shin-1さんの日記

○山鳥坂夜神楽を見に行きました

 「長浜のJA辺りで午後5時に待ち合わせをして一緒に出かけましょう」と約束をしていた、えひめ地域政策研究センターの清水研究員さんとわが妻の三人で、山鳥坂の夜神楽を見に行きました。昨年は案内をいただきながら所用で出かけることが出来なかったし、今年の3月18日には冨永自治会長さん以下沢山の方々が人間牧場へ勉強に来られたこともあって、今年は早いうちから予定表に書き込んで空けていました。肱川沿いを大洲を経由して上ること約小1時間で鹿野川ダムの下流に出ます。そこから左折して旧河辺村に通じる道を7キロほど入ると、突如として大きな看板や幟、それに岩にしがみつくように大蛇の作り物がノスタルジックに置かれています。夕暮れ時の寂しげな山村の佇まいがより一層効果を引き立たせていました。


 会場に着くなり、夕食をご馳走になりました。タライうどんと野菜の天ぷら、それにサラダと握り飯をいただきましたが、うどんの味は格別で、三人が美味しくいただきました。妻はこうした会場へ行く場合の礼儀を心得ていて、地元のお酒屋さんでお供えのお酒を用意して持参していたため事なきを得ました。

 夜神楽の会場は少し高台にある元岩谷小学校の運動場です。学校の校舎も残っていて、雰囲気が次第に盛り上がってくるのを感じました。


 会場の隅では地元の皆さんの出店も出て、スイートコーン万能な時代に焼きトウモロコシが売られていて、妻は早速買い求め三人で香ばしくも昔懐かしいトウキビを食べました。

 いよいよ開始の午後6時半が来ましたが、神楽の前にステージ横の春日神社で市会議員や県会議員、それに国会議員までもが参加しておごそかに神事が行われ、開会式も自治会長富永さんの開会あいさつに続いて祝辞が述べられました。この人たちは選挙で選ばれる人たちですから、仕方のないことでしょうが、神楽を見に来た人たちにとってはのっけから少々肩透かしを食ったようでした。まあこれも田舎流だと思い吹き渡る心地よい夕暮れの風として流しておきましょう。

 その間私たちは会場の後手の山空中に設えた大蛇の頭を仰ぎ見たり、裏山にこの土地がダム工事によって何処まで水没するのか示した赤いラインを興味深く眺めたりして時を過ごしました。市会議員も県会議員も、国会議員も馴染みの人が多く、「なぜ若松さんはここへ来ているの?」と不思議がりました。いちいちこの神楽が県のアシスト事業の助成を得てたことや、その女性団体を決める審査委員だったことを説明することも出来ず、政治家のパフォーマンスである握手攻めに潔く応じました。ただ県政発足記念表彰をいただいた時、祝電をいただいた帽子県会議員さんがこの地域の出身であることには驚きました。

(議員さんが出席して神事が行われました)
(特設舞台も見事なものでした)
(冨永さんのあいさつ)
(かがり火がたかれ、幽玄の世界が広がり、延々と2時間余り、色々な演目の神楽が演じられました。その都度説明を受けるのですが、勧請(手草の舞)、清祓い、神請、白蓋、御前(盆の舞)、将軍(弓の舞)、鯛釣り、妙剣、長刀の舞、四殿(鬼神の舞)、山王の舞、大蛇退治の舞、庭火、老翁、天細女命の舞、岩戸開き、王子だちなどの意味いわれは結局理解しがたいものでした。

(山から出てきた大蛇が空中を走る仕掛けは凄い手の込んだもので、みんな大口を開けて夜空を見上げました。

(いつの間にか山陰から綺麗なお月さんも顔をのぞかせていました。

(フィナーレは餅撒きです。私も拾うつもりでしたが司会の方に名前を呼ば、ステージの上から餅投げをさせてもらいました。滅多にない体験だけに少し興奮をして勢いよく投げさせてもらいました。餅拾いの苦手な妻はそれでも20個ほど拾って、上機嫌でした。

 山里の夏を彩る夜神楽は、愛媛県指定でロンドン公演も行った歴史的にも文化的にも価値の高いものですが、滅多に見ることが出来ないものなので、とても感動しました。この山里も分水問題に翻弄され、また10数年後にはダムができてこの場所も水没する運命にあるそうです。人間の暮しをよくするためにダムは必要でしょうが、この地域やそこに住む人たちの犠牲の上に成り立つことを、都会の人はもっと知るべきではないかと、話をしながら元来た夜道を引き返しました。

  「政治家の 先生たちも 異口同音 文化は大事と 熱弁振るう」

  「延々と 夜神楽舞いし 出演者 毎夜の練習 苦労も多し」

  「餅撒きを しろと突然 呼び出され ステージ上がり 妻に餅撒く」

  「気配りの できる妻です お供えを 持参していて 恥もかかずに」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○鬼ヤンマとんぼが私の指に止まった

 連日30度を越す暑い日が続いているものの、8月7日の立秋が過ぎた頃から、一日に一度夕立のような雨が降り始め、「えっ、何でこの暑いのに立秋?」と思った考えを、「やはり暦はよくしたものだ」と感心させられるこの頃です。三日三晩の夜露を取った梅干しの本漬け込みも、地下室への収納も、梅干しを造るために用意した樽やサナも納屋に片付け、すっきりして秋を迎えようとしています。

 秋といえばとんぼと代名詞のように言われている季語小動物ですが、いつの間にか田んぼの稲が頭を垂れつつあり、その上を無数の秋アカネというとんぼが自由奔放に飛んでいて、「ああ、間もなく秋が近付きつつあるなあ」と季節の移ろいを感じています。

 昨日書斎の掃除をするため吐き出し窓の戸を開け網戸も開けていると、何処からともなくそれは見事な大きい鬼ヤンマというトンボが部屋の中に入ってきました。驚くやら興奮するやらで直ちに網戸を閉め、久しぶりに背もたれ椅子に座って空中を飛ぶ鬼ヤンマの遊飛ぶりを楽しみました。数分して私が何気なく利き腕の右手を差し出したところ、鬼ヤンマは何を勘違いしたのか私の手の先に止まってしまいました。とんぼは私の手を「止っているよ竿の先」と勘違いし羽根を休めたに違いないのでしょうが、一瞬の出来事に思わず傍に置いているデジカメを左手で取り出し、馴れぬ手つきでまず一枚撮りました。利き腕でないため最初の一枚は失敗したので慎重にストロボを消し、何とか撮影に成功しました。「おいとんぼ、もう一度左手に止まり変えてくれないか」と心で念じ、左手を出し変えると、とんぼはまるで私のいう言葉が分ったのか少し飛んでまた私の左手に止まり変えました。こうなれば占めたもので、何枚か写真を撮り鬼ヤンマとんぼの特徴である黄色と黒の縞模様をバッチリ撮りました。

(偶然にも私の右手小指に止まった鬼ヤンマとんぼ)

(撮影に協力するように左手の薬指に止り変えてくれた鬼ヤンマとんぼは、その特長である黒と黄色の縞模様がくっきりと見えました)

 鬼ヤンマが家の中に入ってくることは、田舎がゆえに珍しいことではありません。これまでにも人知れず何度か家の中を飛び回る鬼ヤンマを網を持って追いかけ、捕まえようとした事はありました。また知らない間に鬼ヤンマが家の中に入り込んで出れなくなり網戸の下で死んでいる姿も発見したこともあります。それにしても鬼ヤンマが私の手に自然に止ったというのは驚きです。私は生きる屍なのかと苦笑したりもしましたが、私を自然の一部と勘違いしたとんぼを褒めてやりたい心境になりました。

 昔竿の先に止っているとんぼを目を回らせて捕まえようと試みましたがとっさに逃げられて失敗した経験があるので、早速実験してみました。右手をとんぼの目の前でグルグル回してみましたが、とんぼは涼しげな顔をして動かないのです。余程私の手の指先の以後ことが良かったのでしょう。撮影会も無事終わり手の先から離そうと尻尾を持ったら、あの鋭い歯でガブリと噛まれてしまいました。やがて網戸を開け放してやると鬼ヤンマは勢いよく羽根を動かせ青空に向って飛んで行きました。

 「若松進一君、今日は暇か?、じゃあ少し遊び相手になってあげよう」といわんばかりの数分間のとんぼとの不思議な出会いは、一服の清涼剤のような清々しい気分となりました。「ああ、自然豊かな田舎に住んでいて良かった」と思ったものです。

 残暑はまだまだ当分は続くでしょうが、とんぼが指先からくれた小さなエネルギーを、噛まれた傷跡に感じながら窓越しに空を見上げました。モクモクと湧き上がる夏の積乱雲が真っ青な空に浮かんでいました。遠くで雷の音がして、小雨がパラパラ降ってきました。外で親父の所へ顔見世に来ていた弟勝彦が、「進兄ちゃん、干した布団が濡れよる」と大声で叫んでいて、その声でふと我に帰り「しまった、妻に布団の取入れを頼まれていた」と思い出し、急いで二階のベランダに駆け上がりました。殆ど濡れなかったのですが、何と布団の上に先ほどとんぼかどうか定かではありませんが、とんぼが止っているのです。「指先の次は布団とは」と感心しながら、布団を取り込み、とんぼも何処かへ飛んでいってしまいました。

  「網戸開け いきなり入る 鬼ヤンマ 黒黄まだらで 指先止る」

  「左手で デジカメ操作 とんぼ顔 バッチリ写真 収め嬉や」

  「長閑なり 田舎の夏の 昼下がり とんぼ指先 羽根を休める」

  「指先に とんぼが噛んだ 傷の跡 元気注入 エネルギー感じ」 

[ この記事をシェアする ]