shin-1さんの日記

○四国ブロック青少年国際交流を考える集い2009愛媛大会

 旧友である四国電力の水島さんから誘いを受け、「四国ブロック青少年国際交流を考える集い2009愛媛大会」で講演をすることになり、昨日の午前中松山の共済会館へ出かけました。かつて青年の船に班長として乗船した経験を持っているので、本当は私もこの会のメンバーなのでしょうが、30年も前の出来事なのですっかりご無沙汰をして、心が痛んでいたので恩返しのつもりで水島さんの申し出をお引き受けしました。しかし最初予定していた土曜日の講演が、愛媛大学の客員教授をしていることもあって中四国ミュージアムフォーラムとバッティングしてしまい、お断りを入れましたが日程変更してもらいこの日の講演会となったのです。

 主催団体の愛媛県青年国際交流機構の芝育生会長さんは四国電力に勤めていて、この日のためにわざわざ自宅まで6月末打ち合わせに来ていただき、その後もメールで演題などについて度々ご連絡をいただき昨日の講演となったのです。

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 帰国報告会と壮行会を兼ねているこの会なので、報告会に間に合うよう遅ればせながら少し早目に会館に到着してロビーに行くと、今日の催しの告示板に私の名前が書かれていて、一瞬驚きました。

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 4階のホールでは世界青年の船に乗船した方々の帰国報告会が行われていて、一般席に座って興味深く聞き入りました。青年の船、ホームスティ、船内活動などの話を聞く度に懐かしい32年も前の出来事がわがことのように蘇ってきました。また20年度の参加者の壮行会も行われ、不安と期待の交錯する心情を吐露していました。

 この研修会には、内閣府政策統括官付共生社会政策担当、国際調整担当参事官補佐の秋田隆さんも見えられ、主催者あいさつをされたようで、名刺交換をさせてもらいました。


 会場には旧友田宮さんや水島さんも見えられ、講演会は沢山の人に参加していただきました。私にとって青年の船への乗船でアメリカ・メキシコ・ハワイへ行ったのは32年前の昭和51年前の出来事なのに、今も鮮烈な印象として蘇ってきます。特に私のプロフィールにこのことを書き込んでいて、いつも自分を励ます道具として使ってきたような気がするのです。もしあの経験がなかったら私の感性も価値観も変わらなかっただろうと思うと、いかに30歳の時の経験が鮮烈であったか想像できるのです。

 講演終了後秋田さんから、指導者で青年の船に乗ったらどうかと私的なお誘いのお話がありましたが、そんな機会があったら参加してみたいと思ったりしました。

 久しぶりに国際交流に関わる若い人たちと会って、若いということの素晴らしさをしみじみ感じました。もう若さへの後戻りはできないけれど、これからは心の若さを持ち続けしっかりと歩いていこうと思いました

  「会う度に 昔のことが 懐かしく 思い出される いい旅だった」

  「あの人も この人顔も 時を経て 年輪刻む 人の定めと」

  「青年の 船に乗る人 降りた人 悲喜こもごもの 人生ありて」

  「もし次に 機会があれば 再びに 挑戦したい 一瞬思う」



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shin-1さんの日記

○劇団イリュージョン夏公演鑑賞

 ある集会で配られた「2009劇団イリュージョン夏公演」というチラシを見て私は驚きました。チラシにはCASTとSTAFFの欄があり、STAFFの欄にかなり大文字で「舞台監督若松一生」と書かれているではありませんか。わが息子一生は高校生の時代から演劇をやっていてましたが、最近は日赤の看護師として忙しい毎日を過ごし、家にも殆ど顔を見せないので、もう演劇から遠ざかって卒業したと思っていました。ところが息子の名前があろうことか舞台監督となっているのです。

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 愛媛県松山市で演劇活動をしている劇団イリュージョンは、先日25周年を迎えた戒田節子さん率いるみかん一座とともに、かなりハイレベルな活動をやっていて、今年で24年目を迎えているようです。舞台監督がどんな役割なのか、素人の私には分りませんが、昔のように舞台で踊るCASTではないにしても、かなりの部分で演劇と深くかかわっていることは事実なのです。まあ息子も30歳を超えているのですから、親の知らない部分があっても不思議でないし、演劇が健全な活動なので別に心配することではないのですが、看護師と言う忙しい仕事とハードな演劇を一緒にこなすことは体力的にもかなりきつく、健康面での心配をするのです。


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 昨日は息子から2枚のチケットをいただいたので、私の講演が午前中に終わったので、高島屋で娘や孫たちと昼食を終えた後、JAの駐車場に車を預け妻と二人で堀の内にある市民会館まで歩いて演劇鑑賞に出かけました。会場は1時30分なので1時10分に列に加わりましたが、かなりの長い列の中には知人や友人もいて、残暑の厳しさも、列の長さも、先日25周年のみかん一座と同じような雰囲気でした。やがて冷房の効いた中ホールへ入り毎年見ている前列10段目くらいな左よりの場所に席を陣取りました。

 今年は「千年さくら」という演目でした。舞台はしだれ桜がそれは見事に飾られて、今までのものとは少し違った雰囲気でした。

 「もう一つ首があれば千人の首が揃う。さくら姫の千年の悲願がかなう。千年の歳月を経たさくらの木が咲き揃う時、少年たちは結界を破って異世界へと入って行く。そこは浄土でもなく地獄でもない。この世に思いを残した人間の彷徨世界。あと一つ首が欲しいと願うさくら姫とそれをかなえさせようとする侍従たち、3人の少年たちは各々、自分の心に秘めたものを持って結界を破ってやってきた。門番のいう「ここを出て行きたいのならお前の首を置いて行け」・・・・・・・。ストーリーは面白く展開してゆくのです。


 今年のストーリーはいつもの年より分り易く、また2幕仕立てが1幕仕立てで途中休憩もない迫力に富んだものでしたが、今年もいい演劇に仕上がっていました。演劇が終わり舞台あいさつに立った作・演出の井上佳子さんとロビーで会話を交わしました。出演した馴染みの息子の友だちたちにもねぎらいと感想の言葉をかけて会場を後にしました。残念ながら舞台裏で黒子のように働いているであろう息子には出会えませんでしたが、あの大掛かりな2時間半もの舞台を動かす歯車の一つとして動いたであろうと思いながら、演劇活動で様々な生き方を学んでいる息子に思いをはせました。

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 今年はこの8月に2回も演劇を楽しむ幸運に恵まれました。みかん一座は友人たちと、今回は妻と一緒にでしたが、演劇鑑賞によって毎日あくせく働く社会から引き戻されて、感性に触れるような気分になりました。地方都市松山でもその気になれば結構演劇や音楽などに触れることができるのですから、いい所に住んでいると思うのです。智のコンテンツを得たり高めたりするのにはこうした機会を積極的にとらえなければならないとも思いました。妻も「お父さん、今年の演劇も良かったね。また来年も見に来ようね」という言葉が印象的でした。


  「パンフ見て 息子の名前 驚いた 舞台監督 大したもんだ」

  「仕事しつ 合間を縫って 演劇を 何処か私に 似てる気がする」

  「演劇で 俗世患う 気を直す 頭や心 霧が晴れ行く」

  「演劇は スタッフキャスト 一丸と なって一つを 作り上げゆく」

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