○写真を撮る視点が違う
7月22日に付の朝日新聞夕刊一面と7月23日朝刊36面「ニッポン人・脈・記、ふるさと元気通信③」で紹介された私の記事が全国配信されました。以来多くの方から激励や感想のお便りなどをいただきましたが、その取材を受けたのは4月10日でした。毎日大河のごとく事件や事故が起き、それにニュースや情報が流れる中での取るに足らない私のような人間の記事などいつ出るのかさえも分らず、すっかり記憶の中から消えていました。しかし7月22日の一週間前、取材した記者から掲載予定日といくつかの疑問点について電話があり、思い出が蘇ってきたのです。そうかあの日は八幡浜市保内町川之石の公民館の講演会に招かれた時間が気になり、長引く取材にイライラしていたっけ・・・。
そういえばあの日は大掛かりな取材で、カメラマンまで大阪からやってきました。カメラマンは私の押され気味のスケジュールも気にせず、色々と注文をつけたのです。砂浜を歩いてくださいとか、夕日の沈む場所の地図上に座ってくださいとか言うのです。私はスケジュールを気にしながら求めに応じましたが、一応OKが出たのはまだ日没前でした。
わが家では朝日新聞の夕刊も朝刊も取っていないのですが、22日の夜には仲間から見た・呼んだと第一報が入り、23日にはえひめ地域政策センターの松本さんからメールに添付して新聞のスクラップが送られてきたのです。記事もさることながら写真を見て驚きました。これまでの取材ではまったくこんな写真は使っていないアングルなのです。
そして昨日、その写真の引き伸ばしたのが新聞記者さんから遅れれてきたのです。お盆で帰省している息子がプリンターのスキャナでその写真の取り込み方を教えてくれたので、練習のつもりでやってみました。プリンターを誕生日のプレゼントに貰ってからもう2年が来るというのに、スキャナも使わないなんてと息子は呆れていましたが、お陰でスキャナの使い方をマスターしたのです。
私が気に入ったのはもう一枚の方で、同じアングルですが夕日が私の手の中にあるような錯覚をするもので、私が見出しをつければ「夕日をつかんだ男」「夢をつかんだ男」くらいの誇大見出しをつけたいような出来栄えなのです。
いやあいい写真です。私が悦に入っていると息子が、「それほど気に入っているのなら、お父さんが死んだときの遺影にしてあげる」と、縁起でもないことを言って家族中で大笑いをしました。
昨日は写真づいて、大分市佐賀関町に住む渡邊又計さんからも、先日四万十市西土佐で交流した時の写真が沢山送られてきました。プロとアマの違いこそあれ、渡邊さんのセミプロのような腕前の写真も、私のような素人とは何処か視点が違っていて、いつも感心させられるのです。
忙しさにかまけて写真の整理も殆どできていませんが、息子に教えてもらったスキャナを使って、大事な写真はデジタル化して保存したいとおもいましたが、これまたいつになることやらです。ちなみに朝日新聞から送られてきた写真には裏側に著作権が明記されていて、勝手に使えないことになっているのです。
「一枚の 写真が語る 物語 どんな記事より 凄い表現」
「俺などは こんなアングル 気がつかぬ さすがはプロと 感心しきり」
「関心は 異文化ギャップ だからこそ 学ぶことあり ひらめき変わる」
「息子から 遺影にどうか ドキリする 人間いつか 死ぬのですから」