shin-1さんの日記

○鳥にも情はあるのでしょうか

 つい最近わが家の周りで悲しいことがありました。3日前親父の隠居に小鳥が飛び込んできました。これまでにも何度かハクビシンや小鳥が飛び込んで、その都度親父は鳥かごに入れて餌をやり、元気になると自然に帰していましたが、今度の小鳥もまだ巣立ち間もないとあって、大空を飛ぶことが出来ないようでした。餌を少し食べるので庭の隅の木陰に鳥かごを置いて少し様子を伺いました。

 すると何処からともなく親鳥と思われる鳥が、子どもを捜しているような鳴き声で巣かごに近づいてきました。そして付近に何度も何度もやって来るのです。可哀想なので巣かごの飛べない小鳥を放してやりました。小鳥はしばらくそこら辺をよちよち歩きしていましたが、そのうち見えなくなっていました。

若松進一ブログ

(子どの姿を求めて屋根の鬼瓦に止まって鳴く親鳥)

 昼休みで自宅に帰った妻が玄関先のメダカを買っている壷の中のメダカに餌をやろうとして、何やら異変に気がつきました。多分放してやった小鳥だと思うのですが、可哀想に壷の中で死んで浮いていました。私はその小鳥を取り上げ家庭菜園の隅に穴を掘って埋めてやりました。それからというものは親鳥は高く低く飛び交い、家の屋根や庭先で泣き叫んでいました。

 あの小さな小鳥の何処に子を思う愛情があるのでしょうか。卵を産み、その卵を抱きかかえて温め、羽化すれば餌を運んだであろう子育ての期間を思うと、心情察するに余りあるのです。昨今の児童虐待など鳥以下だと優しい小鳥の泣き声も聞きながら思いました。

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(愛を語り合っているのでしょうか2羽の鳥)

 わが家は自然が豊かで野鳥の宝庫のように沢山の小鳥がやって来ます。今朝もカワセミに似た小鳥が2羽、わが書斎の前にやって来て、まるで愛を語るように鳴き合うのです。窓を開ける音にも、私の気配にも動じず、しばらくの間さえずりあっていました。

 私はカメラを持ち出し写真撮影を試みました。先日の小鳥の埋葬などにまるでお礼を言うようにしばらくの優雅に間羽根を広げたりして、その美しい姿を存分に見せ何処かへ飛び去ってゆきました。


  「亡くなりし わが子探して 鳴く鳥の 声ぞ悲しく 谷にこだます」

  「鳥でさえ 親子情愛 深いのに 子ども虐待 世の中乱れ」

  「庭に来て 愛を語るか  二羽の鳥 私仲人 縁を結びて」

  「もし俺に 鳥の言葉が 喋れたら そんな思いで 鳥に接する」


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shin-1さんの日記

○馬路村から魚簗瀬杉の輪切りが届きました

 家の玄関でチャイムが鳴り出てみると、「今日は。高知県馬路村から荷物が届いています。受け取りにサインをお願いします」と、宅配のお兄ちゃんの元気な声が聞こえてきました。荷送り主は馬路村役場の木下彰二課長さんからでした。段ボールで包んだ丸い荷物はまるで車のタイヤが入って入るようにも見えました。「よいしょ」と声をかけなければぎっくり腰にでもなりそうな重さで、やっとのことで抱え揚げて私設公民館煙会所の横にある東屋の机の上まで運びました。傍で畑仕事をしていた親父も「何が送られてきたのか」と覗きにやって来ました。

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 早速荷解きにかかりました。ガムテープをバリバリ剥がして行くと中から暖衝材に包まれた一抱えもある木の輪切りが出てきました。まだ乾燥していない生のままの輪切りとともに中から手紙が出てきました。封筒に入っている私宛の手紙は旅の道中が長かったため木の水分を吸って吸って、まるで汗をかいたようにべっとりしていました。封を切って手紙を取り出すと、相変わらず特徴ある墨文字で「年輪塾長さま。こんなんでえいろ~か?」とチェンソーで輪切りしている漫画まで描いていました。

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 私が彼に付けたあだ名は山猿、彼が私に付けたあだ名は海猿でお互いがそう呼び合っています。記憶は定かではありませんが、彼と初めて出合ったのは確かえひめ地域政策研究センター研究員だった清水さんの仲立ちで、馬路村農協の東谷さんと座談するため、朝日新聞の砂場記者、徳島県上勝の横石さん、内子の森本さんとともに、馬路村温泉を訪ねた時だったと記憶しているのです。以来急速に交友が深まり、遠方にもかかわらず行ったり来たりのの深い深い交友が家族ぐるみで続いているのです。彼はその後若くして役場の課長になり、私は逆に教育長を最後に退職しましたが、今もその深い関係は変わっていません。

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 送られてきた杉丸太の輪切りは、樹齢50年は有に越えている馬路村産魚簗瀬杉です。3年前人間牧場で開塾した年輪塾は年年歳歳高まっていますが、来月には清水塾頭が八幡浜日土に持っている「あらしやま山荘」で移動塾を開く計画で、その際この杉丸太は分家塾の看板として使う計画なのです。私設公民館煙会所も全国に17もの分家がありますが、年輪塾分家はまだ始まったばかりで、その行方が注目されています。

 本家ともいえる人間牧場水平線の家には、樹齢150年の年輪を刻んだ魚簗瀬杉の切り株が鎮座していて、私はこの丸太の上で落伍を演じているのです。早速周りの皮を剥ぎ割れを最小限にするため電線で周りを縛り、日陰乾燥をするため倉庫へ入れました。乾燥すれば松本小番頭の計らいで看板文字を書く予定です。


  「宅配で 杉の輪切りが 玄関に 早速解き 手紙とともに」

  「汗をかく 手紙ほのぼの 漫画入り 山猿らしい 思わずニヤリ」

  「年輪は 有に五十を 越えている 清水塾頭 何歳だっけ」

  「この輪切り 年輪塾の 看板に 分家一号 来月誕生」

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