shin-1さんの日記

○みかん一座25周年公演

 一口に25年といいますが、田舎の一座を仕事をしながら座長として25年も引っ張って来られた戒田節子さんは立派な方で、いささかなりとも地域づくりに関わった人間であれば、その苦労がしのばれます。その25周年記念ミュージカル公演が3日間あるという話を、2ヶ月前に友人の清水さんから聞きました。地域づくり人を自認する私たちも何かお役に立ちたいということで、私が塾長を務める年輪塾ネット会員にネットを通じて呼び掛けたところ、私や発案者の清水さんを含めて12人の方々に賛同していただき、珍しい年輪塾ネットの広告協賛と相成りました。普通演劇のパンフレットに広告を出すのは会社か個人でしょうが、私たちは一口5千円の寄付金を募り支援したのです。そんな関わりもあって賛同者は3日間の希望する一日を選んで観劇とあいなったのです。

 農協会館前の広い三差路を通って堀の内へ入りましたが、ここは橋の付け替え工事が行われていて、既に石張りの立派な橋の本体は出来上がり、水面に綺麗な姿を映していました。残暑が厳しいとはいえ、お堀の周辺にも何処となく秋の気配が感じられて、柳の緑も印象的でした。

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 6時半開演ということだったので、6時には並ぼうと清水さんからメールが届いていたので市民会館へ行ってみると、どうやら階上が6時半だったようで、既に来ていた清水さんや青木さん、大河内さんは夕日に照らされて暑そうに待っていました。そのうち米湊さんも見えられ、遠くに松木さんや森原さんの姿もちらほら見えて、列のあちこちから馴染みの顔が笑顔であいさつしてくれました。

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 やがて開場となり吸い込まれるように中ホールへ入りました。受付でチケットと引き換えにパンフレットをいただきましたが、広告の欄の目立つところに、「地域づくりの種をまく」と書かれた年輪塾ネットが囲みもの広告として紹介されていて面映ゆい感じがしました。会場は自由席なのでステージに向かって右側の前寄りに年輪塾ネット5人衆の席を確保して座りました。清水さんの配慮で私の両側には、大河内さんと青木さんが座って、両手に花といった嬉しい席の配置となりました。

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 ミュージカル公演の前にみかん一座25年間の歩みがDVDで紹介されましたが中々見応えのある記録でした。やがてサンシャイン・アイズ、~輝け瞳!~という演劇が上演されました。毎年同じ場所で愛媛を代表する井上佳子さん率いるイリュージョンの公演を見ている関係で比較して見てしまうのですが、戒田節子さん自身が作も演出も、更に主演までもこなすワンウーマンなみかん一座に比べ、イリュージョンは作、演出と役者が異なり、井上さんは黒子に徹している点が大きな違いだし、みかん一座はストーリが大衆向きで、イリュージョンは前衛的だと思いました。

 夢を食べると言われる動物バクの死と、アミという女性が夢を追いかけながら苦悩する姿が楽しく演じられ、最後は大空に虹の絵を描きたいというアミの夢が叶うというハッピーエンドのストーリーでした。今回は25周年ということもあって、女優五十嵐めぐみさんや旧三崎町出身シンガーソングライターサスケさん、シンガーソングライター宇佐元恭一さんなど豪華キャストが友情出演していました。そのためストーリーが薄められた感じもしましたが、25周年の3日間公演の千秋楽ですから仕方のないことかもしれません。

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(リクエストにこたえる最後のシーン)

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(戒田さんの最後の挨拶は私も少々ウルウルとなりました)
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(戒田節子さんとロビーにて記念撮影しました)

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(顔見知りの双子のシンガーソングライターサスケさんとともに)


 私は演劇の終わりにシンガーソングライター宇佐元恭一さんが歌った宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に心を動かされました。10月17日総合コミュニティセンターで彼のコンサートがあるようです。残念ながら10月17日は講演が予定されていて聞くことはできませんが、人間牧場用に是非CDを手に入れたいものだと思いました。

 田舎に住んでいると文化祭やカラオケ大会ぐらいしか文化に触れることはないのですが、こうして仲間たちと一緒に観劇すると、どことなく違った爽やかな風が心の中に吹いてくるようです。これこそ異文化ギャップなのでしょうが、これからもたまにはこんな楽しみを作りたいものだと思いました。

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  「二十五年 うーん凄いと 感心す 女の力 巌も動かす」

  「いい友を 持てばいいこと 巡り合う 友が私の 心揺さぶる」

  「演劇も さることながら 歌に惚れ CD探し 聞いてみたいなあ」

  「カラオケも いいがたまには 観劇も 感激レベル 四から五へと」





 

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shin-1さんの日記

○行きつけ馴染みの店

 かつて大酒を飲んでいたころは松山の街に私の行きつけの店が何軒かあって、二次会に繰り出すと財布の中身も考えないで、深夜まで飲み歩いていました。その都度10円タクシーと称して、片道25キロの道のりを自家用車で迎えに来ていた妻のことを考えると、すまない気持ちでいっぱいになります。でもあの飲み歩きで人と人のネットワークが随分広がり、後の私の人生を支えてくれた訳ですから、一概に間違いだったともいえないのです。

 でも酒を飲まなくなった10年前からは、その行きつけの店にも顔を忘れられない程度に顔を出し、仲間たちに紹介しているのですが、私の行きつけだった店は安い、親切をモットーにしている店なので、こんな不景気な時代でもどうにか乗り切って細々とお店を営んでいるのです。

 昨日は戒田節子さんのみかん一座25周年の公演が松山市民会館中ホールあって、仲間とともに出かけたのをいいことに、公演終了後飯でも食べようと相談がまとまり、市駅前の「いよじ」という飲み屋に立ち寄りました。板場さんと女将さんの二人だけでやっている小さな店ですが、もう20年も通っているお店です。昔は「一週間に10日来い」という歌があったように、一週間に3回も通った常連のお店です。ここの女将さんは白い割烹着のよく似合う女性で、ひいきの店なのです。板前さんは段々畑で有名な宇和島市の出身で、当然料理も南予系の美味しい食べ物がカウンターの上には並んでいます。私が一押しな料理は片口イワシの煮付けと天ぷらなのですが、酒を飲まない私はイワシの煮付けをおかずにして梅海苔茶づけを注文しました。大河内さんと青木さんも同じようなものを注文しましたが、清水さんと米湊さんはとりあえず生ビールを飲んだ挙句に日本酒を飲み始めました。

 飲むほどに酔うほどに話は面白おかしく大きくなって行くものです。盃ひとつで盛り上がり、酒の銘柄ひとつで薀蓄を語り、料理のメニューを見て昔を語るのです。隣に座った大河内さんとは同年代ということもあって短い時間ながら色々なことを話しました。ブログのこと、孫のこと、今年のみかんの出来栄えなどなど、積もる話をしました。酒飲みと下戸では話のテンポが合わないため、私と大河内さんは先に勘定を払って残りの人を置き去りにして店を出ました。二人で歩く花園街界隈もさすがにこの時間になると人通りも少なく、客待ちのタクシーが乗って欲しいような素ぶりで通り過ぎて行きました。日銀前の交差点付近も旧シャトーテルが取り壊され、一階部分にコンビニが入り、目の広場は憩いの広場に生まれ変わりました。それでも都会は昼と夜の落差はそんなにないと思っていましたが、東京などの大都会と違い、地方都市はさすがに夜は寂しい感じがしました。

 大河内さんとは農協会館の前の交差点で別れ、駐車している地域政策研究センターまで夜道の一人散歩を楽しみました。日中は残暑が厳しいもののお盆が過ぎてさすがに夜は涼しくなってきました。今年もあと10日ほどで8月が終わり、1年の3分の2が終わることになります。時の流れの速さを感じながら30分余りで家に着きました。昨日家を出るとき妻が「お父さん今晩は何時に帰宅予定、ご飯の都合が」と聞くので、「9時過ぎに帰るので晩ご飯は帰ってから食べる」と言って家を出ました。そのことをすっかり忘れて11時前の帰宅です。妻は美味しいにぎり寿司を用意して待ってくれていました。「食事はすんだ」とぶっきらぼうにいいましたが、少しだけ反省して風呂から上がり、寿司を食べました。本当は口の門限を9時と決めているのですが、昨日ばかりは門限破りでした。「いよじの女将さんがお前によろしく言っといてくれ」と言いよった。と話しながら12時になったので床に就きました。それにしても昨日は久しぶりに楽しい一日でした。


  「行きつけの 飲み屋の女将 いらっしゃい 大酒飲んだ 昔懐かし」

  「板前の 作りし料理 食べながら 昔回顧の 夏の夜深け」

  「止まり木に 止まって茶漬け すする音 ビール片手の 友は悪口」

  「いいもんだ 酒の勢い 借りながら 水も知らない 人と会話す」

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