shin-1さんの日記

○楽しいダンボールアート

 松山に住む五歳の孫が来ると、「おじいちゃん、遊ぼう」と盛んに私の懐に飛び込んできます。60歳も離れた私と孫では当然遊びも違うし、今時の子どもの遊びは中々理解し難く、何をどうしていいのか迷ってしまいます。夏時の今はカブトムシに凝っていて、マンション事情もあるためカブトムシの飼育はもっぱら田舎のわが家が担当しているのですが、これとて餌を毎日やらなければならず、ほとほと疲れるものです。それでも電話で「カブトムシは元気」と聞いてきたり、わが家へ来るなりカブトムシにご対面して喜んでいる姿を見ると、何となく嬉しいものです。

 そんな孫朋樹の一番のお気に入りは、ハサミとカッターとガムテープで作るダンボールアートなのです。妻は孫のためにお中元などのダンボールや菓子箱を捨てることなくストックしているのです。昨日は泳ぎに行ったり映画を見に行ったりとかなり忙しく過ごしていたため、すっかりダンボールアートのことなどお互いが忘れていましたが、夜私と寝る時孫が、「おじちゃん、明日はダンボールでロボットを作ろう」というので、「ああやろう」と約束してしまいました。三つ子の魂とでもいうべきか、孫は昨晩の約束を覚えていて、梅干しの天日干し作業が終るのを見はかったように二人で始めました。孫のテーマはロボットです。幼稚園で造った経験があるようで、自分では出来ないくせにあれこれと注文をつけるのです。結局自分のイメージを設計図として書かせましたが、まあ何とか分るような気がして造り始めました。

 妻が貯めておいたダンボールはかなり沢山あり、その中から菓子箱や洗剤箱を取り出し胴体を作りました。さて孫のイメージではやはり手と足が必要だというのです。しかも足は二本で立つこと、手は伸び縮みして変身することが条件なのです。交錯の途中で、誰に教わったのか「おじいちゃんは起用じゃなあ」と褒め殺しのよなお世辞をいって私を働かせるのです。自分はハサミとセロテープを使ってせっせと小物類を作っているようでした。

 やがて胴体が出来、足と手が出来上がりましたが、それらの小物をくっつけるのにはかなり苦労がいりました。それでも孫が満足するようなロボットが出来、頭には昨日映画に行った帰りにマクドナルドで貰った小型のロボットを埋め込む事にしました。

 さあ完成です。孫はマジックで絵を書き、昼休み昼食に帰る妻を驚かせようと、玄関の目立った場所に置いて帰りを待ちました。12時10分頃、妻が帰って来ました。玄関を開けるなり、孫のいつもの行動を知っていているため、「わー凄い」と誇張した驚きを表現したため、孫は大喜びで隠れていた場所から出てきました。さあそれから、さも自分が造ったような顔をして念入りな説明をしていました。

 普通であれば何処にでも転がっているようなダンボールや菓子箱を使って、孫とおじいちゃんが楽しく遊べ、しかもその作品が出来るのですからこれほど楽しいことはありません。妻は孫のためにガムテープをたくさん買って用意しているので、孫も惜しみなく使っています。

 先日孫と一緒に作り家の一室に飾っていた犬の家やロケット、豪華客船などを片付かないため畑の隅で焼却処分にしました。孫は折角作った作品を燃やされてショックを受けていましたが、また作ってやるからと納得させました。私たち大人にとってはタダのゴミでも、孫にとっては宝物なのです。

 今の子どもたちは与えられた遊び道具が主流になっていますが、ダンボールアートはまさに創作の遊びなので、これからも孫と一緒になってせっせとダンボールアートで遊びたいと思います。

  「孫と爺 ダンボールアート 楽しみつ スキンシップの ひと時過ごす」

  「ゴミだけど 使いようでは 宝物 金も出さずに 夢を共有」

  「ロボットを 作れと孫の 設計図 理解出来ぬが 何とか形」

  「作品を 焼却処分 孫涙 何とかなだめ 次の作品」 

 

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shin-1さんの日記

○三日三晩の土用干し

 6月の始めに収穫した青梅を、梅干し用として塩漬けにしていますが、その梅を土用干しする季節がやって来ました。今年は10日以上も早くに梅雨が明けたため、もっと早くても良かったのですが、天気が3日間は安定する頃を選ばないと、折角干した梅が夕立ちなどに合わせると元も子もなくなるので、ウナギを食べる土用丑の日も過ぎたので、いよいよ作業開始です。今朝は仕事に行く妻から頼まれて干すためのサナを洗う作業からしなければなりません。私などはそのサナを何処へしまったのかさえも分らず親父に聞く有様です。倉庫の隅に親父がちゃんとしまってくれていたサナを取り出しましたが、年寄りの几帳面さには感心するばかりです。サナは全部で6枚用意しました。これで三つの樽をまかなえるかどうか心配ですが、まあとりあえずやってみる事にしました。

 昨年の経験に習って梅干しを一日中3日間夜も昼も干し続けるのです。特に夜の夜露に濡らすことは何の意味があるのか私は分りませんが、察するに昼間の炎天で埋めの水分を飛ばし、夜の夜露でまろやかな柔らかさに戻すのでしょうが、昔の人の生活の智恵で言い伝えられてきた「三日三晩の土用干し」はそれなりの意味があるのでしょう。

 一昨日は夕立にも似た雨が1時間余りに渡って降りました。天気が安定したとはいえ油断は禁物です。私と妻、それに親父を巻き込んで見守りたいものですが、私は残念ながらこの3日間とも外の仕事があって家を留守にします。妻も同様なので勢いこの梅干し見守りはずっと家にいる親父の役目になるのです。そうはいっても親父とて一昨日のような急な雨だとしまい込むことは不可能なので、少し気がかりです。

 わが家の住人はいつの間にか私たち夫婦と親父だけになっています。4人の子どももそれぞれ独立して県内で暮らしています。故に梅干しを沢山漬けても食べてくれる人の数がいないのでは話になりませんが、子どもたちは梅干しが大好きで、特に孫朋樹はまだ5歳なのに毎食に梅干しがあれば食べるし、弁当のおにぎりにも梅干しを入れて欲しいと頼むのです。隔世遺伝ではないでしょうが孫の梅干し好きには驚きです。

 私も殆ど毎日梅干しを食べます。梅干しや味噌汁は塩分が多いからと敬遠する人もいますが、私は塩分よりも日本人が長年愛し続けてきた梅干しの持つ神秘的な効能を信じています。「食べれるのにクエン酸とはこれいかに」なんて洒落にもなりませんが、味噌汁や梅干し、納豆など外国人には理解できない食べ物をもっと大事にしたいものです。

 昨晩は親類からハモが届きました。ハモといえば夏、ハモといえば京都といわれるくらい、京都といわずこちらでもハモの美味しい季節がやってきました。ハモはウナギやアナゴと同じように原型はグロテスクです。特にハモの歯は鋭く、噛まれるととんでもない深手を負います。私も子どもの頃何度か掴み損ねてハモに噛まれたことがありますが、それは痛くて我慢できないほど傷になるのです。

 ハモは小骨が多く、背開きにした後、骨切りと称する作業をしないと食べれません。骨切りはよく切れる包丁で2~3ミリ刻みで切り目を入れますが、ちょっと油断すると皮目まで切って失敗してしまいます。私も何度か挑戦しましたが、何度も失敗しました。今は幾分上手にはなりましたがまだまだ未熟です。骨切りしたハモをさっと熱湯にくぐらせると雪のように真っ白い身がまるで花が咲いたように広がります。これを裏ごしした梅肉で食べるとまた格別で、思うだけでもヨダレが出てきそうです。

 わが家では梅肉が間に合わない時は生醤油で食べたり、ポン酢で食べたりします。これも中々美味しいものです。でもやっぱり真赤な梅肉に真っ白なハモをつけて食べる食味には叶いません。梅とハモのコラボレーションは日本人の編み出した食文化といえましょう。

  「土用干し 今年も夏の 風物詩 三日三晩の 夜露を取りて」

  「梅とハモ 絶妙コラボ 食進む 夏が来たなと 思いつ食べる」

  「丸々と 太った梅が いつの間に シワ寄せいらぬ 水分とりて」

  「喰えるのに クエン酸とは これいかに 梅干し食べて 今日も元気だ」


 

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