shin-1さんの日記

○親父を連れて病院へ

 今朝親父の隠居へ行くと、「昨日から歯の調子が悪く牛乳以外殆ど物を食べてない。すまんが病院へ連れて行ってくれ」と懇願するのです。たまたま今日は午前中日程が空いていたこともあって、それは大変と連れて行く事にしました。親父は若い頃鼻ガンになって、県立中央病院で手術をしています。医者の話ではかなり難しい病気で、手術は成功したが再発の危険性があると告げられていました。私はそのことが原因で大学への進学を諦めふるさとに帰ったのですから、親父の病気は私の宿命として受け入れていました。

 私も親父も家族もガン再発の不安に駆られながら、特に母親は心労が多かったようですが、その母が亡くなり皮肉にもガンになった父が残ろうとは、誰も想像していませんでした。故に母が亡くなったときの父の落胆は相当でしたが、親父は89歳の今日まで今も元気で過ごしているのです。そんなこともあって、歯が痛いと親父本人も、私も「もしや?」と思うのは当然かも知れません。

 松山の県立中央病院までは小一時間かかります。今日は月曜日なので患者さんも予想以上に多く、長い間病院にも行っていない親父は初診扱いで、かなり時間がかかるものと諦めて出かけました。案の定受付を済ませたのは8時半なのに、診察予約は10時10分だと告げられました。何をするでもなく親子が歯科診療の窓口付近の待合椅子で待ちました。前を通り過ぎる患者さん、掃除をする業者さん、背広を着て部屋の中へ入る薬屋さんなどその気になって見れば中々面白い人間模様ですが、歯の具合の悪い親父は診察までの時間が不安な様子で、トイレに立ったり時間を聞いたりしていました。

 やがて10時になったころ受付から「若松進様、大変お待たせいたしました。中へお入り下さい」と呼び出され、私はまるで親が子どもを病院へ連れて行くように、一緒に診察室へ入りました。先生から「どうされましたか」と尋ねられるたびに私が代役として「実は歯の具合が悪くこのところ食べ物を噛めない状態で困っています」と代弁すると、「はい分りました。処置椅子にお座り下さい」と告げ、入れ歯を外し中の具合を診察しました。少し傷があるらしく、慣れた手つきで入れ歯の不具合を修正し始めました。キーンと鳴る歯医者独特の音に苛立ちを感じながら、処置椅子の隣で私はじっと処置の様子を見なければならないのですが、うつろな表情で窓を眺めていました。やがて処置が終り傷薬をいただき、次回は7月15日8時30分に来るよう予約を取って処置室を出ました。10時30分になっていました。お金は要らないのですが会計で次回の予約日の確認をするため少し待って病院を出ました。私も親父も再発でなくホッとしながら車に乗り込んでわが家へ11時20分頃帰ったのです。

 病院とは何と時間がかかるものなのか、高齢な親父は歯の痛みより長い道中に疲れたようでぐったりしていました。薬の塗り方、今度病院へ行く日を大きな声で知らせ、昼飯です。

 夕方親父の部屋に出かけて歯の具合はその後どうか聞きましたが、今朝までの地獄のような苦しみから解放されて天国だと喜んでいました。歯の痛みが取れたこともさることながら、息子に病院へ連れて行ってもらったことがうれしかったようで、いささかなりの親孝行ができたようです。

 親父の姿を見ながら、30年後の自分を想像してしまいました。親父のように長生きできる保証は何処にもありませんが、30年後には必ず私も親父のような姿になるのです。そして息子に世話をかけることでしょうが、極力元気で生きたいと思いました。

  「次々と 後の患者が 中に入る 予約人だが 待つ身はつらい」

  「来週の 予約を取って 病院を 出でて思わず 吐息が混じる」

  「どうしたの 見知りの人に 会う度に 親父が実は 何度も話す」

  「病院に 来て見て思う 不健康 メタボの医者が 意外と多い」

   

 

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shin-1さんの日記

○わが家はまるで蜂の巣をつついたよう

 一ヶ月に一度くらい、わが家へは長女の家族と長男の家族が泊まりにやって来ます。娘や息子はどういうことはないのですが、娘や息子に連れられて3人の孫がやって来ると、わが家はまるで蜂の巣をつついたような賑やかさです。孫朋樹君は5歳ですから随分成長して聞き分けがよく私の相棒と呼ばれるようになっていますが、孫尚樹君は1歳2ヶ月、希心君は10ヶ月なので、まだまだ大人や子どもどおしのコミュニケーションが通じず、泣きたい時に泣き、寝たいときに寝て、食べたい時に食べるといった気ままな年齢なのです。最近はおもちゃで遊び、人に抱かれることの快感も覚えてきましたが、故におもちゃも人間も独り占めしたいようで、少しでも自分が相手より大事に扱われないと、本気で泣いたりするのです。

 娘の家族は娘婿が出張したらしく金曜日に泊まりに来て2泊3日です。息子の家族は土曜日にやって来て1泊2日なのですが、土曜日の夕方から娘が同窓会があるらしく、孫二人を置いて出かけて行きました。私は仕事で留守にしている妻に代わって、北海道から来た視察団の一行が帰ると直ぐに家に帰り、孫の守りです。最初は孫も可愛いなあと思うものの、夕方になると少しぐずって中々言うことを聞いてくれません。そのうち妻が帰り食事の準備をして夕食を食べさせ、夕方やって来た息子の家族と合流したものですからさあ大変です。片方を抱くと今度は自分を抱いて欲しいと泣くし、子トラが泣きたいくらいでした。

 それにしてもこの二家族が来ると、二階と一階はまるでタコ部屋のように布団で埋め尽くされます。妻は食事の後片付けもそこそこに順番に風呂に入れ、寝かせるのですが、日常と勝手が違うためか、孫たちは興奮して中々寝付かないのです。妻は仕方がないので抱いて夕涼みがてら外に出てあやすのですが、ウトウトするものの寝かせると又起きて泣くのです。

 娘の帰りがいつになく遅く、結局は10時近くになって帰りました。私は「子どもをほったらかしてどういうことだ」と少し不満をいって娘を叱りましたが、長男がたしなめて納まりました。

 それにしてもです。妻は偉いと思いました。私など孫の面倒を見たと威張ってもほんの少しの時間です。妻たるや、全員の食事の世話、孫の食事、布団の用意、風呂に入れるなどなど、数えればきりがないくらいの働きです。しかも今は職場の都合で日曜日だけの休日で、そのたまの日曜日も娘・息子の二家族は夕食まで食べて帰るのですから大変なものです。それでも孫や子供が来ることを喜び、自分のことなど二の次です。

 私もそんな妻を偉いとは思うのですが、昔人間であり、駄目亭主のレッテルを貼られている私は、感謝の言葉のひとつもいえず、相変わらず亭主関白の言動なのです。昨日は私も今治市富田自治会に招かれ講演に行き、夕方帰ったため二人とも疲れていたのか、テレビを見ながらついウトウトしてしまい、気がついたら12時を回っていて、テレビをつけ電気をつけたままで、妻も私も慌てて終身と相成りました。忙中閑なし、それでも子どもや孫と泣いたり笑ったりの声を聞く度に、ささやかな幸せを感じています。

  「孫たちの 泣いたり笑う 声聞けば まるで蜂の巣 高周波音」

  「月一度 これも務めか ご苦労さん 妻はせっせと 子孫のために」

  「しみじみと 歳を取ったね 言う妻の 疲労ありあり 日曜の夜」

  「気がつけば テレビ電気を 点けたまま ついウトウトと 時計は回る」 



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