○卒寿を迎える親父への恋文
一昨日、親父の元へ一通の手紙が舞い込みました。裏書を見ると何やら見覚えのある名前です。親父の同級生の女性からの手紙のようです。私は直ぐに親父の隠居へ持って行きました。丁度食事をしていた親父は飯を食べたら読むから机の上に置いておくようにいうのです。しばらくすると親父が私の書斎へやって来て、「目は遠いし達筆過ぎて読みにくいから読んでくれ」というのです。確かにその文字は90歳の女性とは思えないほど達筆で文章もしっかりしているのです。親父の耳元で大きな声で読んでやりましたが、中身はどうも恋文調のようでした。読みながら読む私が恥かしくなるような「好きだった」などの言葉があって、「おい親父、お前も中々持てるじゃないか」と言いたげでした。親父は安心してその手紙を持って隠居へ帰って行きました。
しばらくすると親父は再び私の所へやって来て、「手紙の返事を書いてくれ」というのです。何が何でも親父への恋文の代筆までするとは?と思いましたが、私はいつも書くハガキを取り出してハガキで返事を書きました。
親父は9月1日が誕生日ですから間もなく90歳の卒寿を迎えます。最近は自分の同級生や自分より年齢の下の人が先に逝くので少し寂しい思いをしているようです。先日は近くの特別養護老人ホームに入所している同級生の女性から会いたいという電話が入りました。運良く私が在宅で電話をとったものですから親父に替わりましたが言葉の力が弱く、寂しいとか会って話がしたいという言葉しか聞き取れませんでした。
私は早速親父を老人ホームへ会いに連れて行きました。相手の同級生の女性は涙を浮かべて喜びましたが、歳を重ねて老人ホームで暮すこの女性を見てから、親父は何かにつけて「この家の畳で死にたい」というようになりました。多分病院から葬祭センターへ直行する今の葬式の在り方にも不安を持っているようで、先日も近所の老人が親父の元へやって来てその話をしていました。「今はつまらん世の中になったものだ。病院で死んだら総裁センターで通夜をして葬式もそこで済ませ、焼き場にいって帰る時は骨になって骨壷だから、オチオチ病院にも行けない」とぼやいていました。確かに最近は殆どの人が葬祭センターでお葬式をするようになりました。暑さ寒さもなく至れり尽くせりの便利さで、少々の出費は一生に一度だからと諦めることも出来るでしょう。でもどこかする方もされる方も割り切れない思いがあるようです。最もされる方は死んだ後ですから何のことはないと思うのですが、せめて通夜ぐらいは住み慣れた家でと、死んでも居ないのに死んだことを考える親と子どもなのです。
親父の恋文に対する返事は、親父の代筆を断った上で、あえて私の名前で出しました。その方は私もよく知っている方なので、親父が「お前の名前でお礼状として出しておいてくれ」というものですから、気が済むようにと私の名前で出しました。親父の名前は「進」、私の名前は「進一」でよく似ているので迷うことがないよう注意を払って書きました。さて相手はどんな気持ちで受け取ったでしょう。90歳の高齢女性ゆえ、さほどお便りが沢山来るとは思えませんが、親父への頼りに胸をときめかせて返事を待っていたかも知れないと思うと多少悔いは残りますが、どうかこれからも親父と同じようにお元気でお過ごしください。
「この手紙 読んでくれよと せがむ父 恋文なのに 読んでいいのか」
「恋文の 返事代筆 する息子 卒寿に替わり したためました」
「この家の 畳で死にたい いう親父 心配するな 孝行息子」
「好きだった 今更言われ 困る父 親父ももてた 時もあったか」