shin-1さんの日記

○喫茶店で「夕日徒然草・火の書」の校正

 年輪塾の清水塾頭から、私が執筆して出版し続けている「夕日徒然草・火の書」の初校が上がってきたので、校正をして欲しいと連絡がありました。今日か明日校正しないと月末に開く年輪塾に間に合わないため、予定を見計らって松山で校正打ち合わせをすることになりました。はてさてこんな場合これまでだと、松山の中心部日銀松山支店のすぐ横にあったえひめ地域政策研究センターを利用させてもらっていましたが、センターがこの春JR松山駅筋の宮田町へ移転したため、加えて松本さんも3年間の出向を終えて帰郷したため、結局は方面にある息子嫁の実家が営む喫茶店王珈人を思いつき、仕事が終わった午後6時に待ち合わせました。

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(校正場所はしっとりとした佇まいの喫茶店です)

 目と鼻の先に息子夫婦が住んでいるため、せっかくだからと妻が夕食の惣菜を作り、ついでに娘夫婦のマンションにも持って行きました。昨日はいただき物のオコゼと野菜のかき揚げを天ぷらにしたようで、車のトランクに入れた天ぷらの匂いが車内に匂って、夕食前の空腹を感じさせました。

 昨日は急いでいたこともあって高速道路を伊予~松山間を片道だけ無料で通ったため、6時の待ち合わせ時間にやっと間に合いました。喫茶店珈人に入ると、オーナマスターである息子嫁のお父さんとお母さんが久しぶりの来店に驚いた様子でした。いつもだとカウンターに座ってブラックならぬホワイト(ミルク)を注文するのですが、打ち合わせもあるので入り口近くの席に陣取り、おっつけやって来た清水さんと二人で、コーヒーとミルクを飲みながら早速校正に取り掛かりました。

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(念入りに校正する清水塾頭)

 今回も今治の村上太さんに印刷製本を任せていて、私がCDで持ち込んだ文字がゲラ原稿に仕上がり、赤い校正付箋がつけられて部分をページを捲りながら入念にそしてざっと校正をしました。今回の「夕日徒然草・火の書」は「地の書」「水の書」に次ぐ3作目です。既に発刊した2冊にはそれぞれ30話ずつが収められていますが、今回も61話から90話まで30話を書いています。リード文と目次を含めると64ページ仕立てなのです。計画では来年「風の書」、再来年「空の書」を執筆発刊する予定で、5年間で五輪の書が出来る計画です。

 初校作業は1時間ほどで終わりましたが、今月末に迫った清水塾頭のあらし山での年輪塾の打ち合わせを、四方山話を交えながら話しました。5年間で150話というとんでもない思いつきで始めた夕日徒然草も、清水塾頭の二校を経て今月22日には製本完成の運びとなります。この「夕日徒然草・火の書」をネタにまたまた忙しい落伍三昧の日々が続きそうです。


  「落伍ネタ 文字にしたため 本にする 塾頭支援 感謝をしつつ」

  「校正の ゲラを読みつつ 赤入れる 別人見ると ほころび目立つ」

  「コーヒーを 飲まない私 喫茶店 ホワイト一杯 2時間粘る」

  「さあこれで 火の書片手に 話芸する 落伍三昧 笑いを取りて」

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○高速道路無料化実験の行方

 物議を醸し政争の具にされた高速道路無料化も、選挙の人気取りとも思えるような参議院議員選挙のさ中のこの時期に、全国の20パーセントの路線で実験と称する無料化が実施され始め、約一週間が経ちました。無料化された路線では当たり前のことながら交通量が増え、目立った混雑や渋滞は梅雨の時期なのでまだありませんが、日ごろはケチで勿体ないと高速道路を利用しなかった人たちの中には、無料ならとばかりに高速道路に乗り入れ、物見遊山しているようです。このままだと今年の夏は無料化路線で大渋滞が起りそうな予感がするのです。

 かくいう私も人のことをとやかくいえる人間ではなく、松山で急ぎの用事があって既に2回も伊予~松山間を往復しているのです。伊予インターチェンジは松山~宇和という無料区間にあって、私の町から一番近いインターチェンジなので、松山へ行くには9キロ程度の短い区間ですがすこぶる便利です。この高速道路を利用すれば松山まで30分圏内になるのです。しかし利用した2回とも午後5時前後の交通量の多い時間帯だったので、松山インターチェンジ周辺が混雑していて、少しイライラしてしまいましたが、無料のしっぺ返しなので自分自身を納得させました。

 妻は運転未熟なためか高速道路を走るのが苦手のようで、同乗して高速道路を走る度に助手席から「スピードを出し過ぎ」だと再三注意をするナビゲーターなので、高速道路無料化には大反対です。その理由は「高速道路の維持管理のためには利用者が負担するのが一番公平」だというのです。私も同感で財源不足で消費税を10パーセントに値上げする話が、今回の参議院選挙で大きな争点になっていることを思うと、まず高速道路は受益者負担に戻した方がいいと思っています。

 総論賛成各論反対と賛否両論ある中で無料化実験事業は始まり、少なくとも一年間は続けるようなのですが、気がかりなことも幾つかあります。

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(国道56号線沿いの東峰スイカにも大きない影響が出ています)

 その一番大きな気がかりは、無料化の恩恵に浴する地域と無料化で悪影響を受ける地域が際立つことです。「何処まで行っても休日は1000円」を謳い文句に何年か前に始まった実験事業は、3本の橋が架かる瀬戸内海に大きな傷跡を残しました。いわゆるフェリー航路の廃止です。橋が架かったことによる打撃の中で公共の足として努力していた船会社の殆どは、廃業倒産に追い込まれ大きな社会問題となりました。今回の無料化も沿線南予地域にとっては効果があるのかもしれませんが、平行路線である56号線や私の町を通る378号線などは、既に交通量がかなり減っているのです。交通量が減れば静かになるのはいいのですが、はてさて道の駅などは閑古鳥が鳴くのかも知れません。政治家や政党の思い付きが思わぬ影響を与えます。選挙ではそのことも見極めて投票しようと思っています。


  「無料だと 聞いて高速 使う人 多く渋滞 仕方がないか」

  「便利だが 笑ってばかり いられない しっぺ返しが そのうち来るよ」

  「情けなや 単純アホな 日本人 タダなら俺も あやかりたいと」

  「妻の言う ことが正しい そう思う 政治家妻と 変わって欲しい」

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○月刊公民館7月号に私の書いた論考「地域づくりと公民館」が掲載されました

 昨日外出先から帰ると宅配便で封書が届いていました。郵便物が自由化されてからはこのように宅配で届けられることも結構多いのです。風を切ってみると中から月刊公民館7月号が出てきました。今月号はまちづくりと公民館の特集であり、ページを捲ると月間公民館編集部が書いた「はじめに」という文章中ほどに「~前略~、一方で、大変元気な地域もあります。たとえば、宮崎県の綾町や愛媛県伊予市、~後略~」と、輪がい諸氏が紹介されていたり、さらに捲ると20ページから4ページ仕立てで、「地域づくりと公民館」というタイトルの私の記事が掲載されているのです。

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 デジタル記録で残すためスキャナーで処理したので、ついでにブログ掲載と相成りました。相変わらずの拙文ですが、「夕日と予讃線海岸回り存続運動」と「ホタルによるまちづくり(学校校舎保存活動)」の二つを例切り口にして、地域づくりと公民館について書いてみました。

 月刊公民館は専門誌なので、社会教育関係者以外の目に触れることは余りありません。また最近は公民館関係者ですら、予算の圧縮で年間購読打ち切りに遭い、個人的に月刊公民館を定期購読するような熱意のある人も少なくなっているのですから、読まれていないようです。


 私のページの直ぐ後ろに、「天気予報は面白い」というタイトルで、NHKのテレビによく出ている気象予報士平井信行さんが、「雨量の単位はどうしてミリなの?」と面白い記事を書いています。「雨量の単位はmmで表します。私たち気象予報士は放送などでは単にミリといいますが、mmのことです。つまり深さのことをいいます。雨量という言葉から単位はm?ではないかと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。」と書いています。

 「雨量の測り方は簡単です。雨が降っているときに、家にあるコップを外に置いて決まった時間になったら深さをものさしで測るだけなのです。雨量は深さを測るので容器の大きさとはまったく関係がないのです」とも記されていました。


 ためになるのはその後です。「10分間で100メートル四方に5mmの雨が降ったとしましょう。これが5m四方のの穴に流れ込んだとしましょう。たった10分間で2mの深さの雨水が溜まるのです。この穴なのなかで人が作業していた場合は、推進が身長を超え、命にかかわってきます」「つまり、1mm単位で雨量を測る理由は、わずか1mmの差でも分けるからなのです」と・・・・・。月刊公民館にこんなコラムが載っているのも面白いと思いました。

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  「月刊誌 またまた拙文 載っている 読む人いれば 恥をかくとこ」

  「もうこれで 終わりといつも 思いつつ 原稿依頼 請われるままに」

  「次ページに 気象予報士 平井さん 雨量の単位 ためになる記事」

  「あああれも 書けばよかった 思うけど 後の祭りだ どうにもならぬ」

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○人間牧場で県公連OB公友会を開きました

 「お父さん、あなたは天気には滅法強い男ね」と妻が言うように、私は住民運動や公民館活動など、どちらかというと戸外での活動が多いのに、何故か天気についているのです。一昨日の底引き網体験も梅雨の間隙をかいくぐって実施したし、昨日の県公連OB「公友会」も10時から15時までは雨が止んで、皆さんが帰られるや否や雨が降り出すという、まさに神業的なラッキーさでした。昨日の場合は人間牧場の水平線の家の中での催しなので雨が多少降ってもどういうことは無いのですが、大きな観音開きの戸を全開して、ウッドデッキでの眺望や談笑を楽しんでもらうためには、どうしても雨は困るのです。あいにく昨日の瀬戸内海は霧が低く垂れ込めて自慢の眺望は出来ませんでしたが、それでもまるで墨絵を見ているような幻想的な眺望が見え、ウッドデッキも乾いて談笑の小さな輪が幾つも広がっていました。

 昨日集まったのは17人に手伝いの妻を含めると18人でした。県公連の現岸尾・前菅会長さん、讃岐先生も参加され、1年ぶりの懐かしい再会となりました。昨年の総会で「次回は人間牧場で」という皆さんのリクエストが強くて、私も一度は来てもらいたいと思っていただけに嬉しい出会いでした。参加する予定だった盟友菊地邦求さんが検査入院のため来れなくなったりして少し残念な思いもしましたがまあ次の機会もあるのでと諦めました。

 妻は集まるメンバーの何人かを知っているし、私が県公連と深い付き合いがあることを百も承知しているので、昨日から天草でフルーツゼリーを作ったり、郷土料理鯛麺を作ったり、また当日は料理を運んだりしながら献身的に手伝ってくれました。いつもながら嬉しい手助けをして感謝しています。またメンバーである米湊さんと松本さんは渡邊事務局長さんとともに、酒も飲まず人員輸送に協力していただきました。

 私は昨日8時に人間牧場に上がって掃除と風呂沸かしをし、急いで下山して集合場所のシーサイド公園で皆さんと落ち合い、シーサイド公園の物語を案内しました。漁協女性部の富岡さんにはお茶やじゃこ天を振舞って、お土産にじゃこカツまで揚げていただきました。

 人間牧場に到着した一行は一年ぶりの再会を喜び、総会行事の後私の話を聞いていただきました。公民館主事を異動で辞めて25年、中央公民館長を合併による退職で辞めて5年、その後も県公連の専門委員として今も公民館に深く関わる私ですが、日本一を目指して公民館活動に明け暮れた想いの灯は消えることなく生き続けているのです。そんな志を共有する気心知れた仲間たちですから、昨日は大いに語り合いました。

 その楽しい語らいをスナップで記録してみました。

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(開会挨拶をする魚島村の元村長で公友会会長の佐伯さん)
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(気心を許して一緒に活動した旧中島町の古野セキエさんと旧玉川町の井出サツミさん、向うは旧広見町の西村司郎さん)
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(懐かしい顔ぶれの揃った楽しい会食)
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(妻も一役買いました)

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(友情の輪はウッドデッキにまで広がりました)
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(ロケ風呂で足湯を楽しむ美女二人とイケメン谷本さん)

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(次代を担う若手のホープ松本さんと谷本さん)

  「雨降らず 天も見方の 公友会 懐かし顔が 揃いて嬉し」

  「それぞれの 人にそれぞれ 人生が 近況報告 ついつい長く」

  「来たいけど 来れない理由 したためて 欠席友の 少し気がかり」

  「いつの間に みんな歳とる 公友会 再会誓う 言葉疑う」

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○底引き網漁体験は大漁でした②

 1時間半ばかり下灘沖合いから伊予市沖合いまで網を引きました。時折向井幸男船長さんとエンジン音を意識てかなり高いトーンで話し合いました。最近の漁獲状況、漁船の魚群探知機やレーダー、自動操舵装置の話、改定の状況などなど、色々な話が聞けました。私もかつて40年前に漁師をして漁船に乗って漁をしていましたが、当時とは何もかにもが雲泥の差なのです。

 そうこうしている内に僚船から携帯電話が入りました。かつてのような無線連絡はすっかり影を潜め今は盗聴も出来ない携帯連絡のようでした。さあ網揚げです。船上に期待と危険の緊張が再び走りました。

 私たちが乗せてもらった向井さんの船は一人乗りなので、合羽ズボンを履いた船長さんはプッシュボタンやハンドル操作で一人何役も器用にこなし、どんどん網がドラムに巻かれ引き上げられて行きました。そのうち網が上がると、大きな鯛が小魚に混じって見えてきました。水深26メートルほどの海底でさっきまで泳いでいたであろう魚たちは文字通り一網打尽されて引き上げられました。

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 引き上げられた袋網の網口糸が開放されると、中から勢いよく鯛や小魚が飛び出してきて、子どもたちから大きな歓声が起りました。船長さんの指示に従って私が籠に入れられた魚を生簀まで運び入れるのです。大きい真鯛が4匹、これまた大きい柳鯛が2匹、そしてオニオコゼが20匹と大漁でした。

 船長さんは赤エイの尻尾を起用に鋏で切り、これも生簀へ運びました。危険でなくなったので子どもたちは歓声を上げながら選別を始めましたが、下を向いて魚を選別すると子どもたちは必ずと言ってよいほど船酔いが始まります。案の定全員が船酔いしてしまいダウンです。

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 雲行きが怪しくなったので操業は1回で終了し港を目指して寄港し始めました。船長さんは網を洗ったり船を片付けたり何かと忙しく働いていましたが、子どもたちはビニールシートの上でごロリ横になって夢心地でした。

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 港に船を係留し陸に上がってやっと子どもたちは正気を取り戻した格好でした。漁獲した魚はすべていただいて出迎えに来た宮栄公民館長のトラックに積み込み、市役所支所の裏の集会場へ運んで、早速海鮮バーベキューの準備をしました。事務局の用意した包丁類は少しお粗末なため、私は自宅に帰り愛用のウロコ取りと出刃包丁を持参し、真鯛、スズキ、柳鯛、太刀魚などを刺身にしました。50人もの人が食べる料理ですからその量も半端ではなく、悪戦苦闘しました。折から降り出した雨の中で調理を行い、おにぎりだけを持参した子どもたちは海鮮料理に舌鼓を打ちました。

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  「大漁の 魚を前に 歓声が しかし子どもは 直ぐに船酔い」

  「美味しいね 食べる食べる 手作りの 海鮮料理 みんな満足」

  「愛用の 包丁持ち込み 料理する おだてに乗って 得意顔する」

  「さっきまで 船酔いしたとは 思えない さすが子どもは 元気一番」

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○底引き網体験①

 子どもふるさと体験塾では毎年、海の町らしく子どもたちを船に乗せて海に連れ出し、基幹産業である漁業の作業風景を体感してもらおうと、青島漁船クルーズなるプログラムを実施しています。予定では先週土曜日でしたがあいにく梅雨時期の雨や風の注意報が発令され、延期を余儀なくされていました。昨日はその代替日なので、数日前から天気予報を気にしつつ待っていましたが、実行委員長である私の元へ「今日は実施します」と事務局の赤石公民館主事さんから一報が入ったのは午前6時過ぎでした。

 早速身支度を整えスタッフ集合場所である上灘漁港へ、スタッフ集合時間である午前7時に単車で向かいました。到着するなり妻から携帯電話が入り、「雨の確立が70パーセントのようなので、雨合羽を用意しているから取りに帰るように」言われました。事務局でも簡易なビニール雨合羽は用意していますが、雨になると撤収用の作業が必要となるため完全防備の雨合羽は必要なので、心の中で妻に感謝しました。そのうち子どもたちも三々五々集まってきて受付を済ませ、漁協が用意してくれた最新の救命胴衣を体に装着し始めました。

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 この救命胴衣は今までのライフジャケットとは違って、万が一海に転落すると内臓のガスボンベの弁が開き膨れるようになってなっているのです。ハイテク救命胴衣の説明をしようとしている矢先、子どもの一人が触って遊んでいると、誤って賀詞ボンベの紐を引っ張ってしまい、エアーバッグが開いてしまいました。スタッフも子どもも驚いてその子どもの回りに集まり、ちょっとしたハプニングは思わぬ救命胴衣の説明会に早替りして、元気な子どもたちの一面を垣間見ることが出来ました。

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 海の上、しかも底引き網の作業は危険を伴うので、開会式ではその辺を厳重に注意して、さあ細い歩み板を渡って乗船です。船は5隻用意されていて、子どもたちも5~7人に班分けされて3~4人のスタッフとともに、敷いたビニールシートに行儀よく座らせ港を時間通り8時に出港しました。

 昨日の漁場は上り潮なので下灘沖合いまで5席の漁船が船団を組むように中海まで走り、早速網入れです。太いローラに巻かれた重い網やロープが船長さんの手で勢いよく繰り出され、長さ10メートルもある網口張り棒を装着して海の中へ消えて行きました。

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 この日の海は雨も小康状態で降らず、心配されたやまじぜ風も吹かず、絶好のコンディションでした。網を引く漁船のエンジン音が響く中、底引き網漁は約一時間半ほど続けられ、何もすることがない子どもたちやスタッフは思い思いに話や遊びに講じていました。私も看護師で同乗した井上香代子さんと積もる話をしました。井上さんとはかつてフロンティア塾でご一緒し、10年で40回の殆どに参加した懐かしい思い出話に花を咲かせました。船から見える山の中腹には人間牧場も見えて、いつもだと人間牧場から海を見るのに、この日ばかりは海から人間牧場を見ていました。

  「侮るな 何より安全 第一と 開会挨拶 ゲキを飛ばして」

  「雨風も ない海まるで 鏡のよう 海の彼方に ふるさと見える」

  「フロンティア 塾で学んだ 盟友と 懐かしみつつ 昔を語る」

  「底引きの 網を入れたる 緊張感 いつしか消えて 船上笑みが」

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○9月1日講演の事前調査

 昨日は午前中は中学生の職場体験、午後は講演の事前調査と2度も人間牧場へ行き、農作業をしたこともあって多少疲れました。今年の9月1日、広島県福山青年会議所の招きで福山市へ講演に行く予定ですが、今年の2月に講演で知り合った青年会議所メンバーからの依頼でもあり、その事前調査に午後4時に二人の青年がやって来ました。午後4時に道の駅ふたみシーサイド公園で待ち合わせたのは、夕日を見れる時間に合わせたからです。しかし残念なことに昨日は午後から小雨が振り始め、自慢の夕日は見ることができませんでした。ご希望のシーサイド公園、人間牧場、私設公民館煙会所、翠小学校を約3時間の短い時間で見学しながら、9月1日の打ち合わせを行いました。

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 二人は私の本「昇る夕日でまちづくり」を読破して付箋を付けて望むなどかなりの熱心さで、話はトントン拍子に進みました。雨の薄暗い夕暮れ時にせかされるよう、6時過ぎに翠小学校に到着しましたが、幸いなことに和田校長先生の計らいで見学をすることができ、二人も感激の面持ちでした。

 福山まではしまなみ海道を通って3時間弱かかるため、岐路に着かなければならない時間が迫っていて、和田校長先生からいただいたパンフレットを見ながら駆け足の見学となってしまいましたが、いいパンフレットを作っていて、これさえあれば素人の私でも説明が出来るものでした。

 別れ際私が彼らに預けたDVDやスライド、それに事前調査を元に3分程度の映像資料を作って講演に備えるそうですが、9月1日福山での講演が楽しみになってきました。そういえばずっと先のことだと思っていましたが、月も替わって2ヵ月後なんだと感じながらシーサイド公園で二人別れました。二人はご無事で帰ったのでしょうか?。

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○中学生が人間牧場で職場体験活動

 最近の学校教育は、学校内での教科書による学習以外に、地域に出向いて様々な体験を経験する学習機会が増えているようです。昨日は地元双海中学校の生徒が職場体験で人間牧場へやって来ました。「えっ何で人間牧場が職場なの?」と思うかも知れませんが、実は人間牧場では教育委員会が人間牧場と共催で子ども体験塾を開いていて、公民館主事さんがその事務局として企画立案や運営に深く関わっているのです。つまり中学生が職場体験先として選んだのが公民館で、その職場で働くのが公民館主事さん、まあ早くいえば職場体験の下請けみたいなものなのです。

 宮栄君と吉田君は公民館主事の赤石さんに連れられて、約束どおり午前9時に人間牧場へやって来ました。私は今週末日曜日に公民館OBの人たちが夏の勉強会で見えられるので、8時前に人間牧場へ到着して草刈機をブンブン回して草刈をしていました。既にウッドデッキ周辺の草を刈り終わっていましたが、二人の中学二年生と赤石公民館主事さんの仕事は5月24日に植えたサツマイモ畑の草引きや草刈なのです。

 その後サツマイモはすっかり順調に育っていますが、畝間には雑草がかなり生え、網で作ったフェンスにもカズラや雑草が生い茂っているのです。3人は私の指示や指導に従っていっぱい汗をかきながら草取りをしていました。

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 私はもっぱら周囲の草刈に専念し、まるでスカートを捲るように網を市中の上に上げて草刈機で草を刈って行きました。維持間あまりの作業で全員かなりの汗をかきました。幸い赤石さんの用意した蚊取り線香や虫除けスキンガードのお陰で蚊やブトに刺されることもなく作業を終えることが出来ました。

 三人は冷蔵庫から取り出した三ツ矢サイダーを美味しそうに飲み長柄私の質問に答える形で雑談しました。「将来何になりたいか」「何でこの職場を選んだのか」「仕事をしての感想は」などと聞きましたが、面白い話を随分聞くことが出来ました。

 宮栄君と吉田君はおもしろ教室の終了生で小学生の頃人間牧場でサツマイモ植え体験をしているので、この日は今まで経験したことのないミツバチの巣箱掃除をしてもらうことにしました。まず私が実際に防虫用の黒いネットを頭から被り、ビニール手袋をはめ、実際にやって見せました。この日は天候のせいでしょうか、どの巣箱も沢山のミツバチが入り口付近に群がっていて、底へ手を入れるのはかなり勇気が要るような雰囲気でした。

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 二人はミツバチに刺されはしないだろうか心配で、最初は多少腰が引けていましたが、黒子にも似た防虫ネットを被り、そのうち馴れてヘラと刷毛を使って上手く作業をしていました。特にミツバチの巣箱の中を実際にひっくり返して覗いたり、デジカメを巣箱の中に突っ込んで撮影したりして、そのド迫力に圧倒されていました。

 作業後冷蔵庫に保管している蜂蜜の味見をみんなでしましたが、その美味しさにもびっくりしていました。3人はその後水平線の家の掃除を手伝い、午前中で山を下りて行きましたが、いい職場経験が出来たようでした。

  「草取りと ミツバチ巣箱 掃除する 職場体験 苦しく楽し」

  「汗かいて 体験すれば 忘れない 立派に育て 二人の子ども」

  「ミツバチの 不思議発見 次々と 最後蜂蜜 美味い美味いと」

  「束の間の 梅雨の晴れ間に 草を取る すっかり綺麗 ビフォー・アフター」

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○全国制覇をした人たちのまとめた顕彰碑

 私は地元の由並小学校、双海中学校と松山工業高校の学校評議員をしています。由並小学校は6月28日夜評議員会が開かれ、教育議論を交わしました。双海中学校は間もなく開かれるもの思われますが、松山工業高校の評議員会が昨日午後3時から開かれ出席しました。小学校も中学校も高等学校も全て子どもたちの母校なので、それなりの思い入れもあって意見を述べています。


 松山工業高校は3人の息子全ての母校で、特に私は6年間もPTAの会長を務めたのです。ですからもうかれこれ20年近くもこの学校にかかわり、PTAOBの集まりである真砂会の会長も務め、昨年100周年を迎えた記念事業期成会の顧問としてこれまた関わらせてもらいました。請われるまま評議員を務めていますが、もうそろそろと思いつつ断る理由もなく今年度も就任して要らぬ意見を述べているのです。


 義務教育の小学校や中学校と違い、高校は試験をパスして入学してきます。ゆえにレベルはそれなりに高いと思われますが、学校には学校の悩みもあるようです。それでもマニフェストとして掲げた数値目標を目指し教職員115名、生徒1020名(全日制967名、定時制53名)がそれぞれの立場で努力しているようです。

 学校の校門を入った所に校歌に歌われた百錬鉄にちなんだ百錬館という建物がありますが。そこに100周年期成会がこのほど記念碑を贈りました。これまでの長い100年間の高史の中で全国制覇した人の名前が顕彰されているのです。

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 昨日評議員会が終わり他の評議員と、校長先生の案内で見せてもらいましたが、中々立派な顕彰碑でした。愛媛県内の他の学校なら甲子園での優勝とかがあるのでしょうが、工業高校ゆえにそれほど多い数ではありません。最近はばバレーボールやサッカー、バスケットなどが活躍していますが、全国制覇は未だ遠い道なのです。でもこうして歴史野中に生きた人を刻んで顕彰することは、在校生たちの大きな目標になることでしょう。頑張れ松工、百錬鉄の魂。


  「今年も 目標掲げ いい学校 目指して努力 頑張れ松工」

  「二十年 何かにつけて 訪ねたり 私の母校で あるかのように」

  「六年も PTAの 会長を 務めたものと 振り返りつつ」

  「顕彰碑 刻んだ人は 今いずこ 出会ってみたい 一人ひとりに」 

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○孫と一緒に午睡をしました

 昨日は松山へ行ったついでに、長男のマンションを訪ねました。長男の嫁は私がコーヒーを飲まないのに、何故か喫茶店を営む家から嫁いで来ています。しかもその喫茶店は、住んでいるマンションから100歩ほど歩けば到着する、直ぐ傍なのです。ゆえに嫁は結婚する前も結婚してからも、その喫茶店に勤めていましたが、二人の男の子どもが生まれてからは退職して家業に専念しているのです。そんなこともあって私はコーヒーも飲めないのに、狸が石を投げるくらいほんの時々この喫茶店を訪ねるのです。店のオーナーマスターは嫁の父で、嫁の母と従業員がウエイターを勤めている小さな喫茶店なのです。小さくても松山ではちょっと名の知れた「珈人」という名前の喫茶店らしいのです。


 店を訪ねカウンターに座ると、コーヒーを飲まないことを知ってるマスターは、私のために注文しなくてもブラックならぬホワイト、つまりホットミルクを棚に並んだ何百とあるカップの中からお気に入りを選んで出してくれるのです。クラッシック音楽など分からなくてもマスターお気に入りのレコードでBGMを聞きながらミルクを飲むと、親の知らない間にこの店に足繁く通い、喫茶店の娘と愛を育んだ息子の気持ちが、どこか分かるような気もするのです。そんな訳ですがコーヒーを飲まない私にとって喫茶店はやはり遠い存在のようで、息子のマンションに所要で立ち寄っても喫茶店には立ち寄らない不義理をしているのです。

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 昨日嫁と孫は午前中、コミセンであった親子体操教室に出かけていて留守でしたが、昼ごろには帰るというのでその時間に合わせて牛乳やインゲン豆、頂き物のウィンナーなどを保冷バッグ入れて持って行きました。「冷蔵庫が空になっていたので助かる」と、息子の安月給を笑ってカバーしていましたが、「お父さんお昼ご飯を一緒に食べよう」と誘ってにわか作りの梅味山掛けソーメンを作ってくれました。これが中々の味で、孫たちと一緒にキャーキャー言いながら美味しく食べました。3歳と1歳の孫たちも日に日に成長、上の希心はオムツも取れ言葉もしっかりして私の遊び道具のように「じいちゃんじいちゃん」とまとわりついて来るのです。下の奏心は歩きもしっかりしてお乳を止め、もう一人前を主張しています。

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 午睡の時間になり、孫たちと一緒にマンション4階の心地よい風の入る部屋で、私もごロリつい寝込んでしまいました。孫の寝顔を見ながら、孫と一緒に午睡が出来て何となく幸せな気分になりました。たった2時間ほどの短い時間でしたが、孫たちはずっと一緒にいるように懐いて、本を読んだり遊んだりして過ごしました。

 午後の会議が3時からあるので帰ろうとすると、1歳の奏心は一緒に行くと泣いて追っかけて来るのです。孫は私に活力を与えてくれる生き物のような気がしました。


  「孫二人 同じ部屋にて 午睡する 手握り返し いるを確かめ」

  「孫の顔 見れば元気が 出るような そんな気がする 嬉しい出会い」

  「孫の前 私の目じり 下がってる いつもこんなに 暮らしたいもの」

  「嫁作る ソーメン美味く 舌鼓 その上午睡 何て幸せ」


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