○移動年輪塾あらし山④(丸太輪切りの看板)
年輪塾の分家に看板を作ろうと思いつき、高知県馬路村の木下さんに頼んで、魚簗瀬杉の丸太を輪切りにしたものをリクエストしました。木下さんは私の要望に応えてほぼイメージどおりの板を宅配便で私の元に送ってくれました。私は親父の助言を得て極力割れないように川を剥き、丸太の周りに傷をつけないように針金で締め上げました。そして倉庫で約1ヶ月寝かせて陰干し乾燥をしました。
近所の大工さんにお願いして表面をカンナで削り、小番頭の松本さんと綿密な打ち合わせをして松本さんが文字を書き込んでくれました。看板のことを気にしていた清水さんは出来上がった看板が気に入ったらしく、事前に持って帰って大工さんにかけてもらったようです。
早速清水さんから看板をこのようにかけたとメールに写真を添付して送ってくれていたので、看板を楽しみにして出かけました。
(メールで送られてきたあらし山山荘に掛けられた看板)
清水さんは看板にこだわる人です。何日か前清水さんの自宅に所用でお邪魔した時、部屋の隅に銀河鉄道や雨ニモ負ケズで有名な詩人宮沢賢治の「下ノ畑ニイマス」という黒板書きの写真を掲げているほどの人なので、私も松本さんも思いを込めて製作にかかりました。
私はこれまでにも自分の自宅横に設置した私設公民館「煙会所」の分家に看板を全国各地に17箇所17枚も
贈っていますが、今回は年輪塾の分家看板は久々なのです。
移動年輪塾開催のため八幡浜日土のあらし山山荘を久々に訪ねましたが、松本さんの運転する車を降りると直ぐに、倉庫を通って下り坂を歩いて、やっと看板に出会いました。掲げてからまだ2~3日しか経っていないのに、看板は夏の強烈な日差しを浴びて、後のヨドヤ壁にもすっかり馴染んでいるように見えました。松本さん労作の書芸文字も中々味のあるものでした。「看板倒れにならぬように」と駄洒落を言いながら二人で色々な話をしました。次々訪れる皆さんに誇らしげに看板の話をしている清水さんを見て、いい贈り物が出来たと喜んでいます。年輪を数えてみましたがこの木でも有に80年を越えているようです。考えてみれば人間の寿命などこの杉の木の板に比べたら何と短いことでしょう。