○キジの逆襲
昨日からお盆休みとなって、民族の大移動により田舎といわれる私の町も、見知らぬ人や見覚えのある人が歩き、何となく活気が出たような錯覚にとらわれています。シーサイド公園は相変わらずの人で、海岸国道もひっきりなしに車が走り、街の中の唯一の信号はまるで都会並みの長い列ができているようです。
昨日は迎え火を焚いたり、ハモ調理など何かと忙しい午前中でしたが、昼ご飯を食べてから急な思いつきで人間牧場へ草刈りに出かけました。「お百姓さんでも真夏の午後は暑さを逃れ仕事をしないのに、ましてやお盆なのに少し休んだら」と、私の体を気遣う妻の言葉を打ち消して、作業着に着替えトラックで人間牧場へ出かけました。真夏の人間牧場は標高130メートルといいながら、熱射の温度は30度を越えていて、草刈機を持つ背中にジリジリトと太陽が照り付けるのです。汗が滝のようにとは少々オーバーですがそのような表現がぴったりで、またたくまにシャツは汗でびっしょりでした。それでも草刈機の油がなくなるまで1時間余り刈って、休憩はウッドデッキの木陰の部分に身を置きながら冷蔵庫から取り出した水を一気に飲み干しました。ここでの草刈りは便利で、お茶を忘れてもちゃんと冷蔵庫に冷え切った水やお茶がちゃんと揃っているのです。ウッドデッキに大の字になって寝そべり休憩が出来るのも人間牧場の魅力です。大空をゆっくりと流れる白い雲を目で追いながら、様々な想いにふけるのも一興です。
3時になったのでもう人踏ん張りと草刈機に混合油を満タンに入れ芋畑周辺の草刈りをしました。突然私の足元でメスのキジが私に襲いかかるように現れました。私はとっさのことなので何が起きたのか驚きましたが、キジは草刈機のエンジン音に逃げるどころか、尻尾を扇子のように立てて、いかにも威嚇ているように見えるのです。無視して草刈機で刈り払うと今度は足をつついてきました。仕方がないのでエンジンを止めましたが、多分草刈機の向こうの草むら辺りにキジの巣でもあるのだろうと、高く伸びた草を分けてみましたが見つかりませんでした。ひょっとしてもう草とともに壊してしまったのかも知れません。それにしても、もし草むらに巣があって子育てでもしているとしたら、子どもを守ったり巣を守るえらい本能だと思いました。私が草刈りを続行している間、キジは私について歩き、危ないから立ち去るよう追い払うのですが、また足元へやって来て私の行動を見守っていました。草刈機の燃料が少なくなり、一応の目安がついたのは午後4時半でしたが、私の草刈りが終るとキジはゆっくり歩いて下の草むらに姿を消したのです。
人間牧場ではキジの鳴き声を時々聞きます。春先は特に顕著で、羽根の美しいオスキジの姿は目と鼻の先で何度も見ました。捕まえてやろうなんて野暮な気持ちがないことを見越し、私を友人だと思ってのお近づきならこれ以上の幸せはありませんが、今回のように巣を壊す不届き者ととらえられたら私の土地だけに心外です。
身の回りから自然が段々失われてゆく一方で、田舎のみかん畑などは過疎と高齢化で一度畑にした土地が再び自然に戻り始めています。いいのか悪いのか分らぬまま、放任園は急速な勢いで増えているようです。
昨日草刈りをして驚いたのですが、僅か2週間でカラス瓜のツルがウッドデッキやロケ風呂の外壁に絡まっていました。放っておいたら家の中まで新入する勢いです。人間の不自然をあざ笑うが如き自然植物の侵入をどう見ればいいのでしょう。「自然を回復するためには、人間がいなくなることだ」とあらためて思いました。多分私が草刈りなどの歩みを止めたら、この人間牧場はたちまち草に覆われ、5年もすると朽ち果てて自然に帰るのかも知れません。
草刈機のけたたましいエンジン音が止み、空も海も元の静けさに戻りました。港の船も長いお盆休みです。ふと我に帰るとセミの声が賑やかに聞こえてきました。
「縄張りを 侵されたのか メスキジが 扇子広げて 無言抵抗」
「カラス瓜 ウッドデッキに 巻きついて 自然に帰る 準備できたと」
「草だけは 植えもしないに 伸び伸びと 刈っても直ぐに 次の新芽が」
「あた何年 続くか草を 刈る作業 果して息子 やってくれるか」