shin-1さんの日記

○時ならぬ雨

 夏も終わりに近付き、このところのジメジメした天気で何となくうっとうしい気持ちです。しかし松山を中心として愛媛県では水不足が心配なだけに、少しでも雨が降って欲しいと願わずにいられません。世の中は中々上手く行かないもので、愛媛県では水不足だというのに日本列島の東や北では1時間に100ミリを越す猛烈な雨が降って、観測史上の記録を次々と塗り替えているようです。今朝高松へ行くため早起きして行く途中カーラジオから流れていたニュースだと、どこかの町では1時間に120ミリという猛烈な雨を記録し、死者や行方不明者が出たと報じていました。時間雨量120ミリは尋常な量ではなくバケツをひっくり返したような凄さなのです。

 これらの雨の降り方を見て、異常気象だという人もいますが、これは日本列島に居座った前線に向って南から暖かい空気が流れ込んでいるためで、上空に流れ込んだ寒気の影響で天気が不安定になったせいなのです。つまり日本列島のの弓なりになった地形の上に雲の通り道が出来たため起こる現象なのです。私は気象予報士でもなくそれ程の知識はありませんが、水産高校出身なので学校で天気のことは色々学んでいます。加えて地元で漁師を7年もやった経験からどんな時にどんな気象の変化が起こるか、おおよその見当はつけれるのです。

 私は社会教育やまちづくりの世界で長らく生きてきました。社会教育やまちづくりにとって屋外でのイベントは欠かせない存在で、天気を予報することはイベントを成功させる上でとても大切なことでした。特に決行か中止か、また中断か再開かを本部として決定しなければならなかったのです。この場合判断を誤ると参加者からブーイングが起こるだけでなくイベントそのものを壊してしまうのです。特に夕やけコンサートのように一年に一度、しかも100万円を越える予算が動くとなると一ヶ月前から天気の動向を把握し、テキパキと対応しなければならないのです。小雨決行といいながら参加者を濡れささないためにテントを張るとかいった胃の痛むような苦労は随分しましたし、過ぎてしまえばそれもいい思い出です。でも20回ばかり続けたコンサートも台風襲来で一度中止にした以外は、それなりに実行し大きな感動を得ることが出来ました。

 私の口癖は「天に向ってブツブツいうな、雨の日には雨の日の仕事がある」でしたが、予期せぬ台風襲来や大雨に遭遇し、無人島キャンプで生きるか死ぬかという大変な経験もしました。最後は「責任」いう思い荷物が自分の肩にのしかかりましたが、「引き返すことの勇気」という教訓も学びました。

 多分夕やけコンサートを主催する役場の大谷さんは今頃私と同じような天気回復への願いで一喜一憂していることでしょうが、これも次への成長の一里塚だと思って、逃げることなく正面からアタックして欲しいものです。

 町内のあちこちで焚き火の煙が昇るようになってきました。畑の隅で夏草を焼いているのでしょう。わが家でもそろそろ家の横の家庭菜園で、冬野菜の準備を始めなければなりません。親父はこのところ畑に出てせっせと草を取り、その草を焼いて準備に余念がありません。先日は親父から苦土石灰を頼まれ肥料屋さんで1俵購入し、単車の後に積んで帰ってきました。間もなく大根の種蒔きが始まることでしょう。季節はもう秋へと巡っているのです。

  「辻褄を 合わせるように 雨が降る 辻褄合わぬ 雨も各地で」

  「台風が 来ない喜び 反対に 雨が少なく 一雨欲しい」

  「雨乞いの 祈り届いて 雨が降る たちまち草は 青々茂り」

  「もう一度 草刈りすれば 終りかな 今年も草は 元気でしたよ」

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shin-1さんの日記

○第45回全国広報公聴研究大会に招かれて

 私たちが若い頃は同じ四国といっても高松での研修会に行くには一泊二日の旅でした。ところが最近は高速道路が整備されて、特に香川県の道路がよくなったため、少々早い時間の開会でも少し早めに家を出れば間に合うため、高松で一泊などの旅は完全になくなり日帰りとなったのです。そのため高松へは殆ど車で行っていましたが、ご承知の通りガソリン代が高くなり、高速代金を含めるとかなりに出費になるし、少し楽な旅を考えて今回はJRの電車を使うことにしました。


(借り切り状態のような特急いしづちの車内はとてもお洒落でした)

 しかし朝6時14分松山駅発の電車に乗るためには、わが家を5時には出なければならないのです。目覚ましの要らなくなった年齢ながら、それでも失敗をしては大変と、寝坊の妻は午前4時30分にセットして床に就いたようです。私は午前4時に起床し顔を洗ったりヒゲを剃ったりして準備をしていると時ならぬ時に目覚ましのベルが鳴り、妻は驚いて飛び起きました。身支度を整えいざ自家用車で出発です。早朝の国道は予想以上にトラックが走って、その後についたものですから、三秋峠辺りでは少しイライラしましたが、それでも十分間に合う時間に松山へ着き、車を駐車場に置いて5時14分の列車に乗り込みました。金曜日といいながら平日の早朝の便なので乗客は殆どなく、田舎の特急いしづちにしては豪華な指定客席に座って2時間半の旅を楽しみました。朝が早かったのでウトウトしたり、本を読んだり、車窓を眺めたり、高松が近付くに連れて今日の話の中身をどうしようか、思いを巡らせたりしながら列車は予定通り目的地の高松駅へ到着しました。

(高松駅前は全日空ホテルなどが立ち並びまるで夢空間です)
(コンベンションホール・サンポート高松の施設も凄いです)

 会場となるサンポート高松までは本の目と鼻の先なのでゆっくり歩きました。それにしてもサンポート高松というコンベンション施設は立派なもので、いつ来てもその威容に驚くのです。約束の時間は9時30分でしたが、列車の都合で9時に到着しました。丁度私が送っていたDVDのリハーサルが行われていて、ちょっと泥きました。ロビーには今年度の広報コンクールの入賞作品がロビーに並べられていて、ペラペラと捲りながら駆け足で見せてもらいましたが、どれも秀作で私たちの頃と違った編集技術が存分に生かされていました。

 合併で市町村の数が多かった何年か前までこの大会は、かなりの広報に携わる人が参加していたそうですが、市町村の数の減少と、県外主張の自粛によって300人程度のこじんまりとした大会になっているようでした。

 さてこの大会の今年のテーマは「地域の魅了を発信」でした。事例発表として私と香川県直島の笠原さんがそれぞれ1時間ずつお話をしました。

 私は広報マンとして10年間に毎月2回、240号の広報を作った経験から、広報マンとして広報作りで得た①書くという能力、②伝えるという能力、③まちづくりという能力についてまず話しました。書く能力は行政マンにとって大切な武器であり、今もブログを毎日書きながらささやかな情報を発信しています。様々な出来事を情報として加工し伝え、地域の世論を形成することは行政にとって凄く重要なことなのです。5W1Hを広報誌に表現することは、地域住民と行政のコミュニケーションを深めてゆく大切な役割なのです。さらにまちづくりには企画力、経済力、実践力、地域力などを総合した能力が求まられますが、虫の目と鳥の目を併せ持った複眼的視点は行政の大きな力となるのです。

 私は広報を担当したことで、情報の価値と、PR能力が備わり、以後のまちづくりに独自の境地を開きました。夕日を地域資源にしたまちづくりについても独自の持論を展開して、参加した300人の心に力強く訴えました。壇上に届いた反応は上々で、四国のいい事例発表になったと自己満足し帰りはJR四国が走らせているアンパンマン列車に乗ってふるさとへ帰って来ました。

(子どもに大人気のアンパンマン列車)
(特急いしづちの車内からは瀬戸内の素敵な景観が見えます)

  「四国内 移動するのに 二時間半 少しうんざり 少しのんびり」

  「高松の 変身ぶりに 目を細め 行き場所探し 右往左往す」

  「駅弁を 食べつつ帰る 予讃線 外は曇りて ぽちぽち雨が」

  「鉛筆と 消しゴム使い 書いたよな 今はパソコン 何の造作も」 


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