shin-1さんの日記

○玉井恭介さんから学んだ遊び心の極意

 私には知人友人という人が両手や足の指を足しても数えきれない程沢山の友人がいます。その中には奇人変人と呼ばれるような怪しい人もいますが、概して自分の信念を曲げず生きている人が多いようです。そんな友人の一人に宇和島水産高校出身の大先輩である玉井恭介さんがいます。

 私の母校は宇和島間水産高校ですが、漁業科を卒業している私には残念ながら同級生も先輩や後輩も付き合ってる人は一人もいないのです。多分それは卒業すると殆どの人が船乗りになって世界の海に船出し、陸上での出会いが制限されてしまうからなのだと若いころから諦めていました。ところが40代後半の頃、倫理法人会の早朝セミナーに講師として招かれた時、たまたま出席していた玉井さんと出会ったのです。学校での学びの時期や卒業年度こそ違え、実習船えひめ丸に乗船しマグロを追って太平洋を航海した共通の体験をしているのです。それ以来、玉井さんは忙しい広告会社勤務、私は役場でこれまた忙しいまちづくりとすれ違いが多く、つかず離れずの交流が続いていました。

 玉井さんと急接近したのは私は56歳の時でした。アトラス出版の社長さんご夫妻を伴ってわが家へ見えられ、本を出さないかと勧められたのです。金もなく原稿を書く暇もなく、ましてやそんな才能もないとお断りをしましたが、どこでどうなったのか自費出版の話が進み、玉井さんの力を得て「昇る夕日でまちづくり」という自著本を出版できたのです。偶然にもその本の出版記念の日にえひめ丸がアメリカの原子力潜水艦グリーンビルに衝突し、ハワイワイキキの海底に沈んだのですから、奇偶としか言いようがないのです。玉井さんはその後鎮魂歌を作詞したり鎮魂碑の政策に深くかかわり、ハワイとえひめの交流の橋渡しをしたのです。

 その後広告会社を退職した玉井さんはその持っている才能を存分に発揮して、八面六臂の活躍をして現在に至っていますが、まあ遊び心の多い人で、有名人とも交友するなど私など比でないほどの交友関係を持っているし、文章を書いても絵を描いても一流な人ですが、どこか抜けているところがとても面白く、新聞の四季録に名や文章と連ね、ブログも読んで聞かせる妻が腹を抱えて笑うほど面白いのです。

若松進一ブログ

 昨日上のような一枚のハガキが届きました。表書きの下に山折亮一さんの陶芸と玉井さんの水彩画二人展をやるからお茶を飲みに来ないかと誘いの言葉が書かれていましたが、猫の絵を添えた文章はご存知サムエル・ウルマンの詩の一節でした。私は一ケ月前65歳の誕生日を迎え高齢者の仲間入りをしました。口ではまだ若いとか言っていますが、少し気力を落としているような節があり、そのことを見透かしての励ましのハガキだと思いました。このハガキを読んで「そうだ頑張ろう。私はまだ若い」と意を新たにしたのです。

 玉井さんから学んだことは「人生は遊び心」という生き方です。私も他の人に比べれば遊び心は多い方ですが玉井さんの足元にも及びません。これからはもっと玉井さんの遊び心の極意を見習って楽しく生きていこうと決意した朝でした。


  「一枚の ハガキ見ながら 決意する 俺は若いと 独り言言う」

  「まだ修行 足りぬと人の ふりを見て 遊び心で 生きよう誓う」

  「絵も描けぬ 絵を書く人が 羨まし 俺の才能 ただの凡人」

  「抜けている ゆえにこの人 面白い 真面目過ぎると 肩がこるもの」

 

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shin-1さんの日記

○大村はまさんの教え

 昨日少しばかりの時間があったので、私が学校評議員をしている上灘中学校へ出かけました。この学校は来年度から町内のもう一つの下灘中学校と統合することになっていて、学校の耐震基準や統合を理由に本館が壊されて新築することになっています。そのため広い運動の片隅に仮校舎や職員室が造られ、既に一部分は引っ越しを済ませていました。正門は閉ざされ東門から入るよう誘導表示があるため、運動場入口に回ると、運動場の真ん中に砂で仮舗装された道ができ、職員室まで続いていました。

 訳の分からぬまま職員室と思しき部屋へ居合わせた職員に諭されて入りました。教頭先生と事務職員の二人が在室されていて、お茶をいただきながら経過や様子を聞きましたが、あと半年を切った統合に向けてめまぐるしい準備が進められていて、職員室の黒板は書き込む場所がないほどの予定がぎっしり書き込まれて、それを見ただけでも先生たちの忙しさを垣間見る思いでした。

 校長先生はあいにく外出中で留守でしたが、そのうち帰られ校長室へ通されました。プレハブと言いながら校長室はきちんと整理整頓が行われていて、品のよい置物が座卓の上に置かれ、いつもながらセンスのよさを感じました。


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 ふと入口カウンターの上を見ると、達筆な言葉が額に入れられて飾っていました。無能で凡人な私にはその言葉の最後に書かれている「大村はま」という人物が一体だれなのか知る由もなく、ざっと目を通していると校長先生が、「若松さんもしよかったら差し上げましょうか」と、是非という私の言葉にほだされてその文章のコピーをいただきました。

 聞けば「大村はま」さんはもう亡くなっていますが、日本的な国語の指導者だそうで、一生現役を貫いた国語の先生らしいのです。一生現役といっても教員には定年もあるしと水を指しましたが、庭園になっても拒否して辞めなかったらしく、そこら辺が私には納得いかない話でした。国語の先生を目指していた校長先生にとっては雲の上の存在として尊敬し、時には希望の星として先生の教育を天井に目指したそうです。この先生は授業をする前日はシナリオ作りに全精力を傾け周到な準備をして授業に臨んだそうですが、その行き過ぎた指導に批判もあったらしく、今更ながら道の厳しさを垣間見た思いがしました。

 ひとしきり学校の現状やこれからの予定をお聞きして学校門を出ました。この校長先生は余程のことがない限りいつも校門まで出て見えなくなるまで送ってくれるのです。いつも忙しいからと辞退するのですが笑顔で送ってくれるのです。送り方の見本と思って私もつい最近出来るだけ校長先生を見習うようにしているのです。

 さて家へ帰った私は早速記録にとどめておこうと、このコピーをプリンターで画像に取り込みました。息子のお陰で何とかプリンターも巣差できるようになりましたが、いかんせんA4版対応の機種ではB4は上手く入らず、結局B4を2枚に分割してスキャナーで取り込みましたが、これを合体することができず残念の極みです。それでもこれでパソコンが傷まない限りこの言葉は直ぐにでも取り出せるのです。ペーパーは失ったり劣化するのですが、できたらCDに転写して大切に保管したいと思っています。あえて注釈や講釈はしませんが、味わい深い言葉なので、画面に表示しておきます。


  「先人の 言葉しみじみ 咬み分ける 道一筋の 教え尊し」

  「統合に 向けて準備が 着々と 感慨深げに 辺り見回す」

  「送り方 見習いたいと 思いつつ 今日も送られ 見返り帰る」

  「昇任の 校長今は 逞しく なりてテキパキ 仕事こなしぬ」

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