人間牧場

〇デイリーインスピレーション

 インターネットに接続している私のパソコンのGメールには、好む好まざるに関わらず毎日たくさんのメールが入ってきます。最近は機械的に迷惑メールが選択されますが、それでも受信欄には私が求めないのに勝手に送られてくるものも沢山あるのです。それらのうち不必要なメールは私の判断によってゴミ箱へ移動するのですが、デイリーインスピレーションという項目は、私に多少の影響を及ぼすような興味ある言葉があって捨て難く、暇を見つけて読んでメモを取ってからゴミ箱へ移動するようにしています。今朝はディリーインスピレーションの欄でなるほどと思う二つの記事を読みました。
 一つは柔道についてです。柔道は高校時代にやった経験がありますが、先ず練習するのは受身です。何回も何回も畳の上で目が回るほど転げる練習をします。受身が大事と諭され少し上達すると、今度は投げ飛ばされる練習をします。まるで稽古台のように仲間や先輩が人の前で、誇らしげに叩きつけるように転がすのです。転がす人を勝者とするなら転げる人は負者ですから、いわば負ける練習をするのです。本来他のスポーツは勝つための練習なのに柔道だけは負ける練習を何回も何回もしながら、少しずつ負けることから勝つことへと上達して行くのですが、初めに潔く転び潔く負けることを教えてくれるので、転んでもすぐに起き上がり、負けてもすぐに立ち直ることができる、それが受身の極意なのです。極意が身につけば達人となるはずですがそこが柔道の奥深さで、黒帯を締めるまでにはかなりの練習が要求されるのです。

 昨日のディリーインスピレーションを読んでいて、もう一つ面白い記事に出くわしました。人間には3つのタイプがあるそうです。①待っている人間、②希望を持っている人間、③種を蒔く人間だそうです。①の待っている人間では問題は解決しないことは分かっていますが、②の希望を持っている人間は素晴らしいと思うものの、希望を持っていてもただ何もしないのは、①の待っている人間と何ら変わりはないというのです。確かに③の種を蒔かなければ花の美しさも味わえないし、果実を手にすることもないのです。種を蒔くことは行動ですが、どんな種をどんな畑に蒔き、どんな育て方をするのか、多分そこには様々な苦労が待ち受けているでしょう。人は得てしていい種を求めたがります。そのためないものねだりでいい種を高いお金を出して求めようとしますが、実はここでいう種というのは自分自身の心の中にあることを忘れてはならないのです。自分自身の行動や才能や能力という種は、最初はたとえお粗末な種でもその気になって水をやれば立派な花や実をつけ果実を刈り取ることが出来るのです。

 デイリーインスピレーションの最後の落ちは、「啓発ソフトを安く販売するからこの機会にあなたも買いませんか」に誘導されるのですが、けちな私はそんな誘導には乗らずまだ一度もそんな投資はしていませんが、この記事こそタダで手に入る私の啓発ソフトなのです。お陰様で随分色々なことを学び、色々な自分の実践に応用してきました。これは誰にでもできることなので、私のようにタダでできる学習をみんなに勧めていますが、私は今後も積極的にやりたいと思っています。
 デイリースピレーションの記事は盗作かどうかと尋ねられたら、はてさてどう答えればいいのでしょうか。勝手に自分のパソコンに進入してきた情報なので、利用しても別に差し支えないような気もしますが、少し後ろめたい気もするようです。まあ情報化社会を生きていくためにはこれくらいの悪用技術(笑い)はあってもいいのではないでしょうか。だってデイリーインスピレーションの記事を、そのまま迷惑メールとして消去するには余りにも勿体ないような気がするのです。

  「パソコンに 勝手に入る あれこれも その気になれば 結構役立つ」

  「迷惑と 思わず生かす 術覚え お陰で知識 随分増える」

  「柔道の 極意は転げ 起きること 受身大事と 教わりました」

  「夢持って いるだけ何も 役立たず 夢の実現 動くが大事」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇怪我をしないために

 自分では気力も体力も十分あると思っていますが、やはり気力と体力のバランスが崩れているのでしょうか?。最近何かにつけて怪我をすることが多くなり、自分なりに心配をしています。庭の草削りをしていて庭木の枝に頭をぶっつけたり、気の根っこに躓いてよろけ転んだりして、生傷が絶えないのです。その都度妻はリバテープを張ってくれたり、「危ないから気をつけて」とか、「もう若くないんだから」とかシャクに障るような言葉で注意をされるのです。確かに姓は若松だし名前も進一で若く見えますが、完全な高齢者なのです。私の最近のテーマは「どうしたら老化を防ぐことができるか」ですが、誰にでもやって来る老いはそう簡単に回避することは出来ないようです。
 それでも年齢に関係なくその気になれば鍛えることが出来ると信じて、毎日の積み重ねが大事とばかりに、毎日一万歩歩くことを心がけたり、鍛えているつもりの柔軟体操をしながら日々を暮らしているのです。お陰で多少の怪我をするものの体調的にはこれまでの体重をキープして、今のところ不調なところはないようです。

 怪我をしないためには3Sに気をつけるようにいわれています。セーフティガード、スローライフ、サポートのSという頭文字を取ったものです。セーフティとは安全性です。何よりも優先するテーマで、危険なことには極力近づかないことだし、危険に近づくためにはそれ相応の危険回避のためのやり方をしなければなりません。私がこれまで一番大きな事故に遭ったのは、裏山が台風で崩れその後片付けをしている最中チェンソーで足を切ったことです。救急車で運ばれ大手術をして20日間入院した結果元通りに治りましたが、冬寒くなると少しその古傷が痛むのです。元々チェンソーはその安全な使い方を教わっていませんので、見よう見真似でやっています。チェンソーは先ず何よりも極力使わないことです。どうしても使わなければならない時は、足場をしっかりと確保して、特に立木を伐採する時はチェンソーの刃先が気に食い込まないよう要注意です。自分だけでなく回りにいる人にも注意を払い作業したいものです。近々クヌギの木を伐採して薪を作る計画ですが、薪を割るマサカリにも要注意です。

 スローライフも大切です。私は中四国や九州等の近県市町村へは車で講演に出かけます。車はいわば走る凶器です。極力公共交通機関を使うべきだし、止むを得ず使う場合はスピードを押さえなければなりません。年末に出張先の鳥取県大山山麓の高速道路でスリップ事故を起こしたハプニングは、幸い人身事故には至りませんでしたが、雪道の怖さを嫌というほど味わいました。スローな生き方は、毎日あくせく働くこれまでの私の正確には合いませんが、何事もスローを心がけたいと思っています。「♭明日があるさ明日がある♯」という歌の文句のように極力生きたいものです。
 さて3つ目のSはサポートです。自分以外のサポーターの協力を得たり、補助具を使ったりすることは勿論ですが、事故や怪我に遭わないため自分自身の体力や筋力を常日頃から確保することです。そのためにはもっと運動をしなければなりません。歩く程度では筋力アップにはならないので、少し方法を考えて見たいと思っています。今年の1月3日の誕生日が来ると私は68歳になります。いよいよ大台も間近になり高齢者の仲間入りです。でも歳をとることを否定的には考えて生きようとは思いません。3Sに気をつけて健康な人生を送りたいものです。

  「3Sを 肝に銘じて 怪我しない そんな一年 目指し頑張る」

  「もう一度 安全視差で 確認す そんなゆとりを 持ちたいものだ」

  「遅いこと 早いことより 優先す 歳のせいにし ゆっくり生きる」

  「出来ぬこと 恥と思わず 出来ぬなら 協力求め 生きて行きたい」

[ この記事をシェアする ]