〇世界遺産白川郷を訪ねる(その4)
世界遺産の登録されている合掌造りに泊まれるなんて夢にも思っていませんでした。「四国から遠い」「雪の時期なので余裕を持って」「講演予定が午前中なのでその日に出発しても間に合わない」という幾つもの理由があって、白川村のご好意で前泊することにしました。宿は合掌造り荻町集落の奥まったところにある古めかしい名前の旅籠「十右衛門」という合掌造りの古民家でした。町内視察や役場での打ち合わせを早目に終えて、宿に着いたのは午後5時前でした。早速宿の長靴を借りて一人辺りを散策しましたが、1メートルを越す雪を被った合掌造りや雪に埋もれた田んぼ等の風景はどれも素晴らしく、思わず見とれながらデジカメで写真を撮って歩きました。宿に帰ると溜めてもらったお風呂にゆっくり入り、午後6時30分から同泊していた北海道大学医学部の2人の学生と夕食を共にしました。海沿いの町に住む私的には毎日魚料理を食べているため、山里の料理は素朴でとても美味しく食べました。十右衛門の80歳になる女将さんは囲炉裏のそばで三味線を弾いて聞かせてくれましたが、哀愁を帯びたこきりこ節やさくらなどは思わず一緒に口ずさみました。
夜7時半に岩本さんが田舎のオープンカーで迎えに来てくれました。近くの居酒屋で村長さん主催の懇親会をしてくれるというのです。村長さんは元役場の職員らしく気さくな方で、飲むほどに酔うほどに色々な話をしました。残念ながら私は急須いっぱいの熱いお茶を用意してもらい二人に対抗して飲み、お茶を濁してしまいました。帰りは村長さんの奥さんが運転する車で宿まで送ってもらいましたが、ふと私も10円タクシー時代を思い出し懐かしくなりました。
夜中にドサッという大きな物音がしました。屋根に積もった雪が落ちたのだろうと思いつつ、寒いことからそれから眠れぬ一夜を過ごしました。10時に役場の人が迎えが来るため、のんびりとコタツで朝読書をやり、若い女将さんと色々な話をさせてもらいました。十右衛門さんでは既に息子さんが後をとるべく働いていましたが、高齢化率の比較的低い村とはいいながら、合掌造りを守ることは容易なことではないようです。30年に一回の屋根の葺き替えも助成制度があるものの労力と費用がかさみかなり苦しいようでした。
賀詞交歓会は中央公民館で行われました。約百人弱の招待客が招かれていましたが、いずれも村を支える重要な人だけに、「新しい発想で生きる」という私の話にも熱心に耳を傾けてもらいました。記念講演が終わると交歓会です。雪に埋もれた田舎の楽しみはやはりお酒で、日ごろの鍛え方が違うのか、またどぶろくで鍛えているためか、酒の飲む量とスピードは聞きしに勝るものでした。私の話に共鳴した人たちが名刺を片手にやって来て、その都度積もる話や楽しい話をさせてもらいました。深山豆腐を作る会社を経営している大野誠信さんなどは、縁もゆかりもないのに昨日私の所へ豆腐を沢山送ってくれたりして、すっかり恐縮してしまいました。
私は少し早く会場を後にして、雪降りしきる道を役場職員さんの運転する車で金沢駅まで送ってもらい、サンダーバードに乗って元来たルートを大阪まで帰り、大阪で友人たちと打ち合わせや交流を行い一泊し、明くる日の朝早く新幹線と特急しおかぜを乗り継いで昼ころ自宅へ帰りました。長い4日間の旅でしたが、新春早々長年の念願かなって、雪の白川郷を訪ねることができてとてもラッキーでした。来月には私が代表を勤める21世紀えひめニューフロンティアグループの世界遺産を巡る旅で、再び白川郷を訪ねる予定で楽しみです。妻は何年か前雪の白川郷を楽しみにして出かけたのに、何故かその年に限ってまったく雪がなくがっかりしたことを、事ある度に聞くのですが、いつか雪の白川郷へ連れて行ってやりたいと思いました。
「念願の 雪に埋もれた 白川郷 仕事でラッキー 訪ねて嬉しい」
「ギュッギュッと 雪を踏みしめ 散策す 合掌造り 屋根を見上げつ」
「送るから そんな言葉の やり取りで 豆腐が届く 白川郷から」
「今回も 心に残る 旅だった 雪・人・人情 全て満足」