shin-1さんの日記

○二つの研修会

 今日は忙しい一日でした。まず午前7時半に家を出て、新田青雲中等教育学校へ向かいました。国道を通って衣山の道を通ったため、途中にあるかつて私がお世話になった龍華堂という印刷屋さんに、ちょいと立ち寄り社長ご夫妻のご機嫌を伺いました。私が町工場にも似たこの店に出入りしていた頃はもう30年も前でしたから、ご主人や奥さんも今はかなり高齢化して難聴のようでしたが、大変喜んでいただき旧交を温めました。講演の予定もあるからと早々においとまし、目と鼻の先にある学校を目指しました。

 新田高校の敷地内にある青雲中等教育学校は中高一貫教育の6年制の学校です。県下に先駆けて作った学校なので教育理念もしっかりしていて、親友野本千寿子さんの紹介を受けて先日石丸校長先生がわざわざわが家まで足を運ばれ、講演の依頼と同時に学校の概要について説明をして帰られたのです。日頃ご厚誼をいただいている野本さんの頼みを断ることも出来ず、今日の講演となったのです。

 「インスパイアリングレクチャー」と題した今日の講演会は生徒全員が講堂に集まっていました。「インスパイアリングレクチャー」とは、元気をもらい、刺激をもらい、生きがいをみつけるためのヒントを得る講座だそうで、毎月一回私のような外部の講師を招いて色々な経験や携わっている仕事について、あるいは人生観や生き方について話しを聞いているようです。そのためでしょうか、聞く態度もしっかりしていて、私の話にも熱心に耳を傾けてくれました。

 私は僅か50分の短い時間なので、青春時代に手に入れたい四つの道具や、水産高校の実習船愛媛丸に乗船した時経験した、大時化の海での生死のさまよいなどや氷山の一角についての話しをしました。さて50歳近くも離れている私の話が理解できたかどうかは疑問の残るところです。

(ミニフォーラムがあった講堂)
(小学区を移築した米博物館の中には長い廊下がありました)

(中々味があった森田さんの事例発表)

 新田青雲中等教育学校を出た私は、一路西予市を目指しました。「町並み保存と地域づくりIN宇和」という地域ミニフォーラムに参加するためです。今年は西予市を中心にして10月、全国町並みゼミ卯之町大会が開かれる予定で、今日はその前哨戦なのです。宇和町に入って間もなく三崎の塩崎さんから携帯が入り、うどん屋で一緒に食事をしながら久しぶりび積もる話しをしました。会場となる宇和米博物館は旧宇和町小学校を移築した施設で、小高い丘の上にありました。近くを通ったり近くまで所用で来ながら一度も中を覗いたことがないだけに楽しみにしていました。会場へ着いたのが早かったため、米博物館の近くの三好さんのお家を訪ねました。シーサイド公園で不慮の事故に会い亡くなった息子ささんの仏壇に線香を手向けるためです。あれ以来ご厚誼をいただいていますが、三好さんは闘病生活をされていてかなり体力が落ちていました。短い時間でしたが様々な話をして人間牧場での再会を誓い合いました。

 会場の予定された席は満席で、椅子を追加する盛況ぶりでした。岩松の町並み保存について宇和島市教育委員会の森田浩二さんが30分ばかり事例発表をしました。森田さんはまちセンに出向して研究員をしていたこともあって、内容も要を得て分りやすく中々の論客です。馴染みの顔も多くNPO法人全国町並み保存連盟常任理事の八木先生、宇和中町休憩所三好さん、それに私の三人がパネラーとなり、えひめ地域づくり研究会議事務局長の岡崎さんがコーディネーターを務めました。それぞれの思いが交錯して絡みのいい討論が2時間ばかり続きました。

 外はにわか雨が降ったり陽が射したりと安定しない天気で、講堂の中はかなり蒸し暑く感じました。でも議論の深まりが熱気を作ったようにも見えました。城川から参加していた西岡先生は私が中学校時代の恩師で、久しぶりに旧交を温めました。また先生にはお土産までいただき恐縮してしまいましたが、何時になっても教え子のことを心配していただく恩師とはいいものです。

 朝から夕方まで休む間もなく話し、人と出会い、まちむらや人を訪ねて今日も充実した一日でした。こうして長くも短い一日が毎日のように終るのですが、明日も幸せな一日は続くことでしょう。

 わが家へ帰ると3人の孫がやって来ていてとても賑やかでした。これもまた幸せというのでしょう。

  「朝は北 昼は西へと 移動して お座敷かかり 幸せ語る」

  「早十年 命亡くせし 人は今 線香手向け 冥福祈る」

  「元気かと 握手求める 恩師あり 老いてかくしゃく 私も元気」

  「こんなこと 話せとメール 届いてた 言われるとおり 話さず無骨」


 

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shin-1さんの日記

○面白い形のミニトマト

 お盆が過ぎても暑くてかなわなかったのに、さすがにこの頃になると朝夕涼しくなって、昨日の朝妻は薄手の布団に包まって寝ていました。傍で寝ている私はいたって平気で、何時ものようにタオルケットを布団の隅に追いやる寝相の悪さです。妻と私は同じ人間なのに鈍感な私と敏感な私とではこうも季節の感じ方が違うのです。

 夜が明けるのも随分遅くなってきて、私が毎朝起きる午前4時はまだ真っ暗で、曇っている今朝などは午前5時半になってやっと夜明けです。私は起きると書斎へ入りまずパソコンの電源を入れてトイレへ行くのが日課です。最近はパソコンも少しくたびれたのか、あるいは容量がオーバー気味なのか立ち上がりが遅く、時々言うことを効かなくて仕事がはかどらなくなりました。そのため新しいパソコンに変えようと準備を進めて購入したのですが、使い方が今一しっくり来ないし、ソフトの入力を頼んでいる息子が忙しくて間に合わないため、こうして古いパソコンに文句を言いつつ、朝のお勤めのようにブログを書いているのです。でももう時間の問題で、間もなく新しいパソコンに移動するべく机の上に並べて置いているのです。

 今日は午前中松山市で、午後は西予市でそれぞれ会議が予定されていて、早い朝食を終えると出発しなければならないためブログを書く時間が少なく、こうして思いつくままに指先を動かしているのです。6時に起きた妻が隣の居間から、「お父さんトマトを取って来て」と声をかけました。早速私は台所から金網篭を持って来て家の横の家庭菜園へトマトを取りに出かけました。「わあ凄い」と思わず声が出るほどトマトは沢山赤く熟れていました。ミニトマトはヘタの部分が弱く手で触っただけで簡単にもぎ取ることが出来ますが、注意をしないと青い実まで落果する恐れがあるのです。トマトの木も随分大きくなって木の中へ手を突っ込んで採取するのには中腰にならなければならず、腰を痛めないように取って行きました。ほんの10分ほどで金網篭いっぱい取れました。これを収穫の喜びというのでしょうか、さも自分が作ったような顔をして、「おい取ってきたぞ」と台所の食卓上に置きました。何時もの事ながら妻は「まあ嬉しい」と、早速何個かを手に持って水洗いして食べていました。私も洗ってもらって食べましたが、木の上で完熟したトマトの味は格別で二人で沢山食べました。

 取る時に気が付いていたのですが、今日収穫したトマトの中に双子の変わった形をしたものがありました。一卵性双生児とでもいうべきそのトマトは根元がくっついていて、見方によってはハート型をしているのです。今年はシーサイド公園の恋人岬が恋人の聖地百選に選ばれたばかりで、そのモニュメントの製作に関わってハート型にしたり、漁協女性部の皆さんがハート型のラブジャコ天を作るなど、何かとハートに縁があったのでこのトマトはジャコ天のお店にでも持っていってあげようかと思いました。普通はこうした奇形物は縁起が悪いと捨てましたが、今はそれなりの話題になって、時には新聞のホットな話題として紙上を賑わせているようです。

 今治へ講演に行った折貰ったミニスイカの苗も畑の隅に植えていましたが、ソフトボール大からハンドボール大までの大きさのスイカが10個くらいなりました。今朝は最後の2個を収穫しました。ほおっておいたのにしたたかに生きて実をつけてくれたのです。今日は孫がやって来るので、一緒に植えたことを話しながら食べてみたいと思っています。

  「一卵性 双子のトマト 発見し 何処かハートに 似てて楽し」

  「ミニスイカ これで十個目 なるものだ 味もまあまあ 来年こそは」

  「パソコンの 更新間近 データーを 移す作業が 終り次第に」

  「また一つ 悩みの種が 増えました パソコン変わり 自身喪失」

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