shin-1さんの日記

○家族の人間関係の空気を読む

 祖母や母が先に逝き、4人の子どももそれぞれ独立して家を出て、それぞれの道を歩むようになってわが家は現在、夫婦と親子の関係しかなくなりました。私から見れば親父と嫁、嫁から見れば義理の父と夫、親父から見れば嫁と息子と、3人でそれぞれ二通りの人間関係の中で生きていますが、そんな小さな人間関係でも、嫁はどちらかというと父に、私はどちらかというと親父に、親父はどちらかというと嫁に多少の気兼ねをしながら生きているようです。

 妻は91歳になる親父の言動には余り逆らわず、むしろ気がついたことは私を通して進言します。親父も嫁の言動に対して反対せず、気がついたことは私を通してじわりと私が伝えるのです。これが長男の辛いところで、長男の役割なのです。長男の舵取りは見た目にはどういうこともないように見えますが、実はこれが大事な仕事で、わが家の家庭円満の秘訣なのです。もしも私を介せずに父と嫁がストレートでやり合えば、家は波風が立つに違いないのです。

 親父は隠居生活をしていますが、母亡き後一人暮らしのためテレビや炬燵、電子レンジや湯沸しポットを愛用しています。ゆえにテレビも炬燵も自分我はt家へ出て家にいなくても付け忘れているのです。特に湯沸しポットはお茶も飲まないのに24時間1年中つけているのです。広い家の母屋と隠居の電気代は、リタイアしてから省エネしようということになりましたが、一向に減らない原因は親父の生活にも原因の一端があるので、特に炬火事の原因になりかねないのでこまめに消すよう注意を促すのですが一向に直らないのです。

 お湯を沸かす電器ポットも何とか辞めさせようと、今回の入院を機に「湯垢のついたお湯を飲むと体に悪い」といって電源を切りることに成功しました。寒くなると又復活するかも知れませんが、これだけで一ヶ月千円の省エネになったと妻は私の作戦を喜んでいるようです。

 「空気を読む」という言葉がありますが、身近な家庭の人間関係ゆえにお互いの間に流れる目に見えない空気を読むことはとても大事なことだと思っていますが、最も身近な夫婦の間の空気を読むことは、亭主関白ゆえにまだまだ未熟なようです。

 毎日何気なく吸っている空気のお陰で私たち人間は生きています。ふんだんにあるがゆえに空気の存在も有難さも気付かなくても暮らして行けるのです。今朝外に出て朝の清々しい空気を思い切り胸いっぱい腹いっぱい吸い込みました。「さあ今日も頑張るぞ」という元気が湧いてきました。また親父と妻の間に横たわる空気を読みながら、幸せ感に浸っている今日この頃です。

  「空気読む 力なければ 務まらぬ 長男ゆえに 死ぬまで苦労」

  「円満な 家庭築くは それぞれが 役割意識 しっかり持って」

  「三人の 関係特に 難しい 三角ゆえに いつの時代も」

  「お互いが お互い空気 読みながら 多少気遣い 幸せ暮らす」 

 

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○兵庫県から8人のお客さん

 兵庫県西宮に住むNPO法人コミュニティ事業支援ネットの東朋子理事長さんから、今月の初め是非逢いたいとメールが入りました。私の予定が詰まっているのに7月18日~19日の2日間来るというのです。夏の2日間はふたみの夏祭りの最中だし、来客に加え講演も入っているので無理と思いましたが、遠来の友でもあるし8人で来るというので無理に断ることも出来ず、バッティング覚悟で承諾しました。


 何年か前東さんのお世話で兵庫県へ2度も講演に行き、東朋子さんもまだ水平線の家しか出来ていなかった人間牧場を訪ね、ついでに立ち寄ったわが家へデジカメまで忘れるというハプニングがあって、日ごろは緻密ながらどこか抜けた阪神人らしい優しさを思い出しながら、一行の到着を待ちました。「18日午後4時わが家で待つ」というメールどおり7人の若者を連れた東朋子さんはやって来ました。


 早速わが家の煙会所や海舟館などを足早に見学し、早速一行の乗ったワゴン車を従え、私は東さんを助手席に乗せ人間牧場へ向かいました。道すがら何年か前私の元へやって来た後の足取りについて話を聞きました。その後自らが立ち上げたNPOコミュニティ事業支援ネットは、紆余曲折を経ながらも10人の若者を雇用するまでに成長したようですが、市議会議員のご主人との出会いや諸々は、相当な苦労があったようでした。

 案の定先約のハワイアン協会の皆さんとバッティングしてしまいましたが、それもまた愛嬌でむしろ私の元に留めもなく集まる人の輪を見ていただく意味では良かったようにも思いました。ハワイアン協会の方々が帰った後で早速1時間半ばかりお約束の研修をさせてもらいました。リクエストした落伍本の「黒いボールペンで書く」という一話をテーマに落伍ライブをやりましたが、市議会議員のご主人が参加していたのでタイムリーな話になりました。

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 折りしも降り出したスコールのような雨も上がり、記念写真を撮るころには西に傾いた夕日が絶景の海岸線を印象的に照らしていました。後片付けをして元来た道を帰りましたが、やはり東さんは私の助手席に座って私のレクチャーを熱心に聴いていました。時折目頭を押さえるシーンもあって、今回の研修に何か突破口を見つけたような印象を持ちました。今朝のメールで、あの日はふたみの夏祭りの花火を見たことなど、その後の足取りを伝えてくれましたが全員無事西宮に帰ったようでした。

 毎日のように私との出会いを求めて来る人の中には、興味本位で来る人、一回限りで終わる人、定期的に来る人、悩んだ時や壁にぶつかった時来る人、東さんのように何度でも音信を重ねる人など様々です。人間は必要の論理で動くものですから、それはそれとして理解しますが、東さんのように遠隔地にありながらも助言を求めてやってくる人には、これからも誠心誠意大いに支援をしてあげようと思っています。

  「大勢の 社員を連れて 久方に 牧場訪ね 積もる話を」

  「人生を 物語るよう スコールが 降った後には 虹の祝福」

  「落伍本 数ある話 ボールペン 選んで落伍 整いました」

  「門叩く 人あり牧場 今日もまた 訪ねし人の 相談受ける」

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○人間牧場ウッドデッキでフラダンス

 長男息子から電話で、「知人からふたみの夏祭りでフラダンスを踊った後、人間牧場を訪ねたいという相談があったが、親父の予定は?」と、一週間前に電話がありました。「同じような時間帯に兵庫からお客さんが来るので一緒でもいいのなら」と答えました。息子は日曜日でもあったので昼過ぎから、足湯のサービスをする準備のため一足早く人間牧場へ行きました。

 私が兵庫のお客さんを連れて午後4時半頃に人間牧場へ到着すると、何やらハワイアンのようなもの静かな曲が流れていました。私が人間牧場に置いているパソコンを息子が操作してCD音楽を流し、その曲に合わせてフラダンスを踊っている最中でした。

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 この日は天気も穏やかで、人間牧場の眼下に広がる海も空も絶好のシチュエーションを醸し、踊っている人たちも気持ち良さそうでした。曲の合間に名刺を交換しましたが、フラダンスを楽しんでいる10人余りの美女軍団の悩ましい容姿に圧倒されながら、兵庫のお客さんと一緒に楽しませてもらいました。

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 ところが4曲目を踊り終わった頃空の雲行きが怪しくなり、スコールのような雨が降り始めました。遠く夏祭り会場のシーサイド公園辺りを見ると雨がかなり激しく降っているような雲行きでした。人間牧場のスコールは間もなく止みましたが、雨上がりの空に綺麗な虹が見えました。フラダンスを中断していた人たちは一応に七色の虹を見て感嘆の声を上げ、デジカメや携帯で写真に収めていましたが、虹はあっという間に消えてなくなりました。

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(幸せの象徴のような七色の虹は肉眼で見えても写真には中々写りにくいものです)

 フラダンスのメンバーの中には、私が松山工業高校のPTA会長を6年間努めた間、年に何度も懇親会の会場となった料亭魚亀の女将さんの娘さんもいて、嬉しい出会いとなりました。芸術や文化などといえばおこがましいのですが、水平線の家の室内から眼下に広がる大パノラマをバックにしたウッドデッキでの催しは、都会の文化ホールでは味わえない不思議な魅力があるようです。これまでにも年輪座卓を持ち出して私の話芸を披露したり、アコースティックを聴きましたが、上手く活用すれば面白いと思いました。神楽の舞をこのウッドデッキでやって見たいと思う密かな夢も何とか実現したいと思っています。


 この日はあいにくのスコールのような雨を幕間と考えて、人間牧場のいきさつを10分ばかり話させてもらいました。地域づくり人ならしょっゆう私の話を聞いていますが、初めて私の話を寄付フラダンスのメンバーは人間牧場の不思議な話に熱心に耳を傾け、兵庫のお客さんに気兼ねするように山を下りて行きました。足湯も踊った気分も全て満足だったと言い残して・・・・・。

 日ごろ私たちは何気なく暮らしていますが、私たちの知らない世界で生きている人は沢山います。人間牧場の大きな特徴は、知らない世界で生きている人とめぐり合い、知らないことを学ぶことなのです。「ああ今日もいい巡り合いがあったとしみじみ思った一日でした。


  「格好いい ウッドデッキで フラダンス スコール降って 虹も歓迎」

  「もう最高  踊った人が 口々に 感激述べて 手を振り帰る」

  「海空の 色に同化の フラダンス 飛んでる鳥も 思わずぎょろり」

  「又一つ 知らない世界 出会いたり 心の狭さ 広げるように」

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○イワシと液肥の匂いのする人間

 世の中が不景気になると賭け事や宝くじが流行るといいます。破れかぶれで賭け事や宝くじに一攫千金の夢を託すのでしょうが、その殆どの人は当たりもせずに夢破れ、かえって泥沼に入ってもがき苦しむのです。賭け事や宝くじとは同じではないものの、最近農業の分野へ進出しようとする人が増え、随分賑やかになってきました。「人生の楽園」などというテレビ番組が田舎での暮らしを紹介し、農業や漁業があたかも人生の楽園だと勘違いして田舎を目指すのです。確かに農業や漁業は見方によっては人生の楽園かも知れません。自然とともに生き誰からも命令されず自由で定年もない暮らしは、がんじがらめの組織に縛られ、通勤や安月給で暮らす人たちから見れば、それはもうユートピア社会に見えてくるのです。

 しかしいざその道に足を踏み込んでみると農業や漁業もかなり厳しく、人生の中途で転職して上手くいくほどやわい職業ではないのです。私がよく言う「遊びの農漁業は楽しいが飯を食わねばならない農漁業は苦しい」のです。地産地消などの幟が立っている道の駅などをよく見かけますが、これも実態を知らない運動団体や農林水産省がアピールするまやかしの部分が多く、地産はできても過疎や高齢化、少子化の進んだ地方では、地消などできる訳がなく、地産外商をしなければつくったり取れたものを腐らしてしまうのです。農漁業は昔から3K産業といわれてきました。きつい、汚い、金にならないと揶揄されてきたその部分に、先祖伝来の田畑や漁船、加えて百姓・漁師という自然を読み解く勘が加わる、とてつもなく奥の深い職業なのです。それらを忘れてユートピアを描くととんでもないしっぺ返しが待ち受けているのです。

 最近になって「野菜工場」という言葉や「地店地消」という新しい言葉が聞こえるようになって来ました。天候に左右される現在の農業では不作貧乏・豊作貧乏、つまり不作だと単価は多少いいものの量の取れない不作も、量が取れても単価が安い豊作でも収益は上がらず貧乏という意味ですが、自然の気候変動に強い農業をするために人間が作り出した偽自然工場の中で野菜を作ろうというのです。これはかつて流行った遺伝子組み換えによるハイブリッドに似ています。その安全性に疑問を抱く人が増えて今一歩先へ進んでいないようですが、今回の野菜工場も果たして目論見どおりになるのか、早くも疑問が生じているようです。

 野菜などの作物は天と地の恵みを吸収して育ちます。水・太陽・地の恵みですが、それを人工的に造って無菌状態で作るため農薬をかけずに無農薬で作れるのが売りだそうで、洗わなくてもそのまま食べられるのだそうです。

 また野菜を作るユニットを見せてそれを料理することを売りにした地店地消の店もオープンしているようで、先進的事例として注目されているようです。果たしてそこまでして食べなければならないのか疑問を感じながら、初物好きで興味本位な日本人の目と心を奪っています。

 国も県も行政は野菜工場の導入に積極的で、補助助成の制度を作っていますが、結局は資金調達が可能な富裕層以外こんなことはできるはずがなく、自然をコントロールできると過信した人間のエゴ丸出しのこの方法は、「ああまたか」と思わせる出来事のようです。

 ある本によるとイワシを餌にした養殖鯛は調理して少し時間を置くとイワシの匂いがするそうです。水耕栽培で作ったイチゴは少し時間を置くと液肥の匂いがするそうです。足り前といえば当たり前なのですが、それを食べた人間は今にイワシと液肥の匂いのする人間になるのかも知れませんね。

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(昨日の朝、わが家の家庭菜園で収穫した瑞々しい野菜は土の匂いがします)

  「何を食べ 生きればいいの 分からない 自分が作り 自分で食べる」

  「工場で 野菜を作る 時代です 洗うことすら 面倒だと言う」

  「俺の家 虫が食おうが いびつでも 安全一番 お陰で元気」

  「完熟の トマトトマトの 匂いする 当たり前だが 当たり前なく」

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○ふたみの夏祭りにも大きな変化

 私が役場に勤めていたころ現職と兼務していたのは観光協会事務局長でした。それまでこれといったイベントのなかったわが町で様々な腐心を重ねて作り上げたふたみの夏祭りも、合併による再編で大きな転換期を迎えているようです。さしずめ長年続けてきた下灘みなと祭りは、統合されて隔年開催という結果が出たようで、今年は下灘みなと祭りはお休みのようでした。まあこれも時の流れでしょうから仕方のないことと、諦めなければならないようです。

 そのふたみの夏祭りが昨日ありました。ふたみの夏祭りは8月の第1日曜日と決まっていましたが、海の日との関係で18日になったため、灘町で長年続いてきた七夕笹飾りもなく、シーサイド公園は賑わったものの、町内は少し寂しい夏の夜でした。

 それでもシラス丼1000食無料配布や、第三セクターシーサイドふたみ15周年を記念した花火など工夫を凝らしていたため、沢山の人が双美町にやってきたようです。私は人間牧場へお客さんを案内したりして忙ししかったため昼間はシーサイドへ出かけることは出来ませんでしたが、娘家族や息子家族に誘われて花火が上がる頃出かけて行きました。

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(私が撮影した花火の写真)

 シーサイド公園の階段式護岸に座り、西突堤から上がる花火を見ましたが、他の町の花火と何ら遜色のない沢山の花火を見ようと大勢の人が詰め掛け満員でした。1歳の孫奏心を膝に抱き、花火が上がる度に感嘆の声を出しながら夜空を眺めました。

 私は持参した古い方のデジカメで花火の写真を何枚か撮りましたが、残念ながら花火モードでないためいい写真が撮れませんでした。息子は私のカメラよりいいのを使い、花火モードで撮影したためいい写真が撮れていて、私のパソコンに挿入して帰りました。

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(息子が撮影した花火の写真)

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 そんなに長い時間ではありませんでしたが、カキ氷を食べながら子どもや孫たちと見る花火は、やはりふるさとの匂いがするイベントなのです。花火は寄付によって賄われます。世の中が不景気になると寄付も思うように集まらず、ましてや花火は夜空に消えるものだけに賛否両論あるようですが、花火を見ると何か元気が出るような感じがして、私は出来ることなら続けて欲しいと願っています。

 64歳も歳の離れた孫を抱いて花火を見学しながら、はてさてこれからどんな時代になるのだろうと、夜空を見ながら思いました。

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  「来年は 下灘花火を 見に行こう 孫と約束 指きりげんまん」

  「孫泣かぬ 空を見上げて 指を刺す どんな姿に 映っているか」

  「ドンドンと 腹底破る 太い音 何か元気を いただきました」

  「顔見知り お元気ですか 挨拶を 交わし行き交う 人混みの中」

  「

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○孫たちと水遊びや午睡を楽しむ

 小学校2年生になった孫朋樹を除いてあとの3人の孫はまだ1歳と3歳で、海水浴へ連れて行くことも出来ず、家の風呂場にビニールのプールを持ち込んでぬるま湯を張って、温水プールで海水浴を楽しませました。孫たちはキャーキャー言いながら、お互いに水を掛け合ったりしながら、笑ったり泣いたりとまあ賑やかな午後のひと時となりました。

 昨日は前日梅雨明けしましたが、じっとリまとわりつくような暑さで、夏祭りに参加するために泊り込みでやって来た孫たちも、しょっちゅう動き回るために汗をいっぱいかき、その都度シャワーや行水をさせるのですが、腕白盛りの孫たちにとって水遊びは大喜びで、「そろそろ出たら」促してもじゃれあいながら、いつまでも遊ぶ始末でした。

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 水遊びの餌食になるのはいつも1歳の孫奏心で、象の形をしたジョロに水を入れて頭からお構いなしに掛け合うのです。その都度悲鳴や鳴き声に変わりますが、それでもよほど楽しいのか気持ちがいいのかプールの中から出ようとせず、おこぼれの遊び道具で遊んでいました。

 孫二人は悪ガキに徹して最後は傍で見守る私にまでちょっかいを出し、プールの水を風呂に手桶に入れ、私をめがけて掛けるのです。お陰で私も水浸しとなり、一緒に遊んでやりました。孫との水遊びもいいもので童心に返ってしまいました。

 水遊びが終われば着替えておやつを食べ、孫たちと午睡を楽しみました。水遊びは熱い体が冷えると同時に
疲労も覚えますので、約一時間3人の孫たちとしばらくの間夢の世界で遊びました。午睡後昨日は夏祭りでシーサイド公園に露店が沢山出ているので、連れて行ってもらったようですが、くじを抜いて刀の形をしたエアー風船を貰って帰りました。さあそれからが大変です。孫二人は昨年買ってもらっていたカメンライダーの仮面を被り、私を怪獣に見立ててすっかりヒーローになりきり、「変~身、カメンライダーダブル」などと訳の分からぬ呪文を唱えながら、私に攻撃を仕掛けてくるのです。私もその気になって「やられた~」といって打ち負かされるふりをしたりして大いに盛り上がりました。再び大汗です。またシャワーしてやったり、午後4時に予定していた来客まで大いに遊んで、いいおじいちゃん振りを発揮してやりました。


  「お風呂場に ビニールプール 持ち込んで お湯を掛け合い 大いにはしゃぐ」

  「いつの間に 目じりを下げた じいちゃんに なって孫たち 相手に遊ぶ」

  「三人の 孫と枕を 並べつつ 午睡楽しむ 幸せですね」

  「いつもとは 違う波長の 声耳に 疲れ感じつ  今年の夏も」 

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shin-1さんの日記

○コーカサスという名前のカブトムシ

 昨晩宇和島から帰ったのは夜11時ころでした。自宅へ帰ってみると、二階は息子の家族、一階は娘の家族が陣取って孫たちは既に夢心地でした。今朝起きて書斎でブログを書いていると、孫朋樹が「おじいちゃん」と呼びに来ました。「コーカサスという珍しいカブトムシを持って来たので見て欲しい」というのです。

 連れ立って玄関先に行ってみると、巣箱の中にそれは珍しいカブトムシが入っていました。私はこのカブトムシはヘラクレスだと思っていましたが、朋樹の話によると「コーカサス」だというのです。

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 さあそれから朋樹は図鑑を見て、知っているコーカサスの薀蓄をしっかりと私に説明するのです。私たちが子どもの頃はカブトムシなどはクヌギ林に朝早く行って捕まえたものです。私たち海の子はカブトムシを捕まえるのが下手糞で、山の子の友達に頼んで捕まえてもらいました。そして山の子が欲しい釣り糸や釣り針や鉛などと交換してもらったりしました。

 今はそんな子どもながらの苦労などすることはなく、お金さえ出せばデパートなどには外国産の珍しいカブトムシが幾らでも手に入るのです。

 孫朋樹もその手の類で、昨日はデパートでおかあさんに買って貰ったそうなのです。毎年のことながらここからも問題があります。このカブトムシは住んでいるマンションへ持ち帰らず、わが家へ置いて帰るのです。間もなく夏休みになるので毎週末にやってくるため、その間カブトムシの餌やりはおばあちゃんの役目となるのです。

 私は外に出る機会が多いのでとても世話は出来ませんが、去年も妻はカブトムシの餌としてゼリーを与えて育てたようですが、今年は自分で世話が出来なければ買わないように話をしました。

 カブトムシも小さな命です。昨年から人間牧場で育てている5匹のカブトムシの幼虫も間もなく姿を見せることでしょうが、今年は小さな命について、孫に教育をしてやりたいと思っています。


  「カブトムシ 俺の自慢と 大威張り 玄関先で 我がもの飼育」

  「この頃は カブトムシさえ 金で買う 餌やりさえも 婆に任せ」

  「瑠璃色に 輝くカブト 強そうだ 自分の非力 虫に託して」

  「夏休み 孫の相手は 骨折れる 昨年よりも みんな歳とる」

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○青年たちよ立ち上がれ

 縁とは不思議なもので、何処かのまちの誰かから講演のお声がかかって出かけると、決まったようにそのまちやその周辺のまちから講演依頼のお話が舞い込むのです。昨日出かけた宇和島市が良い例で、妻が「お父さん宇和島へ行くことが多いね」と感心するほど、最近は宇和島から声がかかるのです。

 5月25日に宇和島市の女性グループ「べっぴん塾」に小林さんや山本さんのお骨折りで招かれ、古民家を再生した宇和島市大浦の和田さん宅へ出かけました。まるで江戸時代にタイムスリップしたような小さな座卓に気になるカバンを置き、座布団に座ってお話をしました。次回はほんの一週間前の7月10日、宇和島市ファミリーサポートセンターの和田さんのお声かけできさいや広場での子育て講演会でした。

 そして昨晩は市役所商工観光課の谷本さんに声をかけてもらい、雇用促進協議会の招きで宇和島市白浜で若者への講演でした。女性グループへの地域づくり話、若いお母さんへの子育ての話、若い青年たちに地域づくりの話と、対象もまちまちで話芸は広がります。

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(すっかり夏の装いの宇和島白浜港)

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(沖合いに九島が浮かぶ白浜)
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(白浜港突堤の珍しい常夜灯)

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(尾に賀状周辺には梅雨明けで白い入道雲が湧いていました)

 白浜は旧友中島六三郎さんのふるさとです。中島さんとは公民館時代からのお付き合いですが、定年より3年も早く退職して地元で悠々自適農業を営んでいます。昨日は何の前触れもなく1時間以上も前に現地を訪れました。地元の老人たちが集会所近くにたむろしておしゃべりをしている場所に行き、中島さんの消息を聞くと、中島さんの家は直ぐそこだからと新設にも連れて行ってくれました。中島さんはあいにく留守でしたが、見覚えのある奥さんが出てきて色々とお話をしてくれました。そのうち中島さんが畑仕事から帰られ、再び自宅へ上がらせてもらい、積もる話を懐かしくさせてもらいました。

 中島さんは自分流ないい生き方をしていました。1haほどの果樹園の世話をしながら時には直ぐ目の前の海に魚を釣りに行き、また自治会長として地域のお世話もしています。近々同じようなリタイア人10人ほどで地域づくりの集団をつくりたいと夢も語ってくれました。過去に固執することなく生きている中島さんのような生き方がしたいと思いました。

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(集まった若者たち)

 白浜に着くと集落の屋外放送が聞こえてきました。「今晩7時から集会所において、双海町の若松進一さんが地域づくりについて講演されますのでお集まりください」との呼びかけでしたが、少し気恥ずかしい田舎の放送でした。集会は午後7時から始まりました。集まったのは若者に加え地元の人も何人かいて、50人ほどになりました。青年を相手の話なので、マイクもなく肉声なので、できるだけ大きな声で話をしました。返ってくる反応はとても良かったようでした。

 いつの時代も地域をリードするのは若者の発想と行動力でなければなりませんが、青年の力が残念ながら今の日本社会にはありません。でも昨夜は久しぶりに青年たちの熱気を感じました。彼らが新しい発想と行動力を発揮すれば、地盤沈下に悩む地域は必ずや再生することでしょう。


  「過去よりも 今や未来に 生きるため 地域根を張る 旧友立派」

  「久方に 出会って話す 友ありて こんな生き方 俺も見習う」

  「若者が 集まるからと 誘い来る パワー全開 大声話す」

  「二度三度 同じ地域へ 出かけたる 俺の話も 少しは役に」


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○親父の病状回復

 久しぶりに夏の日差しが戻って、今日は朝から一面の青空です。屋根の上に広がる青い空を見ながら、この分だと今日か明日にも梅雨明け宣言がされるのではないかと、密かに期待していますが、それにしても今年の梅雨は尋常ではなく、ゲリラ的に降った雨はまるでスコールのようで、各地に大きな爪跡を残しました。対岸の中国地方広島や島根では死者も出たほどです。気象学的に見れば台風の発生が例年より少なく、太平洋高気圧の張り出しが今一で、梅雨前線に向かって南から湿った空気が流れ込んだためだといわれていますが、尋常ではない天気の異常は気になるところです。

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(煙会所と隠居の屋根の上の久しぶりの青い空)

 2週間前まで、「おらはもう長くはない」と鼠径ヘルニアで入院したりして弱音を吐いていた親父も養生の甲斐あってすっかり元気を回復し、医者の許しを得て晩酌も少しずつはじめ、昼間は小雨だというのに涼しいので外に出て少し遅れ気味の庭木の剪定を始めています。親父は荒治療型の庭木の剪定で、剪定した剪定くずもかなり多く、まだ思い荷物を持ってはいけないとお医者さんからきつく言われているので、もっぱらその後片付けは私の役目なのです。

 今朝も庭に落ちている剪定くずを集めて家庭菜園の隅にあるドラム缶焼却場へ運びました。松やヤマモモ、クロガネモチなどの葉っぱは甘夏みかんの木の下へ緑肥として入れました。少しの作業なのに汗だくになり、2~3ヶ所藪蚊に刺されましたが、妻特製の焼酎塗り薬でかゆみもなく収まりました。

 今朝は親父が電動自転車で7キロ先の下灘診療所へ検診に行くというのです。止めても言う事を聞かないので、気をつけて行くよう注意をしましたが、91歳の年齢で自転車に乗って往復14キロを走るのですから驚きです。今回の鼠径ヘルニア騒動で親父もこれで少し弱るかも知れないと、私たちを心配させましたが、復活の兆しにホッとしています。

 昨日の夕方近くに住む姉の家を訪ねたら、「じいちゃんが2メートル以上もある脚立の上に上がって剪定をしてた。危ない」と注意を促しました。親父の気質は姉も知っているので、むしろ元気になったことを喜んでいました。

 ことしもまた暑い夏がやって来ました。今年も親父ともども家族みんなが元気に乗り切りたいと願っています。


  「屋根の上 青空一面 広がって 梅雨明け間近か 思わすように」

  「もう駄目と 言ってた親父 脚立乗る 周りハラハラ 本人ケロリ」

  「往復で 十四㌔の 道程を 自転車乗って 風切るように」

  「はて俺は 親父のように 生きれるか 首をかしげる 妻も私も」

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○巣箱の中はまるで月のクレーターのようです

  昨年もそうでしたがこの頃になると心配なことがあります。それは昨年から始めたミツバチ飼育のことです。巣箱は人間牧場へ四つ、自宅へ二つ設置していますが、幸運にもその中で空き家は1つだけで、5つも分蜂をしているのですから嬉しいはずなのです。しかし親蜂を入れて遠く野村町からミツバチ飼育の師匠が運んできたくれた巣箱は、その後出入りが芳しくなく、重箱型の巣箱も巣箱の底の敷板を捲ってみると、アリの大群が沢山の卵を産みつけていました。

 そろそろ蜂蜜採集の潮時だと思いつつ観察を続けていますが、高知県馬路村の木下さんの紹介でいただいた3つの巣箱はそれぞれ大したトラブルもなく順調なようですが、それらの巣箱の入り口が最近何となく賑やかなようです。

 巣箱の入り口に無数のミツバチがたむろしているのです。それは分蜂の時と見まがうほどの騒ぎなのです。私は早速野村町に住む井上登師匠のところへこの騒動の原因を調べたくてメールを送りました。2~3日して返信メールが届きました。原因は①活発な活動で巣箱がいっぱいになっている。②暑いので羽ばたいて風を送っている。③その他など、素人の私を諭すが如く書き込まれていました。確認のために巣箱を持ち上げてずっしりくるようだったら蜂蜜を採集する適期のようだとも付け加えていました。

 昨日人間牧場へ行き、草刈の合間を縫って黒頭巾を被りビニール手袋をはめて、刷毛とヘラを使って底板の掃除をしました。最近は馴れたもので蜂も私のそんな行動を知ってか知らずでか、ミツバチの大群の中へ手を入れても平気で、攻撃さえもしてこないのです。昨年のハラハラ・ドキドキがまったく?のようです。

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(5階建ての重箱方第2巣箱の中)
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(水平線の家玄関先の第4巣箱の中)
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(昨年4升を採集したツリーハウス横の第3巣箱の中)

 巣箱の底板を抜いて掃除をしたついでにデジカメを差し込んで撮影しましたが、フラッシュの光に動じることもなくミツバチたちはおとなしく巣箱の中で活動していました。掃除をしなかった種蜂用の巣箱は最近元気がなく、時折出入りする程度ででしたが、他の3つはどの巣箱もしたから中を覗いてみると、巣が随分下まで垂れ下がっていることが確認されました。この分だとかなりの蜂蜜が期待されるようです。

 今日か明日には梅雨も明けるようなので、早速井上登師匠にメールを送り、蜂蜜採集の相談をしようと思っています。折角働き蜂が休むことなく集めた蜂蜜ですからしっかりと採集したいと思っています。

  「心配と 期待が混じる 巣の中を デジカメ覗く 蜂の大群」

  「うわあ凄い 月のクレーター 見てるよう 何万何千 いるのだろうか」

  「去年より 期待持てそう ワクワクだ 子ども喜ぶ 顔が浮かんで」

  「梅雨明けの 空の青さが 我を呼ぶ 蜂蜜採集 今から楽しみ」

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