shin-1さんの日記

 私が通っている愛媛大学にも秋が来て、城北キャンバスの庭のケヤキ並木は紅葉が綺麗です。このところの雨と風で少し散り足元には沢山の落ち葉が敷き詰められ、踏む度にカサカサと心地よい足音が聞こえるのです。「ああ季節の変わり目だなあ」と行く秋を惜しむように私はこのケヤキ並木を飽きない風景として見とれるのです。しかし学生たちはそんな風景には目もくれず、無造作に通り過ぎて行くのです。

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 私が愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師をするようになって7年目の秋を迎えました。自分では7年前と少しも変わっていないと思うのに時の流れは早く、50代後半だった私も今では65歳となったのです。でも大学で学生たちに出会うと何かしら若いパワーをいただくような感じがして、他の同年代の人と比較しても少し若いような錯覚をしているのです。

 さて私の教室の授業もいよいよ大詰めを迎え、工期の授業もレクチャーは今週の授業で最後となりました。今年の学生たちも非常に熱心で、一生懸命私の話を聴いたり、グループ討議をしています。今は最後の追い込みで、グループごとに分れて討論し合い、「住みたい町の条件」と「訪ねたい町の条件」を考え図表にして発表する作業に取り組んでいます。12月9日にはその発表会があって皆と私の審査の結果グランプリが決まるのです。グランプリには私のポケットマネーで1万円が贈られるとあって、それぞれのグループでは密かにその賞金を狙っているようです。

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 作業の速い班、作業が遅い班、少し方向が定まりにくい班など様々ですが、それでもどうにかいい方向へ向かっているようなので、発表の日を楽しみにしています。

 年間60時間という授業日程をこなすのは最初は大変でしたが、今はむしろ時間が足らない雰囲気で、独立行政法人に移行してからは効果効率を大事にしているようで、時間を超えないようにとそのことだけを事務局は声をかけ、中身など全く関心がないようで、これは効果といえるかどうか疑問視ししています。いずれにしても私の役目だけはきちんと果たし、学生たちに2単位分の知識と知恵の習得をさせねばならず責任重大なのです。

 言い成果発表とその後提出される予定のレポートに期待する今日この頃です。


  「大学の ケヤキ並木が 紅葉す 道行く学生 見向きもせずに」

  「行く秋を 惜しむが如くき 並木道 カメラに収め 今年を記録」

  「木枯しが 吹けば風景 一変す 今しか見えぬ 彩り眺め」

  「早今日で 今年の授業 締めくくり 7年間は あっという間に」

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shin-1さんの日記

○私の書いた原稿が振興奨励賞に

 今年の7月だったと思いますが、ある人から頼まれて4000字程度の原稿を書きました。財団法人あしたの日本を創る協会が募集していた「あしたのまち・くらしづくり活動賞」への応募です。頼まれた時点では募集要項もないし、締め切り一週間前という慌ただしさでした。インターネットで募集要項を取り寄せ、頼まれて了承した限り義理だけは果たそうと、忙しい合間を縫って400字詰め原稿用紙10枚をとにかく書いて、消印有効の日に速達で送ったのです。

 あれから5カ月が過ぎ、そのことなどすっかり記憶から消えていました。先月同協会から電話があって、「あなたの原稿が振興奨励賞になりました。全国大会で表彰するので出席してください。あなたの原稿は同協会が発行する「地域活動の元気の素がここにある」という2009年度坂で紹介しますのでご了解を」というのです。あいにく表彰の11月4日・5日は県外出張中で行くことができないと欠席することを返信しました。

 2~3日前何やら大きい郵便物が届きました。開けてみると表彰状です。そして昨日その事例集が届きました。

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 私はこれまでにも、何度かこんな場面に出くわしました。その殆どは「愛媛県から応募がないので何とか応募してメンツを保ちたい」という人たちからの依頼でした。一番思い出に残るのは総理府が青年海外派遣事業30周年を記念して募集した論文です。この時も締め切り5日前でした。ワープロを買って間もない頃だったので初めてワープロで原稿を書いたのです。そのうち「あなたの原稿が最終審査に残りました」と連絡があり、結果的には「総務庁長官賞」という大臣賞をいただき、赤坂プリンスホテルで開かれた表彰式に出席を依頼されました。皇太子殿下も出席する式典なので、当時の町長にお願いして出席することにしました。しかし昭和天皇が崩御され皇太子殿下の出席は叶いませんでしたが、いみじくも昭和の最後の日に私は記憶に残る賞をいただいたのです。この模様は新聞でも2度にわたって全文を紹介され、いい思いをしたのです。

 もう一回は日本レクリェーション協会がこれも協会発足00記念という節目に、「愛媛県から応募がないのはどうも」と友人から何でもいいから書いて送ってくれないか」と頼み込まれ、僅か2日で原稿を仕上げて送りました。この時も前述の原稿と相前後したためワープロで原稿を書きました。そのうち私の原稿が準グランプリに輝き、福岡で開かれた全国大会で表彰されることになったのです。残念ながらこの時は仕事の都合で出席叶わず、友人が代理でいただいて持ち帰ってくれました。この時の副賞は確か5万円で、ワープロ購入費に充てたことを記憶しているのです。

 これ以外にも、第14回NHK青年の主張の原稿審査にもパスし、愛媛県大会に出場して見事愛媛県代表にもなるなど、これまで書いた原稿は数知れず、まあそれなりに評価を受け、それなりに話題になりましたが、自分の書いた原稿がそれなりの評価を受けることは嬉しいことなので、自分自身を褒めてやりたいような心境です。


 さて今回書いた文章のテーマは、私が代表をつとめる21世紀えひめニューフロンティアグループの、これまで25年余りにわたって活動した総集編みたいなものなのです。「今やれる青春・一年一事業・社会への揺さぶり」という3つのテーマを掲げて仲間とやった「無人島に挑む少年のつどい」や「10年間で40回のフロンティア塾」など思い出に残る活動を紹介していますが、受賞は別として色々な活動にチャレンジしたものだと今更ながら自分たちの活動を振り返るのです。私はこれまで自分の活動を振り返ることは余りせず、むしろ未来志向で明日を夢見ながら生きてきました。これからもその生き方は変わりませんが、この歳になると少しこれまでの活動や人生を振り返ってみることも大事だと思うようになりました。やはり歳のせいでしょうか。

 余談ですがそれらの表彰状は今も親父の手によって座敷に飾られ、私の生きたあかしとなっているのです。


  「送られし 表彰状と 事例集 仲間とともに 酒の肴に」

  「いままでを 振り返ること 大事かも 未来志向の 俺にそぐわぬ」

  「鉛筆で 書いた原稿 懐かしく 今はパソコン 記録に残る」

  「多過ぎて 焚きつけほどの 表彰状 燃やす日も来る 少し寂しや」 

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