shin-1さんの日記

○何と、私がVifという雑誌に紹介されました

 人が輝けば、まちも輝くというキャッチフレーズの宇和島市まちづくり通信[ヴィフ]june.2010vol.7号のP6に,

私のことが特集されています。Vifという雑誌の表紙は美しい女性と夏を思わせる太陽をあしらっていて、どう見ても65才の田舎のおじさんが登場するような雰囲気ではないのです。実はこの記事は5月25日の夕方宇和島市大浦の和珠工房・無門共楽舎という素敵な場所で開かれた、べっぴん塾の学習会に招かれた時の様子が紹介されているのです。全日空から宇和島市役所に出向してきている小林詳子さんの仲立ちで出かけましたが、その後Vifの編集を手がける山本さんからメールが入り、当日の様子やインタビューの記事が編集されているのです。先日女性総合センターで開かれたアシスト事業発表会の折、小林さんと山本さんに出会いインクのにおいのする雑誌を手渡しでいただいたのです。

若松進一ブログ
(Vifの素敵な表紙)

若松進一ブログ
(6ページの掲載内容)

 私は山本さんの一口インタビューに三つ答えています。

 ①宇和島での思い出は?

 昭和38年までの3年間、枡形町に下宿して水産高校漁業科で学びました。初代の実習船愛媛丸で珊瑚海まで遠洋航海の旅に出て、地球が丸いことを実感しました。私にとって宇和島は第二のふるさとです。

 ②まちづくりの秘訣は

 気がついたことを気がついた人が気がついた時にやる。不燃人は可燃人に、可燃人は自燃人へ進化して欲しい。目線はオンリーワンです。

 ③宇和島人にメッセージを

 「人でも仕事でも愛する人に集まってくる」

若松進一ブログ

(似顔絵入りのイベントインフォメーション)

 ところでVifのP6にEVENT TOPICSという欄に私の似顔絵入りでうわじまファミリー・サポートセンター地域交流会の予告記事も乗っていて、驚いてしまいました。2010.7.10sat 13:00~15:10、場所は宇和島市交流拠点施設「きさいや広場」市民ギャラリーに行くことになっています。

 お誘い文には、「まちづくり」のプロとして全国各地で講演を行っている若松氏を招いて、「地域のこころをつなぐ」をテーマに交流会を行います。「子育てしやすいまちづくりには地域のあたたかい心が必要です。入場無料、是非お気軽にお集まりください。と書いているようで、さっそく2~3人の知り人から「宇和島に来るんだって」「是非話を聞きに行きます」など温かい電話やメールが入りました。


  「おじさんが 何故かべっぴん 機関紙に 載ってびっくり それなり書かれ」

  「宇和島に こんな垢抜け 機関紙が 作った人は さぞや垢抜け」

  「デジタルも いいがアナログ 味がある デジタル処理し 取っておきたい」

  「Vifを見た 今度宇和島 来るのなら 聞きに行きます 連絡届く」


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shin-1さんの日記

○字が下手なコンプレックス

 人間は人それぞれ色々な特技を持って生きています。物作りの器用な人、絵を書くのが上手な人、音楽に堪能な人などなど様々です。物を作るのも不器用、絵は書けない、歌も楽器も音楽と名のつくものは駄目と、まあ私は特技という物を持たない典型的な駄目人間なのです。ゆえに器用な人、絵が書ける人、音楽が出来る人を見る度に、「あんなに出来たらどんなに素晴らしい人生だろう」と羨望のまなざしを持つのです。それはいつしか「自分は出来ない」というコンプレックスの塊となって、いつも頭から離れないのです。

 私のこれまでの人生において最高のコンプレックスは「字が汚い」ことでした。役場に入った頃はタイプライターも打てず、文章を自筆で書いた公文書を作っていました。ある上司から「君の字はハンコが要らない」と言われるほど特徴のある文字でした。ペン習字などに挑戦して癖を直そうと努力しましたが、結果はコンプレックスを増すだけで何の自信回復もできぬまま今日を迎えているのです。

 そんな私がハガキを毎日3枚書いてもう20年を越えているのですから世の中は分からないものです。その発端は「下手こそ最高の芸術」という言葉でした。上司が「君の字はハンコが要らない」と認めてくれたことは裏を返せば私にしか書けない個性ある字なのです。

 私の同僚に文字が上手く、書道展で度々入選した経歴を持った人がいます。年齢も同じなためむしろこの人との存在が私の文字へのコンプレックスの震源であったかも知れないと述懐するのです。でもこの人と対比して競争して勝てる訳はないと開き直り自分流を貫くようになって随分気持ちは楽になりました。ある意味書家まがいの彼よりもハガキに新境地を見出して生きている私だって、彼に匹敵する素人書家だと笑い飛ばして生きているのです。

 ワープロの出現は私に大きな勇気を与えてくれました。文字の上手下手も関係なく活字にしてくれるのですからこれほど便利なものはないと、当時一か月分の給料をつぎ込んでワープロを買ったのです。文字の綺麗な同僚は「ワープロの文字は味がない」とワープロを拒否し続け、ついには時代の波に乗り遅れてパソコンさえも使えず、パソコン万能な行政について行けず、それがコンプレックスになって頭を悩ませていたようです。

 字が下手というコンプレックスがパソコンの出現で思わぬ朗報をもたらした私は、この歳にして毎日2本のブログを書き、それがご縁で多くの人とネット上で交流もしています。また退職後はパソコンでのメールのやり取りで講演に出かけたり、データーだってどうにか送れるのですから、遅咲きの人間学もあるものです。

 音楽が出来ないコンプレックスだって、今は多少努力したお陰でハーモニカという優れもの楽器との出会いによって、ラジオとテレビで2回も全国放送の電波に乗っているのです。ましてや今は木になるカバンにハーモニカを忍ばせ、全国行脚をして興が乗れば人はばかることなく吹きまくっているのです。


  「字が下手な コンプレックス あったから パソコン使う ことが出来たと」

  「君の字は ハンコ要らぬと 褒めてくれ それを個性に 今日まで生きる」

  「ゴールまで たどり着かねば 勝ち負けは 判断できぬ ウサギと亀だ」

  「遅咲きの 人間学が ここにあり 慌てることない ボチボチやろう」


 

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