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○鳥取日帰りの旅②

 鳥取は鳥取市を中心とした東部地区、倉吉市を中心にした中部地区、米子を中心にした西部地区と、それぞれ独自の文化圏を形成しています。今回お邪魔したのは中部地区の生涯学習実践研究交流会でした。講演とパネルディスカッションのコーディネーターを頼まれていたのです。講演講師ととコーディネーター役は似て非なるなものなのですから多少の戸惑いはありましたが、まあ行きがかり上仕方がないと快諾して引き受けてしまいました。講演が午後1時30分から午後3時まであり、その後10分間の休憩をはさんでのディスカッションですから、長旅の疲れなど言っておれない忙しさです。昼食弁当を食べながら4人のパネラーと打ち合わせをしました。

 遠藤玉恵さん(NPO法人まちづくりネット理事長)

 小谷友幸さん(琴浦町立成美小学校PTA会長)

 山内有二さん(元気が出るプロジェクト「白狼をこし」所属)

 古川哲次さん(東郷湖ドラゴンカヌー大会実行委員長) 

 4人のパネラーは実践家だけに朴訥ながらいいお話をしていただきました。一人3回5分ずつお話をと打ち合わせでは決めていたのに、長い人短い人様々です。でもフロアーからの意見も求めて何とか4時30分という時間ジャストに終わることができました。プログラムの最終章は、帰り支度もあって、時間に遅れたら興醒めしますので、時間が守れたことが何よりの成果でした。

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 私はこの日DVDを持参してセットアップしていたのですが、話の内容が盛りだくさんだったためついに、DVD映写はせずじまいで、機器を準備していただいた皆さんにすまない気持ちでいっぱいです。でも研修会が終わって帰り際参加した人たちと玄関でばったり出会いましたが、沢山の方々が「今日は楽しかった」と言葉を交わして手に持っていたみかんを貰い熱い熱い見送りをしていただき、思わず胸が熱くなりました。これぞ田舎の良さだと思いました。この人たちがいる限りその地域の生涯学習によるまちづくりは大きく花開くことでしょう。


 古川さんの先導で三朝温泉まで誘導していただき、来た道片道350キロの道を湯原から高速道路に乗り、瀬戸大橋を渡って家路に着きました。往復10時間、往復700キロは決して少ない時間や距離ではありません。でも高速道路のお陰で日帰りが出来たのです。国では政権交代で自党マニフェスト実現のために仕分け作業というある意味意義ある、ある意味無意義な、財源確保のための作業が行われています。地方重視だと言いつつも東京という物差しで地方や弱者を切り刻んでいるようです。田舎は公共交通機関も殆どなく不便ゆえに道の効果は絶大です。一方で無意味と思われることも意味があるのかも知れません。よくよく見極めいい方向へと願っています。

 帰って風呂に入り遅い夕食を食べながら旅先で出会った人々の笑顔を思い出していました。早速金田先生はじめ数人からお礼や感想のメールが入っていましたが、久しぶりに疲れたため変身は明日と決めて床に入り深い眠りに着きました。


  「それぞれの 意見発表 聞きながら かつては俺も あんなだったと」

  「講演と コーディネーター 役こなす アドリブながら 上手く収まる」

  「10時間 700キロを 運転す さすがに疲れ 夕べぐっすり」

  「温かい 見送り受けて ほのぼのと 疲れ忘れて 家路を急ぐ」


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○鳥取日帰りの旅はかなり強行軍でした①

 「鳥取は遠いから気をつけてね」と、妻に送られて家を出たのは今朝4時30分でした。本当はもう少し遅くてもいいのでしょうが、せっかちな私としては相手に迷惑をかけてはいけないと思い、少し早目に出たつもりなのです。朝4時30分はまだ真っ暗で、伊予インターチェンジから高速道路に乗り、一路瀬戸大橋を目指しました。私の家からだと土居インターから川之江インターくらいまでが約1時間、瀬戸大橋付近で夜明けを迎えました。「くれぐれもスピードを出さないように」という妻の忠告でしたが、9月に新車を買って始めての遠出とあって、スピードを抑えようとするのですがついつい安定感があって出過ぎてしまうのです。

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 昨日の雨も上がって運転しやすいと思いきや湯原から一般国道に入ったところで風や雨が強くなって、山陰へ行くときは「弁当を忘れても傘を忘れるな」という言葉通りだと納得しました。岡山から鳥取に続く山並みはもう紅葉の真っ最中で、今年一番の紅葉を見ることができましたが、残念ながら雨模様で写真に収めることもできず横目で見ながらのドライブでした。

 峠を越えて倉吉に入り少し時間があるので、先日電話を貰った福田京子さんの顔を思い出し、鳥取県地域づくりセンターの事務所を訪ねました。運よく彼女は在室していて30分余り事務員さんも交えて近況に花を咲かせました。会場までの道順も不案内だったので、福田さんの知人に湯梨浜町地域活性化センター「はまなす」の位置をFAXしてもらい出かけました。

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 湯梨浜町は1市3町が合併してできた町ですが、そのほとんどはかつて訪ねた町であり、旧赤崎町の中井さんなどは青年の船で班長として乗船した親しい仲間なのです。JR泊駅を目印に来て欲しいとのメールだったので、新しい車の慣れていないカーナビをいじくってセットして走りましたが、途中東郷湖や湖岸の中国風建物、かつて泊ったことのある国民宿舎、四つ手網などを横目に見ながら走り、時間調整のつもりで泊の港を一望できるふれあいの丘に立ち寄りました。この泊は恐竜にこだわった講演を作っていて、孫朋樹を連れて行ってやりたいような場所でした。昨日から今日にかけて眼下に見える日本海は大しけで、白い波しぶきが防波堤を揺るがすように高く高く舞い上がっていました。

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(ふれあいの丘公園の入り口には大きな恐竜のモニュメントがありました)

  「道すがら 左右目をやり ドライブの ような感覚 のんびり走る」

  「弁当を 持たずも傘を 持てという 山陰旅路 言われたとおり」

  「縦軸で 走る列島 朝昼晩 顔が違って 異国の情緒」

  「瀬戸内の 穏やか海と 対比しつ 打ちよす波の 太き驚く」 

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○今日は朝早立ちで鳥取へ向かいます。帰りは夜遅くなります。

見出しのような書き込みをして自家用車を運転し家を出ました。自家用車を買ってから2カ月近くが経ちましたが、この車で遠出をするのは始めなのです。先日1カ月の点検も終えているので半分安心し、半分は不安な気持ちが入り混じっています。というのもカーナビやディスクなど純正で取りつけた機器類の操作がまだ十分飲み込めていないのです。特にカーナビは見知らぬ土地を旅するのには大切なものなのですが、最近のカーナビは目の車に取り付けたものより大幅に進化してタッチパネル方式のようで、私のようなメカに弱い人間には中々使いこなせないのです。 それでも行き場所をセットして音声や画面表示による案内があると、安心して運転をすることができるのです。


 昨日は伊予インターから松山自動車道を通って瀬戸大橋を経由し、高速道路は岡山県の湯原インターまで走り、そこから一般国道を使って目的地の鳥取県湯梨浜町泊まで走る計画をカーナビにセットしました。その道を往復する片道350キロの道のりなので、途中2ヶ所くらいで休憩したいと思っていました。長時間運転すると、音声で少し休んでリフレッシュして再び運転するよう音声指示があったり、至れり尽くせりです。

 高速道路を走りながらカーラジオを聴くのも楽しみの一つなのですが、残念ながら岡山から鳥取への道は山間やトンネルが多く電波の調子が悪いためCDに切り替えてBGMを聴きながら運転します。また米子道はまだ片側1車線の所も多く、道の万蚊の分離帯にコーンが立っているため注意して走らなければなりません。そんなこんなで運転はかなり気を使うのです。

 今度の車には残念ながら以前の車のようにカセットテープの装置がありません。昔はドライブしながら講演録を聴きながらスキルアップを図っていましたが、それもできず少々残念な気もしますが、その分CDは音もいいのでまるで捨てれをを聴いているような気分になれるのです。

 最近では私の講演録やラジオ番組出演しているのを友人がCDに手直ししてくれたりしていて、時々聞いています。昔は声の張りもよい半面中身は今一、最近は声の張りがなくなった分内容はかなりグレードアップしていて、話芸を高めるために落語なども聞いていますが、私の話芸はまだまだ真打ちには程遠い出来のようです。

 いずれにしても、車の中は耳学ながら最大の学習場所なので、これからは少し工夫をして学習能力を高めたいと思っています。


  「新車ゆえ 安心不安 半々で 長旅しつつ 操作覚える」

  「耳学の 学習場所と 位置づけて テープ聞いたが 今はCD」

  「音声の 案内まるで 天の声 誰がどうして 指示しているか?」

  「携帯の 電話バイブを 無視しつつ 次のサービス エリア立ち寄る」 


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○人間牧場来訪者多し

 今月に入りこの一週間で100人もの人が人間牧場に訪ねてきました。遠くは県外の広島や香川から、近くは県内市内から、連日たったひとりでの対応だけに汗だくでした。遠望に恵まれない日もありましたが、上手いこと天候に恵まれ、何とか満足して帰っていただきました。4~5人の自家用車なら私の車の後について人間牧場まで何とかたどり着けるのですが、20人もの団体になると牧場へは直接マイクロバスが入らないため、上の市道から5分程度歩いてもらわなければならず、中には高齢の方や足腰が不自由な人もいて、心苦しく思っています。時々は視察研修の申し込み段階でそのことを説明しているにもかかわらず、参加者に伝わっていないこともあったりして、多少のトラブルもあるようです。

 人間牧場はイノシシも出没する山間僻地にあるため、道が狭く駐車場もないことが売りなのですが、現代人は庭先から庭先まで車で移動することに慣れていて、歩くという機能を忘れているようです。健康に良いからと市道から牧場まで極力歩いていただくようにしていますが、狭い道でも大丈夫とばかり後先も見ずに乗りつけるのです。結果的には車の幅ほどしかない行き止まりでハンドルを何回も切り返してUターンしなければならず、半泣きや汗だくで後味の悪い結果となってしまうのです。

 2年前人間牧場で開いた逆手塾に来られた方が深夜に帰ると言い出し、思わぬハプニングが起ったたことがありました。その方は朝までに香川へ帰らなければならないそうで、私の止めるのも聞かずに来た道だからと安易に一人で夜道を帰って行きました。ところが20分ほどして私の携帯電話に「車が石に乗り上げパンクして動かなくなったので迎えに来て欲しい」というのです。暗闇ゆえに自分のいる場所さえも分らず大騒動になりました。集まっている人たちは殆どが大酒を飲んでいて運転もできないのです。人間牧場周辺には地元の人でも迷うような無数の農道があり、その殆どは行き止まりのため素人が夜引き返すことは容易なことではないのです。

 その方はJAFに加盟していて救助車を呼びましたが、救助車何処へ行っていいか分らず、結局は私たちがその車を発見し国道までパンクしたまま下山したのは夜明け前でした。彼女は心酔しきって声も出ないほど疲れていましたが、松山まで送り特急に乗ってどうにか会議には間に合ったようでした。以来私はこの事件を肝に銘じて、決して無理をさせないようにしているのです。

 先日は人間牧場へ4人が泊りました。まだ何人か泊りたいと言う人もいたのですが、その人たちは酒で酩酊していたためお断りをしました。もし真夜中に酒に酔った勢いで徘徊でもしたらそれこそ大変なことになるのです。今はまだ朝晩冷えると言っても瀬戸内に面した場所なのでそれほどでもありませんが、真冬だと命の危険さえあるのです。人間牧場は人間修養の場所です。大いに議論し、大いに学び、時には飲み食いもします。でも一人ひとりが自制心を持って行動することが基本原則なのです。

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 3日前香川県丸亀市から自治会連合会の皆さんが18人研修に来られました。聞けば会長さんは85歳とか、それでも上に道から歩いて往復されました。私の目標としている年齢が85歳なので、私は随分勇気づけられました。また先日来られた広島県呉市の自治会連合会の方々は人間牧場へ来る前に丸亀で防災組織視察してこられたそうで、縁の不思議を感じました。

 昨日はコープえひめの尾崎部長さんと片桐さんが、研修会の下見にやって来て打ち合わせを行いました。また新しいドラマが生まれそうで楽しみです。

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  「牧場に 来る人多し 都度行き来 お陰で体 すこぶる元気」

  「牧場も 有名なって 知れ渡り 全国いたる とこから訪ね」

  「ハゼ赤く 色づき秋は 深まりて 訪ねし人と 色々語る」

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○手を合わせる・手を叩く

 わが家の台所には仏壇と神棚があります。なぜ台所なのかは定かでありませんが、多分朝な夕な食事を作ったり食べたりする場所なら、神仏に食べる前に食べる物や飲む物の一部を供え感謝することができるからなのかも知れません。その仕事は主に妻がやっていて、私などは手を合わせたり拍手をしたりする程度で、深い祈りなどしないのです。妻は毎朝台所に入って食事を作り、出来上がると「ご飯ですよ」と私を書斎へ呼びに来ます。やわらパソコンの前から離れた私は、食卓の自分の椅子に座って新聞を読み始めます。「ご飯を食べながら新聞を読むのは止めて」と妻にいつも叱られるのですが、私はその言葉を無視するように新聞を広げて読むのです。妻は仏壇にご飯とお茶を供えて線香とローソクに火をつけ手を合わせて祈った後、神棚にもお光とご飯を供えて拍子よく2礼2拍手1杯してから私の横の自分の椅子に座って朝食を食べ始めるのです。

 何気ないことながらこんな朝の光景を結婚してから40年余り見てきました。その間4人の息子や娘たちの入学や卒業、入試や旅立ち、孫の誕生、祖母や母の死、私の入院治療などなどの区切りには念入りな祈りをしたお陰でしょうか、その都度の人生の壁を乗り越えてどうにか今日を迎えているのです。

 私はどちらかというと無信心派で、神や仏にお願いすることは殆どありません。自分に襲い来る不幸も元はといえば自分の未熟さや努力のなさが招いたことだと思うからです。ゆえに神社仏閣へお参りしても、人のようにお願い事はしないようにし、むしろ健康でいられることへの感謝くらいなものなのです。人間は弱いもので神仏に祈るとどこか救われた感じがするものでしょうが、余りそれが多過ぎると、「荒れひどお祈りをしたのになんで・・・」と、自分の努力の足りなさを神仏のせいにしてしまうのです。

 仏様の前では手を合わす、神様の前では手を叩く、同じ神様や仏様でもお祈りの仕方は微妙に違います。無信心ゆえにその詳しい来歴は分りませんが、手を合わすとは自分と仏の静なる同行二人で無しょうか、手を叩くは自分と神の動なる同行二人で有かも知れません。いずれにしても日本人は長い歴史の中でその何たるかもわからぬまま、誰に教わることもなく曖昧模糊な気持ちで神仏を信じ神仏に祈るのです。

 友人が四国88か所巡りをしているようで、もう何度も参ったといいます。その人に会うとやはり信心の心があるのかどこか落ち着き、言うことなすことどこか一本筋が通っているように感じます。つまり自分と同居しているもう一人の自分がしっかりしているのです。祈りの修行は自らを強くしたり高めたりする、深い部分での自分との葛藤なのかも知れません。私ももう少し強くなろうと思えば神仏への信心修行をやるべきでしょうが、残念ながら遅かりしかも・・・。

 妻が旅行に出て留守のある日の朝、家にいた次男の息子が仏壇にご飯と茶を供え、線香とお光をあげて祈る姿を見て、無意識の信心の思いました。息子は生まれた時から母親が祈る姿を見ながら育ってきたのでしょうが、そのためか親思いの優しい子どもに育っています。人間の教育にとって宗教心はまさに大切な視点だと思うのです。今日本では仏壇や神棚のない家庭が増えてきました。そのことと青少年問題を重ねるつもりはありませんが、どこかに感謝や礼節といった敬虔な祈りの向こうにある「何か」の持つ意味を少し考えてみる今日この頃です。「無信心」などを自慢するようではまだまだ修行が足らないと、今朝祈りをささげる妻の姿を見ながら反省した次第です。

  「手を合わせ 両手叩いて 神仏に 祈る姿は 母に似ている」

  「生かされて 生きているんだ 俺たちは 感謝せずには いられないはず」

  「無信心 自慢するようじゃ まだまだと 自責の念で 仏壇拝む」

  「わが息子 凡人なれど 反面は 心優しい 人間育つ」

  

   

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○歌を忘れたカナリヤ

 私は若いころ青年団に入団し、仲間・ふるさと・主張・感動という人生を生きてい行く上で大事な道具を手に入れました。以来その道具は時と場所と人などの砥石によって磨かれ、今も私の大切な道具として人生のつれづれに使われ、生かされているのです。青年団活動では毎日のように団結の証として歌を歌いました。♯君の行く道は果てしなく遠い、だのに何故何を探して、君は行くのか、そんな~にしてまで」なんて歌を、腕や肩を組みながら歌ったものです。研修に出かけた行く先々で新しい歌を仕入れ、その歌を団員に広めたりもしました。「四季の歌」や「坊がづる賛歌」などは美しい響きとして今も時々口ずさみながら当時を懐かしむのです。その癖はその後勤めた公民館でも生かされ、学級や講座の終わりにはレクリェーションとしてみんなで歌ったものでした。

 さて、あれからどのくらいの月日や時間が経ったのでしょうか。今ではすっかり「歌を忘れたカナリヤ」となって、車の中でCDを聴いたりハーモニカを吹く程度しか音楽への関心は消え失せているのです。


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 そんな日々の暮らしの中で最近二つの歌う経験をしました。一つは先週の土曜日に開かれた年輪塾公開セミナーです。朝フル合唱隊などと銘打って音楽好きな人たちが集まり、セミナーの最後に歌おうというのです。メンバーの中には清水さんや大西さんなど楽器の堪能な人もいて、私は堪能でもないのに胆のうを患ったこともあって(笑い)ハーモニカ伴奏で引きずり込まれました。楽譜の読めない私にとって、清水さんから送られてきた楽譜はまるでお経の経本のようなものですが、幸いCDも一緒に送っていただいたので、パソコンでこの歌を聴きながら楽譜をなぞり、たった2時間程度しか練習せずにわが家煙会所でリハーサルと相成ったのです。その後本番までしばらく時間がありましたが、残念ながら練習する暇もなく当日を迎えてしまいました。当日は合唱の声にまぎれて私のハーモニカの吹き間違いもかき消され、「若松さんお上手ね」とある人からおほめの言葉までいただく始末でした。でも知らなかった笠木透の「私の子供たちへ」という歌を覚え、「みかんの花咲く丘」をハーモニカで吹いて事なきを得ましたが、歌を聴いていると何処か庫k炉にすがすがしい風が吹くような爽やかな気持ちになりました。これからも歌ぐらいなら歌えるのでみんなと歌い続けて行きたいと思っています。

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 その明くる日、私は四国中央市で開かれた「母親大会」へ招かれました。前日まで忙しかった私が居眠りでもしたら大変と、妻が一緒に行ってくれました。時間がないので余り見学はしませんでしたが、急な思いつきで一度は行きたかった川之江城を見学しました。昭和62年にできた新しいお城は鉄筋コンクリートでしたが、それでも櫓門や本丸は立派で妻も感激の面持ちでした。妻をイオンに降ろし、私は会場の福祉会館へ行きました。沢山の人が集まっていました。「憲法9条を考える」などという文章がちらつく、私にとっては難し過ぎる集会でしたが、講演に先立ち全員が歌詞本片手に指導者のリードで歌い始めたのです。最初どぎまぎしていた参加者も巧みな指導者の誘導によって上手くなり、一人の声は次第に大きくなって行きました。「里の秋」の逸話も「この街で」の秘話もいいお話でした。その効果なのか私の話にはいつになく反応が良く、いい雰囲気で話を終えることができました。

 公開セミナーの歌といい、母親大会の歌といい、歌はやっぱり心を豊かにしてくれます。音痴な私ですが、みんなと歌うと勇気を持って声が出せるのですから不思議です。音楽は音を楽しむのかも知れませんね。


  「通知表 音楽2の 私でも 歌を歌うと 何処か楽しい」

  「歌いつつ 青年団を 思い出す 腕肩組んで 心ときめき」

  「もう一度 昔に戻り やろうかと 歌の練習 し直す決意」

  「肩組んだ あな娘どうして いるだろう どこかの街で 誰と暮らして」

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○盛会だった年輪塾公開セミナー

 「佐野眞一さんを呼びたい」。そんな共通の願望が湧いてきたのは今年の2月、えひめ地域づくり研究会議が西瀬戸経済圏交流の助成を受けて実施した県外研修からでした。目的地であった宮本常一のふるさとである周防大島を訪ね、宮本常一の生家の近くの民宿に宿を取り、生家や菩提寺のお墓まで訪ねた宮本常一に触れる旅は、宮本常一の魅力をさらに高めてくれました。

 間もなくえひめ地域づくり研究会議の代表という職の、長い長い在任期間を終える予定の私には、少しだけ自由になるであろう肩の荷の軽さもあって、宮本常一に心酔している清水さん、豊田さん、浜田さんの熱い思いを肌で感じつつ、「旅する巨人」を書いた宮本常一研究の第一人者であるノンフィクション作家佐野眞一さんを呼ぶことに同意をしたのです。それ以来、善は急げとばかりに佐野眞一さんに急接近が始まりました。清水さん、豊田さん、浜田さんに、小番頭の松本さんも加わり、佐野眞一さんに来ていただくための作戦が密かに始まりました。この人のようなある意味有名な知識人を呼ぶのは、それ相当な熱意あるアプローチが必要なことは、まちづくりの世界に生き、これまでにも竹村健一さんや永六輔さんを呼んだことのある私には容易に想像がつきました。でも私上に彼らは熱い思いをもって奔走し、私の手助けをほんのちょっぴり加えただけで、見事佐野眞一さんと口約束ながら11月7日の年輪塾航海セミナー企画と相成ったのです。

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(ウォーキング前のミーティング)

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(山道を歩く参加者)
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(石一個の史実検証)

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(50分の完歩を終えて)
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(佐野さんとの記念写真)
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(皆が持参した青石)
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(漁協女性部手づくりの昼食弁当鱧御膳)
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(村上節太郎さんの写真が展示されているセミナー会場)

 私はこれまで10年間で40回を目指して開塾したフロンティア塾の経験がありますが、その母体となった私が主宰する21世紀えひめニューフロンティアグループは既に老生きに達し、その力が衰えているだけに人間牧場を開設したのを機に始まった年輪塾では、何としても新しい一皮剥けた塾を開きたいと常々思っていました。塾頭に清水さん、大番頭に米湊さん、小番頭に松本さんという強力な陣容を布陣し、塾生にも名を連ねた豊田さん、浜田さんなども加わって、フロンティアグループが持たなかった年輪塾ネットという新たな情報武器を使いながらネット上で公開討論しつつ準備を進めてきたのです。

 以来10カ月、年輪塾ネットは清水さんには不満足ながら私には満足の成果を得て、70人を超える参加と年輪塾ネットに加わった人たちの自立的行動で公開セミナーは開かれました。

 今回の公開セミナーで思わぬ成果が幾つも生まれました。歴博の協力で村上節太郎さんの写真展を開いたこと、宮本常一の生まれ育った周防大島を一望できる人間牧場まで片道50分の山道を、手繰りの石を持ってウォーキングしたこと、下灘漁協女性部の協力を得て昼食弁当に鱧御膳を堪能することができたこと、朝フル合唱隊が組織され猛練習でもあの程度でしたが、笠木透の「私の子供たちへ」という歌を覚えて合唱できたこと、腕をあげた高知県馬路村の木下さんや安田町の依光さんがマジックを披露したことなどなど、楽しい話題でいっぱいでした。

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(腕まくりで熱演された佐野眞一さん)

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鼎談の進行をする私)
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(鼎談の金本さんと門田さん)

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(佐野さんにサインを求める長い列)
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(ミニコンサートのようでした)

 壇上に上がった佐野眞一さんの話はとてもいいお話でした。後日講演の要旨は愛媛新聞の9面の「講演会から」というコーナーで紹介される予定なので割愛しますが、今回の公開セミナーには根強い佐野眞一ファンと宮本常一ファンが何人か参加され、講演の合間には佐野眞一さんの書いた本にサインを求める人が列をなしていたようです。私もその列に加わろうとしましたが、両方の時間と暇がなく断念しました。

 この日もう一つのプログラムは金本房夫さんと門田眞一さん、それに私を加えた鼎談も行われました。塾長である私が話しの橋渡しをしましたが、金本先生も門田さんも博学で雄弁家なので「忘れてしまった日本人」という曖昧なテーマにもかかわらず、私の話を除けばいいお話をしていただきました。

 穏やかな秋の天気にも助けられ、久しぶりにいい集会を終えることができました。宮本常一の生きざまに迫った2年間の学びは私を始め多くの人たちの心に新しい気付きを与えてくれました。宮本常位置からの学びは表面的には最終章となりましたが、豊田さんや浜田さんがそのバトンを引きつきでこれからも研究を進めてくれることでしょう。勿論私たちもその輪に加わりながら、年輪塾は次のステップへと進見たいと思っています。


  「この歳に なっても学ぶ 意欲あり 次は何する ページめくりて」

  「集会を 終えて一息 する間なく 次の作戦 同時進行」

  「アルコール ゼロのビールで 乾杯し 酔った雰囲気 久しぶりだな」

  「それぞれに 腕と力を 蓄えて 進化の跡が 見えて嬉しい」

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○静かな静かな里の秋

 木枯し第一号が吹いた時は、「今年は早く寒くなって大変だ」と誰もが思ったに違いありません。ところがその後天候が回復して温度が上がり、今日などは秋とは思えないような温かさで、人間牧場のミツバチも勢いよく飛んでいました。ミツバチの師匠である山奥組の井上さんの話によるとミツバチは温度に敏感だそうです。

 書斎の窓から見えるわが家の庭の一角にシノブが庭石に根を張って絡みついていますが、シノブは秋に紅葉するので今が一年中で最も見ごろを迎えていて、まるで深山幽玄の世界を見ているようで心がなごむのです。

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 近づいて見るとそれはもう見事でこのまま枯れずにいたらと毎年このころになると思うのですが、いかんせん次に木枯らしが吹くと風に吹かれて散ってしまうのです。私は若いころ盆栽に凝っていました。その後時間と暇がないため盆栽は断念しましたが、盆栽の世界では小さいもので大きな世界を連想させることができれば本物といわれていましたが、この庭石に絡まったシノブはまさにその意味では大作といえるようです。

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 裏山には名前は分りませんが、真っ赤に熟れた実が鈴なりの植物を見つけました。普通は庭の平戸つつじに絡待ってつつじの成長を妨げるため取り除いていますが、草刈り機が届かなかったのか真っ赤な実をつけて秋を演出してくれています。

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 また、初夏には沢山の実をつけて私たちを楽しませてくれたブルーベリーの鉢植えの小枝の葉っぱも日増しに紅葉し秋を楽しませてくれているようです。やがてシノブも名もなきツルも、またブルーベリーの紅葉も深まりゆく秋とともに葉っぱを落とし厳しい冬になるのでしょうが、せめてこの家の主人くらいは畑や庭の植物を愛でながら行く秋を楽しみたいと思いました。

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 今日は親父に頼まれてナスを取り除いた畑を耕耘機で耕しました。親父が撒いた真っ白い消石灰の上を耕耘機が面白いように耕して行きました。やがて間もなくこの耕した畑にタマネギの苗を植えるのです。

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  「庭石に 絡まるシノブ 日を増して 黄色く染まり 深山幽谷」

  「雑草と 思しきツルに 赤い実が 鈴なりなって 秋を演出」

  「見渡せば ハゼの紅葉も 鮮やかに いつの間にやら 秋深くなり」

  「秋ナスの 抜かれて石灰 雪のよう 耕耘機音 耕し進む」 

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○人間牧場は人気澤山ですが・・・

 最近人間牧場への来訪者が急に増えだし、公開セミナーをやったこともあって、今月だけでも既に200人に達する勢いです。このままだと私の手が取られて身が持たないような嬉しい悲鳴です。人間牧場はもともと自費で造ったとはいいながら、皆さんに開放することを目的にしているので、それはそれとして「来る人拒まず、去る人追わず」を基本にして、これからも許す限り受け入れたいと思っていますが、相変わらず勘違いをしてやって来る人も中にはいるのです。

 その勘違いの一つはこの施設を公共だと思っている人が相変わらず多いということです。私たちは公共施設の便利さからこれまで、何でもタダ同然で使ってきました。確かにこの施設も自費とは言いながら公共的な意味合いが強く、誰でも気軽に使っていいのですが、私はお金持ちではありません。この施設の運営には電気代、汲みとり量、風呂の灯油代、ウッドデッキの防腐剤塗布、草刈り機の替え刃購入費など様々な運営費がいるのです。基本的にはそれらは自主運営ですから稼がなければならない、つまり人間牧場でいいる費用は人間牧場で儲けなければならないのです。そのため私は落伍のネタ本「夕日徒然草」をワンコインで販売して、その収益で運営する技を生みだしました。お陰さまでそのシステムはうまく機能し、昨年度は千部も売れて損益や収支、貸借対照表は赤貧ながら驚くような自主運営の業績をあげているのです。

 勘違いでおおいのはこの施設をセカンドハウスのような使い方、つまり焼肉をしてビールを飲み好き勝手に遊びの場所として使いたいという人たちも多いようです。しかしこの施設は研修施設なのでここへ来たら私の話を聞くとか読書や議論をするとか、時には額に汗して農作業をするとかしなければなりません。自由とは言いながら不自由な学びがいるのです。学びは時として窮屈だし決して自由ではありません。また飲み食いをして遊んでいるように見えても、それは交換交流なのですから制約なしではなく遊びと遊び心は違うということを考えて使って欲しいと願っています。

 この施設で学んだことを生かして沢山の人が自らの自立に向けて動き出しています。これこそ人間牧場が目指す理念なのですから、学んだことを実践に結び付けて欲しいと願っています。またここで育んだ夢を大事に育てて欲しいのです。

 もう一つの勘違いはここを宿屋だと思っている人がいます。研修目的の宿泊は狭いながらも二階のロフトなどやロケ風呂を使って大いに結構です。しかし安いからとかタダだからという単純な気持ちで宿泊したいという希望はご遠慮いただいているのです。

 一昨日の夜、研修会の後4人の人が人間牧場に宿泊してくれました。勿論彼らは私の仲間なので大いに使って欲しいと快諾し、前の会のお酒の影響もあって大洲の亀本さんの車で人間牧場へ送り、明くる日は私が早起きをして田舎のオープンカー軽四トラックで迎えに行き、荷物と勘違いするような雰囲気で荷台に乗せて車を置いていたコミュニティセンターまで送り届けました。

 時折研修にやってきて、止めてくださいと言う人もいますが、私が不在だともし火事でも起こしたら地元に大迷惑をかけるし、ましてや不用心なこともあってお断りをしているのです。かつてここでやった研修の帰りに山の中で道が分らなくな、り挙句の果てにパンクしJAFに連絡したものの行方不明になり、大騒動をした経験があるでけに注意をしているのです。


  「間違いの 一つは牧場 公共と 思って平気 使う人たち」

  「間違いの 一つは牧場 お宿だと 思って貸せと 申し込む人」

  「間違いの 一つは牧場 セカンドと 思って酒と 焼肉持ち込む」 

 

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○臼とセイロの贈り物

 人間牧場にかまど小屋とかまどができて3週間になりました。その間火入れ式から、かまどでご飯を3回も炊きましたが、どの人にもかまどは予想以上に好評で、ただ今順番待ちといったところです。その間西土佐からお米が届き、ギノー味噌の田中社長さんからも味噌の提供をしていただき、いよいよ日本の食文化を発信する時が来たと喜んでいるのです。

 さてかまどができたらご飯を炊き味噌汁を食べていと思うのは世の常であり、皆さんからも新米のご飯が食べたいとリクエストがあるのは当然なのです。ところが世の中は面白いもので、私のブログを読んだ年輪塾の塾生である二人の方から、臼とセイロを提供したいという有り難い申し出が相次いでありました。臼とセイロは餅をついたり、時には味噌を作ったりする道具として使えるので、快く頂くことにしたのです。

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(大河内さんにいただいた丸い木製セイロ)

 私たちの町のセイロはアルミなどの現代版以外は井桁に組んだ古い型のものなのです。井桁のセイロは金毘羅さんの大きな木のお札は杉の正目だし、木の枯れ具合が板のひずみやひび割れもないため、再利用して神に感謝するとという理由をつ

けて使っていたようでした。

 今回大西町に住む大河内さんふぁわざわざ運んで来てくれたのはワッパを作ると同じように丸型ののでした。大河内さんの宅ではもう使わなくなって久しいそうで、人間牧場の備品として使って欲しいといことででしたが、どうして立派なものなので、早速利用したいと思っています。

若松進一ブログ
(和田さんにいただいた石臼)

 片や臼は高知県四万十市西土佐町から長年の友人で、またわが年輪塾の門下生である和田課長さんから打診があって、OKを出すなや否やこれも一昨日自分が車に積んで来られ、早速前述のセイロと臼を田舎のオープンカーに積んで人間牧場へ届け、一番ふさわしい場所に置いてみました。この臼は念入りな2段重ねの構造になっていて、セイロと同じように見ただけ、据えただけで一目惚れしそうな気品ある石臼なのです。

 早速据えてみましたが、威風堂々いい感じに収まりました。これは何としても近々に餅をついて食べたり振る舞ったりしなければなるまいと思った次第です。

 さてそこで、このブログを読んでいる人で、餅をつくときに必要なキネを提供してくれる人はいないでしょうか。買えばホームセンターで手に入れられると思いますが、そこは人々が使い古したようなキネだと人の思いや暮らしの生きざまが込められているはずですから、飛び切り嬉しいと思うのです。差し上げてもいいと思う方はすみませんが私のメールにお願いしたいと思います。

 思わぬところから次々と贈られるこうしたことも、インターネット時代のなせる業ではないかとひとり喜んでいます。


  「餅つきの 臼とセイロは 届いたが、米とキネなど 未だ届かず」

  「おーいキネ 探しているが 見つからず 挙句の果ては ブログで募集」

  「臼セイロ かまどの小屋の 内と外 しっくり収まり 使う日待って」

  「目に浮かぶ これから起こる こと多く ワクワクしつつ キネが来る日を」 

 

  

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