shin-1さんの日記

○四国ブロック青少年国際交流を考える集い2009愛媛大会

 旧友である四国電力の水島さんから誘いを受け、「四国ブロック青少年国際交流を考える集い2009愛媛大会」で講演をすることになり、昨日の午前中松山の共済会館へ出かけました。かつて青年の船に班長として乗船した経験を持っているので、本当は私もこの会のメンバーなのでしょうが、30年も前の出来事なのですっかりご無沙汰をして、心が痛んでいたので恩返しのつもりで水島さんの申し出をお引き受けしました。しかし最初予定していた土曜日の講演が、愛媛大学の客員教授をしていることもあって中四国ミュージアムフォーラムとバッティングしてしまい、お断りを入れましたが日程変更してもらいこの日の講演会となったのです。

 主催団体の愛媛県青年国際交流機構の芝育生会長さんは四国電力に勤めていて、この日のためにわざわざ自宅まで6月末打ち合わせに来ていただき、その後もメールで演題などについて度々ご連絡をいただき昨日の講演となったのです。

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 帰国報告会と壮行会を兼ねているこの会なので、報告会に間に合うよう遅ればせながら少し早目に会館に到着してロビーに行くと、今日の催しの告示板に私の名前が書かれていて、一瞬驚きました。

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 4階のホールでは世界青年の船に乗船した方々の帰国報告会が行われていて、一般席に座って興味深く聞き入りました。青年の船、ホームスティ、船内活動などの話を聞く度に懐かしい32年も前の出来事がわがことのように蘇ってきました。また20年度の参加者の壮行会も行われ、不安と期待の交錯する心情を吐露していました。

 この研修会には、内閣府政策統括官付共生社会政策担当、国際調整担当参事官補佐の秋田隆さんも見えられ、主催者あいさつをされたようで、名刺交換をさせてもらいました。


 会場には旧友田宮さんや水島さんも見えられ、講演会は沢山の人に参加していただきました。私にとって青年の船への乗船でアメリカ・メキシコ・ハワイへ行ったのは32年前の昭和51年前の出来事なのに、今も鮮烈な印象として蘇ってきます。特に私のプロフィールにこのことを書き込んでいて、いつも自分を励ます道具として使ってきたような気がするのです。もしあの経験がなかったら私の感性も価値観も変わらなかっただろうと思うと、いかに30歳の時の経験が鮮烈であったか想像できるのです。

 講演終了後秋田さんから、指導者で青年の船に乗ったらどうかと私的なお誘いのお話がありましたが、そんな機会があったら参加してみたいと思ったりしました。

 久しぶりに国際交流に関わる若い人たちと会って、若いということの素晴らしさをしみじみ感じました。もう若さへの後戻りはできないけれど、これからは心の若さを持ち続けしっかりと歩いていこうと思いました

  「会う度に 昔のことが 懐かしく 思い出される いい旅だった」

  「あの人も この人顔も 時を経て 年輪刻む 人の定めと」

  「青年の 船に乗る人 降りた人 悲喜こもごもの 人生ありて」

  「もし次に 機会があれば 再びに 挑戦したい 一瞬思う」



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○劇団イリュージョン夏公演鑑賞

 ある集会で配られた「2009劇団イリュージョン夏公演」というチラシを見て私は驚きました。チラシにはCASTとSTAFFの欄があり、STAFFの欄にかなり大文字で「舞台監督若松一生」と書かれているではありませんか。わが息子一生は高校生の時代から演劇をやっていてましたが、最近は日赤の看護師として忙しい毎日を過ごし、家にも殆ど顔を見せないので、もう演劇から遠ざかって卒業したと思っていました。ところが息子の名前があろうことか舞台監督となっているのです。

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 愛媛県松山市で演劇活動をしている劇団イリュージョンは、先日25周年を迎えた戒田節子さん率いるみかん一座とともに、かなりハイレベルな活動をやっていて、今年で24年目を迎えているようです。舞台監督がどんな役割なのか、素人の私には分りませんが、昔のように舞台で踊るCASTではないにしても、かなりの部分で演劇と深くかかわっていることは事実なのです。まあ息子も30歳を超えているのですから、親の知らない部分があっても不思議でないし、演劇が健全な活動なので別に心配することではないのですが、看護師と言う忙しい仕事とハードな演劇を一緒にこなすことは体力的にもかなりきつく、健康面での心配をするのです。


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 昨日は息子から2枚のチケットをいただいたので、私の講演が午前中に終わったので、高島屋で娘や孫たちと昼食を終えた後、JAの駐車場に車を預け妻と二人で堀の内にある市民会館まで歩いて演劇鑑賞に出かけました。会場は1時30分なので1時10分に列に加わりましたが、かなりの長い列の中には知人や友人もいて、残暑の厳しさも、列の長さも、先日25周年のみかん一座と同じような雰囲気でした。やがて冷房の効いた中ホールへ入り毎年見ている前列10段目くらいな左よりの場所に席を陣取りました。

 今年は「千年さくら」という演目でした。舞台はしだれ桜がそれは見事に飾られて、今までのものとは少し違った雰囲気でした。

 「もう一つ首があれば千人の首が揃う。さくら姫の千年の悲願がかなう。千年の歳月を経たさくらの木が咲き揃う時、少年たちは結界を破って異世界へと入って行く。そこは浄土でもなく地獄でもない。この世に思いを残した人間の彷徨世界。あと一つ首が欲しいと願うさくら姫とそれをかなえさせようとする侍従たち、3人の少年たちは各々、自分の心に秘めたものを持って結界を破ってやってきた。門番のいう「ここを出て行きたいのならお前の首を置いて行け」・・・・・・・。ストーリーは面白く展開してゆくのです。


 今年のストーリーはいつもの年より分り易く、また2幕仕立てが1幕仕立てで途中休憩もない迫力に富んだものでしたが、今年もいい演劇に仕上がっていました。演劇が終わり舞台あいさつに立った作・演出の井上佳子さんとロビーで会話を交わしました。出演した馴染みの息子の友だちたちにもねぎらいと感想の言葉をかけて会場を後にしました。残念ながら舞台裏で黒子のように働いているであろう息子には出会えませんでしたが、あの大掛かりな2時間半もの舞台を動かす歯車の一つとして動いたであろうと思いながら、演劇活動で様々な生き方を学んでいる息子に思いをはせました。

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 今年はこの8月に2回も演劇を楽しむ幸運に恵まれました。みかん一座は友人たちと、今回は妻と一緒にでしたが、演劇鑑賞によって毎日あくせく働く社会から引き戻されて、感性に触れるような気分になりました。地方都市松山でもその気になれば結構演劇や音楽などに触れることができるのですから、いい所に住んでいると思うのです。智のコンテンツを得たり高めたりするのにはこうした機会を積極的にとらえなければならないとも思いました。妻も「お父さん、今年の演劇も良かったね。また来年も見に来ようね」という言葉が印象的でした。


  「パンフ見て 息子の名前 驚いた 舞台監督 大したもんだ」

  「仕事しつ 合間を縫って 演劇を 何処か私に 似てる気がする」

  「演劇で 俗世患う 気を直す 頭や心 霧が晴れ行く」

  「演劇は スタッフキャスト 一丸と なって一つを 作り上げゆく」

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shin-1さんの日記

○孫の誕生日

 一昨年生まれた長男の息子が間もなく8月31日2歳の誕生日を迎えます。昨日はミュージアムフォーラムへ出かける前に妻が、「お父さん今日はみんなが集まって希心君の誕生パーティーをわが家でするから早く帰ってね」といわれました。ミュージアムフォーラムは3時半で終わるから逆算しても夕方には帰れると思い、「分った」と返事をして出かけました。帰りにデジカメを机の上に置いて名刺交換したためついつい忘れてしまい、引き返したものの大学を出ると直ぐに携帯が入ったためロスもなく夕方家に帰り着きました。

 既に主役たち孫2人は到着していて、そのうち娘と孫二人もやってきて賑やかな夕餉となりました。生まれて3ヶ月余りの孫奏心君も首が座ってしっかりと成長しているようで、人の顔も判別できて愛嬌をふりまいていました。

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 さあ待ちに待った誕生会の始まりです。主役の希心君は一番大好きなアンパンマンの形をしたバーズデーケーキに2本のローソクをつけてもらい、電気を消して暗くしました。みんなが誕生日の歌を歌いましたが、主役は待ちきれなくてケーキにナイフではなく手を突っ込んで大爆笑となりました。子どもの成長は早いもので、あれから2年が経ちました。弟奏心君が生まれたこともあって希心君は近くの保育園に通っていますが、そのせいでしょうか随分逞しくなったような感じもしますが、親に似たのか相変わらず茶目っ気いっぱいで元気に成長しているようで、とりあえず安心の誕生日と言ったところです。

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 私の孫はどういう訳か4人とも男の子です。昨日の誕生会には残念ながら看護師と警察官のため二人の息子は仕事が忙しく参加できませんでしたが、二人の息子も早く結婚して欲しいと願っていますが、独身貴族を謳歌している吹二人にその兆候は未だ見えないのです。でもこうして長男と長女の幸せな暮らしを見ていると結婚もいいものだとしみじみ思うのです。

 昔は年頃になると誰彼となく結婚を勧める人が周りにいましたが、今はそんなおせっかいな人もなく、未婚や晩婚がますます多くなっているようですが、せめて就活ならぬ婚活をして早く身を固めて欲しいものです。


  「何故だろう 孫が四人も できたけど 男ばかりで 賑やか過ぎて」

  「誕生日 ケーキ入刀 する前に 手刀入れて 賑やか騒動」 

  「早二歳 子ども成長 早過ぎる 私の歳も スピードアップし」

  「後二人 未熟半熟 息子たち 早くいい人 見つけて欲しい」

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shin-1さんの日記

○ミュージアムフォーラムに参加して

 人生は意の向くままに進むこともあれば、意に反した方向に進むことだって随分あるもんだとしみじみ思います。そのひとつが大学との関係です。私は浅学非才を自認していて、大学を出ている訳でもないので、理論武装している大学関係者とはいつも違和感を感じながら議論したり、アンチ大学的な行動を取ってきました。ところが私の最も得意とするちづくりや社会教育の分野では、好む好まざるにかかわらず大学関係者と出会い、同じ仕事をし、時には議論をまみえることだって多く、その頻度たるや相当な数に上るのです。

 退職前に小さな町の地域振興課長をしていた折、仕事に穴を開けないという条件で地元大学の非常勤講師という肩書をいただきました。その後ふってわいたような話で直ぐに役場をいったん退職し教育長に就任したものですから、大学のカリキュラムが既に組まれていて、止めるに止められず2年間続けたのです。その後合併が合って自由人となったのを機に、今日まで誰はばかることなく愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師として今日に至っていますが、「大学」という言葉が私の心の中では今でも違和感となって存在しているのです。

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 できるだけ早く止めようと思って機をうかがっていたのに、留める人もいてついズルズル7年目を過ごしているのです。そんな矢先の昨年、夕日サミットの基調講演に招かれた島根県松江市の出張先へ愛媛大学農学部長さんから客員今日図就任の話が飛び込んできました。以前にも誘われていた話でしたが、前述のアンチ大学が頭を持ち上げ、お断りしましたが押し切られてしまいました。法文学部の非常勤講師も止めずに続けて欲しいと懇願され、よりにもよって大学の二足のわらじをはいているのですから、心の悩みはより深くなっているのは当然のことなのです。

 先日人間牧場で農学部の15時間1単位の集中講義を無事終えましたが、一年間60時間もの法文学部の授業は夏休みで一服しているものの、今月末の日曜日にはフィールドワークの授業で調査研究を行わなければならないのです。

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 昨日は愛媛大学城北キャンバスの総合情報メディアセンターで中・四国ミュージアムフォーラムが行われ、常磐大学の塚原先生や筑波大学の加藤先生と一緒に壇上に上がり、愛媛大学の森賀先生の書いたストーリーに沿って議論の輪の中に加わりました。パネラーの中には私と同じような実践家も何人かいたことが救いでしたが、結局持論と論理のかみ合わぬまま消化不良で終わってしまいました。勿論このフォーラムはそれぞれの人の想いが出たいいフォーラムでしたし、内容は面白いものでした。嫌いと言いながら塚原先生とは国立科学博物館時代からご厚誼をいただいていて、いつもいい話を聞いているのです。

 できれば早くこの場から逃げ出したい気持ちですが、引き受けたからにはしっかりと仕事を片づけなければならなに責任もあるので、もう少し様子を見ながら機をうかがいたいと、私的秘書を自認している妻にだけは心情を吐露している今日この頃です。


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  「嫌なのに どうしてこうなる 不思議だな 大学嫌いが とんだ方向」

  「気がつけば 二足のわらじ 履いている 両方脱ぎたい 思うが脱げぬ」

  「凡人は 凡人らしく 生きること 胸張り過ぎる ろくな事なし」

  「まあこれも 一つの進化と 考えて 気楽な気持ち 生きるとしよう」

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○面河山岳博物館を訪ねる

 明日開かれる予定のミュージアムシンポのメンバーに加わり、面河山岳博物館を訪ねました。先に坂本屋を訪ねていたので、砥部町を通らず別ルートで国道33号線へ出ました。三坂峠まで3キロの地点にいながら、そこから先は車道がないため引き返し迂回をしたような感じです。三坂峠までのつづら折りの道に比べると峠を超えた久万高原町内や美川を経て面河に至る道は全て2車線に整備されていてますが、時間的な余裕がなくスピードを上げて走ったため、同乗した遠来のお客さんには少々きつかったようでした。

 私は常盤大学準教授塚原正彦先生と同乗したため、行き帰りの道中で様々なお話をすることができてラッキーでした。

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 面河山岳博物館には3度目ですが、前2回は忘れるほど前なので、初めて訪ねたような印象を持ちました。石鎚スカイラインの入り口付近にある博物館は合併前の面河村が造り、今は広域合併したため美術館、天体観測館とともに、小さな一つの町に3つもミュージアムがある珍しさとなっていますが、山岳博物館というその名が示す通りかなりアカデミックなミュージアムだし、冬になると厳しい寒さのために来館者も少ないため、経営的にはかなり苦しい感じを持ちました。

 今は間もなく終わる夏休み中なので、特別企画展「愛媛と世界のクワガタムシ」は子どもたちが沢山やってきたのでしょうが、それもいよいよ明日で終わりのようでした。この博物館には2名の学芸員がいて研究や展示に大活躍しています。石鎚山に特化した研究は地道ですが、石鎚で見つかった新種タカネルリクワガタなど価値ある成果と言えるようです。

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 日本全国では地方自治体財政の悪化で、病院や保育所などの民営化や廃止が行われ、また公民館や第三セクターの施設も指定管理者制度の導入によって先行きが危ぶまれています。特にミュージアムのような住民の日々の暮らしとかけ離れたものには、住民や議会からその必要性について厳しい意見が寄せられています。先日も希望を胸に学芸員になったものの、学芸員の研究の将来を危ぶんで辞め、別の道を探している人と出会いましたが、ミュージアムをめぐる社会はかなり窮地に追い込まれているような気がしました。

 昨日は久しぶりに出会った先生たちとお酒を飲みながら交流をする予定でしたが、急遽所用が入ってその輪の中に入ることができなかったことは返す返すも残念でした。塚原先生は「しずむ夕日が立ちどまるまち」という双海町のキャッチフレーズを自著のミュージアムという本で世に送り出してくれた恩人なので、もっともっと話したかったのですが、今日の先生の基調講演やその後の壇上での議論にゆだねることになりそうです。今日も朝から愛媛大学で開かれる中四国ミュージアム府ーラムに参加して、忙しい一日になりそうです。

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(昔青年の船で訪ねたアメリカカリフォルニア・ヨセミテ森林公園の樹齢三千年の大木の写真)

  「さあ今日も 忙しくなる 気張らねば そんな思いで 朝を迎える」

  「いつの間に こんな難し 集会に 出ることなったか 未だ分らず」

  「わが町の キャッチフレーズ 気に入って 全国紹介 恩人なれば」

  「大学は 一生縁なき 思ってた ところがどうだ 大学染まる」

 

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○念願の坂本屋を訪ねる

 一度は訪ねたいと思っていた場所を、昨日は偶然にも訪ねることができました。そのひとつが松山市の奥まった窪野町にある坂本屋という築100年の元旅籠です。「奥まった」という表現をしましたが、むしろ「三坂峠を松山側に3キロばかり下った所に」と書く方が正しいのかもしれません。地元の人が指差す目と鼻の先に坂本屋はありました。本当は三坂馬子唄に出てくるような場所ですから、大宝寺から歩いて峠を越えてくれば情緒も湧くのでしょうが、明日開かれるミュージアムシンポの一行とともに訪ねたのでそれもままならず、ついでに立ち寄ったという感じでした。


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 四国遍路道世界遺産化の会のメンバーから坂本屋の存在は度々聞いていましたが、訪れたのは初めてなのです。逆打ちのような形で九谷側から曲がりくねった道を2台の車に分乗して出かけました。九谷までは度々来ているのですがそこから先は来たことがありませんでした。桜という地名もどこか懐かしい感じがしますが、坂本屋は明治から大正にかけて遍路宿として使われていました。当時は交通も発達しておらず、この道が大街道で遍路も物流も全てこの道を通っていてかなり賑わってたようです。しかしその後車社会となって別ルートが開けルートから外れた坂本屋は次第に通る人が減少し使われなくなったようです。


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 最近歩き遍路がブームになると坂本屋復活の機運が高まり、建築家犬伏先生などの調査や地元の人の努力によってNPOが設立され、現在は3月から11月までの土・日には地元の人がお接待を続けているのです。昨日は金曜日でしたが、私たちのためにわざわざ坂本屋の板戸を開けて説明と接待をしていただきました。峠を下ってきたという歩き遍路の学生がラッキーな接待を受けていましたが、その東京からきたという白装束の学生は、遍路の道中お接待に出会えたことをとても喜び、次のお寺を目指して元気に出発していました。

 九谷地区の奥まった場所にある坂本屋は時代をタイムスリップしたような、まるで時代劇に出てくるような姿でしたが、間もなく実りの秋、そして冬の厳しい寒さをを迎える山村のたたずまいは、どこか日本の原風景を見ているような懐かしさを覚えました。上がりかまちには地元の人が用意してくれた茹でたばかりの早生栗が印象的にお接待として置かれていました。

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 無信心な私は、四国88か所を回ったと言って胸を張っていますが、ここで出会った大学生のように自分の足で歩いた訳でもなく、ただ車でスタンプラリーのように回ったに過ぎません。一度は1400キロの遍路道を歩きたいと思ってはいますが、年齢的に高くなった今ではそれも叶わぬ夢となっているのです。私の友人である仙遊寺の住職小山田さんや久万高原町の渡辺さんはこの遍路道を世界遺産にしようと頑張っていますが、忙しいことを理由にその運動にすら参加していないのです。

 「日本の原風景がここにもある」と、坂本屋を訪ねて思いました。できれば同行二人の度を一緒に続けている妻を、近いうちに妻をここへ連れて来てやりたいとも思いました。9月の秋分の頃には真っ赤なマンジュシャゲの花が遍路道沿いを染めることでしょう。

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  「その昔 遍路や馬方 賑わった 面影たどり 接待受けぬ」

  「何気なく 上がりかまちに 早生栗が 秋の気配を 肌で感じつ」

  「接待の 心を持った 人の顔 仏のような 穏やか笑顔」

  「この場所を 知らずに遍路 したなどと おこがましくも 恥ずかしなりぬ」 

 

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○ニューツーリズム推進連絡会議

 10年乗った愛車プラッツの賞味期限が今月で消えることになりました。そのため車に搭載していたETCとカーナビをそれぞれの車屋さんで外してもらい、ETCは新しい車に、カーナビは息子の車にそれぞれ取り付けるのです。そのためここ2~3日はカーナビもETCも利用できない丸腰となってしまいました。それでも仕事に車は必要で、どこかおかしい感じもしましたが別れを惜しむかのように今日一日その車に乗って走りました。

 今日は東予地方局で東予ニューツーリズム推進連絡会議という観光の会議がありました。担当の井下係長さんからのメールで、前会と同じように高速道路を利用して来るよう指示がありましたが、今ではすっかりETCに慣れて、財布から直接お金を出してインターを通過する動作が何となく懐かしいような感じもするのです。

 同じ観光アドバイザーとなっていながらお互い顔を合せたことのない、近畿日本ツーリストの小合地域活性化推進室長さんと一緒に食事でもしようと國元室長さんからお誘いがあり、会議は午後1時半からからでしたが、12時に待ち合わせて近所の食堂へ出かけました。相手は観光のプロなので何かと学びたいと思いましたが、食事をしながらの短い時間なので込み入ったお話もできませんでした。

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 会議は委員に指名された団体や行政の関係者が20人ほど集まり、ニューツーリズムのこれまでの取り組みについて話があり、今後の進め方について説明がありました。予定の1時間半を30分も超え、沢山の方々が発言をしてくれました。資料と事前準備が行き届き、しかも会の進行運営も良くて第一回目の会合としては上出来でした。アドバイザーとして関わっていますが、これまでのワーキンググループの下支えと委員の意見に、私たちのサポートがどう関わって成果を出すか、これからがいよいよ正念場だと思っています。

 今回はメールのやり取りで、井下係長さんにご無理な資料追加の注文を付けましたが、忙しい合間をぬって想像以上の資料を作っていただきました。前2回の現地調査で気心が知れた結果だけに嬉しいことだと内心喜びました。観光は生家が中々目に見えない難しさがありますが、東予地方には宝の山と思えるほどニューツーリズムの素材があり、もうすでに動いているのです。行政の動きは平成の大合併もあってもどかしさも感じますが、少しずつ前に向いて進んでほしいと願っています。


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 私の感想として

 ①市町村合併によって行政の観光に対する意識がかなり落ちている。

 ②そのため市町村の連携が難しくなっている。

 ③隣県や隣施設との情報の共有がなくリンクしていない。

 ④ニューツーリズムの資源は沢山あるが意識も掌握もされていない。

 ⑤情報分析が専門的でない。

などを地域づくりの観点からお話ししました。ニューツーリズムは感動商法です。感動は受け入れる側の心のありようが相手に伝わるのですから、感動の法則である1人⇒7人⇒5人⇒2人=70人に感動が伝わるようにしなければなりません。間違っても不快感の法則である1人⇒10人⇒7人⇒3人=210人にならぬよう心がけたいものです。


  「いずこから いずこへ行くか まず思う それが糸口 ネットワークを」 

  「何のため 答えはお金 だけじゃない 感動商売 すれば答えが」

  「いい素材 いい人材が 料理すりゃ 美味しくなって 人が群がる」

  「見覚えの ある人多く やあやあと 笑顔で話す 顔が広いな」

 

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○お酒を飲まない交流会

 最近は少なくなりましたが、それでも酒を飲まない私にでも月に2~3回は飲み会のお誘いがあります。「酒を飲まないのになぜ飲み会に行くの?」と妻は不思議がりますが、それでも私は下戸ながら会費を持って飲み会に出席するのです。昔は酒を飲まない人、女性は会費を少なくしたものでした。ところが最近は女性といえども酒もタバコも飲むような男に勝る酒豪がいて、会費の男女格差を好まない女性も増えてきたのです。

 忘れもしませんが昔高知県で公民館の県大会があって、記念講演を頼まれ室戸に行きました。一泊二日だったものですから、講演は二日目ながら前泊して交流懇親会に参加しました。高知の女性がどれほど酒を飲むか知らぬまま、一人の女性に絡まれました。その人はひゃ酒日本酒を軽く一升やるようなハチキンな高知女でした。男の自分がたかが女に負けてたまるかと、夜更けまで盃をまみえることになったのです。結果は惨敗で明くる日の記念講演に差しさわりがあるほどの二日酔いにさいなまれた経験があるのです。

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 一昨日は宮崎県と鳥取県からそれぞれ視察がやってきて、研修会の後交流会が予定されました。松山中央郵便局近くの、よく利用する宇和海という飲み屋がその会場となりました。会費は2時間飲み放題4千円です。酒を飲まない私には少々高くても、酒飲みにとっては4千円で鱈腹飲めるのですから安い飲み屋です。私はウーロン茶を小ジョッキで2杯飲みましたが、他の人はとりあえずビールを飲み、その後日本酒と焼酎を飲んでいたようでしたが、酒を飲まない人間にとっては2時間は結構長く感じられました。でもかつては大酒を飲んでいた私は、お酒の席が大好きで、冷えたウーロン茶をジョッキで飲んでいると酔ったような気分になって楽しく話せるのです。

 普通であればここから2次会に繰り出し、興が乗れば3次会へと流れ、妻の10円タクシーが迎えに来て午前様となるのでしょうが、最近はさすがにみなさんも分っていて、私を2次会へ誘わなくなりました。この日は飲み会二日目の松本さんを途中である自宅近くまで乗せて帰りました。

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 この日は珍しい女性に会いました。写真には写っていませんが、鳥取の福田京子さん、宮崎の野川喜美子さんと柳田きえ子さん、それに新居浜の松山明子さんの4人です。残念ながら福田さんは写真に写っていませんが、それぞれの人と再会を喜び懐かしい話をさせてもらいました。

 私には人もうらやむほど女性の友だちがいて、行く先々で出会った女性の数は手の指では数えられない程日本全国にいるのです。この日も懐かしい話に花を咲かせましたが、どちらかと言うと中年のおばちゃんの部類に入っているこの4人はそれぞれの場所で大活躍をしているのです。加えてこの日は地域づくりの一環として試作した真珠の粉の入った化粧品を持参した宇和島の山田佳代さんも加わって賑やかな出会いとなったのです。

 私はこれからも折に触れて飲み会に出席して旧交を温めたいと思っています。


  「酒飲まぬ 私誘われ 飲み会に 飲むほど変わる 友を見ながら」

  「昔なら さて次何処へ 二次会に 繰り出し深夜 十円タクシー」

  「アッシーと なりて友人 車載せ 玄関先へ 送り届ける」

  「色恋も 感じぬ歳に なりにけり それでも女 大好きですよ」

 

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shin-1さんの日記

○「自悠くらぶ」人間牧場便り100号のバックナンバー・その②

 2008・12・26地元のおばさんたちに足湯のサービス、12・19文章も毎日書いて凡事徹底すれば非凡になる、12・12キツツキ、12・6座布団の贈り物、11・28日本一目立った男、11・21夕日寄席で落語ならぬ落伍、11・14全国から紅葉の便り、11・7どこの夕日が日本一?、10・31青少年健全育成のボランティアは楽しい、10・24真ん中に日本のない世界地図、10・20小さい秋を見つけました、10・10人間牧場に大学生がやって来た、10・3二宮金次郎は何の本を読んでいるの?、09・26田舎の青年団が消えちゃいました、09・19県内最古の木造校舎がある翠小の運動会、09・12夕焼けプラットホームコンサート、09・5人間牧場の芋畑に非常事態宣言、08・29卒寿を迎える親父へのラブレター、08・22トマトとトンボ、08・15エイズキャンペーンイベント、08・08年輪塾始まる、08・01源流を探る、07・25漁師さんのストライキ、07・18友あり遠方より来るまた楽しからずや、07・11丸木舟との出会い、07・04「恋人岬」で結婚式、06・27カブトムシの幼虫、06・20恩人への恩返し、06・13ジャガイモとタマネギの収穫、06・06

「ほたるこい」、05・30人間牧場でサツマイモ植え、05・23「恋人の聖地」に認定される、05・18「みかんの花咲く丘」、05・09えっ「うどんの花が見てみたい」だって?、05・02人間牧場でのトラブル、04・25石積み、04・184つの道具を手に入れた青年リーダー塾、04・04赤トンボ先生、

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(「人間牧場」だよりのバックナンバー)

 03・28めでたく卒塾、03・21「サツマイモ命のリレープロジェクト、03・14菜の花ウォーク、03・07日本一の夕日、02・29日本一の朝日を見た、02・22木登り、02・15春の訪れと障子の張り替え、02・08首切り大根、02・01葛原しげるの生家の前で、01・25ブルーベリーを植える、01・18暖かい薪ストーブ、01・11田舎暮らしは楽しいよ、01・07枯れ葉を土にする、2007・12・28子どもと一緒に土づくり、12・27田舎のオープンカー、12・26キツツキ捕獲、12・07夕やけこやけライン、11・30ふるさとの秋は素晴らしい、11・23落語ならぬ落伍の高座、11・16心のリフレッシュ、11・09木になるカバン、11・02今年はイノシシに勝ったぞー、10.26星がきれいです、10・19手づくり遊び道具、10・12風呂が恋しい季節です、10・01秋には秋の花が咲く、9・26夕日は今が旬ですと、まあ書きも書いたり100本100号です。まさにちりも積もればという感じです。

 何の変哲もない田舎に住むリタイアしたおじさんの目を通して見たり感じたりしたことを、脈絡もなく書くのですから、始めたころも今も不安だらけです。でも一緒に始めた田の執筆者の倍も書いている割には筆の疲労もなく、2代目のデジカメをいつも手元に持って「自悠くらぶ」的、「人間牧場便り」的眼で見たり感じたりしながら日々を暮らせる幸せをかみしめています。

 100号がアップする明日金曜日が来れば、次の101号の記事を送らなければなりません。次号は二日間で15時間の過酷な集中講義の様子を書こうかと思っていますが、月末と月始めはスケジュールが混み合って超多忙な日々が続きそうなので、原稿締め切りギリギリになるかもしれません。

 2007年・2008年・2009年と3年にまたがっていますが、書き始めてから間もなく2年が来ます。送った原稿を毎回チェックをしていただく「自悠くらぶ」の担当者に厚くお礼を言います。勿論毎回楽しみに読んでいただく読者やメールで感想をお寄せくださる方々にも同じように思いを込めて感謝します。

 最近は色々な雑誌などからコラム欄に原稿を頼まれることが多くなりました。「自悠くらぶ」ほどの頻度ではありありませんが連載も2~3本あって、すっかりコラムニストのような感じがします。コラムニストとは直訳すれば随筆家でしょうが、私の場合は拙文ゆえ埋め草(空いた紙面を埋める)程度のものなので、気張らず見栄を張らずあくまでも自分サイズを貫いて行きたいと思っています。

 

  「よくもまあ 続いたものよ 百号も 凡事徹底 少し非凡に」

  「次からは 思いも新た 心決め さらなる飛躍 自分に誓う」

  「読み返し 読み返しつつ 振り返る 記録残るが 記憶残らず」

  「自悠とは いい名だ名前 恥じぬよう 自悠に生きて 自悠な記事を」

 

 

 

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shin-1さんの日記

○「自悠くらぶ」人間牧場便りが100号を迎えました・その①

 愛媛新聞のシニアサイト「自悠くらぶ」に「人間牧場便り」というタイトルで原稿を送り始めたのは9月26日からでした。この企画を始めるにあたって最初は未知な部分もあるので執筆は月二回、つまり2週間に1回程度のペースがいいのではという意見がありましたが、情報の速いインターネットの時代に2週間も間隔が開くと不味いのではないかと思い、私だけでも1週間に一回のペースにするからと大見栄を切って書き始めました。まあ1回1000字程度ですからどういうこともないだろうと始めましたが、一週間に一度の原稿締め切りは、送ると直ぐにやって来るようで多少どぎまぎしました。加えてパソコン操作の未熟な私は原稿を書くことはあまり苦にならないものの、写真の添付や原稿送付で度々トラぶり、送ったはずの原稿や写真添付されていなかったりして、編集担当者不満を言ったりしたこともありましたが、読んだ人からの感想がメールなどで届く読者との交流もあって、最近は順調に会を重ねているのです。

若松進一ブログ
(「感性を磨く」というコーナーで紹介されている「人間牧場」だより」

 その原稿が8月21日付で目出度く100号となりました。アップされる度に記事をプリントアウトしてバインダーに綴っていますが、少し分厚くなったので2冊目に綴り始めました。パソコンの優れたところはブログと同じように見出しがバックナンバーとして登録されているのでクリックして見ると、書いた記事が一目瞭然出てくるのです。人間の考えることは毎日、一か月、一年の繰り返しですから、2年目を超えると多少よく似たテーマや視点で書くようになりますが、バックナンバー見出しを見ながら、できるだけ同じような原稿を書かないよう注意をしながら書いています。さて、そのバックナンバーを紹介しますので、関心のある方は読んでみてください。

若松進一ブログ
(人間牧場だよりの画面)

 2009・8・21夏の風物「鱧料理」に挑戦しました、8・14かまどで炊いたご飯が食べたい、8・7破れた麦わら帽子と新品の麦わら帽子、7・31ムカデと蜂に刺されました、7・24初めてのハチミツ採集にワクワク・ドキドキ・ジーン、7・17わが家の放任園で楽しそうに農業を始めた友人、7・10イノシシはスモモの味が分るのかしら?、7・391歳の親父は元気です、6・26タヌキ!それともハクビシン?の出没、6・19ブルーベリーが熟し始めました、6・12梅の加工、6・5子どもの頃から見える島の原風景、5・29人間牧場で芋植えとミツバチ体験、5・22メダカの輿(こし)入れ、5・15ミツバチの分封、5・8高く泳ぐや鯉のぼり、5・1携帯電話の笑い話、4・24えへん・わが家の庭だって、4・17長くも短い22年の活動に終止符、4・10孫たちの自立を支援するおじいちゃんでありたい、4・3忘れられた楽器、3・27私もマジシャンになれるかな、3・20ブルーベリーの鉢植えが届きました、3・13ツワブキがおいしい季節です、3・06またもや他県の新聞に載りました、2・27マイナス10度の世界と流氷、2・20ミツバチの嫁入り、2・13「年輪塾」がスタートしました、2・6「夕やけ徒然草・水の書」を出版しました、1・30限界集落勉強会、1・30わが家のどんど焼き、1・16命を吹き返した日めぐりカレンダー、1・9えっ私みたいな者が「愛媛大学客員教授ですか?。

 2008年・2007年分はその②に書きます。


  「コツコツと ただコツコツと 書き貯めた エッセー百号 ただただ驚き」

  「読み返す 暇もないから ナンバーを めくりて目次 だけでも思い」

  「世の中の 早き流れに 棹差して 感じたことを 書留め過ごす」

  「そういえば あんなこんなが あったっけ それもつかの間 忘却彼方」

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