shin-1さんの日記

○夕やけ徒然草・火の書発刊

 3年前、人間牧場水平線の家に置かれている高知県馬路村産150年生魚簗瀬杉の切り株の、年輪に触発されて落伍本の執筆と落語ならぬ落伍話芸をセットにした企画を打ち出しました。一年に30話の創作落伍を作り、5年間で150話を完成させるという遠大な構想は未熟ながらも宮本武蔵の五輪の書にあやかり、地の書(1~30話)・水の書(31話~60話)を発刊してきましたが、この度概ね予定通り火の書(61話~90話)の執筆を終え無事発刊の運びとなりました。出来不出来は別として何はともあれ目標にしていたハードルをひとまず越えたことに安堵しています。

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(左から地の書・水の書・今回出版した第三巻目火の書)

 今回も構成と校正は清水和繁年輪塾塾頭が、製本は今治の村上太さんが前2回と同じように担当してくれました。「思考は危機の産物」といわれるように、今回もギリギリまで原稿執筆のモチベーションが高まりませんでした。しかし書き始めるとすんなり4~5日ですっかり書き上がってしまいました。

 発刊に寄せてという表紙裏の1ページに「自分の発想は湧き出る泉の如しと、過信して始めた百五十話への挑戦も、わが頭や心の中にある書き言葉と喋り言葉を組み合わせた素材が少しずつ減り始め、悪戦苦闘しながら最初の目論見より少し遅れて、この度夕やけ徒然草地の書・水の書に続いて、第三巻目となる火の書を発刊することになりました~。」と書かれているように、今にして思えば150話など無謀とも思える挑戦に、今頃になって気がつきましたが、時既に遅くまだ60話も残っているのです。

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(村上さんのアシスタントとしてやって来た女性とツーショット)

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(ニヤニヤしながら支払った自著本の本代を数える村上太さん。領収書代わりの証拠写真です)

 昨日は約束どおり製本担当の村上太さんがアシスタントの女性と一緒に人間牧場へ納品にやって来ました。草を刈りながら汗を流して待っていました。軽四に積んだ千冊の本は無事人間牧場水平線の家の倉庫に収まりましたが、さあこれからが大変です。この30話を元に落伍話芸の実践練習を始めなければなりません。素人の話芸といいながら、そこはこれまで以上に真剣に取り組みたいと思い、早速村上さんたちが帰り、一人だけ残った水平線の家の切り株高座に上がって、聴衆のいない中で一人話芸の練習をしました。

 明日は八幡浜市日土の清水塾頭が看板を掲げたあらし山年輪塾で、行灯の灯りを頼りに「塾長夜話」をやる予定です。初演に向けた練習は出来ておらず、相変わらずぶっつけ本番の手合いですが、心を引き締めてこれから一年間話芸を披露したいと思っています。

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○キャンプで水天宮花火大会を見学

 毎年暑い夏が来ると、21世紀えひめニューフロンティアグループを作って無人島キャンプなどをやっていた頃は、「サバイバルキャンプに参加しませんか!」と誰彼となく誘っていましたが、その役割を終えた今は逆に「青少年のキャンプへ参加しませんか!」とお誘いがあります。その都度自分の予定表を見ながら空いていれば参加するようにしていますが、自分が主催していた無人島キャンプとは内容も運営も程遠く、むしろ参加してもイライラが募るような感じがして、どこか不完全燃焼で終わる場合が多いのです。

 さりとて昔を持ち出して相手をけなすことも出来ず、キャンプから帰ると妻に不満を漏らす程度にしているのです。妻は無人島キャンプの折には留守本部長、つまり無人島キャンプに参加した人たちからの連絡を、わが家の電話口で一手に引き受けてこなした経験を持っているのです。

 ある時無人島キャンプ中に台風に逢い、無人島キャンプに参加した子どもの親から心配の電話が殺到しましたが、「信じて待ちましょう。必ず元気で帰って来ますから・・・」と、不安を一掃するような殺し文句を言ったことが、親の感想文の中に書かれていました。

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 一昨日までの2日間、私が実行委員長を努める子ども体験塾のサマーキャンプがありました。職責上全てのプログラムに酸化しなければならないのでしょうが、あいにく外せない予定が入っていて、第一日目だけの参加となりました。目的地は国立大洲青少年交流の家です。私たちが過去にやった危険極まりない非日常な無人島キャンプから比べれば、全てにおいて安心安全なキャンプですが、安心安全ゆえに日常性が高く多少物足りなさを感じますが、それでも担当者の赤石さんは思いを込めて一生懸命その運営に当たっていました。

 青少年交流の家は施設設備や運営サポートが群を抜いて立派です。バスでの駅までの迎えもオリエンテーションも、夕食準備も全てかゆい所に手が届くような微細な援助の手を差し伸べてくれました。これは多分私がこの施設の運営委員を長らくやっているために所長さん以下職員が最大限の配慮をしてくれたものと感謝しているのです

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 今回の国立大洲青少年交流の家を使ったキャンプは自主プログラムを選択したため、夕食の片付けが終わると、大洲名物の水天宮花火大会見学をするというスペシャルプログラムが組まれました。水天宮の花火大会は風の噂で知ってはいましたがこの目で見るのは初めてでした。

 3台のワゴン車で子どもやリーダーをピストン輸送して8時からの花火を絶好の見学スポットで見ることができました。約一時間半余り、これでもかと打ち上げられる花火の、体を揺るがすような音と光のショーを堪能しましたが、キャンプで花火を見学できるなんて思ったこともありませんでした。

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 私と由並小学校の武田校長さん、翠小学校の和田校長さんは翠小学校の西岡PTA会長さんの運転する自家用車で、キャンプ会場からお暇させてもらい、花火の音を背中に聞きながら海岸周りで双美町まで帰ってきました。昨日の夕方担当の赤石さんから私のルポブログにコメント書き込みがあり、全員無事帰った旨の報告がありました。キャンプは安全が第一ですからそれはそれとして喜ぶべきですが、幾つか機がついたこともあったので、今日あたり教育委員会に出向いて来年度に備え意見交換をしたいと思っています。

 そうそう忘れていましたが、このキャンプで競り市という私が考案した「指を使ったレクレーションをマスターしなければ連れて帰らない」と子どもたちに約束させていたので、次の機会にテストをしたいと思っています。(笑い)


  「無事帰る コメント書き込み 記事届く 何はともあれ 喜ぶべきか」

  「常識を やれば安全 違いない 主催満足 俺不満足」

  「この歳に なっても未だ 足洗う ことなどなしに キャンプに参加」

  「終わったが 来年のため 反省を よりよいキャンプ するため意見」


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