shin-1さんの日記

○今日もまたかくてありなん明日もまた

今日は午前中えひめ生協の理事会があり、先月差し支えがあって行けなかったので二ヶ月ぶりの出席となってしまいました。目まぐるしくも忙しい昨今の私のスケージュールを考えると、二ヶ月ぶりというのは、相当昔のような感じがして、理事長さんや専務さん、それに理事の方々の顔を見て懐かしさしきりでした。折から降り出した雨も、このところの水不足のニュースから考えると何となく恵みの雨のような感じもしました。

 ベテラン理事さんが姿を消し新しく理事さんになったフレッシュな顔ぶれが混じり、理事会も何処となく雰囲気が変わったように感じました。生協の会にも随分慣れて、近頃は松本専務の売り上げや収益金報告の数字が少々気になるようになって来ました。相次ぐ値上げや原油高の影響は売り上げにも微妙に影響をしているのです。

 今日は議事の進行が上手く行ったのか午前中で全ての審議を終ってしまいました。午後3時からのえひめ地域づくり研究会議運営委員会にはまだ間があるようなので、娘のマンションへ立ち寄りました。孫二人は小雨が降るため部屋の中での遊びを余儀なくされていて、少々不満だったのか、私に外へ連れて行くようせがむのです。特にヨチヨチ歩きが出来るようになった孫直樹は「ワンワン」という私が教えた言葉しか喋れないのですが、盛んに外を指差し、近所の犬のいる場所へ連れて行けとせがむのです。しかし土地勘のない私にはどうすることもできず、結局はそこいら辺を散歩してお茶を濁しました。帰り際息子嫁と孫がやって来て、娘の家は大賑わいでしたが、私はさっさと引き上げました。

 地域政策研究センターでの運営委員会は午後3時から始まりました。今日の卓話は関前村出身の島崎義弘さんの担当です。島崎さんは福祉の分野でかなり活躍されている人です。関前村役場の職員でしたが合併を機に社会福祉協議会の職員になったという変り種です。それは合併すると大好きな福祉の仕事が出来なくなるという

危機感からでした。いわば安住の公務員を足蹴りにしたのです。このことだけでも彼のやる気が感じられるのです。不平不満ばかりをいいながら、やらないことをやれないというどこかの公務員に島崎さんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいと思うのです。

 彼の発想はとても新鮮に感じました。愛媛県で一番の高齢化率を誇った旧関前村は今治市と合併しましたが、高齢化は今もも変わらない大きな問題です。しかし彼はそうした島の現実をしっかりと受け止め、前向きに高齢化をとらえながら大きな成果を上げているのです。子どもがお年寄りの家庭を訪問しお年寄りから話しを聞きながらお年寄りの自分史を作ってあげるアイデアも、大学の福祉士の資格を取る学生を誘致して福祉の最前線を学ばせるアイディアも、彼の努力で実を結んだのです。彼は今福祉の大学の学生として毎週土曜日に対岸の広島に通い学生として福祉の勉強をする努力家でもあり、出来ぬこととはいいながら見習いたいと思いました。

 卓話の後、運営委員会では来年春に予定している年次フォーラムの企画案について議論を戦わせました。これから行われるまち並みゼミや地域づくり団体全国交流会などの検証と、その後の在り方をテーマにすることを確認して次回に持ち越しました。いよいよ私も仕上げの時期が近付いたようです。

 わが家に帰ると妻が餅つきの用意をして待ち構えていました。8月31日に誕生日を迎える孫希心と、5月18日に誕生日を既に迎えた孫尚樹に一升餅を用意するのだそうです。こちらの風習では誕生日に一升餅を背負わせる風習がありますが、私も妻も忙しくてついつい延び延びになっていたので、今度の日曜日そのお祝いをしてやろうと計画しているようです。

 餅は二臼自家用機械でつきました。久しぶりの餅つきに私たち夫婦は少し興奮気味でした。

  「二ヶ月も 会わぬと何処か 懐かしく 積もる話しに 花を咲かせて」

  「公務員 足蹴りをして 福祉士に 爪の垢でも 飲ませやりたし」

  「孫二人 一升餅を 用意した 背中に背負って 歩けるかしら」

  「今日もまた かくてありなん 明日もまた こうして時は 過ぎ行く」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○愛媛海区漁業調整委員会委員に選任される

 長年役場に勤めていたので、海区漁業調整委員という公職があることや、その委員が公職選挙法に基づいて漁業に携わる漁業者の選挙で選ばれることは知っていました。多分委員を選ぶ人も選ばれる人も漁業に携わる人だと、てっきり思っていました。

 ところがこの委員には漁民委員という公選によって選ばれる人と、知事選人による学識委員4名と公益代表委員2名というのがあるそうなのです。驚いたことに何と公益代表委員の一人に私が選ばれたのです。先日県庁の担当課である水産課の職員が自宅まで見えられ、諸般の手続きを終えて8月23日付で愛媛県知事より辞令が交付されました。

     若松進一殿

   愛媛海区漁業調整委員会委員に任ずる

                平成二十年八月二十三日

                        愛媛県知事  加戸守行

 愛媛海区漁業調整委員会の概要によると設置は、漁業法第84条に基づいて農林水産大臣の定める海区ごとに設置されます。性格は各都道府県に設置される行政委員会(地方自治法第180条の5)です。

 委員の構成は漁民委員(公選)9人、学識経験委員(知事選任)4人、公益代表委員(知事選任)2人、合計15人で構成されます。

 委員の任期は知事選任の場合は平成20年8月23日から平成24年8月22日までの4年間です。

 所掌事項は海区の海区内における漁業に関する事項を処理します。(漁業法第83条)。

 権限はとは主な仕事でしょうが、【諮問機関】として漁業計画策定(漁業権の免許の内容)について意見を答申、漁業の免許(漁業権の免許の是非)について意見を答申、調整規則の制定、改廃等について意見を答申、定数漁業の許可枠の承継、休漁枠の復活等について意見を回答、【建議機関】として漁業計画を樹立すべき旨の知事に対する意見具申、免許後の条件及び制限の付与の申請、【決定機関】として入漁権の設定、変更、消滅の裁定、採捕の制限、魚場利用の制限等の指示の発出などがあるようです。

 私が何故選ばれたかは未知ですが、その公職に適した人間として選ばれたのでしょうから、肩肘張らず15人の中の小さな1人として、粛々と役目をこなしてゆきたいものです。

 私は下灘という漁村に漁家の長男として生まれました。私が育ったころの下灘漁村は長閑なもので港といえば防波堤が一本あるだけで、毎日家族総出で出漁のために船を降ろし、漁から帰ればまた船を陸揚げをしていました。漁具や漁法もまだまだで、取った魚の漁もたかがしれていたようです。それでも今思うに多少貧乏はしていましたが漁村が一番幸せな時期だったのかも知れません。やがて漁船もエンジンも、港も全て近代化され儲ける漁業へと変わって行きました。丁度その頃私は宇和島水産高校に遊学し、実習船愛媛丸に乗って大海を目指しました。親父のガン発病のため郷里に帰り7年間底引き網漁師をしました。その後病気が元で役場職員に転職して35年間の間には4年間水産を担当して下灘の魚市場や上灘の漁村センターを造り、漁業振興計画も樹立しました。またウォーターフロントとしてシーサイド公園の整備も担当し、じゃこ天などの水産特産品も開発しました。漁業の歴史を編さんする町誌編さんにも委員長として携わりました。退職後も上灘水産加工場の計画にもかかわり、漁業者以外では最も漁業に近い存在だと自負していますが、予備知識はここまでです。これから先は様々な漁業に関する勉強をしなければなりません。大任である役目を果たせるよう努力したいと思います。

  「水産の 委員選任 身に余る うやうやしくも 拝受しました」

  「原油高 漁業直撃 音を上げる エンジンの音 どこか寂しく」

  「人生の 仕上げの時期に 大任を ネジ巻き戻し 更に頑張る」

  「公益を 代表してと 理由あり 外から漁業に 意見を述べる」 

[ この記事をシェアする ]