shin-1さんの日記

○さしすせそ亭主

 私は自分で言うのもおこがましいのですが、昔堅気の古い人間です。ゆえに「さしすせそ」亭主ではありません。「さしすせそ」とは、「さ(裁縫)、し(?)、す(炊事)、せ(選択)、そ(掃除)」をする人のことです。私たちが育った時代はさしすせそは女性の仕事と決められていました。ゆえに何の疑いもなく私はさしすせそを今でも妻の仕事だと思っているのですから、時代錯誤も甚だしいのです。

 私の結婚している長男は「さしすせそ」を嫁と分担してやっているし、娘婿も「さしすせそ」の質と量こそ違え同じです。今夕のことです。人間牧場の草刈り作業を終えて午後5時ころに家へ帰ってきました。今日は標高130メートルで涼しいと言っている人間牧場も真夏日で汗を沢山かき、その分水分補給を沢山しました。帰るころには作業着も下着も搾るほど汗を吸っていました。家に帰ると妻は仕事に出て留守でした。このまま汗をかいた作業着ではまずいと思い、脱衣場で全てを脱ぎ洗濯機に洗剤とともに入れ回したのです。わが家の洗濯機は乾燥までできるような優れモノではありませんが、それでも脱水までできました。シャワーを浴びて着替えてすっきりしたところで、洗濯物を取り出して篭に入れ浴室のドアから外に出て干したのです。

 洗濯物を干しているとそこへ甥の家族がやって来ました。先日胆石で急にお腹が痛くなり入院治療していて、今日退院したそうで、お見舞いお礼と退院報告にやってきたのです。私が洗濯物を干している珍し姿を見て不思議に思ったのか、「おいちゃんも中々やるじゃない」と褒めてくれました。私は顔から血の気が引くほどではありませんでしたが、少し気恥ずかし気持ちになりました。私のような古い型の人間にとって一番気になるのは、やはり他人の目なのかもしれないと思ったりして、少し自分のこれまでの生き方を反省しました。

 

 「さしすせそ」の「さすせそ」はよく分りますが、はて「し」とは?一体何を言うのだろうと妙に気になりましたが、私はすっかり「し」の意味を忘れてしまって思い出すことができませんでした。「支度」「指圧」「飼育」「試食」「仕事」などの言葉が頭の中をぐるぐる回り始めました。そして行きついた答えはしつけ」でした。「しつけ」は「躾」と書きます。今でこそ子どもを巣立てるのは夫婦同権と誰もが思いますが、実はPTA活動などに参加してみて子育ての重要な部分を握っているのは妻たる女性が圧倒的に多いのです。勿論私たちが小さい時は親父など学校に顔を出したことなど運動会と学芸会くらいなもので、子どもの躾も全て母親任せだったし、ひょっとしたら今も日本の子育ては母親が殆どやっているのではないかと思ったりしたのです。

 さて人は「し」の意味をどのように解釈するのでしょうか。あえて「?」で隠してみましたが、妙案があったら「し」の意味を教えてほしいものです。

 ちなみにお母さんのよく作る食べ物は「か・あ・さん・や・す・め」だそうです。「か」はカレー、「あ」は?、「さん」はサンドウィッチ、「「や」は焼きそば、「す」は?、「め」は目玉焼き、「あ」と「す」は一体何だろう。これが今日の問題です。答えはブログのコメントでお願いします。


  「さしすせそ そんな亭主が 常識と 私失格 古い人間」

  「『し』の意味が ぐるぐる頭 回ってる はてさて何に すればいいのか」

  「十年に 一度の現場 甥が見て おいちゃん凄い 洗濯干してる(笑い)」

  「自立せず ここまで生きて 来たけれど これから先は どうなることか」

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shin-1さんの日記

○県立北宇和高校のトライアル研修

 「何年続いているのだろう」と指折りながら、毎年のことゆえ思い出すこともできず、今年も県立北宇和高校のトライアル研修に招かれ出かけました。この学校は鬼北町、旧広見町にあるため、旧宇和町経由にしようか旧肱川町経由にしようか迷いながら、行きは旧宇和町経由にしました。というのも先日宮本常一歩きフォーラムに格別のご尽力をいただいた井上商工観光課長さんへ会ってお礼が言いたかったし、旧友三好女史の顔も久しく見ていないので、少し早めに出て市役所へ立ち寄りました。お二人とも元気そうで一生懸命仕事に取り組んでいるようで嬉しく思いました。

 私はこのように、講演を頼まれて出かけるとき殆ど毎回、途中や近所の顔見知りの顔を思い出し、プラスワンの出会いを重ねるように心がけているのです。こうすることで沢山の人と交友が深まり、私と友人の人間関係がいい方向に向くのです。時には訪ねた人が留守の場合もありますが、職場や自宅に名刺を渡して帰るのです。それは人間関係だけでなく、時には県内外の動きや情報を知るための重要な情報収集にもなって、いアマの私があるのですから、今後も続けて行きたいと思っています。

 旧宇和町の下宇和辺りではもうブドウを売る店が国道沿いに何軒も出ていて、夏の深まりや季節の移ろいを感じさせてくれました。歯長峠の曲がりくねった道を登り降りしながら四国遍路の札所仏木寺の前を通りました。この辺りは旧三間町ですが、既に高速道路の工事もほぼ終わっていて、開通間近を感じさせました。道の駅に立ち寄り一服して長閑な予土線の線路沿いを走って北宇和高校へ到着しました。この学校は元県高校PTA連合会の会長をしていた高山さんと、私が副会長でコンビを組んだこともあって懐かしい学校なのです。

 校長先生はあいにく留守でしたが、教頭先生の案内で校長室で色々なことをお話ししました。進学のための夏季特別授業とでもいうべきトライアル研修はこの日が最終日らしく、生徒の皆さんはすっかりリラックスしてお話を聞いてくれました。毎年思うのですが北宇和高校の生徒さんはとても真面目で、いい雰囲気の研修会となりました。1時間があっという間に過ぎましたが、お土産にいただいた学校が実習で作ったカルピスはとても美味しい飲み物なのです。

若松進一ブログ

 帰りは夕方になったので旧日吉村、旧肱川町、内子町を経由して旧中山町に出る道を選びました。前日大学生を連れてフィールドワークの授業に出かけた場所でもあり、急ぐ旅でもあるまいとのんびり長閑に走りました。

 南予の山間地を走って感じるのですが、南予には東予や中予とは違う人をやさしく包み込むような独特の長閑さがあります。しかし一方で変わらないし変われないような一歩遅れも同時に感じるのです。南予振興は県政の大きなテーマでもあって、様々な施策が講じられていますが、未だその道は遠いような気もするのです。

 少子化や高齢化、加えて市町村合併によって行政区域が広域化し、行政サービスが遠のいた不安の中で人々は暮らしているのです。限界集落、田畑の荒廃、学校の統廃合など、まさにマイナス要因が次々と頭を悩ませているのです。「10年後南予はどうなるのだろう?」としみじみ思いながら今年も北宇和高校の生徒たちの将来のことを考えました。


  「来る度に 何処か寂しい 南予路を 元気にしたい そんな思いで」

  「時すでに 遅しの感は 否めない 人間地獄 動物天国」

  「この子らの どれほどここに 残れるか 残念ながら 一しか二かも」

  「プラスワン 久方出会う 人の顔 懐かしかりしき 次はいつ会う」 

 

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