shin-1さんの日記

○今日は草刈りで疲れ、「あーしんど」です

 双海町には花の会という女性の団体があります。エプロン会議という女性の町づくりグループを行政の肝入りというより、私の思い入れで作ったのは昭和61年ごろでした。エプロン会議は町内を視察して町の汚さをどうしたら解消できるか考えました。その時出た意見は、①掃除をする、②ゴミを捨てないよう看板を立てる、③花を植えるでした。色々話しあった挙句花作りをしようということになって、町花つつじを刺し切しましたが、残念ながら折からの猛暑腕全滅しました。エプロン会議は分裂の危機に瀕しましたが、先進地視察で息を吹き返しバーベナテネラという花を海岸国道に植え続け、3年間で国土庁長官賞という大臣賞を獲得しました。そのことがきっかけとなって町内に花が咲き乱れ、今の双海町の美しさがあるのです。

 その後花作りに関わった人たちが花の会を組織し、人づくり10年計画などで世界一の花の街ニュージーランドクライストチャーチを訪ねたりした結果花の会は水仙祭りなどを企画運営するまでになりました。

 水仙祭りの切り花は会員の畑や矢野上さんの水仙畑からいただき、来訪した人々に早春の香りを楽しんでいただいているのです。また水仙の球根は下灘の港の上にある金山さんの水仙畑から掘り起こし、みんなが背負子で運ぶという重労働をやりました。そしてその球根を増やすため本郷の仲野さんの休耕田を約1ヘクタール借り受け移植したり鉢植えにしました。

 以来水仙の圃場は大活躍の源となりましたが、会員さんは農山漁村のおばちゃんたちが殆どで、この時期は柑橘の摘果作業が忙しく、もう年に二回の雑草除草をしておかなければなりませんが、まだ一度も草刈りをしていないのです。たまたま香川県三谷の溝渕さんと大分県大山町の緒方さんから球根の提供依頼があって、花の会の駒沢会長さんに連絡したところ、圃場の球根は好きなだけ取っていいとの了解を受けたのです。


若松進一ブログ
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 雑草のことが気になって今日の朝車を走らせてほ場へ行ってみて驚きました。周りの田んぼはもう実りの季節を迎えて水を落として稲刈りを待つだけとなっているというのに、真ん中の圃場は大草で人間を寄せ付けない程になっていました。それでも香川県や大分県の球根堀が今月31日と決まっているので私は、急遽引き返し草刈り機を取り出しました。あの親指ほどの雑草を刈り取るには並みの草刈り刃では太刀打ちできないと思い、近所の農機具屋へ行って新品の刃を購入して付け替えました。混合油もガソリンスタンドで購入して引き返し、さあ草刈りスタートです。最初は草刈り機の切れ味もよく何なく作業が進むと思いましたが、昼を挟んで延々16時までかかってしまいました。最後ころは草刈り機の切れも悪くなり、ことらの体力もかなり消耗してヘトヘトになりました。

 今日は宮崎から人間牧場へお客様が来る午後5時までには片付けも、シャワーもしなければならないので気が気ではありませんでした。地元の顔見知りの農家の人がやって来て、1ヘクタールの畑を一人で草を刈るのは無謀だと呆れていましたが、私の奮闘ぶりに驚いた様子でした。

 これで香川や大分の仲間との約束をどうにか果たせそうです。本当はわが家の畑の水仙を予定していて、稲葉さんの協力を得て草を刈っていますが、道が狭いし斜面なので急遽計画を変更したのです。今日の日中は残暑が厳しく目いっぱい汗をかきかなり疲れました。「あーしんど」です。ボランティアやまちづくりも楽ではありません。


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(私一人が刈った4段の1ヘクタールの圃場)

  

  「まちづくり ボランティアなど いうけれど 楽ではないな この歳なって」

  「こりゃ凄し 飯も食わずに お茶だけで 六時間弱 草刈る無謀」

  「友だちと 約束したこと 守るため 草刈りするは もどかし過ぎる」

「一ヘクの 広い畑を ただ一人 草刈り作業 腕腰痛い」

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shin-1さんの日記

○地元の盆踊り

 そんなに遠い昔のことではありません。30年余り前の私が地元の青年団長をしていた頃、地区の秋祭りと盆踊りを仕切るのは青年団でした。神輿を担いだり相撲を取ったり、また盆踊りを踊ったりと、地元に残り農業漁業の後を継ぐ青年も多かったせいでしょうが、当然の成り行きとして青年たちはそれを引き継いで役目を果たしていたのです。しかし車やテレビが普及してから青年の生活は一変し、そんな地域に縛られるような封建的な体質は打破しなければならないと、青年団活動から次第に遠のいて行きました。青年がいなくなれば地元の自治会や公民館が何とかしなければなるまいと立ち上がりましたが、その流れも次第に消えて今ではあれほど各地区ごとに流行った盆踊りも、海岸線には下浜と灘町の2地区しか残っていないのです。その2地区もまさに風前の灯となって、今年も組長会では「止めたらどうか」という意見が数多く出たそうです。

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 それでも私の後を受け継いだ区長さんは火を消してはならないと説得して開催にこぎつけました。夕方7時30分から始まった盆踊り大会はそれほど多くの人ではありませんでしたが、4時からの戦没者や新盆を迎えた人たちの遺影を飾って慰霊祭も行われ、意味のある盆踊りとなりました。

 私は7時半に会場へ出かけ9時ころまで踊りの輪の中へ入って踊りました。炭坑節や神輿音頭、双海音頭など知っている程度の音楽がな入り始める度に、上手に踊る人の後ろに陣取って見よう見まねで手足を動かしました。暗闇だし見ている人も私だけ特化して見ていないだろうと安閑とした気持ちで踊りましたが、一年に一度程度しか踊らなくても何とかなるものなのです。盆踊りには太鼓と酒が付き物で、太鼓の音に合わせて掛け声をかけるには酒の勢いが必要とばかりに、皆さんは缶ビールを盛んに飲んでいました。私も勧められましたが飲めないと断るのに一苦労です。


若松進一ブログ
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 踊る人や見る人の中には、懐かしい顔々もあって、「若松さんお元気ですか」とか、「お父さんはお元気」と声をかけてくれる人も何人かいました。嬉しいことにある女性から「若松さん、あなたのブログを楽しく読ませていただいています」と声をかけていただきました。見知らぬ場所で思わぬ人が私のブログを読んでいるものだと驚きましたが、やはりブログへの反応は嬉しいものです。


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 こうして毎朝毎夕ブログを一日2本程度書いていますが、読んでもらっている人に思いを馳せながらこれからも少し気張って書いてみたいと思いました。盆踊りは若者の社交場であった私たちが青年団時代と違い、今はすたれゆく一歩手前のところにあるのかもしれません。「盆踊りは止めたら」という人のほとんどは参加もせずにその言葉を発します。みんなで「どうしたら盛り上げることができるか」考え行動してからでも遅くはないのです。止めたら多分この盆踊りは永久に再興できないのではないかと思いました。

 日本全国では今年くらい各地の盆踊りがテレビに出ることはありません。何故かというと地元に帰った政治家が自分の顔を売り出し、市民党だと言わんばかりのパフォーマンスとして盆踊りの輪の中に入っているからです。盆踊りを踊れば一票になるというあさましい政治家の下心も気になるところです。

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  「同じ阿呆 踊らにゃ損と 輪の中で 手足動かし 何とか様に」

  「止めようと 意見は出たが 止めなんだ 嬉し決断 応援します」

  「一年に 一度だけれど 顔を見る これも踊りの 成果だもんね」

  「いきなりと あなたのブログ 読んでいる 言われ恥ずかし 拙文悔いる」 

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