○百姓(漁師)じゃあ飯が喰えない
第一産業しかこれといった仕事のないわが町では、「百姓(漁師)じゃあ飯が喰えない」という言葉をよく耳にします。耕して天に至ると形容され百姓の汗の結晶といわれたみかん畑も最近は放任園が目立つようになり、カズラの勢いで夏の間は緑に見えるものの、晩秋から冬にカズラが葉を落す頃になると何処か寂しい山里の光景となるのです。双海町ではこれまで宮内や大谷伊予柑、宮川早生、極早生みかん、はるみやせとかといったポンカン類など様々な柑橘品種が導入され、園芸組合や普及所の指導のもと、農家はその度に母樹の枝を切って高接ぎして品種を更新してきました。しかし度重なる品種更新で母樹の樹勢は衰え次第に生産高や生産額が落ち込んで、ついには「百姓じゃあ飯が喰えない」ため放任、離農と下り坂を転げ落ちるように衰退しているのです。
最後の切り札と思って始めた農家直接支払い制度も結果的には地域再生どころか焼け石に水となっているのです。農林水産省と文部科学省のいうことの反対をすれば必ず上手く行く」とは、猫の目農政と揶揄される減反政策などの後ろ向き農政で、何の成果も上げられなかった国や県、それに市町村への痛烈な批判でしょうが、ある意味その言葉が当っているだけに、自給率40パーセントの落ち込みも当然のことかも知れないのです。
双海町では、急峻な地形がゆえに水平農業には適わないと思っていましたが、その急峻を逆手にとってここ20年ほど良質なハウス蜜柑が全盛を極めていました。Uターンして息子が跡を継ぐハウス蜜柑農家まで出来て、専業農家も一定数確保されていたように見えました。ところが思わぬ落とし穴が待っていました。イラクとアメリカの湾岸戦争に端を発した原油高はうなぎ上りとなってこんな田舎のハウス蜜柑農家が国際化の波に飲み込まれたのです。特に最近の原油高は異常なほどで、ハウス蜜柑を作っても赤字ではどうすることも出来ないようで、あちらこちらで冬から春になってもビニールをかけずフレームむき出しのハウスが目だって増えているのです。その中には油の値段を見て再会したいと肥培管理を怠らず樹勢の回復をしてる所もありますが、概して高齢化や後継者不足を理由に廃園へと追い込まれる所もあるようです。
一方双海町の漁師も同じで、漁船漁業しか出来ない漁業形態は、漁獲の減少と魚価の低迷に加え、原油の高騰で出漁すれば赤字が膨らむ状態で、全国を騒がせた前代未聞といえる漁師さんのストライキが全てを物語っているのです。
「百姓(漁師)じゃあ飯が喰えない」という悲痛な叫びは、届く当ても無く地方再生どころか田舎沈没の様相を呈してきました。
ところがこんな厳しい時代なのに、そんなに多くはないものの脱都会や脱サラした人が田舎に憧れ、田舎を目指しているのですから、不思議といえば不思議な話です。そ人たちは都会の暮しに疲れ、都会の暮しを捨てた人たちです。その人たちの生き方が珍しくも生き生きしているとテレビで放映されるものですから、余計それがブームとなって「今に自分も」とかいう人たちを対象に説明会まで持たれる人気ぶりです。
漁業も農業も多少ながら経験のある私の感想は、「儲けなくてもいい農業や漁業は楽しいが、食べて行かなければならない農業は漁業は厳しい」の一言です。定年退職し年金と退職金を持っている人はいわば儲けなくてもいい農業や漁業です。ところが子どもを抱え農業や漁業で飯を食わなければならない若い世代の人となると話は別で、遊びや一種田舎憧れのような甘い考えでは挫折し、一家離散のような悲しい現実もそこにあるのです。
土木建築業はどこも不振で、その切り札としてこれらの業態が農業に手を出すケースも増えてきました。いわゆる農業工場です。土木建築の技術を生かしハウスを作り土木建築の合間労働をこの仕事に当てようとするものですが、これも中々思惑通りには行かないようで、成功失敗の話が飛び交っています。
農業や漁業の魅力は何といっても自然とともに歩めることです。ぬ業者も漁業者も人間性回復のその辺を考えてもう一度農業・漁業を見直しては如何でしょう。
「農業じゃ 飯が喰えぬと いいながら 米を作って いるのですから」
「不自然の 中で暮らして いるゆえに 自然恋しく 見えてくるもの」
「金儲け しない農業 楽しいが 飯を食うには 少々難儀」
「農業は 草虫病気 それに金 戦う相手 余りに多く」