shin-1さんの日記

○64年目の夏

 昨日はアメリカが史上初めて人類に核兵器を使用してから64回目の「原爆の日」でした。広島平和公園にある原爆記念館を訪れた人なら誰でも、その生々しい惨状が記憶の底に焼き付いているものと思われますが、50年は草木も生えないと言われた広島は多くの人の努力で奇跡的な復興と発展を遂げ、表面上原爆の後遺症など見えず、人々の記憶の薄らぎを感じさせています。しかし一方では、未だに後遺症に苦しんだり、二世への影響が出ていたり、はたまた悪夢にさいなまれたりする悲しい現実を思うと、記憶が薄らぐことへの危惧や核廃絶への誓いを、国民運動として継承することは日本国民の義務だと思いを新たにしたのです。

 昨日は所用で外出し、11時から友人の母さんの葬儀に参列したためたため、車を運転しながらカーラジオで、平和式典の模様を興味深く聞きました。特に印象深かったのは秋葉市長の平和宣言です。オバマ大統領とマジョリティーを組み合わせたオバマジョリティーという造語、yes we can(必ずできる)という言葉、まさに全政世界へのメッセージでした。

 しかしいち早く昨晩のテレビと今朝の朝刊では、「オバマに依存し過ぎで市民や国民の主体性がない」との手厳しい反論もありました。また同時に行った麻生太郎首相との原爆訴訟原告との会議で、原告全員の救済を盛り込んだ政府案が議論され、合意したことを選挙の前の茶番だと言う人もいて様々でした。でもオバマ大統領の言動にしろ、原告救済にしろこれまでと違った一歩踏み込んだ前進であることに間違いでなく、特に原爆訴訟和解は被災者にとって64年目の朗報であったに違いないのです。

 私は昭和19年に生まれた私は今年64歳です。間もなく65歳になりますが、私の生きてきた時代と原爆に苦しんできた人の苦しみの年数が々ゆえに胸が痛むのです。

若松進一ブログ

 そんな悲喜こもごももあって昨日は何か複雑な気持ちの一日でした。夕方食事が終わって妻と二人で七夕のための笹飾りを作りました。私たちの地方で七夕は8月7日今日なのです。妻は箪笥の上に置いている小さな紙箱を降ろして中から七夕の短冊などを出しました。私は町内会から配られてきた笹を適当な長さに鋸と鎌で切り、部屋の中へ入れて短冊などに紐をつけて結んで行きました。私は大きな包み紙を何重にも折って挟みで切り分け網を作り、妻は短冊に筆ペンで願いを書いていました。息子娘たち、孫たち、親父、私たちと願い事を書いていましたが、「幸せになりますように」とか、「○○が元気でありますように」と素朴な願い事を書いていました。

 昨晩は散歩時には満月近いお月さまも見えましたが、雨が降るかもしれないと思い庭に立てかけていましたが、今朝は夏の日差しも回復したので、毎年吊るす2階のベランダにくくりつけました。そしてその傍にお盆を置きスイカやキウリ、リンゴなどを備え手を合わせました。私にとっては64回目の七夕かも知れませんが、記憶にあるのはリタイアしてからここ数年だけです。それ以前は妻と子どもたちがやっていたようですが、忙しかったため任せきりでした。今晩は七夕笹飾り越しに天の川や星を妻と二人で見たいと思っています。


  「いつの間に 妻と二人の 笹飾り 願い短冊 孫も含めて」

  「原爆の 苦しみ逝きし 友思う 今頃何処を 旅しているか」

  「六十四 俺の年齢 同じ年 故に毎年 心が痛む」

  「忘れたい だけど忘れちゃ 困ること 戦争悲劇 語り伝える」

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shin-1さんの日記

○好きなことと嫌いなこと


好きな仕事は近づいてくるが 嫌いな仕事は遠ざかる

好きな仕事は直ぐに済むが 嫌いな仕事は中々はかどらない

好きな仕事は楽しいが 嫌いな仕事は苦しい

好きな仕事はまたしようと思うが 嫌いな仕事は二度とやりたくない


好きな本は読もうと思うが 嫌いな本はいつまでも積まれたままである

好きな本はあっという間に終わるが 嫌いな本は中々読み終わらず途中で止める

好きな本は記憶に残るが 嫌いな本は記憶に残らない

好きな本は何回でも読み返すが 嫌いな本は二度と読まない

好きな人には逢いたいが 嫌いな人には逢いたくない

好きな人は逢いたいのに中々逢えず 嫌いな人は何故かよく逢う

好きな人の夢は時々見るが 嫌いな人の夢は再々見る

好きな人は同じ仕草も好きであり 嫌いな人は同じしぐさでも嫌いである


好きな食べ物は美味しいが 嫌いな食べ物は不味い

好きな食べ物は栄養価が高そうに見えるが 嫌いな食べ物は糞になるだけだと思う

好きな食べ物は好んで食べるが 嫌いな食べ物は勧められても食べない

好きな食べ物は金を出しても買うが 嫌いな食べ物はタダでも要らない


好きな場所は何度も行くが 嫌いな場所へは行かない

好きな場所は人に紹介するが 嫌いな場所は人に紹介しない

好きな場所は心が洗われるが 嫌いな場所は心が沈む

好きな場所は例え形が違っても覚えているが 嫌いな場所は忘れる


好きな道具は使うが 嫌いな道具は使わない

好きな道具は自慢するが 嫌いな道具は自慢しない

好きな道具は手元に置くが 嫌いな道具は陰に置く

好きな道具には名前を書くが 嫌いな道具には名前を書かない


好きは好き 嫌いは嫌い

好きに余り理由はないが 嫌いには理由がある 

好きはより好きになり 嫌いはより嫌いになる

好きと嫌いはいつの間にか 自分の価値判断の物差しになっている


好きなものがある日嫌いになり 嫌いなものがある日好きになる

好きと嫌いが逆転し 好きが嫌いに嫌いが好きになる

好きの理由も 嫌いな理由もいい加減

好きを増やし嫌いを減らすと人生はまた面白くなる


  「好きだった 人に出会って 思うこと 何で焦れた 意味が分らず」

  「好き嫌い 意味もないのに 決めている いいじゃあないか 幸せならば」

  「嫌いだと 思う相手は 俺のこと 鏡と一緒 多分嫌いだ」

  「嫌いでも やらねばならぬ こともある 嫌い熱中 やがて大好き」


   

 

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