shin-1さんの日記

○3つの講演会

 全く違った場所で、まったく違った話を3日で3回やって、昨日やっと帰ってきました。一番最初に訪ねたのは鳥取県琴浦町観光協会主催の研修会でした。夜7時からの会にもかかわらず会場は満席で、私の友人たちもやって来て嬉しい出会いが沢山ありました。あいにく持って行ったDVDの映写が機器の都合で上映することができないハプニングもありましたが、手応えのある研修会でした。合併した町はどこも観光資源は有り余るほどあるものの、旧市町村の悪しきエゴなどが足かせになって今一歩前へ進むことが出来ないようです。また観光協会も形式的になりがちですが、琴浦町の観光協会は会員を募り、個人と団体がそれぞれ会費を出し合って運営しているようですが、会員の数もキャンペーンのお陰で随分増えたと聞きました。観光協会の会長さんは元助役、事務局長は元課長と、それぞれ人に恵まれていい方向に向かっているようです。

 一緒に青年の船でアメリカへ行った中井さん夫婦や鳥取ジゲ起しの福田さん、中部教育局の新川さんにも久しぶりにお会いしました。また体験農場ナオでいちぢくとサクランボで観光農業を営む手嶋さんにもお会いしました。

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 福井での講演はあすの福井県を創る協会の招きによるもので、会場となった立派な生涯学習センターには県内から沢山の人が集まり、表彰や分科会などもありかなり大きな大会でした。元気なふるさとづくり県民のつどいの記念講演を「人が輝くとき町が輝く」と題しさせてもらった後、4つの分科会の一つであるまち・くらし第4分科会の助言者としても参加しました。公民館活動と花づくり活動の事例が報告されましたが、資金、人材など高齢化する社会を反映して今後の活動の不安なども話されていました。

 私にとって福井での講演は確かこれで5回目ですが、行く度に知人友人も増えて深いご縁をいただいています。

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 尾道での講演は尾道の沖合に浮かぶ向島でしたが、向島には橋が2本もかかっていて、島だとは思えないような雰囲気です。尾道市向東地区青少年健全育成連絡協議会の招きで、「逞しい子どもを育てるために」と題して講演を行いました。青少年問題はまちづくりとともに私が最も得意とするジャンルだけに、1時間半の話もスムーズに行えました。こじんまりとした大会ながら、聞く耳を持った人たちの大爆笑で、楽しい講演会となりました。

 出席した教育長さんが半田さんなので、私に影響を与えた人の一人である向島に住む半田正興さんと同姓ゆえに半田さんの消息を尋ね、携帯電話の向こうに半田さんの声を聞いた時とても嬉しくなりました。

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 こうして今年も、様々な場所に招かれて様々な話をしてきました。その数や相当なものだと思いますが、それぞれの場所で話したお粗末な私の話でも、勇気づけられたと感謝のハガキやメールを貰うと、ついつい嬉しくなって、次の機会への心を新たにするのです。

 私にとって講演は人を元気に、地域を元気にするばかりでなく、話している自分も元気になる源であるような感じもするのです。僅か1時間から2時間の限られた時間に何を話し何を訴えるか、これまた日ごろの腕や実践、知恵が試されるのです。今後もますます努力してもう少しの間、人様や違った地域の元気を取りもどせるよう努力して行きたいと思っている今日この頃です。


  「三場所で 三者三様 話しする レジメも持たず 思いつくまま」

  「どこででも 起こりうるかも ハプニング とっさ判断 危機を回避す」

  「一年で 百回を超す 講演会 慣れるはずだと みんな納得」

  「牧場へ 必ず行くと 約束し 会場後に ふるさと目指す」  

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○豊後水道を挟んで

愛媛県と大分県は豊予海峡を挟んだ対岸にある県ですが、やはり海を隔てているため中々思うような交流ができません。それでも先進的な大分県には学ぶことが多く、時折訪ねたり招かれたり、時には来てもらって何度か交友を温めています。昔は多い手への玄関口は別府と八幡浜が主流でしたが、人の思いがそうするのか今ではすっかり佐賀関と三崎を結ぶルートに変更してしまっているのです。三崎には塩崎満雄さん、佐賀関には渡邊又計さんという旧友であるつわものがいて、何かと入魂にしていることもそうするのかも知れません。

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 先日大分県日田市大山の緒方さんが会長を務める里の駅連絡協議会の招きで佐伯市上浦町を訪ねました。副会長を務める河本さんが店長をしている里の駅での会合だったのですが、黙って通り過ぎる事もないと思い、渡邊さんに携帯電話を入れ、帰りにはちょっとの差で1時間の待ち時間があったので、帰りにも電話をかけてしまいました。渡邊さんはあいにく会議に出張出席していて、出会うことはなかったのですが、港の近くにある佐賀関精錬所の長くて太い煙突はやはり圧巻で、近代化遺産とでもいえる建造物を作った人間の凄さにただただ感心するばかりです。

 私たちが子どもころは空気が澄んでいたのでしょうか、秋の頃になるとわが町からでもかすかに煙突が見えたことを記憶しています。残念ながら今は見ようと思っても見えませんが、それだけ空気が淀んだのではないかと思うのです。

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(佐賀関のシンボル精錬所の煙突)

 最近佐賀関からは見えないかも知れませんが、対岸の佐田岬に風力発電の風車がずらり20基以上立地ました。佐田岬といえば灯台といわれるように、「喜びも悲しみも幾年月」という映画で紹介され、灯台はある意味シンボルだったように思うのですが、今はそのシンボルも時代遅れとなって、風力発電の風車の方が新エネルギーということもあってすっかり有名になりました。

 風車は回転するとき低周波数の音を出すそうで、近隣住民と騒音公害問題が新聞紙上を賑わせたり、またこの風車設置場所がサシバなど渡り鳥のコースになっているため、環境保護団体が異論を唱えたりと、賑やかな話題を振りまいていますが、佐賀関の煙突から出る煙とともに、あちらを立てればこちらが立たないようです。

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(佐田岬半島に林立する風車)

 豊予海峡には豊後水道という狭い場所があって、ここら辺で獲れるサバやアジは関アジ・関サバといって、名の知れたブランド品となっています。同じ場所で漁獲されながら愛媛県に水揚げされるとハナサバ・ハナアジになるのですが、大分県の関アジ・関サバには一歩及ばなようです。
 佐田岬半島も、佐賀関半島も最近までは半島がゆえの不便と、第一次産業ゆえの苦悩を抱えてながら生きてきました。今は高齢化や過疎化に翻弄され、半島振興法などという国の政策の恩恵を受けることもなく、将来への不安を抱えたままの暮しが行われていますが、旧友渡邊さんも、塩崎さんもこの地にお骨をうずめる覚悟でしっかりと生きているようですが、やがてこれから老域にさしかかるであろう彼らのしっかりとした生き方に大きな白書送りながら、これからも時には二人と深い交流を続けてともに生きて行きたいと思いながら半島をお後にしました。


  「水道を 挟み旧友 生きている 訪ねる度に 親しみ増して」

  「煙突と 風車シンボル 西東 これから先も 苦悩は続く」

  「関サバと ハナサバどちら 軍配か どっちこちない どちらも美味い」

  「橋にする トンネルにする 議論した うたかたの夢 消えて良かった」

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