〇病院の待合室の本棚に私の自著本が置かれていました。
2~3日前から歯の調子が悪いので病院へ連れて行って欲しいという93歳の親父を連れて、今朝は松山の総合病院へ出かけました。妻が歯科医院に勤めているのに他所の病院で診療するとは何とも可笑しな話ですが、親父の場合は若い頃鼻ガンを患い、頬骨から下の殆んどを手術で取っているため、専門の歯科治療が必要なので仕方がないのです。予約をしていないので多分午前中いっぱいはかかるだろうと思いつつ、また正月明で病院は込むだろうから少し早めに出て純場mmを待つしかないなと、少し腹をくくって7時50分に家を出ました。国道は正月の喧騒も収まって、どちらかというと日常より車が空いていて、受付の始まる8時30分に到着しました。親父は高齢で身体障害者なので、いつもの事ながら駐車場が満車でも優先駐車場へ案内してもらい病院へ入りました。 初診といいながら1ヶ月前に受信しているので自動受付へ案内され、受診票を歯科の窓口に提出しました。月が替わっているので保険証等の提示を求められましたが、やがて待合席でで待っていると、反対側のがん患者が出入りする窓口の下の本棚に目が行きました。小さな本棚にはがん患者向けの自我を超越して生きる生き方の本に混じって、見覚えのある本が一冊置かれているのです。
そばに寄ってよく見ると、何と驚いたことにその本は紛れもなく私の自著本、「昇る夕日でまちづくり」という二版目の本でした。「何でこんなところにあるのだろう」と不思議に思いました。察するに患者さんか付き添いの人が読んだ後献本されたのでしょうが、可笑しな巡り会わせです。 私は早速その本を手にとってパラパラとめくりました。もう10年も前に出した本ですが、その内容は自分が書いたものだけに懐かしく、そこここに思い出の跡が読み取れました。 しばらくすると看護婦さんが、「若松進さん中へお入り下さい」と呼んでくれました。親父のオーバーと帽子を脱がせ小さなバッグを私に渡し、親父はさっさと治療のために診察室の中へ入って行きました。前回までは一緒に治療室に入って親父と先生の通訳をしていましたが、今はそれもなく一人で先生に色々な話をしているようでした。治療をしている時間は10分ほどでしたが、お陰で自著本に出会い、自著本をめくる機会を得ました。
予約もなく初診ながら、今日は自宅へ10時に帰る幸運に恵まれました。普通病院から帰るとぐったりする親父も、帰りに伊予市のAコープに立ち寄り好みのせんべいまで買い求め、今日はすこぶる元気で帰宅しました。歯の調子は食事をして見ないと分かりませんが、せんべいを買うくらいですからいいものと思われます。 この歳になって親孝行の一つも出来ない私ですが、私の空いている時間を利用して、せめて行きたい所くらいは連れて行ってやりたいと、殊勝にも思いました。 このところ年末年始は寒く今日は小寒で寒の入りのようです。これから寒さが一段と厳しくなるものと思われますが、風邪を引かないようにしてこの冬を元気に乗り切って欲しいと願っています。少しだけ足元がおぼつかなくなり、どことなく背丈が縮んだような感じのする親父にとって気がかりなことは、自分の体の自由が歳を重ねる毎に不自由になることです。時々弱音を吐いて「特老にでも入りたい」などと漏らしたりもしますが、許す限り家族で在宅介護をと願っています。夕食だけは妻が作っていますが、洗濯も掃除もすべてまだ自分で出来るのですから大したものです。老人が老人の介護をする、いよいよ老・老介護の時代がやって来ました。
「病院の 待合室の 本棚に 俺の自著本 驚きました」
「この歳に なっても未だ 親孝行 できぬ自分を 少し恥じつつ」
「老人が 老人介護 する時代 高齢社会 やって来ました」
「二十年 余り後には あのように なるのか俺も 少し寂しい」