shin-1さんの日記

○港の美術館のリニュアール

 先日隣町大洲市長浜町今坊の津田さんという友人から、一通の手紙を受け取りました。手紙といっても、喜多灘漁港の突堤に絵を描く港の美術館の絵の募集要項チラシなのです。港のコンクリート斜面に絵を描いて美術館にするというアイディアで、まちづくりを勧めていることは知っていましたし、離乳アールの度に寄り道程度で見学に行って鑑賞したことも何度かかりましたが、離乳アールしてから早くも3年が経ったのかと、あらためて時の流れの速さに驚いています。

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(ペンキを剥がす津田さん)

 昨日は宇和島へ行くため海岸国道378号を大洲に向けて走りました。今坊の津田商店の前を通った時、伊方町三崎の塩崎さんから電話が入り、受電のために津田商店の前の空き地に車を止めました。電話が終わって折角だからと津田商店の中へ入り奥さんとお話をしました。聞けば梅雨の晴れ間の今日は、娘夫婦も港でリニュアールの準備をしているとのことなので、少し余裕の時間もあるので引き返して港へ行きました。

 津田さんはじめ顔見知りの人たちが、書かれた絵のペンキをはがしたり、はがした場所に新しい白いペンキを塗る作業をしていました。汗をかいて作業しているのに悪いと思いながら声をかけ、少しの間お話をさせてもらいました。私も少しでもお役に立ちたいとあちらこちらで参加を呼びかけてきましたが、もう少し空きがあるそうなので、このブログを読まれた方は家族でも団体でも地域でもいいですから、是非参加して欲しいと願っています。

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(ペンキを塗るメンバー)

 ちなみに私の似顔絵を2度にわたって書いていただいた長浜の画伯こと清水敏宏さんの前回の作品は、赤橋をバックにしたユーモラスで漫画チックな綱引きの写真でした。この絵も昨日で3年間の役目を終えて剥がされ、その上に白いペンキが塗られて新しい絵が描かれることでしょうが、これまでの作品は全てデーターベース化されて保存されているそうです。

 まちづくりはエンドレステープのようなものです。続けることはそれなりに苦労もあります。でもオンリーワンの喜びもあるはずです。津田さんたちの活動はまだ苦労と喜びを天秤にかけたとき、幾分か喜びが大きいし、行動を起こさなければ何も変わらないことを知っているのです。

 隣町の皆さんの熱意と行動力に大きな拍手を送りたいと思います。

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(消える運命にある長浜の清水敏宏さんの作品)

  「立ち寄った 港の小さな 美術館 汗を拭きつつ リニュアール作業」

  「苦しさと 楽しさ天秤 イーブンか 続けることの 意義を見つけて」

  「直ぐ隣 頑張る人が 黙々と 負けちゃおれぬと 決意も新た」

  「この秋は 港に面した 美術館 是非とも孫に 見せてやりたい」

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○宇和島市地域交流会に出かけました

 松山~宇和間が、高速道路無料化実験ルート50路線のうちの一つに指定され、実験が始まって2週間が経ちました。他の高速道路から比べれば日ごろは比較的交通量も少ない路線なので、そんなに影響はないだろうと予測されていましたが、いざ蓋を開けてみると土日などは日ごろの約2倍の交通量となり、外出を控える梅雨時期なのでまだ混雑はないものの、梅雨が明けて夏休みやお盆の時期になると混雑が心配になってきました。

 昨日は宇和島での研修会に参加するため、往路はそのルートの一部である大洲~宇和間を、復路は宇和~伊予間を走り無料の恩恵に浴させてもらいました。無料で走っている他の車が、無料化を公約に掲げた民主党のお陰だと、今日の参議院選挙に地方区や比例代表で、清き一票を入れるかどうかは知る由もないのです。

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 数日前A4の小さな一枚のチラシが、まるでお尋ね者の手配書のように宇和島市内あちこちに貼られたようです。よく見ると私の似顔絵付き講演会の告知チラシでした。そのチラシを見た下波に住む旧友石川哲也さんから電話がかかってきました。「久しぶりなので午後1時からの研修会の前に昼飯でも食べながら話そう」ということでした。会場に程近い目と鼻の先の宇和島の老舗レストラン「かどや」で待ち合わせをする相談がまとまり、高速道路のお陰で10分前に到着しました。

 私と同じ年齢ですからリタイアして6年目になる石川さんは元気な姿で私の前に現れました。社会教育で知り合い気心の知れた旧友なので、社会教育とりわけ公民館活動に関係した友人の消息を聞きながら、宇和島名物鯛めしを昼から豪華に振舞ってもらい、二人で舌鼓を打ちました。

 食事を終えて会場となっている海の駅「きさいや広場」へ行きました。あいにく駐車場は満車でしたが、主催者の配慮で講師用としてコーンを立てて確保してもらったお陰で、難なく駐車することができました。宇和島ファミリーサポートセンター職員の案内で控え室へ案内されましたが、控え室の仕切られた半分はこの日のために臨時託児所になっていました。ボランティアとして応援に駆けつけていた、二人の三間の保育所園長さんと言葉を交わしていると、参加者の若いお母さんが次々と子どもを預けにやって来ました。中には母親から離れるのが辛くて大声で泣き出す子どももいて、久しぶりに聞く耳を劈くような鳴き声に、ある意味元気をいただき13時20分講演会場へ案内されました。会場はほぼ満席で、会場のあちこちには私が来るというので、話を聞きに来てくれた人是澤さんや和田夫妻、兵頭さん家族なども会場の中ほどに陣取り、手を振り笑顔で会釈をしました。

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 用意するはずのDVDを広島県福山市青年会議に送っているため、折角用意してもらったスクリーンや映写機を使わず自責の念に駆られました。「地域の心をつなぐ」というタイトルだったので、リクエストいただいた子育ての内容をちりばめながら約100分、途中休憩もせずにお話をさせてもらいましたが会場の反応もよく、またマイクの調子もすこぶるソフトで、睡魔に襲われる時間帯ながら寝る人も皆無の講演会となりました。

 公縁開終了後、石川さんや和田ご夫妻とお茶を飲みながら雑談をしてお暇をしましたが、この日も色々な人と再会したりして、いい一日となりました。

  「実験の 高速道路 タダ走る お陰様にて 速い到着」

  「久方に ご飯食べつつ 仲間らの 消息聞きつ 顔を浮かべる」

  「託児所で 大声出して 泣く子らを あやすが余計 油を注ぐ」

  「若夫婦 揃って話し 聞きに来る いい子育てて 欲しいと願う」 

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○講演を聞いたお母さんから感想のメールが届きました

 講演などで全国を飛び回っている私ですが、さすがに知り人の多い地元では、中々喋りにくいものです。しかし伊予市・中山町・双海町の合併で地元が広くなったため、旧伊予市などで話す場合は今でも他所の町感覚で話すことが出来るのです。しかし多少顔が広くて長いため、知らない人ばかりだろうと鷹を喰っていても、中には知り人もいて戸惑うこともあるのです。

 昨晩は中央公民館の招きで家庭教育学級に招かれ、子育てについて話をしました。案の定若いお母さんばかりなので知らない人ばかりだろうと思いきや、何人かは見覚えのある人の顔が目に映り、笑顔や手を振ってくれたりしました。演題は「子どもに豊かな体験を」でしたが、はてさて何を話そうか迷いながら1時間20分があっという間に過ぎてしまいました。

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 午後7時30分からの集会が9時に終了して自宅に帰り、妻の用意した遅い夕食を食べてパソコンをつけると、この日参加したお母さんから2人、早くも感想メールが送られてきました。昔の親にはない嬉素早い反応に驚きましたが、私も直ぐに変身メールを打ちました。最近のお母さんたちの中にはインターネットをやっている人が多く、メールで様々な反応が返ってきます。残念ながら顔が見えないためどの人だったかは知る由もないのです。幸い昨日のメールは2人とも私の講演に対して肯定的なご意見でしたが、時には私の真意が伝わらなく否定されたりして落ち込む時もありますが、今は随分そんなことにも馴れてこちらの顔が見えないことをいい事にメールでバトルをやることもあるのです。


 私は4人の子どもを育てました。育てたといっても仕事熱心人間の私は子育てを殆ど妻に任せて、仕事に熱中していました。でもその過程には色々なことがありましたが、反社会的なことをするでなく、また学校へ行くのが嫌だと渋ることもなく少年時代を終わり、正業について社会人となった今までにも色々なことはありましたが、どうにか子育てを卒業することが出来ました。

 色々あったことを失敗談として話が出来るのも今だからこそなのです。子育て最中の人にとっては意外と失敗談は聞きたいもので、メールをいただいた2人の方のそこらへんに共感共鳴を覚えたようでした。

 メールの最後の締めくくりで「人間牧場へ行ってあなたの話をもっともっと聞きたいと付け加えていました。さてこの人たちとどんなスタンスで付き合うべきか、正直なところ迷っているこのごろです。


  「今時の 若い母親 直ぐメール 私も今時 直ぐに返信」

  「講演が とても良かった メールにて 少しだけだが お役に立った」

  「合併で 地元が広く なりにけり 知らないはずの 人が私を」

  「今だから 話す失敗 役に立つ 人は幾つも それら乗り越え」

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○昼食セットの研修会

 昨日は今治経済研究会に招かれ今治のランドマークタワーといわれる国際ホテルへ、小雨降る中を海岸国道196号線を通って行きました。私はこれまでにも経済界の方々の研修会に出かけていますが、「忙しい人ほど寸暇を惜しんで学ぶ」というのが実感のようです。早朝ミーティングと称して朝の例会をしている法人会や、夕方例会をしているライオンズ、ロータリーなどは30分程度の短い卓話を取り入れて学習していますし、銀行や新聞社なども独自のチャンネルで経済人をネットワークして学習しているのです。

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(開会挨拶をする研究会の河野会長さん)

 昨日の研究会は愛媛新聞今治支社が事務局をしている研究会で、会議の模様は出席者も含めて次の日の新聞の経済面に、ほんの少し紹介される仕組みになっていて、時々目にすることがあるのです。この研究会議には2度目で、会員メンバーの中に一人だけ私の再来を覚えていた人がいて、名刺交換をさせてもらいました。

 この日の研究会は昼食研究会で、12時に集合するとまず食事を食べます。コの字スタイルの研修会会場の一番前の席に講師席が用意され、次席に会長さんが座るという設えでしたが、まあ昼ごはんとは思えないような豪華な料理で、残しては失礼と思いボリューム満点の食事を完食しました。

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(話に聞き入る研究会のメンバーの皆さん)

 「新しい発想で生きる」と題した私の話は、会長さんの話と司会進行を務めた新聞社常務さんの話を含めて僅か55分でしたが、聞きなれている会員さんの学びの反応のよさに助けられて、あっという間に終わってしまいました。会場には何人か知り人もいて、講演会終了前と後の名刺交換は、私のPR名刺の珍しさも手伝って、名刺入れの残枚数が気になるほどの盛況さでした。

 昨日は午後3時過ぎから県庁で打ち合わせがあるので、帰りは玉川~水ヶ峠~奥道後経由の山回り317号線で松山へ入り、打ち合わせを済ませて娘のマンションに立ち寄り、少し休憩させてもらって夜の会に備えました。昨日も忙しい一日でした。

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(今朝の愛媛新聞21経済面に掲載された昨日の模様)

  「昼食会 セットされたる 研修会 残す失礼 思って食べる」

  「忙しい 人ほど時間 裂き学ぶ ゆえに進化し 経営伸びる」

  「そこここに 知り人多く いるものだ 今日も四・五人 嬉しい出会い」

  「さて今日は 何を話そうか 迷いつつ 気がつきゃ終わる 毎度のことで」

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○島根県西ノ島から遠来のお客様

 講演やシンポジウムで何度か出かけたことのある島根県隠岐の島の西ノ島町から、3人の議員さんが研修にやって来られました。その中の一人角市さんは私の旧友で、何かにつけて連絡を取り合い家族ぐるものようなつき合いをしているのです。

 前日夕方7日に伊予市入りして旧厚生年金センターに泊まり、8日朝から私のところを訪問する予定でした。ところが8日は鼠径ヘルニアで入院していた親父の退院後最初の検診が入り、どうしても私が付き添わなければならず、角市さんに無理を行って午後からのスケジュールに変更してもらいました。病院は10時の予約時間でしたがこの日は病院が混んでいて、一時間遅れの検診となりました。結果的に親父の手術後の経過は良好で、余程のことがなければもう検診に来なくていいといわれ、一安心でした。

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 早速急いで引き返し家に着いたのは正午でした。角市さんたち一行は待ち合わせ場所のシーサイド公園レストランで食事をしていましたが、私もその仲間に入って食事を済ませました。聞けば遠方なので公共交通機関でやって来たそうなので、私の乗用車で案内することにしました。旧友といいながら角市さんは私の町へは初めての訪問なので、わが家の私設公民館煙会所と海の資料館海舟館、翠小学校、下灘駅、人間牧場と矢継ぎ早に案内し、人間牧場では少し多めの一時間余り議論を交わして研修を終えました。

 折角の機会なので下灘へ足を伸ばしたついでに大洲市長浜町の赤橋を見学に出かけました。また橋の袂にある坂本龍馬脱藩の江湖の港を案内してあげました。NHK大河ドラマ龍馬伝の放送中なのでいい機会だったようです。

 車の中から携帯で松本さんに岡山行きの特急の時刻表を調べてもらい、一行をJR伊予市駅まで送ってお別れをしましたが、どの議員さんも熱心に議論を重ねてきたいただきました。最近は私の元へ全国から市町村議会議員さんが少人数で研修にやって来る人たちがかなり多いようです。昔のように議員が徒党を組んでやって来て泊まりは道後といった形ばかりの議員研修はすっかり影を潜めました。

 角市さんは私が毎朝十二年間海岸清掃をしたことなどを知っていて、議員研修だから草刈か草引きをさせて欲しいと懇願されました。人間牧場も先日その作業を終えていて、また急ぎの旅でこの日の夜には岡山へ入らなければならないスケジュールのようなので、少しだけ形ばかりの草引きを加勢してもらいました。

 角市さんは西ノ島に残る伝統的な牧畑農業を守る運動に長年取り組んでいます。少しずつその成果は明らかになっていますが、アカデミックで地道な文化活動だけに、中々厳しいものがあるようです。でも私の勧めたブログ発信もすっかり板につき、5期目を迎えた議員活動と合わせて、角市さんは角市三なりの情報発信をしていて、大変嬉しく思っています。日本海と瀬戸内海、同じ海でも角市さんと私とでは大きな違いがありますが、これからも海人として思いを込めて生きていこうと硬い握手を交わし、再会を約束してお別れしました。

  「久方に 遠来の友 案内す 気心知れて 私的ものまで」

  「ついでにと 龍馬足跡 辿るため 隣の町へ 足を踏み入れ」

  「この人も 私の感化 受けブログ 書いて発信 できることから」

  「日本海 離島に暮らす 仲間の目 瀬戸内海は どんなに見えた」 

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○ツバメの雛の落下

 海岸沿いの道淵に夏の到来を告げる合歓の花がいっぱい咲き、早苗も日増しに葉を茂らせ、いよいよ夏本番となってきました。わが家の車庫のコンクリートの梁に巣作ったツバメも3~4個の卵を産んで、雛が孵った巣の中から喉白きツバメの赤ちゃんたちが顔を覗かせ、足繁く餌を運ぶ親鳥が帰る度に、ピーピーと声を荒げて餌を食べているようです。

 ツバメにしても雀にして最近の鳥たちはちゃっかりものが多く、ツバメは昨年の巣をそのまま使い、雀はツバメが巣立って空き家になるとちゃっかり巣を横取りして陣取るのです。人間世界も住宅難で借家住まいの人も多いのですが、鳥の世界も住宅難で借家住まいなのかも知れないと苦笑するのです。

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 昨日の夕方食事が終わり、妻と散歩に出かけようとすると、車庫の入り口になにやら黒いものが落ちていました。よく見ると産毛に包まれたツバメの子のようです。ツバメの巣から誤って落ちたのか、生存競争の結果落とされたのか分かりませんが、巣立ち間もないこの時期での落下を悲しむ妻は、「可哀想だから巣に戻してやって欲しい」と懇願するので、私は倉庫まで行って脚立を持ち出し、よじ登って巣の中へ落ちた雛を戻してやりました。

 狭い巣の中では3羽の雛たちが寄り添うように身を寄せ合っていましたが、それらをそっと寄せて左隅においてやりましたが、落ちた雛はかなり衰弱しているようで、このまま巣立ちを迎えれるのか心配です。

 昔からツバメの巣立ちは大安だと知恵者から聞いていました。今月の大安は6日・17日・23日・29日です。普通だと仏滅の明くる日が大安なのですが、今月は11日が仏滅で12日が大安のはずなのに何故か赤口なのです。ツバメの雛の落下を見ているだけに不吉な予感もしましたが、ポジティブに考える性格なので、17日まで飛んだ大安を雛の巣立ちの人定め注意深く見守ってやりたいと思っています。

 昨日妻に頼まれて畑へなすときゅうりを取りに出かけました。ちょいとのつもりで書斎の窓を開けたまま出て帰ってみると、親ツバメが一羽部屋に紛れ込んでいました。私の気配を察知して直ぐに外へ跳んで逃げましたが、今思うとあの親ツバメは私に雛を助けてとメッセージを届けに来たのではないかと思うのです。

 自然や動植物は人間の知識では推し量れない不思議な予知能力を持っています。ツバメが私に託したメッセージは果たして何だったのでしょう。


  「近頃は ツバメ雀も 住宅難 借家住まいで 子育て済ませ」

  「落ちた雛 脚立に登り 元の巣へ 元気に育て 願いをこめて」

  「親ツバメ 私の部屋に 迷い込む 不思議といえば 不思議な話」

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○寝苦しい夜

 最近は梅雨明け間近な蒸し上がりとでもいうのでしょうか、部屋の戸を閉め切るとかなり蒸し暑く感じます。私は冷房が嫌いで、役場に勤めていた教育長時代も教育長室には冷房を入れず2年間過ごしたくらいなのです。自宅は上灘川沿いにあるため、夕凪の午後4時頃に一旦海風と陸風の拮抗によって風が止まるものの、昼間は海風、夜は陸風が程よく吹いて、冷房が要らないのです。ゆえに家に冷房施設があるものの、お坊さんがお盆の棚業に来るときくらい以外は殆ど使わないのです。

 夜は寝る前まで窓を開けておき、寝る前に閉めれば気持ちよく眠れるのです。しかし窓を閉め切ると、妻は寝苦しいといいます。私は寝つきがいい方ですから別に何ともないのですが、さすがに朝起きてみるとパジャマが汗で濡れていることもあるのです。

 妻がある人から寝る前にするといい事、眠る前にしない方がいい事を職場で聞いてメモをして帰りました。単純細胞の妻ですからそのメモを書き直して数日前から実践し始め、私にも是非と勧めてくれました。

 寝る前にするといいこと

 ①ぬるめのお風呂に入る

 ②ハーブティを飲んでリラックスする

 ③音楽や風景の映像などでリラックスする

 ④空腹の時はホットミルクを飲む

 ⑤リビングルームの照明を控えめにする


 寝る前にしない方が良いこと

 ①熱いお風呂に入る

 ②おやつや食事

 ③睡眠薬代わりの寝酒

 ④コーヒーや紅茶などカフェインを含む飲み物を飲む

 ⑤テレビやゲームパソコン

 ⑥喫煙

 ⑦明る過ぎる室内照明

 そういえば私も妻も寝る前にしない方がよいことを随分やっていました。妻はビデオに撮ったサスペンスを見たり、私はパソコンで寝る直前までブログを書いたりしているのです。最近は健康上の理由から午後9時以降に飲食はしないよう心がけているため、それはそれとしてダイエットにも効果があったのか、妻は少しばかり減量に成功してるように見えますが、リバウンドしないように気をつけなければなりません。

 当分続くと思われる寝苦しい夜をしっかり熟睡して、目覚めのいい朝を迎えいい一日でありたいものです。


  「妻横で 一緒に眠る 布団だが 私熟睡 妻は寝不足」

  「寝る前に 寝酒飲んだは いつの日か 思い出せない ほどの昔に」

  「熱い風呂 寝る前悪いと 聞き及ぶ 今日から温め 気を付け入る」

  「寝る時間 妻八時間 俺四時間 今に私は 寝たきりなると」 

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○ミツバチが巣箱に群がる蜂箱の異変

 今までにもこんな状態のときがあったのかも知れませんが、最近ミツバチが巣箱の入り口に沢山止まって、何をする訳でもなくたむろしている風景が、よく見かけられるようになってきました。雨のせいで飛ぶことが出来ず雨宿り?なのかと、梅雨空との関係を考えてみましたが、昨日のような晴れた日でも結構そのような現象は続いているのです。

 昨日の朝裏山でミツバチを飼っている人に散歩の途中で出会いました。その人は1ヶ所に6箱も設置して、誘引のため日本蘭キンリョウヘンを置くほど熱の入った人ですすが、ミツバチの巣箱は全て胴丸箱なので、巣箱の掃除は胴丸箱をいちいちひっくり返してやっているようで、この日も巣箱の幾つかはスムシが入って秋や同然になったと嘆きながら、蜜の採集をしていました。

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(巣箱の入り口付近にたむろするミツバチたち)

 その人の巣箱の一つも巣箱の入り口付近に沢山のミツバチがたむろして、まるで私のミツバチの巣と同じような光景が見られました。こんな場合ミツバチの輪がお師匠さんである西予市野村町の井上登さんに助けを求めるのが常道なのですが、2年目のことなので「もう少し様子を見てから」と思い対延び延びになっているのです。

 先日中学生二人が、公民館主事さんとともに職場体験で人間牧場へ来て、巣箱の掃除をやった時もこの状態で、群がる蜂を払いのけて作業をしましたから、もう一週間以上この状態が続いているのです。

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(先日の巣箱の掃除の時もミツバチをそっと柔らかい刷毛で追い払い掃除をしました)

 少し気になって昨年の卓上カレンダーの記録を調べてみたら、昨年は10日後の7月17日に師匠の指導の下、蜂蜜採りを行っているようなのです。記憶によるとあの日は雨でした。それでも師匠の来るのを心待ちにしていたので強行しましたが、3つの巣箱の中の2つまでは殆ど採れなかったものの、ツリーハウス横の巣箱からは4升もの蜂蜜を収穫できたのです。勿論その代償もあって、ミツバチに手を3ヶ所も刺されてしまいました。それでも満足して初めてのことだったので興奮し、舞い上がっていたようなのです。

 今年は去年の教訓を生かし多少遅れても、梅雨明けした晴れの日を選んで彩蜜作業をしようと思っています。勿論今年は4つの巣箱なので2年目といいながらまだまだ未熟なので師匠の手助けをお願いしようと思っていますが、今日あたり師匠にミツバチの近況報告をメールでしようと思っています。


  「ミツバチが 巣箱の前に たむろする 原因分からず 多少不安に」

  「昨年は いつだったかと カレンダー 捲りて記録 記憶戻りて」

  「今年こそ 去年の哲は 踏むまいと 誓いも新た 迫る日を待つ」

  「小道具を 手入れ準備に 余念なし 採蜜間近 指折り数え」

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○生き場所がここにもあった屋根の草

 お寺の山門の入り口に小さな黒板があって、住職が書き込むのでしょうか、仏教の教えや色々な言葉が書かれています。先日訪ねたあるお寺の黒板に「生き場所がここにもあった屋根の草」と書いていました。今朝何気なくわが家の屋根を見ると、この言葉そのままに屋根のかわらの隙間から、沢山の雑草が生えているのが見えました。植えた訳ではなく、多分胞子が飛んできて根付いたのか、かわらの下に敷いた土に混じっていた草の種が芽吹いたのか定かではありませんが、まあ梅雨時といいながら太陽の熱をまともに受ける屋根の、土分も水分も殆どないこの場所でよくぞいきているななと感心しきりに見ていました。

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 しかしこのままほおっておくと外観は勿論屋根を傷めるので、はしごをかけ思い切って屋根に上りました。屋根は滑りやすいので滑りにくい運動靴に履き替え恐る恐るへっぴり腰で歩き、草の生えている場所まで行きました。草は殆どがハズの葉で割れ目に食い込んだハズの根は容易に取れませんでしたが、丁寧に引き抜いて手箕いっぱいの雑草を取りました。

 ついでに長い長い土塀の外側にもシダのような雑草が沢山生えているので、よじ登って取りました。こちらは家向きは私の背丈ほどですが、外向きは3メートルほどの石垣になっていて高いのでこれまた慎重に引き抜いてゆきました。朝の爽やかな時間帯でしたが緊張のためか、降りた頃には汗をびっしょりかいていました。

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 すっかり綺麗になったところで、人間牧場水平線の家のトイ詰まりのことを思い出しました。日曜日に公友会の研修会があった折、トイに落ち葉が詰まっていて折から降り出した雨でトイが湧き越していました。またかまど小屋の屋上緑化する予定のFRPにも雨がいっぱい溜まっているようだったので、思い切って単車で人間牧場まで走り、長靴に履き替えて梯子をかけて掃除をしました。

 そういえば人間牧場が出来てこの6年間、トイの掃除はたった一回しかやっていなかったのです。落ち葉が腐ってかなり溜まっていました。手の入りにくい場所のため、少し難儀をしましたが、水を流して綺麗に流れることを確認して、屋根から落下することもなく掃除を終えました。これをメンテナンスというのでしょうが、もう少し梅雨明けは先のようですが、これで雨が降っても一安心です。


  「屋根の草 植えず蒔かずに よくもまあ 生えるもんだと 感心しきり」

  「落ちるなよ 屋根を見上げて 親父言う 幾つなっても わが身忘れて」

  「屋根の上 下界を見れば また違う 見方が出来る しばし呆然」

  「抜いた草 畑の隅の 焼却炉 火をつけ焼いて 跡形もなく」

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○八幡浜川上公民館を訪ねる

 愛媛県は伊予灘、燧灘、宇和海というそれぞれ異なった風土を持つ3つの海に囲まれています。その中でも佐田岬半島で仕切られた宇和海は四国と九州で囲まれ、太平洋の黒潮が流れ込むなど、独特の風土や文化があるのです。

 下の写真は宇和海を連想するのに一番ぴったりな一枚です。リアス式海岸と青い海や空、それに「耕して天に至る」と形容される段々畑や特産のみかん、真珠の養殖いかだなどなど牧歌的何予の風景が一枚の写真に収められているのです。この写真を見ただけで思わず行ってみたくなるような気持ちになるのです。

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 昨日は愛媛県金融広報委員会と南予地方局県民生活課の消費生活講座が八幡浜市川上公民館であり出かけました。南予に一番近いような場所に位置するわが町からは、公共交通機関だと時間がかかりますが、国道378号をなぞりながら自家用車で行くと一時間余りで川上地区まで行ける、近い場所にあるのです。

 昨日は雨がポツポツ落ちるあいにくの曇り空でしたが、川上に住む旧友の田原旭・礼子さん夫婦のことを思い出しながら走りました。田原さん夫婦は青年団時代一緒に活動した間柄で、私が団長を努めた四国一周青年バスで知り合って結婚した夫婦なのです。当時は美男美女の青年団仲間内の結婚として、羨ましがられましたが、40年近くも前の出来事なので、その後何度か出会っているものの二人はどんな遍歴を辿っているのか興味がありました。

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 少し早めに会場に到着すると、何と見覚えのある礼子さんが公民館に来ていて、嬉しい再開が実現しました。積もる話に花を咲かせながら、最近家を建てたこと、ご主人が病気になったが幸い回復したこと、みかんもかつてない不況に見舞われていること、一人息子も外に出て夫婦だけで農業をしていること、礼子さんは農業関係の女性会の会長をしていることなどなどを、公民館職員を巻き込みながら積もる話として話しました。

 やがて公民館の二階で金銭教育に関する講演会が始まりましたが、会場は予想以上に沢山集まっていましたが、少し年齢が高い人も多く集まっていたので、急遽話の筋道を変えて生活設計などを中心にすえながら1時間30分お話をしましたが、笑い声も聞こえるなど和気藹々の講座となりました。

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 事前にメールをいただいた県民生活化の女性は矢野有夏さん、同じく事前メールをいただいた川上公民館の女性も矢野晶子さんと偶然にも同姓で、縁の不思議を感じながらお土産にみかんジュースまでいただき、公民館を後にしました。

 帰り際小高い見返り坂とも思える峠道の路側帯に車を止め、川上地区の遠望を持ち合わせていたカメラに収めました。曇天ゆえに、また稔りの季節でないため色は感じられませんでしたが、田原さん夫婦の住む地域の思い出のスナップが撮れました。田原さん夫婦もここで老いて行くのでしょうが、幸せに暮らして欲しいと願っています。

 旧友に逢い、公民館で館長さんや矢野さんに逢い、また県民生活課の係長さんや矢野さんに出会い、昨日もまたいい一日だったことに感謝しています。


 後日(7月12日)矢野晶子さんからメールにて田原旭・礼子さんご夫妻の写真を送っていただきましたので、記念にこのブログに書き加えて写真を掲載しました。

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  「久方に 旧友再会 懐かしく 四十年を タイムスリップ」

  「耕して 天に至ると いう畑 美味いみかんが 採れる納得」

  「太陽の 滴のように 鮮やかな ジュース手土産 何より嬉し」

  「摘果する 作業休んで 参加した 人々前に 感謝講演」 


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