shin-1さんの日記

○野菜の苗をどっさりいただきました

 昨日の朝、私の友人であるまり子さんがどっさり野菜の苗を自宅まで持ってきてくれました。私は着替えもせずパジャマ姿でパソコンをやっていて、玄関でチャイムが鳴ってパジャマで出たため赤恥をかいてしまいました。毎年このころになるとまり子さんから嬉しい野菜の苗が届くのです。

 昨日はまり子さんが来ると同時に雨が降り始め、さてこの雨では植え付けもできないが、まあ降り始めだし大したことはないだろうと、親父と二人で植え始めたのです。幸い雨も小康状態で、先日畑は耕耘機で耕していたこともあって、どんどん植えました。昨日持ってきてくれた苗は小分けをして紙でラベルがつけられていました。しかしその名前は、私にとっては初めて目にするような名前で、「えっ、これ本当に野菜の名前?」と思うようなものばかりでした。

 YK錦秋早生年内採りキャベツ20本

 ルビーボール(赤キャベツ)4本

 グリーンボール(生食キャベツ)9本

 カリフラワー(花野菜)4本

 パープルフラワー(紫カリフラワー)4本

 スティクセニョール(茎を食べるカリフラワー)10本

 オレンジブーケ4本

 早生白菜(年内採れ)24本

 晩生白菜(金将)16本

若松進一ブログ

 聞いたことも見たことない名前の野菜を手に取りながらまざまざと見つめ、一列一列丁寧に植えて行きました。親父はいつもの通り几帳面に筋縄を張ってそこへ畝を立、て私が定規を使って等間隔で植えるのです。親父はその周りに牛フン堆肥をばら撒き、私がジョロに水を汲んで頭からかけ一応植え付け作業を終えました。私たちの作業が終わるのを待っていたかのように雨は本降りとなり、安堵の胸をなでおろしました。

 今朝畑に行ってみました。昨日の雨で畑はしっとりし、野菜の苗も天の恵みをいただいてしゃきっとしていてホッとしました。これから当分の間は気温が高く、虫も苗の葉っぱを好むので、こまめに世話をしなければなりません。と言ってもその作業は毎日家にいる親父の役割になりそうですが、とりあえず目のいい私が注意深く見守りたいと思っています。中には年内に収穫できる品種もあるようなので、今から楽しみです。


  「雨に濡れ しゃきっと立ちし 野菜見て 天の目恵みの 有り難きかな」

  「この野菜 名前はエーと 何だっけ 植えた先から 忘れてしまう」

  「この秋も 親父元気で 指図する これでいいのだ 長生き秘訣」

  「冬菜苗 定規で測り 植えて行く 畑を見れば 分る作り手」 

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shin-1さんの日記

○時間が足りないと思う4つの原因

 人間に等しく与えれれた一日24時間、一年356日なのに、ある人は余裕綽々と暮らし、ある人は時間に追いまくられて暮らしている、その差は一体何なのだろうと、むしろ古社の部類に属して毎日あくせくと動き回る私は時々思うのです。そこで考えたのは「時間が足りないと思う4つの原因」でした。

 まず一つ目はメールです。私は毎朝4時に起床しますが、起きるとトイレに行く前、顔を洗う前、着替える前にまず書斎へ行きパソコンの電源を入れます。そしてパソコンが勝手に立ち上がる間に、トイレ、洗顔、着替えをしてパソコンの前に座りメールを呼び出します。最近はメールも利口になって迷惑メールと必要メールを寄り分けてくれるため大助かりですが、それでも幾つかのメーリングリストに名を連ねているため、かなりたくさんのメールを読まなければならず、その上処理となるとせっかく早起きしても1時間もかかることだってあるのです。それでも情報化社会に生きる者にとってはこれも大切な仕事と諦めて対応しているのです。

 「朝起きたらまずメール」という習慣は、私の時間の足りなさの最初のつまずきになっていることは事実ですし、何年か前までこの時間は本を読んだり、海岸清掃などのボランティアの時間だったようで、大きな時間組み立ての変化だと気がつくのです。加えてブログに毎日2本も欲張って記事を書いていることも時間圧迫の最大の原因のようだと気がつきました。

 二つ目は携帯電話です。携帯のメールに慣れていない私は、余り携帯のメールを使いませんが、携帯電話の使用頻度と利用料はうなぎ昇りのようで、自動引き落としなので財布への影響を直接感じないだけに気がかりです。携帯はもう社会の常識ですから、歩きながら、食事をしながら、時には寝転がってテレビを見ながら携帯電話で相手と話している姿を見て苦笑するのです。若い人ほどではないにしても、携帯電話で通話している時間は数年前までなかった出来事なのです。昔は電話はある場所に設置されていました。ゆえにある場所へ行かなければ電話はかけられなかったのです。今は人間に電話がついて歩くのですから、当然電話がかかってくる相手はいつどもどこでも私を呼び出せるのです。「今いいですか」と前置きして話してくれますが、その殆どは運転中や会議中であって、着信履歴に基づいて掛け直さなければならず、まあかなりの時間を費やされるのです。


 三つ目はミーティングです。自由人になった私にはさすがにこの時間は少なくなりましたが、役所や会社はミーティングがお好きのようで、まあミーティングの時間も給料をいただくのですから、打ち合わせと称する会議をやたらだらだらやるのです。私はこのミーティングが一番嫌いで、在職中は朝の5分間だけ立ってミーティングをやりましたが効果抜群でした。ミーティングは時間をかければいいというものでもありません。ミーティングによって生ずる参加者の時間的合計ロスを考えればミーティングはかえってロスが多いのです。


 四つ目は時間に対する考えの甘さでしょう。リタイアした私は妻に「何でそんなに毎日忙しいの。もっとゆっくり過ごしたら?」と、時々言われます。妻の目から見れば日々の私は、自由人と言いながら、時間に追いまくられて過ごしているように見えるのでしょうが、私から言えば時間を追って過ごしているのです。つまり私は妻より数倍充実した時間的日々を過ごしているのです。

 でもふと少し反省もします。もっと余裕を持って生きたいと・・・・・・。私のゼンマイはいつも張り詰めたようです。もしこのゼンマイが切れると奈落の底かも知れません。もうそろそろそんな歳になったことを意識して生きて行かなければなりません。昨日は妻の64回目の誕生日でした。10月には65歳となって私も高齢者の仲間入りです。今日も朝から4つの原因に悩まされながら一日を過ごすことでしょう。


  「まず起きて メール対応 する私 つまずきの元 余裕を奪う」

  「携帯が いつも私を 呼び出して 挙句の果ては 罰金払う」

  「ミーティング さすがに今は 少ないが あれも問題 気づかず今日も」

  「時間的 ゆとりあるはず リタイアで 私の暮らし 何故か忙し」 

 

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