢の実現 動くが大事」 

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〇怪我をしないために

 自分では気力も体力も十分あると思っていますが、やはり気力と体力のバランスが崩れているのでしょうか?。最近何かにつけて怪我をすることが多くなり、自分なりに心配をしています。庭の草削りをしていて庭木の枝に頭をぶっつけたり、気の根っこに躓いてよろけ転んだりして、生傷が絶えないのです。その都度妻はリバテープを張ってくれたり、「危ないから気をつけて」とか、「もう若くないんだから」とかシャクに障るような言葉で注意をされるのです。確かに姓は若松だし名前も進一で若く見えますが、完全な高齢者なのです。私の最近のテーマは「どうしたら老化を防ぐことができるか」ですが、誰にでもやって来る老いはそう簡単に回避することは出来ないようです。
 それでも年齢に関係なくその気になれば鍛えることが出来ると信じて、毎日の積み重ねが大事とばかりに、毎日一万歩歩くことを心がけたり、鍛えているつもりの柔軟体操をしながら日々を暮らしているのです。お陰で多少の怪我をするものの体調的にはこれまでの体重をキープして、今のところ不調なところはないようです。

 怪我をしないためには3Sに気をつけるようにいわれています。セーフティガード、スローライフ、サポートのSという頭文字を取ったものです。セーフティとは安全性です。何よりも優先するテーマで、危険なことには極力近づかないことだし、危険に近づくためにはそれ相応の危険回避のためのやり方をしなければなりません。私がこれまで一番大きな事故に遭ったのは、裏山が台風で崩れその後片付けをしている最中チェンソーで足を切ったことです。救急車で運ばれ大手術をして20日間入院した結果元通りに治りましたが、冬寒くなると少しその古傷が痛むのです。元々チェンソーはその安全な使い方を教わっていませんので、見よう見真似でやっています。チェンソーは先ず何よりも極力使わないことです。どうしても使わなければならない時は、足場をしっかりと確保して、特に立木を伐採する時はチェンソーの刃先が気に食い込まないよう要注意です。自分だけでなく回りにいる人にも注意を払い作業したいものです。近々クヌギの木を伐採して薪を作る計画ですが、薪を割るマサカリにも要注意です。

 スローライフも大切です。私は中四国や九州等の近県市町村へは車で講演に出かけます。車はいわば走る凶器です。極力公共交通機関を使うべきだし、止むを得ず使う場合はスピードを押さえなければなりません。年末に出張先の鳥取県大山山麓の高速道路でスリップ事故を起こしたハプニングは、幸い人身事故には至りませんでしたが、雪道の怖さを嫌というほど味わいました。スローな生き方は、毎日あくせく働くこれまでの私の正確には合いませんが、何事もスローを心がけたいと思っています。「♭明日があるさ明日がある♯」という歌の文句のように極力生きたいものです。
 さて3つ目のSはサポートです。自分以外のサポーターの協力を得たり、補助具を使ったりすることは勿論ですが、事故や怪我に遭わないため自分自身の体力や筋力を常日頃から確保することです。そのためにはもっと運動をしなければなりません。歩く程度では筋力アップにはならないので、少し方法を考えて見たいと思っています。今年の1月3日の誕生日が来ると私は68歳になります。いよいよ大台も間近になり高齢者の仲間入りです。でも歳をとることを否定的には考えて生きようとは思いません。3Sに気をつけて健康な人生を送りたいものです。

  「3Sを 肝に銘じて 怪我しない そんな一年 目指し頑張る」

  「もう一度 安全視差で 確認す そんなゆとりを 持ちたいものだ」

  「遅いこと 早いことより 優先す 歳のせいにし ゆっくり生きる」

  「出来ぬこと 恥と思わず 出来ぬなら 協力求め 生きて行きたい」

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〇柿とスモモの剪定

 家の裏庭というべきか裏山というべきか分かりませんが、わが家の裏は急峻な地形が家のすぐ傍まで迫っています。台風や大雨で記憶しているだけでも2度も甚大な被害に遭っていますが、それでもこの地を離れることが出来ないため、様々な工夫を凝らして暮らしています。その工夫の一つは防護壁で、30年も前役場の補助を受けて頑丈なコンクリートの擁壁を造りました。景観上は少し気に入りませんが、それでも背に腹は変えられず我慢をしています。もう一つの工夫は斜面に根締めのためにつつじや柿、スモモなどの木を植えて土砂崩壊の危険から守っているのです。つつじは毎年五月の連休過ぎに美しい花を咲かせてくれるし、柿もスモモもそれなりに実をつけて食欲を満たし、一石二鳥といったところですが、残念ながら急峻な地形がゆえに剪定が一苦労なのです。

 これらの木々は余り枝葉を茂らせると陰になったり根元を風で揺するので、極力強剪定をして低く作り込んでいるのです。これまでその剪定作業はもっぱら親父の仕事でしたが、足がおぼつかなくなった親父に変わって今年から、私が挑戦してみようと思いました。つつじは既に親父の手によって昨年の晩夏に剪定が終わっているので、柿とスモモの剪定を見よう見真似でやりました。強剪定を基本に去年切らずに延び放題になっていた枝を、落ちないよう注意を払い、木に登ったりしながらノコと鋏で切り取りました。柿の木5本、スモモ2本を順次剪定しましたが、柿の木は枝が折れ易く「柿木から落ちたら直りにくい」という言い伝えがあるし、スモモはトゲがいっぱいあって難儀をしましたが、2時間ほどですっかり綺麗に剪定ができました。

 

 

 

 剪定した枝はまとめて家庭菜園の横に設えている焼却場へ運びました。その量はかなりありましたがこうしておけば、親父が暇を見つけ小切りをして焼却処分してくれるのです。昨日は曇っていましたが風もなく穏やかな日和だったため、作業は少し汗ばむほどでした。気温が上がると裏山に置いている蜜蜂の巣箱の入り口では蜜蜂が飛び交っていました。3個置いている巣箱の2個は12月2日に採蜜して以来空き家になっていて、1箱だけが種蜂用として採蜜をしなかったのです。この4~5年の観察で、蜜蜂は気温10度を目安にしてそれより下がると活動せず、上がると飛び交うようです。
 剪定は危ないから気をつけてと注意をしてくれた妻が、「綺麗になったけれど切り過ぎて、今年はこの分だと実は期待できない」と落胆の言葉をかけられ選定作業は無事終りました。木は根を切り枝を切るとそこから新しい根や芽が出て若返るのです。特に落葉樹はどこから切っても芽を吹くので、春の芽吹きや夏の茂りが今から楽しみです。

  「剪定は 見よう見真似で やったため 柿もスモモも 実などつけない」

  「剪定を すれば木々たち 若返る あやかりたいが 髪と爪では」

  「気力ある だけど体力 落ちている 作業しながら しみじみ思う」

  「家のこと 殆んどせずに 生きてきた これから先は つとめてやろう」

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〇世界遺産白川郷を訪ねる(その4)

 世界遺産の登録されている合掌造りに泊まれるなんて夢にも思っていませんでした。「四国から遠い」「雪の時期なので余裕を持って」「講演予定が午前中なのでその日に出発しても間に合わない」という幾つもの理由があって、白川村のご好意で前泊することにしました。宿は合掌造り荻町集落の奥まったところにある古めかしい名前の旅籠「十右衛門」という合掌造りの古民家でした。町内視察や役場での打ち合わせを早目に終えて、宿に着いたのは午後5時前でした。早速宿の長靴を借りて一人辺りを散策しましたが、1メートルを越す雪を被った合掌造りや雪に埋もれた田んぼ等の風景はどれも素晴らしく、思わず見とれながらデジカメで写真を撮って歩きました。宿に帰ると溜めてもらったお風呂にゆっくり入り、午後6時30分から同泊していた北海道大学医学部の2人の学生と夕食を共にしました。海沿いの町に住む私的には毎日魚料理を食べているため、山里の料理は素朴でとても美味しく食べました。十右衛門の80歳になる女将さんは囲炉裏のそばで三味線を弾いて聞かせてくれましたが、哀愁を帯びたこきりこ節やさくらなどは思わず一緒に口ずさみました。

 夜7時半に岩本さんが田舎のオープンカーで迎えに来てくれました。近くの居酒屋で村長さん主催の懇親会をしてくれるというのです。村長さんは元役場の職員らしく気さくな方で、飲むほどに酔うほどに色々な話をしました。残念ながら私は急須いっぱいの熱いお茶を用意してもらい二人に対抗して飲み、お茶を濁してしまいました。帰りは村長さんの奥さんが運転する車で宿まで送ってもらいましたが、ふと私も10円タクシー時代を思い出し懐かしくなりました。
 夜中にドサッという大きな物音がしました。屋根に積もった雪が落ちたのだろうと思いつつ、寒いことからそれから眠れぬ一夜を過ごしました。10時に役場の人が迎えが来るため、のんびりとコタツで朝読書をやり、若い女将さんと色々な話をさせてもらいました。十右衛門さんでは既に息子さんが後をとるべく働いていましたが、高齢化率の比較的低い村とはいいながら、合掌造りを守ることは容易なことではないようです。30年に一回の屋根の葺き替えも助成制度があるものの労力と費用がかさみかなり苦しいようでした。

 賀詞交歓会は中央公民館で行われました。約百人弱の招待客が招かれていましたが、いずれも村を支える重要な人だけに、「新しい発想で生きる」という私の話にも熱心に耳を傾けてもらいました。記念講演が終わると交歓会です。雪に埋もれた田舎の楽しみはやはりお酒で、日ごろの鍛え方が違うのか、またどぶろくで鍛えているためか、酒の飲む量とスピードは聞きしに勝るものでした。私の話に共鳴した人たちが名刺を片手にやって来て、その都度積もる話や楽しい話をさせてもらいました。深山豆腐を作る会社を経営している大野誠信さんなどは、縁もゆかりもないのに昨日私の所へ豆腐を沢山送ってくれたりして、すっかり恐縮してしまいました。
 私は少し早く会場を後にして、雪降りしきる道を役場職員さんの運転する車で金沢駅まで送ってもらい、サンダーバードに乗って元来たルートを大阪まで帰り、大阪で友人たちと打ち合わせや交流を行い一泊し、明くる日の朝早く新幹線と特急しおかぜを乗り継いで昼ころ自宅へ帰りました。長い4日間の旅でしたが、新春早々長年の念願かなって、雪の白川郷を訪ねることができてとてもラッキーでした。来月には私が代表を勤める21世紀えひめニューフロンティアグループの世界遺産を巡る旅で、再び白川郷を訪ねる予定で楽しみです。妻は何年か前雪の白川郷を楽しみにして出かけたのに、何故かその年に限ってまったく雪がなくがっかりしたことを、事ある度に聞くのですが、いつか雪の白川郷へ連れて行ってやりたいと思いました。

  「念願の 雪に埋もれた 白川郷 仕事でラッキー 訪ねて嬉しい」

  「ギュッギュッと 雪を踏みしめ 散策す 合掌造り 屋根を見上げつ」

  「送るから そんな言葉の やり取りで 豆腐が届く 白川郷から」

  「今回も 心に残る 旅だった 雪・人・人情 全て満足」 

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〇世界遺産白川郷合掌造り集落(その3)

 岩本さんの案内で白川村役場を訪ねました。平成の合併話はあったものの、近隣市町村と合併もせず単独で残ることを決断した白川村は人口が1790人程度、平成23年度の予算規模が一般会計で26億80千円、スキー場、温泉開発、公共下水道、簡易水道等の特別会計を有したごくありふれた村ですが、「とりあえず村長室へどうぞ」と案内されて岩本さんから白川村のあらましについて説明を受けました。その説明の中で際立っていたのは観光客の入込み数です。ピーク時の平成20年には1861千人を記録し、東日本大震災の影響を多少受けたというものの、それでも22年度には1590千人と、交流人口の多さに目を見張るのです。宿泊客は年間91千人とこの数字を見た限りでは、観光立村の村であることが良く分かるのです。また最近は台湾等外国からの観光客も10万人を越えていて、まさに世界遺産白川郷という冠の強さを見せ付けているようでした。

 そのうち村長さんが姿を見せ、相次いで村議会議長さんも加わって色々なお話を聞かせてもらいましたが、小さな村にありがちな暗さは微塵もなく、むしろ堂々と歩んでいるような自信を感じさせました。さて世界遺産白川郷合掌造り集落の概要ですが、国の伝統的建造物群保存地区選定が昭和51年9月、ユネスコ世界文化遺産登録が平成7年12月だそうで、この2枚看板の恩恵を受けている荻町地区には合掌建造物が114棟あるようです。1965年頃村内の小集落の集団離村を始めとして合掌家屋の減少が著しく、地域住民の保存意識や機運が高まり、1971年に荻町集落の自然環境を守る会が発足し、合掌家屋を売らない、貸さない、壊さないの三原則の住民憲章を策定し保存運動を推進して今日に至っています。建物や土地の現状を変更する際は、事前に守る会の許可が必要とされていますが、最近は駐車場問題で多少ゴタゴタしていることがマスコミで報道されているようです。
 世界遺産に登録されるには、定められた6つの登録基準のうち1つ以上を満たすことが必要ですが、白川郷荻町の場合は合掌造り家屋の民家建築としての建築的価値が認められ、それがまとまって残り、かつての農村景観を保存しているという集落的価値が登録基準を満たしているのです。

 合掌造りとは、木材を梁の上に手の平を合わせたように山形に組み合わせて建築された、勾配の急な茅葺きの屋根を特徴とする住居で、又首構造の切妻屋根とした茅葺家屋をいいます。屋根の両端が三角形になっているのが特徴で、積雪が多く雪質が重いという白川の自然条件に適合した構造に造られています。日本の一般的な家庭と違うところは、屋内を2~3層に分け屋根裏を積極的に作業場として利用しているところです。幕末から昭和初期にかけて白川村では養蚕業が村の人々を支える基盤産業でした。切妻屋根の建物は南北に面して立てられており、これは白川の風向きを考慮して風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して夏涼しく冬は保温されるようになっています。妻の開口部で風と光を取り込むことで蚕の飼育に適した環境を作り出す生活や生産の機能が家の形となっているところに、合掌造りの美しさを感じることができるのです。
 合掌造り保存には多大な労力と資金が必要ですが、合掌屋根の葺き替えや修理は国・県の補助制度が確立されていて、屋根吹き替えは地区住民の労力提供による共同作業結で行なわれるところが大きく、こうした住民の助け合いの精神が世界遺産登録の際に大きく評価されたようです。

 

  「役場にて 話聞く度 合掌の 集落保存 苦労偲ばれ」

  「好き嫌い 損得よりも 善か悪 世界遺産は 善の塊」

  「結という 助け合いにて 残された 遺産これから 先もしっかり」

  「平準化 された文化の その中で 異彩を放つ 合掌造り」

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人間牧場

〇雪の白川郷(その2)

 東海北陸自動車道の白川郷インターチェンジを降りて岩本さんの案内で先ず、世界文化遺産萩町合掌造り集落が一望できる城山展望台へ向かいました。沿道には除雪で出来たと思われる1mを越す白い雪の壁が出来ていて、縫うように展望台へ登って行くと、お店の裏側にまるで谷底を見るような形で合掌造りの萩町集落が一望できました。次々とやって来る観光客は口々に感嘆の声を連発していました。まさしくこの風景は観光パンフレットでいつも目にする素晴らしい眺望で、まるで夢を見ているような雪景色なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 岩本さんのご配慮で雪道を滑らないようにと、息子さんの長靴を貸していただいたお陰で滑ることもなく展望台でうっとり眺めていました。手持ちのデジカメで写真を撮りましたが、雪の集落はまるでモノクロ写真のように写っていました。岩本さんの友人でアマチュアカメラマンの方が、「記念に一枚撮ってあげましょう」と申し出があり撮ってもらいましたが、残念ながら横に知らない方が写っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私たちはその後昼食時間だったので、集落に入り口付近にある御食事処ゆきんこというお店に入り、私は山菜そばと五平餅を美味しくいただきました。聞けばこのお店は岩本さんのお姉さんのお店だそうで、色々なお話をさせてもらいました。壁に貼っている一枚のポスターを見て驚きました。白川郷の結婚式を写したものですが、何とこれが岩本さんのかつての結婚式の様子だそうで、いい記念になったようでした。

岩本さんの結婚式をあしらった名刺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「モノクロか 写った写真 白と黒 素人私 まるで芸術」

  「念願の 白川郷に やっと来た 感激しつつ 集落眺め」

  「これ僕と 指差すポスター 嫁入りの 姿凛々しき 紋付袴」

  「日本にも こんな世界が あるなんて タイムスリップ したよな気分」

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