shin-1さんの日記

○お金を貯めるコツ

 人間牧場を訪ねてくる殆どの人に、「人間牧場を造るのに幾らくらいお金がかかりましたか?」とよく聞かれます。セカンドハウスや隠れ家を持つことは男の夢だから、手が届けば自分もと思うのは当然かも知れません。しかし最近までセカンドハウスや別荘を持つことはお金持ちか道楽者くらいにしか思われていませんでした。ところが私は一見普通のそこら辺のおじさんだし、お金持ちでもないようなのにセカンドハウスを手に入れたのですから奇異に感じるようです。

 私が気楽な気持ちで「そうですねざっと見積もって1千万円ってとこですかね」と言うと、「失礼ですがそのお金はどのようにして・・・」と聞き返してくるのです。私が「退職金の一部を・・・」と言えばすんなり行くのでしょうが、私は「はい10年がかりでコツコツ貯めました」。「えっ、退職金ではなくコツコツ貯めたのですか?」と信じられないようなのです。それもそのはず役場に勤めていた安月給のしがない公務員だったことを知っているからなのです。


 「若松さんどのようにして1千万円のお金を貯めたのですか」と尋ねられました。「そうですね、お金を貯めるのにはそれ相当の意思力が必要です。Plan・Do・See・Checkを基本原則にして努力すれば簡単にできますよ」と話すのです。「たとえば私は大好きなお酒を月に10日間休みました。休んだ日には飲んだつもりで千円貯金しました。一ケ月で1万円、1年で12万円、10年で120万円貯まりました。まあこんな具合です。「それにしても後の880万円は?・・・・」と果てしなく1千万円の金策を説明するのです。

 「お金を貯めるコツは大木流しの木端拾いにならないことです。たとえば500円のうどんを食べに出かけた時480円のうどんで我慢する人を木端拾いといいます。20円得をしたような感じですが、たとえばそれで千円集めるのには50杯も我慢をしなければなりません。それよりも経常経費を節約すること、たとえば車を軽自動車やレンタル契約にするとかする、私が1千万円を貯める過程では勘弁のつもりで携帯電話も持ちませんでした。

 1千万円貯めるということは容易なことではありません。でも私は貯めようという強い信念で貯めました。多分私が退職金の一部で人間牧場を造ると家族に相談したら反対されていたでしょうし、今のような意味付けもできなかったものと思われます。自分が我慢し、自分でコツコツ貯めたから意味があるのです。人間はできることなら楽がしたいものです。しかし楽で得た成果物は想いもこだわりもないような気がするのです。

 今週も3組の県外からのお客様が人間牧場へやってきます。その都度私の「夕日つれづれ草」を木戸銭のような形で押し売りし、視察料から得た何がしかの収入で電気代や汲みとり量などなどの必要経費を稼いでいるのです。みみっちいと思われますが、ない袖は振れないので割り切ってお願いしています。これはお金をためるコツであると同時にサスティナブル、いわば人間牧場を発展的に継続していく経済学なのです。

 「1千万円を10年間で貯めて夢をつかんだ男」、いやあ恰好いいと思いませんか。


  「一千万 十年間で 貯めました 夢をつかむにゃ 努力必要」

  「次々と プラン・ドゥ・シー 繰り返し 次なる夢に 向かい邁進」

  「貯めるコツ 聞かれ答えは ただひとつ 使わないこと これに尽きます」

  「牧場を 造り変わった 人生観 それほど大きな 挑戦でした」

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shin-1さんの日記

○お茶汲みは若い女性の仕事なの?

 つい最近、色々な職場を訪問して「あれっ」と思うことがります。それはこれま「新入社員や若い女の子の代名詞のように言われてきた「お茶汲み」の仕事がなくなって、男の人がお茶を入れて持ってくるのです。顔見知りだとさすがにバツが悪いのか、お茶を出すときに「こんなご時世ですから」と暗に人権配慮をちらつかせたり、「男ばっかりなので」と、逆にお茶は女性の仕事だが女性がいないだけなので」と人権無視のような言葉を述べたりするひともいて、千差万別なのです。

 確かに最近まで、いや今もお茶汲みは若い女性の仕事だと何の疑いもなく決めている人が随分います。夫婦なら暗黙で役割分担しているのですから余り文句は言えませんが、「若い」と「女性」というだけでお茶汲みの仕事を押し付けるのは決して好ましいことではないのです。しかし一方で若い女性がお茶汲みを「何で私たちだけがしなければならないの」と反逆するのもある意味どうかと思うのです。

 ある意味とは、若いと女性にとってお茶汲みという仕事が仕事の合間の雑用と思っている人が案外多いのです。接遇にとってお茶汲みは明るい挨拶と同じように雑事ではなく、来客とのコミュニケーションを取る上で最も大切な仕事だと位置づけるべきだと思うのです。私がある会社へ行ってまず感じるのは、会社へ入った時に受ける印象です。明るい笑顔の挨拶で迎えてくれれば誰だって気持ちがいいし、さりげなく言葉をかけてにこやかにお茶を出してもらえば、その会社への好感度は最高にアップするのです。「見た目8割」という言葉は商品を見た瞬間のお客さんの反応のことを言っていますが、挨拶とお茶汲み、それに整理整頓が生き届いた雰囲気を見れば会社の経営状態や経営方針がある程度分かるのです。

 ところが逆に「見ず知らずの人におへつをかくことはない」とばかりに挨拶をしなかったり、「何で私がお茶を汲まなければならないの」と不満タラタラの顔でお茶を出されてもお茶など飲みたいとは思わないのです。要は挨拶もお茶汲みも真心であることを肝に銘じるべきだと思うのです。


 昔私の結婚話があって、妻の職場へ私の叔父が偵察に出かけました。あえて長靴を履いた田舎者の恰好をして職場を訪ねた叔父にわが妻は愛想よくお茶を出したそうです。偵察から帰った叔父は私の父に「あの娘はええ子だから是非この話は進めた方がいい」と進言したようです。勿論そのことだけで結婚を決意したのではありませんが、それも大きな判断材料となりました。

 最近はお化粧や会社の制服も垢抜けしていて、ぽっちゃり方の美人が多く容姿に目が行きますが、私だと笑顔の挨拶とお茶を差し出す作法に目が行くのはやはり古い人間でしょうか。これも役場であった話ですが、仲人を頼まれた人が私の叔父と同じように役場へその娘の人となりを偵察にやってきました。顔も素敵なのですがたまたまその娘は少し汚れた靴のかかとを踏んで仕事をしていたようです。その姿を見て結婚話は破談になったようです。靴のかかとを踏んだくらいで破談とは乱暴な話ですが、これも身だしなみの一つだと思いました。

 要はお茶汲みを若い女性の仕事と決めつける職場の古い体質を人権という視点から直さなければなりません。と同時に若い女性も職場の人も、職場の顔としてお茶汲みを重要な仕事の一部だと考えて欲しいのです。


 ある役場が「お茶汲みは職場全員ですることに決めました」という記事が新聞に載りました。あなたはこの記事をどう感じますか?。


  「お茶汲みは 若い女性の 仕事だと 思うようでは 仕事はできぬ」

  「お茶汲みに 来たのではない 反論の 若い女性よ それは間違い」

  「挨拶と お茶で八割 見られてる そんな気持ちで しかと対応」

  「接遇は 何といっても 真心で 今を大事に 客を大事に」

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